第一章(2)

特別な生徒、だとシスターはわたしたちのことを言う。でも実際わたしは特別なものなんて何ひとつ持っていない、どこまでも普通で平凡でありきたりでどこにでもいるつまらない女の子だ。



「夕べさ、赤川先生が夢に出てきちゃったんだよね」



 琴美がニキビの散る頬を赤らめてそんなことを言う。ニキビに悩み、叶わない恋に悩む琴美は、勉強も運動も平均点なわたしたちのグループの中でも本当に普通の女の子だ。



「偶然! わたしも夕べ、ひーくんの夢見ちゃった」



 笑子が名前のとおり顔じゅう笑顔にして言う。よくしゃべり、よく笑う笑子は、家が敬虔なカトリック信者で洗礼を受けているということも相まって、静音たちを嫌悪し、シスターたちの言うことに素直に従う。



「ひーくんとどんな夢見たの?」


「それがさ、意味わかんないんだよね。渋谷あたり走ってるニューアルバムの宣伝の車あんじゃん? そこの荷台がパカッと開いてステージになって、そこで一緒に歌うの」


「あはは、ほんとに意味わかんない」


「琴美の夢は?」



 琴美は耳まで真っ赤にして、夢なのにまるで本当のことみたいに打ち明けた。



「ぎゅって、してもらった」

「キャー! 琴美、いやらしー!」

「そんなこと大声で言わないでよ」



 シスターのいる前では控えているけれど、彼女たちの目の届かないところでは高校二年生の女の子たちは結構過激な猥談をする。静音たちのほうなんて「たかだかセックスで」「避妊してるんだからいいじゃん」という声が聞こえてくる。休み時間の教室は蜂の巣を突っついたように騒がしい。



「いやらしいことなんて考えてないよ。わたしは赤川先生に、ピュアな片思いしてるの」


「わたしだって、ピュアだよー。ひーくんのこと、応援できるだけで満足」



 笑子が思いを寄せるひーくんというのは、今を盛りのアイドルグループの人気メンバーだ。ひーくんの前はゆっくん。その前はタツくん。笑子の片思いの相手は、だいたい半年ぐらいのペースで変わる。



「澪は? 好きな先生とか、アイドルとか、いないの?」



 笑子に話題を振られ、まさか自分に話が回ってくると思っていなかったわたしは慌ててしまう。



「いや、その、わたしはほんと、そういうの興味なくて」


「澪にそんなこと聞いても無駄だよ。澪って笑子や琴美以上にピュアなんだから。ね?」



 芳乃に言われ、あたふたと頷く。


 芳乃は英語の成績が多少良いぐらいは取り立てて特徴のない、わたしと同じ普通の女の子だけれど、身長が一六三センチもあるし自分をしっかり持っている感じがして恰好いい。眼鏡の向こうの奥二重の目はいつも目の前にあるものをしっかり見ている。



「そっか、うちらの中でいちばんピュアなのは澪かー」


「澪には負けるよね」


「負けちゃうよね」


「ねー千絵子とかまじありえない! 何考えてんのって話。ちょー不潔」



 笑子が千絵子にわざと聞こえるような大声で言う。静音たちと笑い合っていた千絵子の肩が一瞬だけ、臆したようにびくんと動いた。



「ほんと、頭おかしいよね」


「責任も取れないのにそういうことするのって、おかしいよ」


「澪もそう思うでしょ?」



 そう思っていないのに、わたしの頭、自動的に上下に振られている。


 本当は千絵子のこと、ちょっと恰好いいと思っていた。自分を大事にとか意味のわからないお説教ばかりするシスターに抵抗して、自分のやりたいことを素直にやる。


 大人の思い通りになっちゃういい子ちゃんより、自分を通す子のほうが、わたしは好きだ。



「ねぇ澪、トイレ行かない?」



 芳乃が誘ってくる。笑子と琴美は夕べやってたひーくんが出演しているドラマの話で盛り上がっているため、ふたりきりで行くことになった。


 校舎の端っこのトイレは暖房の熱がここまで届かなくて、桜も散ったっていうのに真冬みたいにひんやり寒かった。



「うわっ、寒―。早いとこ出よ」



 三十秒で用を済ませ、洗い場で手を洗う。芳乃は鏡と睨めっこしつつ、肩にかかる長い髪の毛の具合をしきりに気にしていた。



「あのさ澪」


「うん?」


「これ、笑子と琴美には、絶対に言わないでほしいんだけど」



 きん、と耳に栓をされたような沈黙があった。洗い場の蛇口から水滴がひとつふくらんで、ぽたりとシンクに落ちていく。



「わたし、彼氏、できた」



 そう言う芳乃の頬はほんのり上気していて、誇らしげな笑みが平凡な顔を美しく彩っていた。



「いつ?」



 何を言っていいのかわからなくて、とりあえずそう言うのが精いっぱいだった。

 親友の幸せを、一ミリも素直に喜べない自分がいることに、すぐ気づいた。



「春休み。予備校の春期講習で出会っちゃった」

「そっか……おめでとう」



 ちっとも気持ちのこもっていないおめでとうに、芳乃は素直にありがとうと返してくれる。


 彼氏どころか、好きな人のひとりも現れなくても、芳乃がいるから大丈夫だと思ってた。


 中学からずっとの親友で、服の好みも音楽の好みも一緒で、成績も顔も平均点同士。


 そんな芳乃がわたしと同じように浮いた話のひとつもなかったから、中学三年生ぐらいから静音や千絵子たちがクラスで堂々とセックスの話をするようになっても、わたしも早く始めなきゃと焦る気には少しもならなかったんだ。


 でも、わたしは芳乃に先を越された。



「笑子はあのとおり潔癖だし、片思いで悩んでる琴美の前で、こんなリア充爆発な話はできないじゃん? だから当分は秘密で、お願い」


「その代償、高くつくからね」



 一生懸命捻りだしたジョークに、芳乃は嬉しそうにえーっと顔をしかめてみせた。


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