第4話 手玉に取りたい
「アクセルさま、きょうはありがとうごらいました。すこしよいをさましてから、かえいます」
「こんな状態の女性を置いていける訳が無い。そこのベンチに少し座ろう」
今は春だ。昼間は暑いくらいだが、夜の風はまだ少し冷たい。
「少し肌寒いか」
「よいざましには、ちょうろいい かぜですわ」
それにアクセルの肌の温かさが、よりよく感じられて嬉しい。こんな素敵な人に身を預けられるとは、何という幸せだろうか。
彼の肩から少し頭を擡げて、その整った顔を上目見る。アクセルもこちらに視線を下ろしていて、目が合った瞬間、やはり真っ赤に顔を染める。
意外に純情さんなのかしら。
あまり女慣れしているという態度ではない。立ち居振る舞いは高貴そのものなのだが、女性との接触には弱そうだ。
これだけ美形ならば数々の浮名を流していてもおかしくないというのに、全く聞かないのはどういう事だろうか。
同じミハエルの騎士で美形と名高いロレンツォは、そこここで噂を耳にするというのに。実はレリアも何度かロレンツォに話しかけられたことがあるが、彼の言葉は女性を褒め称えてくれるので、気持ちの良い思いをしたのを覚えている。
「アクセルさま……」
「なななっ」
わざと流し目を送るように寄り添うと、慌てふためいていた。思わず哄笑したくなる。可愛い。もっといじめてみたい。そんな気持ちで満たされる。
「アクセルさま、いいかおりがしますわ……」
「そ、それは、頼んで作ってもらった、俺のオリジナルの香水だ」
シャツの胸の部分をくるくると触れながら問うと、どうしていいのか分からぬ様子で視線をあちこちへと飛ばしている。
「まぁ、すてき……くびすじにつけているのかしら?」
香りを嗅ぐ仕草をしながら、実際には息を吹き付ける。
「う、あ!?」
「あら、どうされました?」
驚いて首筋に手を当てる様が、また可愛い。アクセルは「いや、何でもない」と答え、居住まいを正していた。レリアその体に再びそっと寄り添う。
しばらく二人はそのまま星を見上げていた。気分はすっかり恋人だ。たまにはこういうのも、良い。すごく良い。めちゃくちゃ、楽しい。
「ああ、きょうはとってもすてきなひに なりましたわ。いっしょうのおもいでにいたします」
「大袈裟な」
「ほんとうですわよ。アクセルさま、わたしなどをさそっていただき、ありがとうございました」
夜風に晒され少し酔いも醒めてきた所で、アクセルの胸から離れる。名残惜しいが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
レリアはありったけの感謝を込めて、アクセルにとびっきりの笑みを見せる。
アクセルはその笑みに見惚れてくれたのだろう。カッと頬を染め、大きく目を見開くと、時間が止まってしまったかの様に固まってしまっていた。
「……次は、いつ会える?」
「あいたい、ですか?」
つい、意地悪をしたくなってしまう。美青年を手玉に取ってみるというのも楽しそうだ。
「会いたい」
「うふふ、どうしましょう」
「会ってくれないのか?」
アクセルは小難しい顔になっているが、悲しいのだろう。言葉尻がいつもの強気ではなく、何だか寂しそうだ。
「そうですね、あわないことはないですよ。ただし……」
「ただし?」
「キスしてくださったなら、あってあげます」
「なっ!」
今までで一番の赤面っぷりだ。狼狽えるその姿が、可愛くって仕方ない。
「できませんか……? では、これきりですね……」
しなを作って寄り添うと、またも彼の胸の辺りを指でくるくると触れる。そして一言「さみしい」と呟く。そして反応を見ようとした瞬間だった。
グイと顎を持ち上げられ、瞬く間に唇を奪われる。
何の反応も出来なかった。一瞬の出来事だった。
離された唇。眼前に、アクセルの真剣な顔。今度はレリアが赤面する番だった。
「アクセル、様……っ」
「いつ、会える?」
一瞬で酔いが醒めた。何を言っても彼はキスなどしないなどと、何故思ってしまっていたのだろう。
ちょっとからかいたかっただけだった。うぶな反応を見たかっただけだった。その反応を見れられたならすぐに冗談だと言って、次の約束を取り付けるつもりでいたというのに。
あろう事か、本当にキスをしてしまった。夫がいる身でありながら、若い男とのキス。これは充分不貞になり得る行為だ。
「あの、私、酔ってて……! 申し訳ございません! こんな、はしたない事………っ」
「では、皆にこうしていたわけではないんだな?」
「まさか! アクセル様が初めてです! 私、浮かれて調子に乗って……!」
レリアがそう言うと、アクセルはホッとしたように息を吐いた。
「で、いつ会える?」
「え? 会っていただけるんですの?」
「会いたいから、その……した。初めてだったなら、すまない」
もちろんキスは初めてではない。だがわざわざ否定する様なことでもない。
「アクセル様の、ご都合の良い時に。私はそれに合わせます」
「では、明日はどうだろうか!?」
「明日、ですか?!」
「丁度非番だ。レリアは何か用事があるか?」
「いえ、私は日がな一日絵を描いて過ごしているだけですので」
「では明日、またあの絵の前で。さあ、帰ろう」
スッと立って手を差し出す様は、優雅だ。レリアはその手を取って立ち上がった。
サウス地区からレリアの家までは結構な距離がある。キスさえしていなければ、この恋人繋ぎされた手を見て、喜んでいただろう。
しかし、単純に喜べない。まさか高貴な貴族がクララックに熱を上げるようなことは無いだろうが、騙している罪悪感が胸を圧迫させた。
帰り道、あまり会話はなかった。時折する物音に、アクセルが反応を見せるくらいだ。
「ありがとうございます。ここで結構です」
「家の前まで送る」
「いえ、ロベ……父が出ると、アクセル様が中々帰れなくなってしまいますから」
「構わないさ」
そう言ってアクセルはずんずんと進み、レリアの家を確認すると、ノックをしてしまった。
中からロベナーが、飛ぶようにやって来て扉を開ける。
「アクセル様! わざわざお送り、ありがとうございました! 中で紅茶でも……」
「クララック卿、今日はもう遅い。レリアも疲れているし、また後日にして貰いたい」
「む、そうですか……」
構わない、と言っていたにも関わらず、またもスパンと断っている。それとも断れるから誘われても良いと言う意味だったのだろうか。
「それと明日、もう一度レリアと話したいと思っている」
「ええ、 ええ! いつでも連れ出してくれて構いません! つまらぬ女ですが、アクセル様の話を聞くくらいは出来ましょう!」
「俺は、つまらぬ女とは思わない。レリアは素晴らしい女性だ」
アクセルは謙遜という言葉をしらないのだろうか。ロベナーは本当にそう思っているのだろうから、謙遜で無いのは確かなのだが。
「ありがとうございます! ユーバシャール家のお坊っちゃまにそう言っていただき、恐悦至極に存じます!」
今にも土下座をせん勢いでそう言われたアクセルは、多少辟易したのか、もうロベナーの方には向かなかった。代わりにレリアに視線を注ぐ。
「ではレリア、明日」
「はい、おやすみなさいませ。アクセル様」
そういうとアクセルはにっこり笑ってクララック家を去って行った。
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