第21話 マーガレットの花のように

 ここは、天国だろうか。

 辺り一面の青さの中に、突如水が現れた。

 それは次第に大きな水球へと変わり、レリアの体を包み込む。

 そこから見る景色は、レリアの描いた『降臨と誕生』そのものだった。

 水球の中から見る紺碧。

 では、やはりここは死後の世界か。


「レリア……レリア!!」


 レリアはパチリと目を開けた。目の前には心配そうなアクセルの顔。泣きじゃくるクロードの顔。


「あら……私……」

「間に合って、良かった……!!」

「お母様!!」


 レリアはむくりと起き上がった。鈍い痛みはあるものの、お腹の傷は綺麗さっぱり無くなっている。


「無事で良かったわ。表面上の傷は綺麗に治したけれど、中までは行き届いてないかもしれないから、暫くは安静にお願いします」

「リゼット、ありがとう。恩にきる」

「リゼット様、母を助けて下さり、ありがとうございました!」


そこには汗だくになっている治癒師の姿があった。間に合わないと思っていたが、どうやらギリギリで助かったらしい。後ろの方でロレンツォが疲れたようにぐったりとなっていた。


「赤ちゃん……私の赤ちゃんは……」

「ここだよ」


 カナが再び、レリアの手の中に赤ん坊を置いてくれた。

 軽い。軽いけれど、重い。命の重みを確かに感じる。

 レリアのお腹に降臨してくれた命。

 この世に誕生してくれた命。

 その命と同じ舞台に、今、レリアはいるのだ。


 生きているのね……この子も、私も。


 途端に涙が溢れた。

 死を当然のように受け入れていたのが不思議な程だ。

 今は死にたくなどない。

 この生まれたばかりの赤ん坊と、クロードと、そしてアクセルと。

 新しい生活を、共に歩んで行きたい。


「ありがとう……皆、ありがとう……」


 生の喜びを噛み締めながら、レリアは何度も感謝の言葉を口にする。

 クロードは泣き咽び、アクセルは柔らかに微笑み、赤ん坊はすやすやと眠っていた。



 それから二ヶ月後。

 ようやくレリアはトレインチェへと戻って来た。

 家の準備は早々にアクセルがしてくれていたのだが、長時間の移動はシャーリーに負担が掛かるからと、春が来るまで待っていたのだ。

 シャーリーというのは、レリアとアクセルの赤ん坊の名である。クララック家は無くなった事もあり、レリアという名は付けなかった。シャーリー・ユーバシャール。それが赤ん坊の名である。


「おかえり、レリア、クロード、シャーリー。ここが我が家だ」


 サウス地区にある、びっくりするほど大きな屋敷の扉を、アクセルは開けてくれた。そこでまずレリアが目にした物。それは……


「あ! お母様の絵だ!!」


 玄関を開けてすぐの、ホールにある絵を見て驚いた。あれは、レリアの描いた絵だ。それも、アクセルに進呈しようとしていた。あの絵は、財産とみなされて押収されてしまったのではなかったのだろうか。


「アクセル様……あの絵は……」

「あの時、俺が買い取ったんだ。一目見てすぐに分かった。この絵は、レリアが俺の為に描いてくれていた絵だと。違ったか?」

「合っていますわ。あれは、アクセル様の為に描いた絵です。あの絵のタイトルは……」

「当てて見せよう。『誠実』だな?」


 レリアは真っ直ぐに絵を見つめているアクセルを横目見る。

 その横顔はやはり端正で、見惚れるほど美しい。

 出会った頃と変わり無く、彼は真っ直ぐで誠実な人である。


「その通りですわ」

「よく描けている。揺れ動くマーガレットが、誠実の根底を問うているようだ」

「それでも揺るぎなくそびえ立つ木が、アクセル様です」

「やはりか。そんな気はしていた」


 嬉しそうに笑い、アクセルはこちらを向いた。

 横顔もいいが、正面からの彼はなお良い。

 そんな美形なアクセルが、自分の夫であることが、単純に嬉しい。


「レリア。俺は家族に対して、誠実で居続けよう。レリアもまた、俺達の為に、誠実でいてくれ」


 誠実。重い言葉だ。前回の婚姻は、不誠実で塗り固められていた。レリアにもロベナーにも黒い所があり、娘レリアだけでなく、クロードにも辛い思いをさせてしまった。もう二度と、子供達にあんな思いをさせてはならない。


「誓います。私はこれから、マーガレットの花のように生きて行く事を」

「それは……花盗人に、奪われないようにしないとな」

「まあ」


 ロレンツォの様な台詞を口にするアクセルが可笑しくて、レリアはくすくすと笑う。ロレンツォと決定的に違うのは、アクセルは笑顔では無く、小難しい顔で真剣に言っている所だ。そこがなんとも彼らしい。


「何にしても、これからは家族だ。皆で助け合っていこう。よろしく、レリア、クロード、シャーリー」

「はい!」

「こちらこそ、よろしくお願いしますわ」


 最後にふにゃあ、とシャーリーが返事をし、一家は笑顔で包まれた。

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