第33話 哀愁

 暫しのあいだ部室で談笑していた四人だったが、時計を確認した宰が椅子から立ち上がる。


「さて、そろそろ行くぞ」


 書類の束を片手に出入り口へ向かう。


「なら私は伊吹を呼んできます」


 紫苑は「先輩ちょっと失礼しますね」と真帆に声を掛けた。


「私の癒しが……」


 真帆は紫苑の膝枕を堪能していたが渋々起き上がり、紫苑の太股を名残惜しそうに見つめる。


 スカートとオーバーニーソックスの間にある絶対領域が眩しい。人肌の温もりと包容力のある弾力と肌触り。真帆が虜になるのも頷ける魅力があった。


「わかった。先に行ってるぞ」

「はーい」


 紫苑が部室から出て行くのを見送った三人も後に続く。


 夏休みなので人の気配は感じない。部活中の生徒もいるだろうが、しんと静まり返っていた。普段の学校とは異なる雰囲気に不思議な感覚になる。


 校庭に目を向けると部活に励んでいる生徒がいた。今いる場所から見えるのは女子サッカー部だ。汗を流しながら必死に走っている姿は自然と応援したい気持ちになる。


 その女子サッカー部に目を向けながら真帆が呟く。


「こんな暑い中良くやるよねー」

「運動部なんだから当然でしょうに」

「まあ、そうなんだけど」

「先輩も少しは身体を動かした方が良いと思いますよ」


 宰の言葉に真帆はあからさまに眉を顰める。

 心底嫌だと隠しもしない表情だ。


「怠惰こそ私の青春」

「何言ってんすか……」


 真帆は慎ましい胸を張ってキメ顔になる。

 堂々と言うことではないが、小柄な体型と幼い顔立ち、サイズの大きいカーディガンなので腕より長い袖で手が隠れている姿に悔しいが微笑ましくなってしまう。

 宰は思わず溜息を吐く。


「適度に運動した方が成長しますよ」

「む、部長殿は私がちびっ子だと言いたいのかね?」


 真帆が口を尖らせる。


「その通り。まあ、もう成長期は終わっていると思うのでどちらにしろ無意味だと思いますが」


 実は真帆の身長は百四十センチ未満である。身長は小学生の頃から変わっていない。

 今更背が伸びるのを期待するほど彼女は純粋ではなかった。寧ろ開き直っているくらいだ。


「そこはロリと言いたまえ。ロリは需要あるんだぞ」


 再び慎ましい胸を張る。


「それに私は運動しなくても太らないから」

「他の女子の前で言ったら目の敵にされますよ……」


 恐怖で身震いする宰は顔色が悪い。

 女子の前で太る太らないの話をした時のことを想像したのだろう。


 間違いなく女子の前では禁句だ。特に年頃の少女達にとっては死活問題である。滅多なことでは口にしてはならない。


「私は大丈夫」


 だが真帆には心配いらないことであった。

 彼女の場合は同級生にマスコットのように可愛がられているからだ。


「確かに先輩は可愛らしいですし、怒る気が起きなさそうですね」

「お、流石黛君。良くわかってる」


 真帆はまたまた腰に手を当てて慎ましい胸を張り「うんうん」と頷いている。手がカーディガンの袖で隠れているのはご愛嬌だ。


「お前は相変わらずそういうことを平然と言うな……」

「本当のことだからな」

「本当のことをそんな簡単に口に出来たら誰も苦労しないと思うんだが……」


 実親は思っていることを素直に口にしているだけだが、思春期の男子には中々ハードルが高いことだろう。

 照れや恥ずかしさは勿論、言ったら嫌われないか、などと考えてしまうものだ。


「言葉は伝える為にあるんだから口にしないと意味ないだろ」

「その通りなんだが……なんか釈然としねぇ」


 宰は書類を持ったまま器用に腕を組んで頷くも、すぐに首を捻った。


 少しのあいだ沈黙が場を満たしたが、宰は温もりのある眼差しを実親に向けて口を開く。


「まあ、でもお前の場合は伝えられる時に想いを伝えることの大切さを身を以て知ってるもんな……」

「……そうだな」


 実親は窓に目を向けて空を見上げた。

 太陽が燦燦と輝く青空とは反対に、遠い目をしており哀愁が漂う。

 彼の瞳には校庭で部活に励む女子サッカー部の姿が殊更眩しく映っていた。まるで見ることの叶わなかった誰かの姿を重ねているかのようだ。 


 弟分から寂しさと悲しみが滲み出たのを察した宰は、「やっちまった……」と心の中で自分を叱責した。


「すまん……辛いことを思い出させちまったか……」

「いや、気にするな」


 目線を窓の外から進行方向に戻した実親は苦笑する。

 宰に要らぬ気を遣わせてしまったことが申し訳なくなったが、そもそも気を遣う間柄じゃないと思い直して可笑しくなったのだ。


「……今日はなんか美味いもんを奢ってやる」

「そういうことなら遠慮なく」


 せめて美味しい物を食べて気を紛らわせれば良いと思った宰の優しさだ。詫びの意味も含まれている。

 実親は兄貴分の厚意に素直に甘えることにした。


「なんか良くわからないけど黛君も色々あるんだね。面倒だから何もかないけど」

「先輩らしいですね……」


 真帆の言葉に実親は気が抜けた。

 彼女らしい台詞だが、事情がわからないなりに気を遣ったのだろう。

 真帆なりの優しさであり、雰囲気から部外者が安易に踏み込んではいけないことだと察し、先輩として見守ることが自分に出来ることだと思っていた。


「という訳で私も奢ってもらお」

「という訳での意味がわからないし、何故そうなるんですか」


 脈絡のない真帆の台詞に宰が呆気に取られる。


 真帆の瞳は期待に溢れて輝いており、既に奢られる気満々だ。


「あんたは先輩なんだから寧ろ奢る立場だと思うんですけど」

「私は副部長、そっちは部長。だから立場はそっちが上」

「……先輩としてのプライドはないんすか」

「ない!」


 恥も外聞もなく後輩にたかろうとする真帆の姿に宰は頭を抱える。

 顔から表情が抜け落ちた宰は、「これは何を言っても聞く耳を持たないな」、と悟って諦めの境地に達してしまい、深く溜息を吐いた後に力なく呟く。


「なら久世も誘って四人で行きましょうか。そんでサネと先輩の分は俺が出すんで、先輩は久世の分を出して下さい」

「久世ちゃんの為なら奮発しちゃうよ!」


 真帆は右手を突き出してピースするが、カーディガンの袖に隠れているので傍目にはなんとなくの形しかわからない。


「久世ちゃん待ってろよー! お姉さんが鱈腹たらふく食べさせてやるからなー!」


 変なスイッチが入ったのか、カーディガンで隠れている両手を突き上げて気合満々な様子のロリ先輩であった。


「お前も大変だな」


 一連のやり取りを見守っていた実親が宰に同情する。


「俺はお前のことが凄く可愛い弟に見えるよ……」


 真帆に振り回された反動からか、素直で気が利いて我が儘も言わない実親のことが殊更可愛く感じる宰であった。

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