十章
第509話 出遅れた最前線
「ったく、変に急かしやがって」
「お菓子補充しないと」
アルドレットクロウの二軍を率いる祈祷師のカムラは、飛行での移動で乱れた金髪を払って整えながらぼやく。隣にいた妹のホムラは発展している迷宮都市の趣向を凝らしたお菓子が恋しいのか、検問の待機列でそわそわしていた。
その後ろに控えているアルドレットクロウの面々もカムラと同意見ではあるのか、大体は勘弁してくれと言いたげな顔をしている。それこそバカンスの途中でいきなり上司から呼び出しを食らい急遽帰社したようなものなので、昔のディニエルならブチ切れ案件だろう。
「……今日に限って検問が混んでる。邪魔くさい」
「ここまで人の出入りが激しいということは、迷宮都市内で何かが起きたことは確かなのでしょう。多少の無理を通した甲斐はあったと期待したいですわね?」
「そうでないと私、単純に恨みを買っただけになっちゃいますから……」
一軍のマネージャーであり今回スタンピード組を呼び戻す急務を任されていた女性は、ステファニーからの問いかけにお腹を心配そうに擦りながら答えた。
ディニエルたちが迷宮都市内の状況を聞かされたの十日ほど前で、その情報を知らせるためにフライで飛んできた彼女もその道程に二泊三日かけている。
そのため迷宮都市の情報はロイドが約二週間前の環境を見た上で予測したものに過ぎないので、正確な状況までは伝わっていなかった。そんな曖昧な情報でモンスターの間引き納期を一週間近く削って急かしたので、クランリーダーからの指示とはいえそれを伝えた彼女としても胃が痛くて堪らなかった。
そんなアルドレットクロウが慌ててモンスターの間引きを早めた理由については、それに渋々協力した他の大手クランにも知らされていた。
「ツトムがまた何かやらかしたっぽいですね~。一体どうなっているやら」
「三年いなくなってたんだし、もう少しのんびりやっていくもんだと思ってたが……アルクロが呼び戻すなんてよっぽどじゃねぇか? 深淵階層でも突破してんのかな」
「まぁ、私は初めからこうなるだろうとは思ってましたけどね」
「嘘つけ。落ちぶれて刻印士にでもなったら顎で使ってやるとか言ってやがった癖に」
その中でアルドレットクロウの次に在籍人数の多いシルバービーストのロレーナは、努がまた三種の役割のようなことでも仕掛けたのかとしたり顔で列に並んでいた。その隣にいるミシルは遠目にうっすらはみ出ている一番台の端っこを心配そうに見つめている。
「バーベンベルク家への報告書、書いて届けるの面倒臭いわね」
「…………」
「……アルマは、嫌味で言っているわけじゃない。気にするな」
「そうやって甘やかしてるからいつまで経っても引っ付き虫なのよ」
「…………」
「……今のは、嫌味だ」
紅魔団のアタッカーであるアルマは貴重な出会いの機会である遠征を短縮されたこともあってか、不機嫌そうに呟く。そして無言で引っ付いてきたミナの頭に手を置きながら、ヴァイスはそうフォローした。
今回のスタンピードでは一部の虫系モンスターがミナの命令を聞かないことが何度か確認された。なので彼女のユニークスキルである蟲化での効率的な掃討が今後は難しくなるだろうとのことで、バーベンベルク家にもそれを伝えるよう迷宮制覇隊から指示されていた。
「……本当にツトムが何か起こしたと思いますか?」
「リーレイア。遠征の期間が短縮されるなんてことが、この二、三年であったかね? それに偶然ツトム君が居合わせただけだとはとても思えない」
「まさか、本当に追いつかれちゃってたりしてー? ……なんて、はははっ」
何だか神妙な顔で真剣に話し込んでいたリーレイアとゼノを和ませようと、コリナは明るく冗談を口にした。しかし二人はそんな彼女に突っ込むこともなく各々考え込んでしまうだけだった。
「……そりゃ、無限の輪の元クランリーダーなんだから凄い人なんだろうけどさ。でも探索者に復帰して数ヶ月でそこまでの成果を挙げられるもんなの?」
二人にスルーされて若干落ち込み気味のコリナに常識的な突っ込みを入れてくれたのは、シルバービーストから臨時PTメンバーとして入っていたソニアというまだあどけなさの残る女性だった。ゼノよりも艶が控えめな銀灰色の髪を短めのボブで纏めている彼女の頭には、うちわのような可愛らしいネズミ耳が映えている。
「あー……。でも確かツトムさんって、探索者初めてから数ヶ月もしない内に火竜倒してたような気が……」
「火竜……?」
「えーっと、何年前だっけ。確か私がまだ白撃の翼にいた時で……。60階層の突破PTがあんまりいない時期だったんですよ」
ようやく進み始めた検問の列を歩きながらコリナが説明するように話すと、ソニアの紐みたいに細長い尻尾がこんがらがるように揺れる。
「とはいえそれはPTの構成すら固まっていない時期でのことでしょ? その走りを作ったこと自体は尊敬するけど、それと同じようなことを今の煮詰まった環境でやるのはいくら何でも難しくない?」
「でもツトムさん、帰ってきてからいつの間にかに刻印士になってたんですよね……」
「……今更生産職に転職したところで、長年それ一筋の職人に勝てるわけなくない?」
「それはそのはずなんですけど、じゃあアルドレットクロウの騒ぎをどう説明するかと言われると、それぐらいしか考えられないんですよねぇ」
「残ってたガルムがツトムのPTに入ってたとか? ……でも義理堅いし、それもないか」
「ですよねぇ。いくらツトムさんのためとはいえ」
そうこう話している内にようやく探索者たちのステータスカードが出揃ったようで、それからは最前線組の検問はスムーズに進んだ。
――▽▽――
「…………」
迷宮都市に帰ってきてから神台市場をその目で確認した最前線組たちは、その光景に唖然としていた。およそ三十番台辺りまで天空階層一色であり、一番台に映るアルドレットクロウのPTは157階層で第七の守護者を攻略中だった。そしてこの光景を引き起こした渦中の人である努たちPTもそこには映し出されていた。
「……何がどうしてこうなってる?」
「お菓子食ってる場合じゃなくなってきたね」
「本当にな!! さっさと帰って準備するぞ!」
ちゃっかりお菓子は買っていたホムラの包装を破きながらのぼやきに、カムラは居ても立っても居られない様子でクランハウスの方に駆け脚で進んでいく。
それこそ金色の調べやアルドレットクロウ、それと古参の探索者から何かと話題な無限の輪が這う這うの体で150階層を突破したくらいだと、迷宮都市に帰還する前の最前線組は予想していた。
だが150階層を突破しているのは目測だけでも30PTは存在するし、ゴールデンタイムならば更に膨れ上がる可能性すらある。中堅探索者が越えられない壁として認識されていた150階層がもはや見る影もなく、天空階層すらも攻略し始めていた。
「……何ということだ」
ゼノが目で追う神台の至る所に、自身の工房が作成した証であるブランドロゴが記された装備が見える。というより上位の神台に映っている刻印装備のほとんどがゼノ工房で占められていた。
深淵階層対策の刻印装備とアタッカー特化PT構成での攻略情報は、中堅のクランや探索者たちに大きな火を点けた。そして数年の間そこまで面々が変わらなかった上位陣たちがいない隙に入れ替わってやろうと躍起になり、もはや誰でもいいから160階層まで辿り着けと言わんばかりの勢いは常軌を逸していた。
100階層からは白門という例外が発生したにせよ、到達階層の更新には5人PTで階層主を突破していくしかない。そのため共同探索は有効的な練習に成り得ないのであまり行わないのが探索者としては常識だった。
だが今の神台を見る限りでは共同探索をしていないPTの方が珍しいほどで、その光景は最前線組たちからすれば異様だった。
しかしそもそも共同探索以前に、探索者たちはこの一ヶ月の間でいくつもの常識を壊されてきた。
まずは努が作った刻印装備を着た途端に、今までろくに戦えもしなかった深淵階層がするすると攻略できたこと。
何せそれらの刻印装備は『ライブダンジョン!』を軸に様々なゲームに手を出していた努が、その知識を下に強い刻印の組み合わせをジョブごとに考えて構築したものだ。それはいわばアルマが努の持ち帰った黒杖を手にし、強力すぎるメテオで初めてモンスターを殲滅した時のような高揚感があっただろう。
その刻印装備が供給されただけでも中堅たちは努から十分な火が点けられていたが、それに油を注いだのは平均レベルもあまり高くない特化PT編成で150階層を突破したことだった。
そしてその後も努は足を止めることもなく天空階層を攻略しつつ刻印装備の供給と開発は怠らず、迷宮マニアの150階層攻略情報に注釈を入れるほどだった。
一体いつ休んでいるんだと突っ込まざるを得ない努の異常な活動量と、それに負けじと彼から供給される物と情報を貪欲に貪る探索者たち。その成れの果てがこの現状であり、迷宮マニアの見立てでは最前線組が帰ってくるまでに最高到達点である160階層まで届くのではないかと書かれるほどだった。
そんな迷宮都市では下剋上を期待して神台を見る者がこれまで以上に多くなり、神台市場は活気に満ち溢れていた。それに今まで供給が限られていた光魔石が一気に放出されたことで、それを買い取って売買しに行く商人たちの出入りも一層激しくなっていた。
「不愉快」
十人がかりで第七の守護者を倒してハイタッチを要求するルークを無視している努を、ディニエルは軽蔑するような薄目でねめつけている。そんな彼女にステファニーは小首を傾げた。
「皆さんのスキルから見てレベルはそこまで変わっていないようですし、立ち回りも劇的には変わっているようには見えません。……
古参の職人面で刻印油のノルマを押し付けてきていた連中がこれ見よがしに掲げていたアルドレット工房のロゴは、今のところどの刻印装備にも見受けられない。ステファニーのにこやかではあるが目が笑っていない様子に、女性マネージャーは神妙な顔で頷いている。
「…………」
「取り敢えず帰りませんか? 移動ばかりでお腹空きましたし」
「……いや、それよりも優先するべきことがあるんじゃ?」
そんな中リーレイアは血眼になって新たな精霊が契約されていないか神台を確認していて、ソニアはコリナの場違いな発言に素っ頓狂な声を上げていた。
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