初霜咲の生徒は過ちを犯してしまいました

るんAA

第1話 出逢い


 ♪~


「女の子なら誰もが信じる伝説。それは初霜咲高校にもあります。

 入学式と卒業式、それはあなたにとって、かけがえのない日になることでしょう。

 門出の日、中央門を跨いだ生徒は幸せを迎えることができる」

 いつか私もきっと……。


『初霜咲高校』








   プロローグ


 桜の花弁が空を切るように舞う、よき快晴の日。

「んん〜、気持ちのいい朝だ」

 交差点上の歩道橋、つい立ち止まるほどの美しい桜並木の景色を眼前に、両腕が抜けるほどに身体を伸ばす。


 見据えるのは、ここ歩道橋からでも一望できるほどに大きい、坂の上に佇む白い建物。

 通学に一時間かかる、新たな出会いの場所。

 今日は、待ちに待った初霜咲高校の入学式だ。

 志望理由は誰にも聞かれなかった。気を遣われたのだろう、理由は離れる以外にないのだから。


 楽しそうに今後の天望を語る親子のようにワクワクはある。けれど、緊張で足が前に進まない足取りが重たそうな新入生と同じように、不安もあった。

 だが、いまの僕は後者と言えよう。駅の改札で大きな垂れ幕を掲げ、お見送りをしてくれた見知らぬ人たちからの声援。なにより、「準備しておいたよ」と前日の夜から母が仕立ててくれたこのシワひとつ見当たらない詰襟の学生服が僕の心を引き締めた。


「後で行くから」

「うん……。楽しみにしてて!」


 何をするわけでもないのにそんな返答になるのはおかしいね、と微笑み合う。

 両親、そして登校中に出会ったその他諸々の人間に見守れて登校することが、こんなにも清々しい気持ちにさせてくれることを僕は知らなかった。これこそ、灯台下暗しというものだろう。


 新しい門出を祝すには最高の一日になる。

 今では、そう確信していた。

 それに不安なことなんて、僕が緊張しいだったり、ロクに友達と呼べるまでの交友関係が作れなかった過去があるくらいで、それらは些細な事柄に過ぎない。


 きっと、どれだけゴールテープを早く切れるか。ではなく、

 どれだけスタートラインを上手く切れるか。くらいの意識の違いだ。

 勉強も、友達も、恋愛も。


「遅刻さえしなければ、すべてがうまくいく」


 たしかな確証は何処にもないのに、謎の自信だけが僕の脚を勇敢に動かした。




   第一章 出逢い


 眠たくなる季節。時はあっという間に流れ、窓から見下ろす並木道には紅葉の花が秋の花道を作らんとばかりに深紅に彩りを見せていた。

『紅葉が満開』とは言わないらしい、そんなことをはるか昔、雑学に博識な母から聞いた覚えがある。

 正しい言い方はたしか……うーんダメだ。頭がうまく回ってくれない。きっとこの空気のせいだろう。


 時刻は十七時十一分、場所はストーブで温まりきったホクホクの教室。

 条件が揃いに揃った夕暮れどきの教室は仮眠をするには最適の環境となっていた。

 クラスの半分はうたた寝をし、半分は文句を垂れながらある人物を待っている。

 しばらくすると、総勢四十人の待ち人である彼女が教壇に足をかけ、教卓にて佇む。


「はぁ~い、ちゅーもーく」


 けだるげな放課後の雰囲気に追い打ちをかけるように、けだるげな号令をかける彼女、担任教諭は手拍子をして話を聞くように合図をした。


「せんせ、遅くない? 話ってなに」


 不機嫌そうに担任教諭に話しかける生徒、いつもだったら彼氏と電話してて~、なんて法螺を吹いてもおかしくはないが……


「…………」


 返答は無言だった。

 授業が終わってから律儀に待っていたというのに、少々辛辣な対応ではないかと思った。

 話を聞けばわかると言わんばかりに手で制した後、担任教諭は咳ばらいを合図に朗読を始めた。


「二学期が始まって数週間、皆さんはどうお過ごしでしょうか。読書の秋、食欲の秋、サンマの秋、いろいろあるでしょうが……え、違う? では、みなさんはなにを持ってして秋を過ごしているのでしょうか? 気になるところではありますが、ここで私の秋を皆様に紹介……ってなが。もういいや……」


 と担任は台本らしき資料を放棄するように投げ捨てた。

 よっぽど流暢な台本だったらしく、読むのが面倒になったらしい。一番放棄したいのはイライラしながら耳を傾けている生徒だと思うのだが。


「ということで、これから二学期の学校行事に向けたクラス代表の班を決めたいと思います」


 散々待たされたあげく、突然の告知に教室は一気に騒々しさを増す。

 普段は対応のいい担任が生徒の質問に無視を決め込んだのだ。長ったらしい前置きに、面倒がる担任……上からの命令以外に思い浮かぶものはないだろう。


「どういうことだよ! ちょっと話があるだけじゃなかったのかよ!」


 男子生徒がついに怒りを露わにする。授業が終わって帰ろうとした生徒を一人も逃がさずに教室で待てと命令された挙句この仕打ちだ、怒るのも無理はない。


「先生方の話し合いにより、今日決めることになりました~ワーパチパチ」


 クラスは一向に盛り上がる気配を見せない。なんなら現在進行形で盛り下がり中だ。


「俺、部活に遅れるんだけど。明日じゃダメなの?」

「朝はみんな集まらないでしょう? だから放課後になったのです」


 たしかに朝はみんな、それぞれのライフスタイルに合った登校をしている。一時間目に間に合えば学校的にも問題はないので、朝のホームルームにクラス全員揃っていることの方が少ない。

 しかし、私もそこまで時間があるというわけではないですからね、と陰でコソコソけれど全員に聞こえるように担任が発言したことで油はさらに撒かれた。余計なことを……。


「先生が急に待てって言ったんでしょ? 待たされてる私たちの身にもなってよ」

「彼氏待たせてるんだけど、センセどう責任取ってくれんの~」

「わたしもこの後、人を待たせているので、早く終わらせたいと思っていますよ」


 私情を含ませたかのような言い方に、教室の雰囲気はさらにヒートアップ。彼女もいい年頃だ。お相手との約束でもあるのだろう。ここは目を瞑ってやろうではないか……。


 とはいかない。

 何故なら、その私情を僕だけは知っていたから。そしてそれが心底どうでもいい用件だということも。けれど、みんなが知らないことを僕だけが知っている、そんな浅はかな優越感に浸れるような気がしたので特に言及するつもりはなかった。


「それじゃ、適当に五人組の班を作ったから何をしたいか話し合って。黒板に書かれた人から移動していってどうぞー」


 すぐに書かれたから、焦って机の脚に膝をぶつけた。


【自己紹介】


 互いに見知った顔とはいえ、初めて会話をする人もいるからということで自己紹介をする流れになった。

 自己紹介は苦手だ。

 端的に自分の長所を相手に分かりやすく伝えなくちゃならない。

 勘違いしないでもらいたいのが、自分が苦手というわけではなく、説明が下手だと聞き手は苦労するという話だ。


「よろしくー。あ、学級長同じじゃん。ラッキー」


 一人目はフットワーク軽そうな茶髪のギャル系女子。抽象的でわるいが、特徴としてはそのくらいしか思い浮かばないのだ。マスクをしたら見分けるのに一苦労しそうなそんな容姿だ。それと名を名乗れ。


「はい、その学級長でーす。みんなからは名前で有紗って呼ばれたいです。よろしく~」


 二人目はよくクラスを仕切っている姿を見かけるリーダーシップを携えた学級長の有紗と呼ばれる彼女。

 風の噂によると、クラスの中心の存在である彼女は、同性異性関係なく好意的な態度を見せてしまうので告白されることは日常茶飯事らしい。手入れが施された髪は耳下に二つで結んでおり肩に届くかどうかの長さ。いわゆるツインテール……いやおさげ髪というべきなのか日頃可愛らしい髪型をしている彼女だが、顔立ち、特に目鼻立ちがくっきりしているからか、髪型に左右されず、大人びて見える。


「よろしく。以上」


 三人目は愛想が悪い男子生徒。班の中で唯一の男子生徒は心強いと感じていたが、彼の態度からするに良い印象はしない。コメントも特にない。


「あ、あ……紅澄……です。………………あ、よろしく、お願いします……」


 四人目は自己紹介ですら、ひと手間かかる臆病そうな性格の女子生徒の紅澄さん。

 授業で指名されたときもこんな具合でそれは教師が諦めてしまうほど。性格を表に出すことを苦手とする子なのだろう。健気でつい応援したくなってしまう。

 ちなみにの話。推定セミロングほどの長さの黒髪はいつも必ず丁寧なお団子で束ねられているため、髪ゴムを外した紅澄さんの姿を見た人間はこれまでにいないらしい。

 髪をおろした姿になにが隠されているわけでもないというのに、とその話を耳にするたび、雄一は毎度疑問に思っていた。


「ねえ学級長、これなにする時間? 聞いてなかったんだけどー」

「学校行事の実行委員決めらしいよ~、クラス代表の」

「クラス代表?」

「選ばれる実行委員は一つの班だけ。実行委員って明言すると、真面目に考えない班が出てくるからあえて言わなかったんじゃないかな~」

「うわこっす、だるくね。実行委員とか」


 ということらしい。

 僕自身、自己紹介がいつ来るかドキドキしながら思考を巡らせていたので、担任教諭の目的が何なのかを考える余裕は到底なかった。……というか僕の番って来たっけ?


「うーん。ちょっとめんどくさそうだよね。クリスマス会についてはなにも知らないし」

「適当にそれっぽいこと考えて済ませようぜ。俺、眠いし」


 自己紹介を一人忘れるほどみんなお疲れらしい。たしかに授業で脳が疲弊しきった放課後に議論する内容ではないな。


 二学期の主な学校行事は、生徒手帳に記載されているところによると『文化祭』と『クリスマス会』の二つが存在する。

 文化祭はまあ……なんとなくわかる。クラスや部活で出しものを出したりするその名のとおり、お祭りだろう。一般入場もある。

 分からないのはクリスマス会の方だ。ここ十年でできた催しらしいが、文化祭と違ってクリスマス会は一般公開されておらず、とにかく情報が少ない。というかほぼない。

 クリスマス会といわれて連想されるのは地区の公民館で子どもが集まってプレゼント交換や、ケーキを食べたりした『会』らしい催しだが、はたしてそんな生ぬるいことをいい大人である高校生がわざわざ集ってやるのだろうか。


「てか文化祭は行ったことあっからわかるけど、クリスマス会ってなに? パリピ?」


 やはり同じ疑問を抱えていたみたいだ。そこまで楽観的な考えではなかったけど。


「認識的にはそれで合ってるんじゃないかな? 私もわかんないや」

「俺も先輩に聞いたことあるけど、はぐらかされたわ……」


 情報共有をしても効果はあまり望めなさそうだ。ここまで情報がないなんて……。


「とりあえず、何かしらの案を考えておかないと、実行委員に選ばれちゃうかもね」


 学級長のもっともな発言に班の空気はどことなく締まる。


「あなたはどう思う?」

 巡らせていた頭は一人の女生徒の呼びかけによって掻き消される。


「え……?」

「君だよ、君。おーい、起きてる?」


 手をぷらぷらと眼前で見せながら、意識があるかどうかわざわざ顔を覗く学級長。

 そういうところが無意識だよな。まったくもって、面倒だ……。

 構われるのが面倒で発言をしていなかったというのに億劫なことになってしまった。

 学級長の配慮にどこか憂鬱さを感じながらも、雄一は首を微妙に曲げた後に応える。


「僕に指図するんじゃ……」


「てかアンタだれ?」


 渾身の台詞を遮ったのは、ずっと不審そうな目で睨んでいたカジュアル系の彼女。

 疑問を抑えきれずに踏み切った問いかけをする彼女は、人目も気にせず堂々としていた。


「え、あ……自己紹介すっ飛ばされた出本です」


 真摯さに応えるべく、雄一は正直にそう応えると、

「…………」

 驚くべきことに返事は帰ってこなかった。

「二学期から来た、あの出本です……」


「あー。……よろしくね」


 付け足した情報を受けた彼女の返答は心なしか、興味の薄れた返事に感じた。








   真・第一章 出逢いなど存在しない晩秋


「ここの班は決まった?」


 一人一人がいくつかの案を出し合った頃、教師が訪ねてきた。

 一年生という未経験の立場ながらにそれらしいことは何個か言えた自信はあった。


 ・地域活性化のためにふれあい広場を校内に設ける。

 ・少子高齢化社会に優しくあるために、看護体験コーナーの設立。といった等々……

 今回はつい奥手になって無難な案を出してしまったが、実のところ、クラスの出し物はメイド喫茶をプッシュしていきたいのが僕の本音だ。


「やっぱ、普段使われない中央門でなにかしたいよね~」


 進行を務めていた女生徒は平然とそう言った。

 どうやら、僕の知らないところで話はそこへ収束していたらしい。


「みなさん、記憶に残るような楽しい思い出にしましょうねー」


 教師の締めの言葉を最後に、教室はいつもの空気に戻る。

 僕は颯爽と帰り支度を始めた。


 家に帰って、ゲームして、いっぱい寝る。


 荷物をまとめて廊下に出た頃、ポケットに入れていた携帯端末が唸りを上げた。


 ※ ※ ※


「え~また?」

「そうなのよ、これで三回目」

「いい加減どうにかした方がいいんじゃない?」

「でも、喫煙所は生徒立ち入り禁止だし……」


 職員室に入ると、女性教員二人が話し合っていた。

 なにやらお困りの様子だが……


「なんの話ですか?」

「あ、来たわね。出本君には関係ないから、安心して」


 僕を見た後、もう一人の教員はその場からはけていった。

 そして、こちらの女性教員は踵を返した後、


「最近は……どう?」


 西日から差す夕暮れの陽を浴びながら、担任は重々しく、深刻そうに尋ねた。


「元気にやってますよ。画面越しの授業よりは退屈しないです」

「私はね、教師としてあなたを心配しているの」

「一度しか学校を休んだことがないのに?」

「一度だけ休んでるじゃないの……それに、その相槌はもう聞き飽きたわよ」


 担任はうんざりする口ぶりで深くため息をつくと、自分の机を漁り始め、

「これ」

 と一本のペンと一枚の白紙の用紙を渡してくる。


「教職の退職届を私の代わりに書いてくれ、と?」

「部活。いい加減決めてもらわないと困るのよ」

「そういえば、昨日のドラマ……」

「昨日は家に帰ってない」

「……左様で」


 話題を逸らすことは許されないらしい。


「どうして家に帰っていないのかと聞かれたら、規定された日時に部活動にまだ入っていない生徒がいることが理事長に漏れて、夜中散々反省文を書かされていたから」


 なるほど。どおりで化粧が厚いわけだ。

 初霜咲高校では、部活動に入ることが校則で義務付けられていた。

 なんでもいまの理事長になってから、校風や規則が変化していったとか……


「なにか私に言うことは?」

「決めろと言われても、決まってないものは決まってないんだから仕方ないじゃないですか」

「そんな駄々はもう通用しないわよ。今日こそは決めてもらうから……」


 今回ばかりは言い逃れさせないとばかりに、担任は真摯にこちらを見つめる。

 真摯に見つめる視線が交わろうと、雄一は決して目線を逸らさなかった。まもなくすると徹夜の勲章である、目の下の重たそうなクマが薄々と肌を通して浮かび上がり、ついに明かされるっ……アラサーの本性が……‼


「目ん玉かっぽじるわよ?」

 二本指を立てられて脅迫された。


「じゃあ……先生がオススメする部活は何ですか?」

「オススメ? そんな好きな映画を勧めるみたいな流れで私に従うというの?」

「あくまで参考にしようと思っただけです」


 毎週決まった日時と時間に呼び出す担任教師にうんざりしていないわけがないが、同情の念が僕にも多少はあった。ほんとに多少。


「そ、そうね……えーと……ん~‼」

 教師は考え込むうち、徐々に目が泳ぎ始めていく。

 すると、両手で大げさに頭を抱え始め、

 さらには、ただでさえ散らかっている机をさらに物色し始めた。


「ちょっとまってね。その質問は予想外だったから、ちょっと……」

「そこまで考えなくても……なんなら、先生が高校の時に所属してた部活でも……」

「私はテニス部だったわよ」

「レスポンスはやっ」


 教師はすんなりとそう応えると、こちらに身体を向けた。

 そしてどこか気取っているようにも見える。


「へぇー、そうだったんですか。なんかイメージと違ったなー」

「どんなイメージだったのよ」

 お日様の下、ラケットを構え、洗練されたフォームを見せつける……先生。

「いえ、特にイメージはないです」

「……なんなのよ」

 教師は腑に落ちない顔でこちらを覗いてくる。

 うーん。テニス部にしては、少し根暗すぎるかな……。


「高校の運動部って、中学の比にならないくらい練習が過酷そうですよね」

「そうね。一年生は基礎運動が終わったら、ボール拾いをよくされていたもの」

「そうなんですよ。だから、入るなら文化系の部活がいいかなと思って」

「そうね。けどテニス部はいいわよ。毎日脚光を浴びながら気持ちよくテニスができる。ああ、たかっちゃん懐かしいなぁ……」

「やっぱり運動部は嫌っすね。あ、それで何もせずに帰宅できる部活の方がいいかなと思って……どうかしました?」


 無表情で冷え切った表情をした担任がこちらを見つめる。


「訊くことは?」

「え、訊くこと……?」


 どうやら自慢し足りなかったらしい。もう少し聞いてみるとするか。


「上級生との格差ってありました?」

「格差も何も、先輩を敬うのは当然よ。苦手な先輩はいたけど」

「練習は男女合同でした?」

「合同……じゃなくて、別々だったわね。もちろん別々」


 取ってつけたような言い回しに、教師の目が若干揺らぐ。

「へぇー、そうですか……」


 出た、いつもの敬遠。


「話を戻しますけど、そもそも、先生がここ数週間にわたって僕を呼びだしている理由ってなんでしたっけ?」

「学校復帰に際した、教師からのありがたい支援行動ね」

「ケガはもう治ってますよ。それにまだ学校を一度も休んだことすらないです」


 余裕綽々と言わんばかりに、片方ずつ足をブラブラと揺らしてみせる。一時はどうなることかと思ったが、骨が折れても案外簡単に完治するものだ。若さって素晴らしい。


「こ、こっちの都合もいろいろとあるの。それに私だって忙しいのよ」

「僕も忙しいです。毎週毎週、職員室にまで呼び出されて」

「週一くらい構わないでしょ? 部活にも、入ってないんだし」


 まだを強調してくる。部活に入ることは決定事項らしい。


「先生、学校生活は部活だけじゃないです、思い返してみてください。先生は高校時代、どう過ごしていましたか?」

「わ、私?」

「はい。高校時代の趣味とか、熱中していたこととか……」


「私は……テニス部だったわよ」

「それはさっき聞きました」

「他は……あっ!」


 教師は目を見張り、まるで妙案が沸いたような声を漏らす。


「そうね……文化祭とか、かしら」

 決して苦し紛れではなく、教師は自信と含みありげにお題を振った。


「へぇー、そういうの積極的に参加するタイプなんですね~」

「参加してない人はいなかったわね……不登校の子ですら参加してたくらいだもの」

「強制参加だったんですか?」

「もちろん、自主参加よ」


「じゃあ、他は……」

「他には‼ えーと、そうね…………あれよ、クリスマス会」

 今度はさすがに苦しいと感じたのか、どことなく目を背けた。


「この学校以外にもあったんですか、クリスマス会⁉」

「……の、ようなものはあったわね。ええ」

「詳しく教えてくださいよ~。名前だけでも」

「聖夜のクリスマスサタデー……だったかしらね、たしか」


 瞬きする間に考えたにしては、割とそれっぽい名前だ。学生の貴重な土曜日を奪ってまでする行事とは思えないが。


「友達と夜まで遊んだりして?」

「そう、下校時刻は守ってね」

「恋バナで盛り上がったりして?」

「そんなの……‼ まあ、多少はあったかも、ね」

 お。


「好きな子に告白したり?」

「そういうのもあったかもね」

「ふとした拍子に過ちが起きてしまったり?」

「その手には乗らないわよ」

「冗談ですよ。けど、話が聞けてよかったです」


 教師は呆れるようにため息をつく。


「生々しい話は嫌いなの。何度も言うけど、男女の交際は手を繋ぐまでが限度だからね」


 詳しい部分までには至らなかったか、恋愛を認めたのは進展があったといえるだろう。

 なんせ、約半年弱もの間、相手はそういう恋愛沙汰の話題を振ってくるというのに彼女自身の恋絡みの話は一度も聞いたことがなかったのだ。

 それを知ってどうこうしようというわけでもないが。


「それで、言い訳は思いついた?」

「あ、バレてました?」

「当然よ。私だって、まがいなりにもあなたのお世話係を数ヶ月している身なんだから」


 初めて対面で会ったのは病室の中だったけか……。


「五月からでしたっけ?」

「そうね。ああ……あのときは親御さんに大変なご迷惑を……」

「面白かったからいいですよ。生徒の保護者を不審者と見間違える担任教師って、インパクトめちゃくちゃ強いじゃないですか」

「掴みとしては完璧ね。ただ、教師としての第一印象は最悪よ……」


 思い出したくない、と未だに頭を抱える教師に雄一の口からは思わず笑みがこぼれる。

 その後は時間を掛けて無事に両親の信頼を回復していったらしいが、どんな方法を使ったのか気になるくらい、あれは衝撃的だった。


「ねえ、班では何を話したの?」

「たいしたことは話してないですよ。文化祭はまだしも、クリスマス会なんて僕ら一年生にはまだ情報が皆無ですから」

「ああ、たしかにそうね! それは楽しみよね」

「……その、取ってつけたような相槌やめてもらえます? 変に期待しちゃいます」

 大げさにリアクションを取る教師に自然と言葉は尖る。


 さっきはあからさまな誘導に失敗したくせに、白々しい。


「期待してもらって構わないわよ。生徒が想像する数倍以上は楽しいから」

「なんですかそれ……」

「信じてないでしょ? 本当にすごいんだから」

 雄一は冗談交じりの空気の中で次の質問をした。

「たとえ、門を跨いでいなくても。ですか?」


「……そんなの当たり前よ」


 一瞬、間が空いたような気がした。

 躊躇。

 研がれた牙は矛先を変える、現実に背を向けることは許されない。


「部活、明日まで待ってもらえませんか?」

「え、いいけど……もう帰るの?」

「はい、帰ります。体調が優れないので」

「あら、そう……。明日までには部活、決めといてね」

「はい、考えておきます」


 僕は、その場から逃げ出すようにして、職員室を後にした。


     ※ ※ ※


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 敷地の門壁に沿って校外を全力疾走で回った。

 たどり着いた場所は、人生に二度しか通れないとされている、由緒正しき中央門。

 外装はごつごつとした石に錆びかけた鉄格子と、特別感は特にない、違う点を挙げるのであれば、普段は鎖で施錠されており、入学式と卒業式の日しか開かないことと、石の所々に悪趣味でいびつな模様が描かれていたりすることと、


【門出ノ日 中央門を通リシモノ 寛大ナル幸アリケリ】


 と、古びた文字で門柱に掘られた表札くらいだろう。


「遠くの学校に行きたい」


 初めて初霜咲のコマーシャル動画を観た後、母にそう言った。

 中学校でクラスの腫れ物として扱われていた自分にとっては、いい口実だと考えた。


 息子は新しい地でやり直そうとしている、と思わせるには……。


 そうして、僕は両親に有無を言わせず、入学を決意した。

 けれど、入学式の日、僕がこの中央門を通ることは叶わなかった。

 おまけに歩道橋から転げ落ちたケガは重傷で、全治四ヶ月と医師に宣告された。


「一学期は諦めた方が……」


 初対面であった女性教師には、残酷ながらも、そう告げられた。

 登校が遅れたおかげで、クラスでの立ち位置は中学の頃となんら変わりはない。門を跨いでいないと知るやいなや、あの態度をされる。

 校内には既に浸透しているようで、僕の意見には耳しか貸すだけ、これが現状。


「相談してくれていいからね。私は、あなたの学校(初霜咲)の担任なのだから」


 極めつけには、相談役の教師ですら、意味の分からない伝説を信じている。


『遅刻さえしなければ、すべてがうまくいく』


 あの日、僕は確かにそう確信していた。


 たとえ、相手の足がどれだけ速くても。

 最後まで走り切ることの大切さを、僕は知っている。

 そんな余裕もマジで階段から転げ落ちた五秒後には意識とともに消え去っていた。

 つまるところ、出本雄一は、大事なスタートダッシュに出遅れたのだ。

 滑稽だ、惨めだ、無様だ。

 両親を騙してまで、根拠のない伝説に縋ろうとした醜い男の末路を呪った。

 学生生活の残り二年半は、そんなまやかしに惑わされながら過ごしていくのだろうか。

 考えただけで悪寒が走った。

 そんなの……


「バカみたい」


 僕じゃない、横から吐き捨てるような声が聞こえた。

 門柱に佇んでいたのはブレザー片手、所々錆びた鉄バット片手に携える女生徒。

 風になびいた黒髪からは髪留めで結われて見えなかった紅く染められた襟足の髪が覗かせ、見た目はワルさを孕んだ。

 それは、風貌、態度、諸々がいかにもな、関わると面倒くさそうな不良女生徒……いや、


 同級生――。


「紅澄さん? どうしてここに……」


 紅澄木乃葉、先ほどクラスで同じ班だったおとなしい女生徒だが……


「アタシか? アタシは雑草に水を飲ませてやってる」

「……雑草?」


 雄一は何を言っているのか、理解に苦しんだ。

『w』と『草』が同義のように、『雑草』もその上位互換の何かか疑った。


「アスファルトの隙間に雑草が生えてるだろ? それを育ててやってるのさ」


 道端を見ると、生い茂る雑草と水やりをした形跡、そしてガーデニング用のじょうろが置かれていた。


「本当はホースがよかったんだけど、見つからなくてな」


 ホース……? つまり、彼女はアスファルトの隙間に生えている悪しき雑草を故意的に育てようとしていたということだろうか……。しかし、


「……なんで?」

 雄一は誰でも出てくるような疑問を彼女に投げつける。


「草を育てたいからだ」

「そ、そうか……」


 意味が分からない。


「それをすることで意味はあるのか?」

「アンタ、この校門をくぐってから何か変わったか?」


 彼女は、教室の時とは真逆の態度で話始めた。それも人が変わったように。


「……見違えるように変わった、って言ったら?」

「それは困る。ただでさえ、非力で弱音を吐きそうなその泣きっ面に、追い打ちをかけることになるからな」


 冗談にしてはパンチが効きすぎている、ウケ狙いにしてはセンスがない。そして、ひとまずその右手に携える金属バットは地面に下ろしてほしい。というか、見違えるほどに変わっているのはあなただろと言ってやりたい。


「アンタ、この門、通ったことないだろ?」

「そうだよ……僕は通ったことがない。けど、信じてないから問題ないんだ」


 まるで挑発するような訊き方に、口調は無意識のうちに食い気味になっていた。

 自分ですら言い訳がましく聞こえてならない、負け犬の遠吠えだ。


「アタシは伝説を信じて、初霜咲に入学した」

「そうか」

 淡白な宣言に、反射的に自然と雄一も同じように返す。

「そ、そうだ……‼ 悪いかよ」


 彼女は声を震わせながら、恥ずかしさから浮き出る笑みをなんとか掻き消そうとする。

 そう顔を赤面させるのが初霜咲において、普通の反応だろう。


「悪くない。普通だと思う」


 女の子なら誰もが信じる伝説……。

 コマーシャルで流れていたあのキャッチフレーズ。

 実際、コマーシャルの影響は絶大的と言ってもいいだろう。初霜咲の男女比率は女子が七割を占めている。


「ああー、そうだよな。普通、普通……。なあ、普通ってなんだ?」

 しばらく自問を繰り返すと、説教を垂れるみたいに、彼女は不服気味に尋ねた。


「人それぞれの価値観によるけど、あなたが普通と思っていることは、だいたい普通なんじゃないかな」


 だから、年頃の女子が夢を見るのも不思議じゃない。


「じゃあ、アタシは普通じゃない。はっきり言うと、アタシはこの学校が嫌いだ」




「え?」

「え、じゃねえよ。もっと気の利いた返事をしろよ。あ?」

 渾身の告白に薄い反応を示したせいか、ぶっきらぼうに苛立ちをあらわにする。


「いや、どう言えばいいのか……」


 可能性はあった。グループの中、省かれた人間に憤りを感じる正義感の強い偽善者。

 唯一、反乱分子がいたとしたならば……


 僕という普通以外の存在は、一体どう反応をすればいいんだろう。


「アンタの言う普通が、何を指すのかは知らない。けどな……」

「アタシたちが夢見た高校生活はこんなもんじゃなかったはず、だろ?」


 それもこんなにむさ苦しいほどの情熱を持った乙女が、だ。


「否定されるのが怖いか? 安心していい、アタシもちょうどこの学校に嫌気が差してきてたから」

 なにやら決め顔で同情を求める彼女。

「アタシたちで変えるんだよ。この高校生活を」


 そう言うと、彼女はブレザーを地面に置き、握手を求める。


「雑草を成長させて何を変えられるんだ?」

「これは……あれだ。初霜咲に対する警告、いや……宣戦布告だ」


 そんな宣戦布告も、雑用係の人にひっそりと隠蔽されてしまいそうな気がするが、

 そもそもの根っこを彼女は見誤っている。


「僕は……嫌気なんか差してない。一人で勝手に距離を置いているだけだ」

 強がるように断言すると、握手を求める手を、雄一はどける程度に振り払った。

 そうして、こう言ってやった。


「初めから見返りを求めて、入学する人間が幸せになれるはずないよ」


 自分のことを何も知らない人間に論されるのは決していい気分ではなかったから、つい強めの口調になってしまったかもしれない。


「だから悪いけど、そんな勧誘に付き合ってる暇は……」

「いーや、アンタはアタシと付き合うことになる。そのイかれた校風を憎む同志な」


 けれど、彼女が引くことはなかった。

 振りかざされた金属バットは、門柱に書かれたあの文字を指していた。


「オカルトに振り回される高校生活が、青春が、アンタは楽しいと思うか?」

「…………」

「アンタの認識してるその伝説とやらを教えてもらえるか?」

「伝説……ね」


 どこのオカルトマニアが作ったのか知らないが、初霜咲高校にはある伝説があった。

 一年の入学式の日にここを通った新入生は、学生生活の三年間、失敗も後悔もなく、青春を謳歌することができる、そして三年の卒業式の日、恋が成就した人間も縁がなかった人間も、もう一度門を跨ぐことで、今後を祝福する糧となる……。という言い伝え。


 しかし、彼女は僕の知らない伝説を語り始めた。


「一年の入学式の日にここを通った新入生は、人間の霜である不純物が一時的に解けると言われ、学生生活の三年間、新たにやり直すチャンスが与えられる。そして三年の卒業式の日、もう一度門を跨ぐことで、初めて開花し、今後を鼓舞・祝福する糧となる」


「なんか、そっちの方が本当っぽくないか?」


 初霜咲という学校名の意味も、その説明があれば整合性はある。


「どっちも虚言だよ。信じちゃダメ」

「けど、全校生徒の全員が当たり前のように信じているのは事実だよな?」

「おかしいのはその全員だ。だから、ぶっ壊す必要がある」

「ぶっ壊すって……物騒な」


 中二病心を彷彿とさせるような堂々とした発言と態度に、もはや感心する。

 それほどまでに決意は固まっているらしい。


「けど、みんな伝説を信じて入学してきたんだよな? そう簡単に上手くいくか?」

「……そんないくつも存在する伝説に信憑性があると思うか? アタシは思わない」


 論点はずらされたが、たしかにそれは一理あるかもしれない。

 どれが本当の言い伝えかだなんて、確かめる方法もないし、確証もない。


「けどさ……グェ⁉」


 突如として左わき腹に激痛が走る。

 痛みに伴い、バトル漫画ばりの声が思わず湧き出ると、地面にしりもちをつく。


「なにすんだよ‼」

「けど、けど、けどって……言い訳ばっかでカッコ悪いな、お前」

 突き放した彼女は僕を蔑むような眼で、こちらを睨む。


「そんなこと言ったって……」

「いいから、アタシに付き合えってんだよ。殴られてえのか?」


 あの……もう殴られてます、それも金属バットで。


「ひとまず、ここから離れないと」

「逃がすかよ? これからみっちり、アタシのコピーとして働いてもらうんだからな」


 なんで僕が影武者役を担わなくちゃならないんだ。というツッコミは一旦置いておく。


「結成初日に捕まってたら、元も子もないだろ?」


 しばらく経つと、門を隔てて守衛が覗きに来ていた。

 気のせいか……とひとりでに呟くと、校内へ戻っていく。


「どうしてバレたんだ……⁉」


 少し離れた林の茂みに身を潜めていた(俗に言うう〇こ座りをしていた)彼女は、急ピッチで用意した林二つを両手に持ちながら、不思議そうに尋ねてくる。


「単純にうるさかったからだろ……ってて」


 同じくう〇こ座りをして林の茂みから門を見張っていたわけだが、態勢も相まって脇腹がじんじんと痛んできた。

 罪悪感を与えるためにあえて手を置いて痛がってやろうと思ったが、標準で抑えてないと身体の気は済まないらしかった。

 骨までは行ってないけど、あざくらいにはなってる、絶対。


「わりぃ、でも加減したから大したことはなかった……よな?」

 木にもたれかかる軽傷者を、彼女は多少の困り顔でおそるおそると覗いてくる。

 

 少しは心配らしいことをしてくれているようだが、そう簡単に許す僕ではない。


「……大きな声を聞きつけてやってきてただろうから、バレるのも時間の問題かもな」


 万が一があっても、呼ばれることはないと踏んでいるが、これくらいの不安を煽るくらい構わないだろう。


「呼び出されたら、何をされるんだ?」

「踏み絵ならぬ踏み校風」

「……⁉ そのときは二人で自決しよう」

「なんで僕まで」


 さっきまでの強気な威勢はどこへやら……


「さっきのさ、初めから見返りを求めたら幸せになれないってやつ」

「……なんだそれ」

「さっきアンタが言ってたことだよ。自分で言ったことをもう忘れたのか?」

「あー……そんなこと言ったかもな」


 あの時の発言は感情的で、冷静じゃなかったから流してほしいんだけど……。


「アタシは、見返りを求めて入学するのも間違いではないと思う」

「……それは、僕を励ましてるのか?」

「そう聞こえたんなら、それでもいいけど。アタシが伝えたいことはそれだけ」

 彼女はそれだけ言うと、それ以上のことは言わず、即座に口をつぐんだ。


「そうかよ」


 きれいごと言うのは自由だが、脅迫的説教勧誘(ダメージあり)を受けた僕は、どうみても被害者に変わりないですけどね。


「つーか、アンタ名前はなんて言ったか? あ、他意はないぞ」

「雄一、僕は出本雄一。二学期からこの学校に入学してきた出本だ」


 自己紹介を律儀にしたのは新鮮に感じた。対面になってからは、人と目を合わせて話す行為に慣れずに恥ずかしがってしまって、上手に話せなくなっていたかもしれない……。


「そうか。アタシの名前は……」

「紅澄だろ? もう知ってるよ。さっき自己紹介したばっかじゃん」

「下の名前を知らないだろ? それに、あれは他人だ」


 もう一度、自己紹介をしてやる。

 そう言うと、彼女はスカートが捲り上がるほどの勢いで、突如として立ち上がった。


 気がつくと、辺り一面が紅葉に包まれていた。

 木漏れ日が夕焼け色に輝き、世界が紅に支配される中、

 彼女は持っていたバットを天に突き上げた。


「アタシは紅澄木乃葉。これからこの学校を壊す反逆者だぜ」


 数秒後、ギザな自己紹介に自惚れるどころか、紅澄は頬を赤らめたように見えた。

 夕陽のせいかもしれないけど、根は純粋なのかもしれない。

 それと色も。

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