第611話 鳥頭が
「わざわざ訪ねてきてあれほど熱心に勧誘されるのは、羨ましくもありましたよ」
早朝から何やら騒がしかったアルドレットクロウのクランハウス。その騒動が一段落ついた後、ステファニーはディニエルにそう声を掛けながら一軍の食堂席に腰掛けた。そんな彼女にディニエルはダルそうな垂れ目のまま視線を向ける。
「遠くから見れば綺麗な山でも、
「エルフであればあの騒がしさもあどけない雛鳥のように映るのでは?」
ステファニーの言う騒ぎの元凶であるハンナは特に会う約束を取ることもなく朝っぱらからクランハウスを訪れ、まだ空いてもいない受付前で警備員相手にディニエルを出せと駄々をこねていた。
これが誰とも知れない相手であれば常識のない輩だとケツを蹴り飛ばせば済む話だが、その非常識な相手は現状三番台内に入るPTメンバーのハンナである。
警備員でさえ顔くらいは知っているような相手に無碍な扱いをすることは出来ず、担当の男はとにかく上に指示を仰ぎつつ爆弾でも持たされたような面持ちでハンナと応対するしかなかった。
その見た目こそ小さくちょこちょこして可愛らしいものだが、ハンナは神のダンジョン内で数多の実力者が修行しても会得できなかった魔流の拳の継承者であり、同時に数十億G規模の詐欺に遭った大馬鹿者として新聞の一面を飾ったことでも名が知られている。
それからハンナがアルドレットクロウに在籍していた頃のマネージャーが寝ぼけ目のまま急遽呼び出され、彼女との交渉を任された。だがどれだけ理論的に説明されようがハンナはディニエルが出てくるまで梃子でも動かぬ姿勢だった。
その結果としてディニエルはただでさえエルフにしては寝不足な状態の中、マネージャーから無理に起こされる羽目になった。それだけでも彼女の機嫌を損ねるには十分だったが、その頃にはハンナが道場破りかのように乗り込んできた噂は大分広まり奇異の視線に晒されることになった。
とはいえあのハンナのことなので、ディニエルが被害者であることは大体の者が察していた。ただそれでも元クランメンバーがここまで乗り込んでくるのは、アルドレットクロウに不信感があるのではと疑う者もいる。
特に最近はアルドレット工房の不祥事やクランリーダーのロイドが急遽帝都に出払い不在になるなど、主に裏方の不手際が目立つ。だからこそ上層部やマネージャーなどは疑心暗鬼に陥り、ディニエルの動向には敏感だった。
「あ! ようやく来たっすか! ディニエル!」
そんな針の
「こんな朝からいい迷惑。帰って」
「いやいやいや? ディニエル、まだ帰ってこないってどういうことっすか!? 師匠を見返したいならここが一番良い機会っす!」
「あの、会議室で落ち着いて話しませんか?」
「常識のない馬鹿を門前払いするだけ。必要ない」
ディニエルは仲裁しようとしたマネージャーにそう言いながら、手で虫でも払うように出ていけとハンナに告げた。その素気無い態度に彼女は青翼を全開に立てる。
「何で帰ってこないっすか!」
「ツトムの手紙に返事はした。それは貴女も知ってるはず」
「実力を証明するならあたしのPTでやるっす! 師匠にダリルもアーミラもいるっすよ!?」
「しつこい。帰れ」
「帰らないっす! ディニエルがうんと言うまで!」
「なら実力行使で叩き出す。出して」
寝不足で頭に血が上りやすくなっていたディニエルは、弓を寄越せと一軍マネージャーに指示を出す。それを彼女が必死に首を振って拒否すると、ディニエルは準備運動でもするように足首を回し始めた。
「なんなんっすか……」
「それはこっちの台詞。ここに来ることはツトムに話した?」
「……なんすか? 話してないっすけど」
「ならアルドレットクロウから後で正式に抗議が入るだろうから、ハンナは帰ったら大目玉だ。覚悟しておくといい」
そんなディニエルの言葉にハンナの勇ましげに逆立っていた青翼が、それは話が違うじゃんと急に大人しくなった。
「……これは、あたしとディニエルの問題っす」
「ならギルドなり何なりで話しかけてくればいいだけ。わざわざクランハウスにまで乗り込んできてここまで騒ぎを大きくして、どう責任を取るつもり?」
「…………」
「わかったならさっさと帰れ。鳥頭が」
その余計な一言でハンナの青翼は再燃したものの、今になってようやく危険物でも見るような周囲からの視線にも気が付いたようだった。彼女の言う通りこれ以上騒ぎを起こすのは流石に不味いことはわかったのか、ハンナはとぼとぼとクランハウスを出ていった。
「非常識の馬鹿に対して変に気遣うからこうなる。ここまで通したのが間違い」
「……申し訳ありませんでした」
「こんな下らないことで二度と呼ばないで」
そしてハンナの元マネージャーに対しても厳しい𠮟責をしたディニエルは、二度寝するために自室へ帰った。だが結局さして眠ることも出来ずに欠伸を噛み殺しながら食堂に集合していた。
「あれは雛鳥のフリをした成鳥。いつまでぴーちく餌をねだるつもりなんだか」
「まぁ、確かにあれで23歳と言われると少々驚きですが。とはいえ、むしろあの天然さが魔流の拳を会得する鍵だったのかもしれませんし」
「馬鹿は言葉で躾けられない。あれで少しはマシになるといい」
ハンナの非常識な行いについては後程アルドレットクロウから無限の輪へ正式に抗議の連絡が飛ぶので、それで彼女も少しは矯正されるだろう。
「あそこまで言うのも優しさですわね」
「そう? 帝階層から手を差し伸べるのはさぞ気持ちが良いのだろう、としか思わなかった。さっさとあの骸骨を始末してツトムに嫌味でも言わないと気が済まない」
「やる気が更に上がって結構なことですわね」
「ステファニーも最近はうきうきしてる。そんなにツトムと会うのが楽しみ?」
「えぇ。刻印装備もある程度は揃いましたし、帝階層でようやく探索者としてまともに会うことが叶います。どれだけ待ち望んだことか……」
攻略している階層自体は同じであるものの、迷宮マニアや観衆からは刻印装備のあるなしの差について言及されることが多かった。そのせいで真の実力者は刻印装備に頼らないなんて風潮もあったが、上位台に映るほとんどのPTが刻印装備を用いている今となってはそれも消えつつある。
それにアルドレットクロウもシルバービーストを通じてまともな刻印装備が納品されることになったので、その差も大分縮まった。これでようやく外野にどうこう言われることもなく、装備差もなく努と対等に張り合える。
「
「ヒールしてもらったから今日は問題ない」
「ならさっさと突破してしまいましょう。あの狐に負けるのも癪ですから」
「…………」
そんな二人の会話を二軍の食堂席からうっすらと聞いていた祈禱師のカムラは、帝階層にいるのは無限の輪だけじゃないと今にも口出ししたい気持ちを何とか抑えていた。
俺たちが一番強いと口にしたところで周りからはそう思われないことは、先日一番台を取り返して努を超えた発言の後に嫌でも実感させられた。
無限の輪が休みの日に空き巣のように一番台を取っただけで、何をそんな勝ち誇っているのか。そんな観衆からの評価にカムラは晒され、とんだ恥をかいた。それでも尚ステファニーたちに食ってかかってしまえば恥の上塗りもいいところである。
無限の輪が活動を始める今日から一番台を取り続け、階層主を突破する一番槍となる。それでしか今のPTの実力は証明できず、アルドレットクロウ一軍の座を手にすることは出来ない。
その目標設定をルークから教えられたカムラは、今日からそれを達成するべく神経を尖らせていた。
「こっちも成長したね……」
「こらこら?」
そんな兄が今にも口に出そうな言葉を何とか呑み込んでいる様子をホムラは面白そうに観察し、ルークは苦笑いを零していた。
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