プロローグ4

 結局、大会で勝つ、結果を追い求めることが部の方針として決まった。厄介事が払拭された私は練習に集中して取り組む環境を手に入れた。

 それは当然、真希と莉菜も同様で、二人の力は日進月歩の勢いで伸びている。

 二年生の先輩で何人かついていけない、と退部する人がいたりもしたが、それ以外大きな波乱はなく練習を積み重ねた。

 県内どころか近隣の県にも敵なしの状態で、二度目の夏の全国大会を迎えた。


 今年の会場は福岡だ。去年も暑かったが、今年はもっと暑い気がする。どうせなら北海道とかでやってほしい。

 前日に会場近くの宿にチェックインし、私たち二年生は部屋で寛いでいる。部屋は学年毎に分かれている。気を使う必要がなくて楽だ。

「遂にこのときが来たな」

 部屋は和室で、畳の匂いが充満している。莉菜は畳の上に直に胡座をかいて座っている。

「そうだね」

 座った状態で両足を真っすぐ伸ばし、そこに上半身をぺたりとくっつけ顔だけ上げながら真希が頷いた。

「ようやく去年の雪辱が晴らせる」

「まだ忘れてなかったの」

 私は荷物を整理し、真希の横に座った。

「そりゃあね」

 真希が普段以上に意気込んでいるのには理由がある。なんの因果か、一回戦の相手が去年と同じなのだ。つまり全国三連覇中、東京代表私立星華中学だ。去年は学校名すら覚えていなかったが、さすがに今年はいやがおうにも意識してしまい覚えた。

「今年は勝つぞ。真希と私がいる。私が真希より点を取れば、勝つだろ」

「……私じゃなくて対戦相手に集中しなよ」

 最近の莉菜は真希より点を取ることに拘っている。試合自体に負ければ悔しさを全面に出すし、試合に勝っても真希より点が取れていなければそれはそれで悔しさを表す。

 そんな莉菜に真希は少し辟易しているらしい。

「大丈夫だって。たぶん日本一の真希がいる。そんな真希をそのうち越える私。優勝は確実だ」

 真希は呆れた顔をするだけで何も言わなかった。


 去年観客席で感じていた熱と、今年コートで感じる熱には大きな差がある気がする。ただの傍観者だった去年とはまるで違うプレッシャー、応援している人数の違い。そして何より、真希目当ての取材陣。

 審判の笛も、両チームのベンチからの応援も、ボールを打つ音もすべてが別世界から聞こえてくるかのように遠い。

 私の緊張をよそに試合は進む。ただ、真希と莉菜はなんてことないように普段通りにプレーをしている。

 そして私のコンディションなどお構いなしに真希と莉菜が点差を広げていく。この二人を止められる人が相手にいない。私が緊張を解す間に第一セットを25対15であっさり奪ってしまった。

 第二セットからは普段通りにプレーできた。ただ、そんなこと関係なしに真希と莉菜はさらに力を発揮していく。第一セットとは別の意味で、別世界の映像を見ているようだった。

 25対17、真希が一年越しの雪辱を晴らし、莉菜とハイタッチしている。部長、副部長、そしてセッターの良子も二人に抱きついている。私も慌てて飛びついたが、どこか浮遊感が拭えない。

 一緒にいるはずなのに、一緒にいない。二人はとっくに私の知らない世界にいるんだ、そんな気がした。


「やっぱ、すげえな」

 試合後、真希が取材陣に囲まれた。それを見た莉菜がぽつりと呟いた。

「私も結構活躍したんだけどな」

 二人の得点数や得点率は正確には分からないが、莉菜も活躍していたのには間違いない。

「ま、いっか。まだ試合あるし、休んでくる」

 莉菜があっさりとこの場を去るものだから拍子抜けしてしまった。もっと文句を言ったり、最悪取材陣の輪に割って入るものとばかり思ってた。

 取材が終わった真希と一緒に次の試合まで休憩することにした。

 莉菜は次の試合になるまで現れなかった。


「全然分からん」

 莉菜がそう言ってシャーペンを机の上に放り投げた。なんだか既視感がある。

「まだ五分しか経ってないよ」

 真希が咎めるように言うと莉菜は渋々シャーペンを握り、教科書と向き合った。

 全国大会も終わり、秋のテストが近づいていた。私と真希と莉菜は放課後の教室で一緒に勉強している。二年生になってからの莉菜の成績は相変わらず、というより下がりに下がっている。将来海外で活動することを視野に入れてか、英語だけは平均点を維持しているが。

 それから二〇分くらいは黙々と勉強していたが、莉菜の手は止まり、大きな欠伸を繰り返している。

「二人とも、これ見た?」

 見かねた私は鞄から雑誌を取り出した。バレーボールの専門雑誌で真希が表紙に写っている。去年も真希が表紙に写っていたが、今年は表紙に占める割合少し大きくなっている。

「見てない」

 真希が嫌そうに顔をしかめた。去年もそうだったが、真希はこの手の露出を嫌っているようだ。目立つことが嫌いというより、バレーだけに集中していたいのだろう。

「見たよ」

 莉菜まで顔をゆがめている。

 今年の夏はベスト8で終わってしまった。あのときの真希と莉菜の悔しそうな表情が今でも忘れられない。

 三年生が引退し、真希が部長、莉菜が副部長となり、今度の大会に向け新チームが発足したばかりだ。

「真希には『女王」なんて二つ名がついてたぞ」

 莉菜が冷ややかな目線と雑誌と真希に向けた。

「え、なにそれ」

 真希が机に置かれた雑誌をめくり、私たちの試合結果、もとい真希の活躍が載っているページにたどり着いた。

 私は真希と莉菜の活躍が嬉しく何度も読み返したから内容を覚えてしまった。。試合中に指示と檄を飛ばす様子と、得点率の高さから「女王」なんて称されていた。さらに名字の「王木」ともかかっているようだ。

「女王って……。てか、ダサい」

 黙読していた真希の第一声がそれだった。まあ、そこに関しては私も同意する。

「それだけじゃないだろ」

 莉菜は右手で頬杖をつき、両目を閉じている。睡魔と戦っているわけではなさそうだ。

 莉菜の言うように、雑誌には真希のことだけが書かれているわけではない。莉菜についても真希と同じように取り上げられていた。真希に次ぐ活躍、初の全国ベスト8入りに貢献したということで、莉菜にも二つ名がつけられていた。それは――。

「『女王の右腕』? ……やっぱりダサい」

 読み終わった真希が先ほどと同じ感想を述べた。莉菜に関しても、名字の「右原」とかかっているようだ。これを書いた人は上手いこと言ったつもりなのだろうか。

「この話はもういいよ」

 莉菜が机に広げられた雑誌を勢いよく閉じ、私に押し付けてきた。私は素直に受け取り、鞄にしまった。

「勉強しようぜ」

 莉菜の口から似つかわしくない言葉が飛び出し、私と真希は顔を見合わせた。

 莉菜がそれ以上何も言わず、シャーペンを握り、教科書とノートと向き合い始めた。


「さっきの莉菜、どうしたんだろうね」

 真希が少し不安そうに私に聞いてきたが、私にも分からない。莉菜の口から勉強なんて単語が出てきたからというより、雰囲気が少しだけ違った。私と真希以外は気にも留めない程度の差かもしれないが、何かおかしかった。

「二つ名が気に入らないんじゃない」

 私はこの場を和まそうとしたが、真希は浮かない顔している。

 勉強を切り上げての帰り道。私たち三人はいつも一緒に帰るが、家の位置関係で莉菜が最初に私たちと別れることになる。

「それくらいだったらいいんだけど」

 真希の心配はよく分かる。最近の莉菜はどこか変だ。全国大会まではあれだけ真希と張り合っていたのに、全国が終わってから莉菜は真希と張り合うのをきっぱりとやめた。表だってそうしなくなっただけかもしれないが、内心は推し量れない。

「奈緒と莉菜のことならなんでも分かると思ってたけどなあ」

「私のこともよく分からない?」

「いや、奈緒のことはよく分かるよ」

 真希が微笑んだが、すぐにその笑みは消えた。

「だけど、莉菜のことが最近よく分からない」

 私だって分からない。私は何も言えず、曖昧に笑った。


 莉菜を除けば無事にテストが終わり、練習が再開された。顧問の大河内先生が考えた練習メニューをこなしていく。やはり真希と莉菜は別格でチームの中で突出している。

 この二人にきっと実力の限界なんてないんだろうな、私はぼんやりとそんなことを思い始めていた。


 新チームとなってから初の大会へ向けて、練習終わりにスタメンが大河内先生から発表された。

 真希、莉菜、私の順に呼ばれ、一年生二人が呼ばれた。その瞬間少しだけざわめきが起こった。二年生で今までセッターだった良子は……?

「最後にセッターは」

 私たちのことなどお構いなしに続ける。

「篠宮」

 篠宮とは一年生だ。小学生のときからやっているらしく、経験年数だけでいえば一年生の中で一番になる。

 話は終わったとばかりに大河内先生がすたすたと体育館を出て行く。普段であれば何人か残って自主練習をするのだが、今日に限ってはそんな雰囲気でない。

「いやいや、納得いかないって」

 莉菜が真っ先に抗議の声をあげた。

「なんで急にポジション変えるんだよ。直談判しに行こうぜ」

「莉菜、落ち着いて」

 真希が莉菜を宥めようとするが、莉菜は聞く耳を持たない。

「実力はその、大体同じくらいだ。だったら私たちと長くやってる良子のほうがいいだろ」

 莉菜が必死に真希に説明しているが、その言葉がどこか虚しい。実力は大体同じ、そう大体。良子より、一年生の篠宮さんのほうがわずかに上だ。

 そのことは莉菜も分かっているはずだ。だから大体同じ、と言ったのだ。

 当の良子と篠宮さんはおろおろしている。篠宮さんにとっては先輩からポジションを奪ったあげく、それに納得していない先輩を見せられていることになる。

「良子のトスに慣れてる、今さらセッターが変わるなんて……」

「次の大会までは後一ヶ月ある。それまでに慣れる。そのため練習だよ」

 莉菜は感情的に声を荒げているが、真希は努めて冷静に受け答えしている。

「さっきも言ったけどさ、実力は大体同じなんだよ。だったら上級生のほうが……」

「それ、本気で言ってる?」

 一瞬だけ真希の眼光が鋭くなったが、すぐにそれはなりをひそめた。

 莉菜もそれに気がついたのか、怯み、口をつぐんでしまった。

「実力だけを見るなら、篠宮さんのほうがわずかに上だよ」

 真希のはっきりとした物言いに莉菜が力なくうなだれた。

 ちらりと良子を見やると、良子は真希を無表情に凝視している。

 篠宮さんは相変わらずおろおろしている。

「私たちだって実力主義と称して上級生を押しのけて試合に出続けていた。私たちのときだけそのルールを曲げるわけにはいかない」

 莉菜は何も言わない。

「良子が今より上手くなって篠宮さんより上手くなればいい。そして篠宮さんは負けないように頑張ればいい。それだけだよ」

 真希はそう言うと莉菜の言葉を待っているのか、それ以上は何も言わず莉菜の顔を見つめている。

 空気がどんどん重くなっていく。良子が何か言おうとしているが、言葉が出てこないのか口をぱくぱくさせている。

 やがて莉菜が小さ溜息をついた。

「一選手として勝ち続けている真希に、私たちの気持ちは分かんないよ」


「言い方、キツかったかな」

 帰り道、真希が大きく息を吐き出し、ぽつりと呟いた。

 あの後莉菜は一人でさっさと帰ってしまった。

話しかけないで欲しい、背中からそんなオーラが滲み出ていた。

 私は良子の、真希は篠宮さんのフォローに時間を費やし、帰る頃には日が傾きはじめていた。

 良子も篠宮さんもポジションについては納得したようだ。私たち二年生は一年生のときから実力主義だったから、こういうことが起こりうると理解していた。だから良子がこれから篠宮さんに八つ当たりするようなことにはならないだろう。

「でも、莉菜だってあんなこと言わなくったって……。大体、勝ち続けてないし……」

 私たち三人は仲がいいがけんかしたことがないわけではない。私と真希、私と莉菜、そして真希と莉菜、ときには三人でけんかだってしたこともある。でもいつもはその場で収まっていた。今回みたいに長引きそうなことは一度もない。

「奈緒、聞いてる?」

 真希の声で私は現実に引き戻された。

「き、聞いてるよ」

「なんでこうなっちゃうかなあ」

「実力主義である以上、莉菜も頭では理解していたと思うよ。ただ、実際にそういうふうになると、さ……」

「上手い人が試合に出る、シンプルじゃん。ずっとそうだった」

「皆が皆、真希みたいには考えられないし割り切れないんだよ」

 そうだけどさ、と真希が呟いて私たちは黙り込んでしまった。

 もし真希より上手い人が六人いたら真希は大人しくポジションを譲るだろう。そして真希は負けないように練習をする。

 じゃあもし私より上手い人が四人現れたら、真希はどうするだろうか。同じように莉菜より上手い人が五人いたら?

 真希の答えは分かっている。でも真希の口からは聞きたくない。

 私は他愛もない話題でこの雰囲気を誤魔化した。


 翌日、莉菜が昨日の騒ぎについていろいろな人に謝り騒動は終わりを見せた。

 私たち三人もいつも通りに戻った、そう思っていたが莉菜だけはやはり変だ。口数が減り、楽しそうな様子を見せることが少なくなった。落ち着いたと賞賛する大人がいる一方で私と真希だけはなんだか不安だった。

 そんなことはお構いなしに時間は進む。

 篠宮さんは実力を伸ばし、はっきりと良子との差を広げていた。莉菜も篠宮さんの実力に納得しているようだ。

 真希と莉菜は中学バレー界の有名人で、全国から練習試合の申し込みが殺到しているらしい。毎週のように練習試合が行われるが、それは片っ端から打ち負かしている。

 今年こそ全国制覇だ、そんな夢を胸に中学最後の夏を迎えた。

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