第6話 初めてのピクニック
赤毛のサニユリウスに揺られて、街道を行く。真っ直ぐ進んでいると、道が二手に分かれた。北に曲がる道と、そのまま真っ直ぐ東に向かう道。
北の道はノルト村やアルバンの街に通じ、東の道には小さなピネデという町がある。町と言っても田舎なので、トレインチェに住む者は余程の用が無いと行かない。ここなら知り合いに会うことも無いだろう。
「疲れたか?」
「いえ、大丈夫です」
「もう少しだが、疲れたら言ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
振動のせいかお尻が痛くなってきたが、我慢出来る程度なので言わなかった。
しばらく行くと、森を抜けて原っぱが現れた。と同時に赤い屋根の町並みが見える。
「あれがピネデの町ですの?」
「ああ。レリアは初めてか?」
「はい。実はトレインチェを出たことがなくて」
「そうなのか。まぁあの街にいれば、出る必要はないからな」
「アクセル様はこの町には……」
「年に一度は来ている。今年来るのは初めてだ」
何の為にと問う前に、サニユリウスが立ち止まった。町の入り口に着いたのだ。アクセルはヒラリと音が聞こえそうなほど軽やかに、馬から降りる。
再びアクセルに手を差し伸べられ、レリアも軽やかに降りようとする。しかしお尻が重く、脚が鞍に引っかかって頭からアクセルに向かって落ちて行った。
「きゃ、きゃああっ」
「大丈夫だ」
アクセルは冷静に、しっかりと抱きとめてくれた……と思ったが、赤面してる姿を見ると、冷静にとは言い切れなさそうだ。
「ごめんなさい。おばさんなんだから、もう……っ」
「俺より若いのに、おばさんはないだろう」
「あら、やだ。そうですよね」
アクセルは全く疑っていない様子だ。ついボロが出てしまったが、彼の人を疑わない純真さに救われた。
「少し遅くなったが、昼食にしよう」
そう言うとアクセルは、適当な店に入ってサンドイッチをテイクアウトで頼んだ。ごく一般的なお店だ。こう言っては失礼だが、高級感など全く無い。
アクセルはサンドイッチの入ったバスケットを持って、外に出て行く。
「今日は良い陽気だ。外で食べよう」
「ピクニック、ですか? 私、初めてです」
「何?! これは筋金入りのお嬢様だな」
「アクセル様に言われたくありませんわ。いつも素敵なお召し物で、最高級の物を食べていらっしゃるのでしょう?」
「そんな事は無い。ひとたび戦争となれば幾日も風呂に入れないし、何日も硬い干し肉だけを食べて過ごした事もある。家の事は兄達に任せているし、俺は世間で言われるほどのお坊ちゃんではないんだ」
その口振りから、アクセルはお坊ちゃんと呼ばれるのが嫌だという事が分かる。しかし世間的にはやはりお坊ちゃんではあったが。
「で、どこに行くんですの?」
「もう着いた。ここだ。俺は年に一度、これを見に来る」
町を少し離れた所に、綺麗な花が一面に咲いていた。その花はこの地域ではごく一般的に咲いている、特に珍しい物でもない白い花だった。
「マーガレットですか。すごい数ですわね。誰かが育てているんですか?」
「いや、自生しているらしい。わざわざこの花をここまで見に来る者はいないから、独り占め出来る気分になれる」
「この花が、お好きなんですのね」
「ああ。なんという事もない花だが、それが良い。花らしい花と言うべきか。花言葉も理想的だ」
「花言葉? 何ですの?」
そう聞いてみると、アクセルは困った様に笑った。
「その話はサンドイッチを食べてからにしよう。もう少し進むと、真ん中に丁度いい岩がある。そこで食べようか」
アクセルの行った通り、進んだ先にはぴょっこりと岩が飛び出ていた。岩と言っても小さくて、マーガレットに埋もれてしまう程だ。
そこにレリアとアクセルは腰を下ろす。二人が何とか座れるくらいのスペースで、互いの肩が触れ合う。
「……どうぞ」
「ありがとう、いただきます」
日の下でサンドイッチを食べるのは初めてだ。心地良い風が吹く、マーガレット畑の上で食事をとることが、こんなに贅沢なものだとは知らなかった。たかがサンドイッチ、されどサンドイッチである。
「ピクニックとは、素敵な時間が流れるものなのですね。私、こんなにゆったりとした時間を過ごすのは初めて」
「それは良かった」
こんな美形な青年と遠出し、ピクニックが出来るなんて夢のようだ。お酒が入っていなくとも、恋人気分になってしまいそうである。
しかしそれはいけない、とレリアは軽く自嘲しながら首を振った。前回の時のような事など、あってはならないのだから。
「どうした、レリア」
「いえ、アクセル様の恋人は幸せだろうと思いまして。ここにも連れて来られるのでしょう?」
「いや、誰も連れて来た事は無い。レリアが初めてだ」
「まぁ、本当に?」
こくりと首肯するアクセル。有難い話だが、何か解せない。
「あの、答えたくなければ良いんですけど、どうして私をこの場所に? アクセル様の恋人を差し置いて、申し訳ないわ」
「恋人はいない」
「今はいなくても、昔の恋人とか」
「……恋人と言うものが、出来た事が無いんだ」
その答えを聞いて、何と言って良いか分からず口籠った。さすがに未経験者ですかと問うのは失礼だ。アクセルほどの男前で貴族で金持ちで優秀な騎士ならば、言い寄られた事も星の数ほどあるだろうのに、全て断ったのだろうか。確かに理想が高そうな感じはあるが、本当のところどうなのだろう。
しかし結局は何も聞けずに、二人は食べ進めた。最後の一つをアクセルが手に取り、半分に千切って渡してくれる。イチゴジャムがたっぷりと塗られたそれは、かなり甘ったるい。
「あの、ご馳走様でした」
「ああ」
再び沈黙が始まってしまったので、この空気を打開するために昼食前の話を持ち出す事にした。
「アクセル様、マーガレットの花言葉って、何なのでしょう?」
「はは、秘密だ」
「秘密、が花言葉ですの?」
「いや、違う違う。レリアには教えたくないという事だ」
その答えにいささかムッとする。花言葉など、図書館で調べればすぐだというのに。自分から話を持ち出しておいて教えないとは、どういう了見だろうか。
不機嫌な顔をしてしまっていたのか、アクセルはレリアを見て、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すまない。実は、昔好きだった人にこの花言葉を言って、思いっきり引かれてしまった事がある。だから、俺の口からは言いたくないんだ」
「そうだったんですか。で、その人とは、結局……?」
「告白したが、振られてしまった」
「まぁ!! 勿体無い!! 私がその方の立場なら、絶対に振るなんてこと、しませんのに!」
こんな完璧な男を振るなど、どんな高飛車な女だろうか。信じられない。アクセルに告白されるというだけで羨ましすぎる。
「本当か?」
「アクセル様を振るなんて馬鹿げた事、絶対に致しませんっ」
「ありがとう」
ぷりぷりと怒るレリアに対し、アクセルは目を細めて微笑んだ。そんな彼の顔に見惚れたその一瞬。
アクセルの手が肩に回され、優しく抱き寄せられる。
どうしようと思った時には、既に唇は重なっていた。
「アクセル、さま……っ!」
「嫌か?」
「え、いえ………」
ついそう答えてしまい、再び口を塞がれる。
抵抗しなければ。そう思うのは頭だけで、体は一切の拒否反応を示さない。
風がそよぐたび、周りのマーガレットが何故だか嘲笑っている。
三度目のキスは、甘ったるいイチゴの味がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます