第2話 画材屋に寄ってみた
アクセルを目の前にして、レリアは緊張していた。
それでなくとも格上の貴族だ。さらに超美形とくれば、あまり男性と関わることのないレリアが緊張するのも当然と言えた。
流れるような金の髪、澄み渡った青い瞳、彫りの深い顔立ち、鍛え上げられた身体。どこを見ても非の打ち所がない。
あまりアクセルを見るのは悪いかと、レリアは目の前に運ばれた食事に目を向けた。。綺麗に並べられたそれは、全てアクセルが選んでくれたものだ。
ほうれん草のホットサラダ、牛肉のファレンテイン風煮込み、ブルーチーズのペンネ、ズッキーニのカナッペ……食卓を料理で満たすのが、正式なファレンテイン流である。
レリアはアクセルとの会話と食事を楽しんだ後、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございました。とても有意義な時間でした。また、機会があればよろしくお願いします」
レリアは社交辞令的にそう言った。実際には次などないだろう。こんな若く美しい青年と食事を出来ただけで、僥倖というものだ。
「次回はお酒でも飲みながら語らいましょう」
アクセルもまた、社交辞令で応えてくれた。まぁこれが大人の遣り取りってものだろう。これで終わりなのは寂しいが、相手は位の高い貴族で、しかも騎士隊長なのだ。また時間を割いて会ってくれるわけが無い。
そう思っていたレリアだったので、アクセルの次の発言には驚かざるを得なかった。
「週末の夜は如何です」
「……え?」
「何か用事が?」
「え、いいえ、特には……」
「では、また『降臨と誕生』の前で。待っています」
あっさりと次の会食を取り付けられ、レリアは焦った。夜にお酒を飲みに出るなど、夫ロベナーに何と言い訳していいか分からない。男と飲みに行くなど、絶対に許して貰えないだろう。
「あの、いいんですか? 私、クララックですよ?」
何故か、夫に怒られるから夜は出歩けない、とは言えなかった。クララックの立場を口にして、出来ればアクセルの方から引いて貰いたい。
「それが何か」
「え……あの、ご存知ありませんか?クララックは……」
「血塗られた歴史がある、か。別に気にはしない」
あっさり、である。クララックの名を出すと、大抵の者は距離を置くものだ。が、この青年には、過去にクララックの者が魔女と称され火あぶりに処されたことや、事件に巻き込まれ死亡した事や、火事に遭って屋敷の別館が消失した事や、幽霊が出るお化け屋敷と噂されている事や、虐殺があったことなど、まるでお構いなしだ。
「不思議な方ですね、アクセル様は……」
「そうか? 俺はあなたと話している。家の事など、関係無いでしょう」
普通の人は、気味悪がるものだが、アクセルはものともしなかった。嬉しいが断る理由を失ってしまい、沈黙する。それをアクセルは承諾と取ったのか、ニコリと微笑んだ。
「では、週末を楽しみにしています」
その笑顔が可愛くて可愛くて、レリアは笑みを隠しきれなかった。
ロベナーに何て言おうかしら。
帰りしな、レリアはそれだけを考える。あのアクセルに誘われた食事だ。どうあっても行きたい。
彼との昼食は、とても楽しかった。アクセルは絵画に関してはまるで無知であったが、それでも有名な画家に対する評価は的を得ていたように思う。
いや、レリアの評価と酷似していたのだ。感性が同じと言って良いだろう。
同じ物が好きと言うのは、共にいるだけで心地良く感じるものだ。少なくともレリアはアクセルに対して、信頼感の様なものを既に抱いている。共にいるだけで安心できる。否定されるような言葉を言われないという安堵感。そんな感じだ。
「あ、そう言えば画材が切れていたんだわ」
ふと気付いて、いつもの画材屋に入って行く。気の良い女店主がイーゼルを移動させていた。
「あら、レリアさん。いらっしゃい」
「こんにちは。百三十センチのロールキャンバスと、細軸の炭を頂ける? あ、ついでにキャンゾールも買っておこうかしら」
「はい、毎度ありがとうございます! お屋敷まで配達しましょうか?」
「いいわ。これくらいなら持って運べるもの」
「分かりました」
店の女主人が店の中からレリアが注文した物を持って来てくれる。その代金を支払っている時、噂好きの彼女が声を潜めて話しかけてきた。
「レリアさん、この辺でレイプ事件があった事、知ってます?」
「ええ、何度か聞いた事があるわ。幼い少女が狙われたって。可哀想に、娘にも気をつけるよう言っておかなくちゃ」
「レリアさんも気をつけて下さいね! まだ十代の様にお若いんですから!」
「言い過ぎよ」
レリアは三十三歳になった。魔女と呼ばれたレリアの先祖は、四十歳になっても十代のまま変わらぬ姿をしていたため、処刑されたのだと言う。レリアの祖母に当たる人物も、父の話によるといつまでも若かったそうだ。これは血なのかもしれない。
クララック家の女子は代々短命なので、その祖母もレリアが生まれた頃には既に他界していて、会ったことはないのだが。
「その事件の女の子が、妊娠しちゃったらしいんですけど……これ知ってます? 最近は簡単に堕胎出来るそうなんですよ」
「あら、どうやって?」
「詳しくは分からないんですけど、雷の魔術師が、魔法でお腹の赤子だけを殺めさせるって」
「まぁ、恐ろしい」
「そうですけど、被害に遭った子にすれば、有難い話でしょうね」
「そうね。でも簡単に堕胎出来るからと、安易に行為に走る子が増えないか、心配だわ」
「本当ですね」
店主は同意しながら買い物した物を渡してくれた。思ったより重い画材を手に取り、礼を行って店を出る。
やっぱり配達して貰えばよかったかしら。
ロールキャンバスが重くかさばる。せめてキャンゾールは次回にすれば良かった。両手でキャンバスを運べないのは大変である。差せもしない傘が邪魔だ。かと言って今から戻って『やっぱり配達を』なんて間抜け過ぎる。それに配達料も馬鹿にならない。
少し休もうと、地面にハンカチを敷いてキャンバスをその上に置いた。慣れない日差しの下では目眩がし、ロールキャンバスを杖代わりに頭を置く。
誰か助けてくれないだろうかと、甘い考えを抱きながら、しばらくそうしていると。
「そこの君、何をしている?」
唐突に掛けられた声に、慌てて頭を上げる。その甘く逞しい声。先程まで食事をしていた、その人だ。
「ア、アクセル様!」
「あ、あなたは……! どうした、気分でも悪いのか?!」
アクセルは慌てた様子でレリアの肩に触れた。その瞬間、彼はハッとした様に手を離す。そしてその端正な顔を、カァっと赤らめさせていた。
「し、失礼!」
「いえ……あの、大丈夫です。買い物をし過ぎて、疲れて休んでいただけですので」
「家はどこです」
「イーストハートストリート沿いですが……」
「ではそこまでご一緒しましょう」
アクセルはひょいとロールキャンバスを左肩に担いだ。そして右手でキャンゾールと細軸の炭が入った袋を奪って行く。
「え! そんな、結構です! お仕事中なのでしょう?」
「市民の助けになるのも我々の仕事だ。今日はイースト地区を巡回予定だったから、丁度いい」
そう言ってアクセルはさっさと歩き始めてしまった。慌ててレリアもその後について行く。
「イースト地区なら、今週末、迎えに行こう。この地区は最近治安が良くない」
「え!? いえ、大丈夫です! その……家の者に送って貰いますので」
「ならば良いが……遠慮しなくてもいいぞ?」
「いえ、アクセル様のお住まいはおそらくサウス地区でしょう? イーストハートはノース地区との境目ですから、遠すぎますもの」
トレインチェは、基本的に南に行く程裕福で、位が高い者が住む事が多い。ユーバシャール家ともあろう者が、サウス地区以外に住んでいるとは到底思えなかった。そしてそれは当たっていた様だ。
「もし何かの折にサウス地区に来ることがあれば、是非うちに寄って行ってくれ。歓迎しよう」
その提案には苦笑いで応えた。サウス地区には行かない事は無いが、『ついでに遊びに来ました』と気軽に行ける様な家では無いのだ。
それでも食事の時の様な楽しい談笑をしながら歩いていると、いつの間にか家に着いていた。玄関先でアクセルから荷物を受け取る。
「わざわざありがとうございました」
「いや。では週末に」
「はい、楽しみにしています」
そう言って別れると、レリアはドアノブに手を掛ける。その瞬間、勝手に扉が開いて、レリアは思わずヒッと声を上げた。
そこには怖い顔をした、ロベナーの姿があったのだ。
「週末、誰と何を楽しみにしているって?」
ほっこりしていた気分が、一瞬で凍りつく。
ロベナーは扉を閉める前に、騎士の後ろ姿を確認した。既に遠かったが、彼にはアクセルだと分かった様だ。
「……アクセル様が、何故……」
「その、あの、美術館……! そう、カミル様が言っていた、美術館で会ったびっくりする人って、アクセル様の事だったのよ!」
「な、なにぃ!?」
当然の事ながら、ロベナーは驚いていた。まさか、騎士隊長であり、高位貴族のアクセルがレリアの絵を気にいるなどとは思ってもいなかったのだろう。レリアだって思ってもみなかった事だ。
「それで、その……! アクセル様は、私に自宅に飾る絵を描いて欲しいって、そう仰ってくれたのよ! その打ち合わせに今週末、会う事になっちゃって……いいかしら」
咄嗟に口から出任せる。それを聞くとロベナーは飛び上がるほど喜んだ。
「勿論だ! レリア、傑作を描いてそれを進呈しろ! ユーバシャール家と繋がりが出来るぞ!」
「そのためには画材がいるんだけど……」
「いくらでも買って来ればいい!」
どさくさまぎれに頼んでみると、二つ返事で了承してくれた。結果オーライと言ったところだろうか。
アクセルとまた食事が出来る。もし独身の男女であったなら、これをデートと呼ぶかもしれない。
夫ロベナーの了承を貰ったレリアは、浮かれながらスケッチブックにサラサラと筆を走らせた。そこにはいつの間にか、優しく微笑むアクセルの顔が浮かび上がっていた。
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