誰にも言えない① 6月2日

「どうせいらない男ばっかり寄ってきて、ほんとに好きな男には捨てられたんだろ?」


 図星過ぎて興味を引いた。


「俺が教えてやろうか?男を虜にする方法」


 男の目が怪しく光ったのがわかったけれど、野生の猛獣のようなこの男の爪からは逃げられなかった。


「おい、ふざけてんの? 1から手取り足取り教えてやるほど、暇じゃねー。教えて欲しけりゃ、自分にできることしてみろよ? 」


 後悔はしていない。得るものはあったから。そして何よりあれはとても良い時間だった。


 ◆◆◆


 前から乗ってみたかった路線バスに行くあてもないのに乗ってみたのが、そもそもの間違いだった。

 乗っていたのは見渡す限り現地の人ばかりで戸惑っていた杏梨は目立ったのだろう。タイ人と思われる高齢のご婦人に声を掛けられたが、当然何を言っているのかわからない。困っていると、【電車】と言われバスから下ろされた。移動は電車を使えと言う意味だったのだろうか? 心配してくれた気持ちは伝わったので、嫌な気持ちにはならなくて、かえって軽い気持ちでバスに乗ってしまったことに申し訳なくなった。


 バスを降りて、道を歩いていると肩を叩かれて、声を掛けられた。

「すみません。日本の方ですよね? 」

 振り返ると、日本人らしき顔立ちと発音の男と、タイ人らしき男の2人組が立っていた。


「はぁ」

「バスで見てたんです。どこに泊まってるんですか? お茶でも飲みましょう」


 ぐいぐいくる男の声に杏梨は逃げようとしたが腕をつかまれた。バスで目をつけられ、そのまま追ってきたようだ。


「……放してください」

 それはか細い声だった。こわくて大きな声が出ない。そもそもここは外国で日本語で助けを求めても、助けてくれる人がいるとも限らない。そのまま腕を引っ張られて連れていかれそうになる。


「おいっ、それ、俺の連れだから放して」

 しっかりとした発音の日本語。有無を言わせぬ力強い声。不審者に掴まれていた杏梨の腕は、代わりにその人の腕が掴んで持っていく。


「えっ? 」

 杏梨はそのまま連れて行かれた。


 ずんずん容赦なく歩いていく男が、ようやく立ち止まって杏梨の腕を放したのは、大通りの隅の木陰。20代後半位の日に焼けた端正な顔立ちの男性だった。Tシャツにハーフパンツにサンダルという格好だが、背が高く、身体付きはがっちりとしている。


「あんた、何してんの?自分の身は自分で守れよな。大きな声出すなり。

 あー。あーゆー男にナンパされてちやほやされた気分になりたくて、1人でそうやって旅行してんのか? 悪かったな、邪魔して」


 見下ろされて一方的に言いまくられ、杏梨は呆気に取られてしまう。

「違います。こわくて咄嗟に声がでなくて……。助かりました。本当にありがとうございました」


 何とか言葉を返して、丁寧に頭を下げると男は白い歯を出してにまっと笑った。口元と焼けた肌とのコントラストが眩しい。

「あっそ、助かったなら良かった。タチ悪いやついるから」


「お礼に何かお返しさせてください」

 後で後悔したくなくて、咄嗟に杏梨の口に出た言葉。


 男は目を丸くしたが、嫌な顔はしなかった。

「逆ナンなら断るけど、昼飯なら食べたいわ」


「もちろん、ナンパじゃなくただのお礼です!えーっと……、ただ、私はここがどこかわからないので、ご飯はどこで食べられるかわからなくて」

「ははっ、迷子? 店ならいいとこ知ってるから、大丈夫」


男が連れていってくれたのは現地の人が利用しているであろうお店。全く観光客はいない。杏梨の好みを聞き、馴れた様子で注文する。名前を聞くと男は少し考えて「ケイ」と名乗った。これは多分偽名。


「あんたさ、失恋旅か何かだろ?」


それがケイとの時間の始まり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る