第15話 下着

 実親と紫苑は伊吹が練習に励んでいる姿を暫く見学した後、帰路に着いた。

 学校から町田駅へと徒歩で向かい、町田駅から八王子駅まで電車で移動する。

 そして八王子駅で別の電車に乗り換えて立川駅へと向かった。


 実親はバイクで登校する日もあるが、今日はたまたま電車移動だったので紫苑と共に帰路に着けた。

 もしバイクで登校していたら一度帰宅した後に徒歩で立川駅まで迎えに行かなくてはならず、二度手間になっていたところだ。


「ここだ」


 実親の自宅に到着した。


「一人暮らしって聞いていたからワンルームだと思っていたけど……随分と立派なお家だね」


 ガレージ付きの長屋タイプのアパートなのでワンルームではないと外観からでも判断できる。

 紫苑は自分の予想に反して立派なアパートに呆気に取られていた。


 実親は鍵を開けて扉を開いて玄関を潜る。

 紫苑も実親の後を追う。


「お邪魔します」


 靴を脱いで部屋に上がる。


 引っ越したばかりなのでまだあまり物はなく、螺旋階段に通じる廊下には一人掛けのソファとシェルフが置いてあるだけであった。


 紫苑はガラス張りになっているガレージ側へと視線を向ける。


「黛バイク乗るんだ」

「ああ」

「今度後ろに乗せてよ」

「一年後な」


 バイクに興味が湧いて後ろに乗せてもらおうと企んだ。

 しかし一年後まで焦らされてしまう。


 免許取得から一年経たないと二人乗りは法的に認められていないと説明する。


「ふーん、そうなんだ」


 紫苑は素直に納得した。

 普通自動二輪免許は十六歳から取得可能なのは知っていたが、取得してから一年経たないと二人乗り出来ないのは知らなかった。

 バイクの免許を取得しようと考えていない者ならば知らなくても仕方がないだろう。


「ならそれまでにヘルメット用意しとこ」

「予備あるから貸してやる」

「あ、ほんと?」

「ほら」


 実親はガレージに備え付けられている棚を指さす。

 するとそこにはヘルメットが二つ並んでいた。


「ほんとだ」

「まあ、サイズが合うかはわからんが」

「駄目じゃん」


 紫苑は実親にジト目を向ける。


 実際問題実親と紫苑ではサイズが異なるだろう。

 被ってみないことにはわからないが、性別と体格に違いがあるのでおおよその判断はつく。


「とりあうず上に行くぞ」


 いつまでも何もない一階で話していても仕方がない。

 実親は螺旋階段へと向かい、紫苑は素直に後を追い掛けた。


 二階に辿り着くと紫苑をリビングへと案内する。


「自由に過ごして構わないが、三階の手前の部屋には入らないようにな」

「了解」


 三階の手前の部屋は書斎だ。

 書斎は仕事部屋なので立ち入ってほしくなかった。

 尤も、実親にとっては大切なコレクション——書籍——が大量にあるので触って欲しくないのが最大の理由なのだが。


「まずは手洗わせて」

「こっちだ」


 紫苑を洗面所に案内すると、実親はテーブルの上に置いてあるリモコンを手に取りエアコンの電源を入れる。冷風が室内に広がり、少しずつ汗が引いていく。

 いくら風があって過ごし易かったとは言え、気温自体は高いので汗を搔いていた。


 その後は三階の寝室へと向かう。

 部屋に鞄を置き、着替えを手に取ると二階へ戻る。 


 既に紫苑は手を洗い終わり、リビングに敷いてある絨毯に腰を下ろしていた。


「お茶飲んでも良い?」

「ああ。好きにして良いぞ」


 確認を取った紫苑は冷蔵庫へと向かう。


「俺はシャワー浴びてくる」

「はーい」


 まずは汗を流したかった。

 脱衣所で制服を脱ぎ、棚に軽く畳んで置いておく。

 そして浴室に入る。


 凡そ三十分後、髪を乾かし終えた実親は制服を手にして浴室を出た。

 Tシャツとスウェットパンツに着替え、ラフで過ごし易い服装になっている。


「終わった?」


 リビングでテレビを観ていた紫苑が実親に顔を向ける。


「ああ」


 首肯する実親は三階へ向かおうと螺旋階段に足を向けた。

 その背中に向かって紫苑が声を掛ける。


「私もシャワー浴びて良い?」

「良いぞ」

「ありがと」


 汗を搔いているのは紫苑も同じだ。

 べたついた肌とはおさらばしたい。


 紫苑は立ち上がって階段へ移動し、螺旋階段を上って行く実親のことを下から覗き込んで声を発する。


「着替え貸して」

「なんでも良いか?」


 実親の返答に紫苑は顔を下げ顎に手を当てて首を傾げ、少しの間考え込む。

 そして考えが纏まったのか顔を上げて口を開く。


「彼シャツしたい!」


 瞳を輝かせて実親を見つめる。

 わかり易いくらい期待に胸を膨らませており、実親は苦笑して肩を竦めた。


「ならワイシャツで良いな。彼ではないが」


 実親は紫苑の返事を聞かずに寝室へと向かってしまう。


 紫苑は壁に背を預けて大人しく待つ。

 二、三分後には実親がワイシャツを手にして戻って来た。


「これで良いだろ」


 手にしているワイシャツを紫苑目掛けて放る。


「ありがと」


 胸元で受け止めた紫苑はリビングに戻り鞄のチャックを開く。

 その背中目掛けて実親が尋ねる。


「一応訊くが、替えの下着はあるのか?」

「あるよー。見る?」

「遠慮しとく」


 下着がないと困るだろうと思い尋ねたが、ちゃんと持参しているようだ。

 紫苑は友人宅に泊まることが多いので常に替えの下着を持ち歩いている。準備に抜かりはなかった。


「ほら!」


 鞄から下着を取り出し、実親に見えるようにかざす。

 実親の「遠慮しとく」と言った言葉を完全に無視している。


 当然ながら実親は不意打ちを食らい、はっきりと下着を目撃してしまう。

 黒の紐ショーツだった。透けている部分があるレースのセクシーな下着だ。


「何故見せつける」

「なんとなく?」


 特に理由もなく下着を見せつける紫苑に実親は呆れて溜息を吐く。頭が痛む錯覚がして右手で髪を掻き上げた。


「さっさとシャワー浴びて来い」

「急かして私のノーブラ彼シャツ姿をそんなに見たいの?」


 紫苑は口元を緩めて首を傾げる。


「そうだな。今すぐにでもこの目で堪能したいから早くしてくれ」

「感情が籠ってなーい」


 相手をするのが面倒臭くなった実親は露骨な棒読みで返す。

 対して紫苑は肩を落として残念がっているが明らかに嘘っぽい。少しだけ唇を尖らせながら浴室へと向かった。

 顔は笑っていたので実親とのやり取りを楽しんでいたのがわかる。


 テレビではニュース番組が放送されており、二人が交わしている会話の内容とは不釣り合いであった。


 紫苑を見送った実親は再び溜息を吐く。先程よりも一層深い溜息だったのが彼の心情を表していた。


 実親は冷蔵庫へ向かいお茶を取り出し、棚からグラスを手に取る。

 そしてグラスにお茶を注ぐと、手に持ったままリビングのソファへと向かった。

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