第507話 初めての一番台
「刻印油ドロップうめー。闇の極大魔石も欲しかったけど」
「…………」
「……何だこいつ、使い込みすぎたか?」
女王蟻の切断された腹はそのまま巨大コーヒーゼリーのような刻印油に置き換わり、151階層への黒門も出現した。それには刻印士のユニスもさぞ感激しているだろうと努は振り返ったが、いつの間にか倒れていた彼女は身動き一つしない。
精神力は総量の半分を切ってから徐々に弊害が現れ始め、大抵の者は三割で限界と感じて打ち止める。それを無視して使い込むと倦怠感が凄まじく上がり、異様な頭痛や動悸どうき、眩暈めまい、吐き気などに襲われて最終的には気絶する。
「気絶、してるわけでもないのか。後で返せよ」
気絶もできないまま絶望的な体調不良に襲われているであろう彼女は、薄目を開けたまま瞳だけ震わせている。努は自身の腰にあるホルスター型のマジックバッグに指を入れ、青ポーションの入った細長い瓶を引っ張り出すように取り出した。
「あっ、それわたしが飲ませとくから、ツトムはクロアちゃんたちおねがーい。特にハンナが死にかけてる」
フルマラソンを走り切ったような顔つきをしているエイミーは、力尽きてぶっ倒れている二人を指差した。努が青ポーションを手渡すと彼女も精神力が減っていて辛かったのか、ちびりと飲んだ後にユニスの方に向かった。
「了解。……あんまり使いどころないし、在庫処分でもさせるか」
マジックバッグの中で適切に保管されているとはいえ、ポーションにも消費期限はある。オーリ管理の下で適切にローリングストックされているので問題はないものの、努は在庫処分も兼ねて死にかけの虫のように青翼を痙攣させているハンナに近づいた。
「おーい。生きてるかー?」
「か、感覚がほぼないっす……。あたしの手足、ついてるっすか?」
「ついてるついてる」
まるで150階層を抜けたのではないかと錯覚するほど広い女王部屋で、ハンナはこれまでの不調を帳消しにするような活躍をしてくれた。それこそこのPT唯一のタンクとして選抜されるに相応しいヘイト管理に、女王蟻を守る鎧蟻アーマーアントをも粉砕した魔流の拳による火力は常軌を逸していた。
「はい」
「……え、ポーション? えっ!? ポーション!?」
「森の薬屋のだぞ」
「エクスヒールでいいじゃないっすか! もっといたわってほしいっす~~~」
誕生日に半額の惣菜でも出されたかのように文句を言うハンナに、努はかったるそうな声色で答える。
「僕も精神力余裕ないから、あんまりスキル使いたくないんだよ」
「なら青ポ飲めばいいじゃないっすか」
「もったいないじゃん」
「……ヒーラーとは何たるかを一から学び直したらどうっすか? アタッカーとタンクを癒すのが役目っすよね?」
「いいから飲みなさい」
「なおしてー! なーーおーーしーーてーー!!」
普通は回復スキルで治せる身体的より精神的な疲れで動けなくなるはずだが、それからもぎゃーぎゃー喚いて元気な彼女の顔元にポーション瓶を置いた努はクロアの方に向かった。
「やりましたね……」
「想定以上の活躍ぶりだったよ。お疲れ様」
気力を使い果たし喋るのも億劫おっくうそうなクロアは、大槌を支えにしながら息を切らしてしゃがみ込んでいた。初めこそ単なる消去法でのエースアタッカーだったが、彼女の実力は150階層中盤から開花し始めこの女王部屋でも十二分に活躍してくれた。
そもそも鎧蟻に対して相性の良い槌士ということも要因ではあるが、それだけで何とかなるのなら人材の豊富なアルドレットクロウがここまで苦労はしない。
中堅探索者としてクロアが数年培ってきた確かな下地。その上に固まっていたアタッカーとしての常識を努が粉々に打ち砕き、そのお手本を示したエイミーから吸収することによって彼女の立ち回りは再構築された。
そんな彼女だからこそ階層主戦としては特異的な150階層において、一人で戦況をも変えるエースアタッカーに成り得た。それはこのPTありきなことではあるが、この経験がクロアの探索者生命において大きな転換点になったことは疑いようがない。
クロアは渡された緑ポーションを栄養ドリンクのように一気飲みした後、黄土色の垂れ耳を更にぺたんとさせながら空になった容器を渡してくる。
「……不味い」
「あれ? 森の薬屋製のはずだけど」
「間接キスは炎上します」
「……これで間接キスになるなら、無限の輪で支給してる青ポ飲んでる時点でそうじゃない?」
「わかってないですね。お客様用に出されたコップで飲むのと、ツトムが普段使ってるマグカップで飲むのとでは天と地ほどの違いがあるんですよ」
「僕は緑ポほぼ使わないから普段使いってわけじゃないよ」
「ほぼってことは、使ったこと自体はあるんですよね?」
「そもそもアイドルグループ抜けてまでこのPTに来た時点で炎上してたから、ファンも燃え尽きてるんじゃない? 枕枕言われてるけどさして話題にすらなってないし」
「……責任、取って下さい」
「動けるなら回収作業手伝って下さーい」
頭が回っていないのか完全なダル絡みモードと化したクロアを努は流しつつも、周囲に嫌というほど散らばっている闇魔石と刻印油回収の手伝いを促した。
刻印油は努とユニスとクロアでひたすら回収し、魔石の見極めができる二人には質の良い物だけ拾ってもらった。
「うわぁーこんなに置いていくなんて贅沢ぅー」
「あれ全部拾うなら天空階層で光魔石拾った方が儲かるからね」
「刻印油拾った方がしばらくは美味しそうなのです」
その結果として兵隊蟻からドロップした魔石のほとんどを置いていくことになったが、それに構わず努たちは天空階層に続く黒門を潜った。
転移した先は渓谷階層のように木々が生い茂る森が眼下に見渡せる崖先だった。その先に道こそないが、そこが目的地だと言わんばかりに浮かんでいる巨大な浮島。そこに鎮座している上空城塞アルカディアの黒門が、152階層へと続く道筋だ。
「おー。あそこまでフライで行く感じっすかね?」
「それも悪くはないけど、一旦下に降りて道作った方が楽みたいだね」
この崖先を降りた先にある遺跡を攻略し、光魔石を一定数納品することでアルカディアへの安全な正規ルートが開かれる。それを開かずとも152階層に向かう黒門まで行くこともできるが、中ボスである第一の守護者から迎撃されることになる。
「そういえば、ルークたちがまだ突破してなければ一番台なんじゃない?」
「んー……っぽいね! 一番台!!」
すぐさま神の眼を呼び寄せてむんずと両手でキャッチしたエイミーは、その後ろを弄って現在一番台に映っていることを確認した。そして神の眼を解放するとクロアの方に寄せた。
「どうよ? 初めての一番台は?」
「……いやー、あんまり実感はないですね。っていうか、噂は嘘だったんですね」
「噂って?」
「一番台を映す神の眼って他と違うって話聞いてたんですよ。実は黄金色だとか、他と違う機能があるとか」
「下位の神の眼に比べると若干融通が利きやすいっていう違いはあるよ。ちょっと操作感違くない?」
「……あ、確かにそれはそうですね。でも、思ってたよりちょっと地味っていうか……」
「ふふーん。それは帰ってからが本番ですから」
ちっちっちっとしたり顔で指を振るエイミーを前に、クロアは本当に自分の夢が叶ったのかどうかも懐疑的な様子だった。
――▽▽――
「クロア、個人取材の依頼来てるぜ。ソリット、エアード、リキロ社から」
「えぇ……?」
エイミーの予言していた通り、一番台に映ったことの実感はギルドに帰ってきてから爆発的に襲ってきた。今まではアイドルグループからの圧力もあってか一向になかった個人取材が大手新聞社から一気に依頼されたことを、クロアはギルドの受付で知らされた。
今まではどの新聞社も下位の神台ではあるものの一定の人気はあるアイドルグループに配慮していたものの、クロアが一番台に映る探索者ならば話は別だ。そちら側に忖度するより彼女個人の影響力に賭けた方が利益が見込めると判断したのだろう。
「明日の朝刊に載ったら個人スポンサー依頼も来るだろうから、準備しといた方がいいよ。あと元のアイドルグループ? からも接触ありそうだし、交渉するならしっかりね」
「明日は休日にするから、悪いんだけどエイミー補佐お願いできる?」
「わたしも少しは取材受けるし、ついでに付いていこうかにゃー。クロア?」
「えっ、あっ、はい」
「むしろここからが踏ん張りどころだから、身を持ち崩さないようにねー?」
エイミーならその後の流れは大体把握できているので、そういったことが初めてであろうクロアの補佐を努は任せた。元PTメンバーから第二の黒杖おばさんを生み出すのも忍びないからだ。
早速ギルドで待機していた記者たちのインタビューを受けに行ったエイミーとクロアを横目に、努は神台で女王蟻戦をしているアルドレットクロウと金色の調べを眺める。
アルドレットクロウは深淵階層に存在するモンスターの中でも手強い黒鎌を召喚しているルークが一騎当千の活躍を魅せているが、そんな彼を下支えているPTメンバーの地力も努から見れば高い。
三種の役割は安定感が高いので終盤部屋の猛攻に対しては効果的だが、守りを固めてくる女王部屋ではどうしても火力不足に陥りがちだ。だが黒鎌を複数召喚して操れるエースアタッカーのルークを筆頭に、ヒーラーやタンク陣の進化ジョブを利用した立ち回りは下位の軍であろうがある程度はできている。
特にステファニーの影響が大きいのか白魔導士の男性はかなり攻撃的かつ、支援回復も最低限はこなしていた。ヒーラーとアタッカーどちらもある程度こなせる地力は彼女の活躍を間近で見られる環境故だろうか。
(アルドレットクロウに比べると消耗具合が明らかに違うな。呪い部屋上振れでも引いたか? それにレオンもようやくいい感じっていうのも大きいか)
そんなアルドレットクロウに比べるとエースが育休中である金色の調べは厳しい戦いを強いられているかと思っていたが、疲れ具合が目に見えて軽かった。それにエースアタッカーの槌士が抜けたことで自分がどうにかするしかない状況に追い込まれたからか、レオンの暴れ具合も目立った。
進化ジョブを使うとステータスそのものが変化するため、ユニークスキルである金色の加護ゴールドブレスの対象がAGI敏捷性からVIT頑丈さに変わる。レオンはその切り替えを上手く活かそうとするあまりに自分の立ち回りを見失っていたようだったが、アタッカーに集中しなければどうにもならない女王部屋という環境が功を奏したようだった。
現状の最高位ステータスはS+であるが、160レベルの探索者のステータスカードを見る限りではそのジョブや種族に優位のある場所がSまで届くぐらいだ。そのためS+にするにはバッファーの支援や装備品込みで特化する必要がある。
金色の加護は自身のステータスの中で最も高い能力を二段階引き上げる効果を持っているが、S+を突き抜けることはなかった。刻印装備によって更なるステータスのインフレが予想される現状では、産廃ユニークスキルといってもいいかもしれない。
(でもジョブだけじゃなくて種族ごとにもステータス補正値かかるみたいだし、唯一の金狼人ってところでいい味出してるのかな。AGIがS+の中でもレオンが最速なのは変わってないようだし、実質ユニークジョブみたいなもんじゃん。……まぁ僕も異世界人ってことで精霊相性バフ付いてるだろうし、何とも言えないけど)
白魔導士と黒魔導士が同じSTR攻撃力でも純粋なアタッカー職である黒魔導士の方が火力が勝りやすい、といった現象自体は探索者の感覚として理解はされている。その他にもまだ発現していない金色の加護の派生先、珍しい種族であるエルフや神竜人独自の補正値や、そこにサブジョブが関わってくるかなど、努からすると気になるところはいくらでもある。
「……先、帰っていいっすか?」
「よく刻印する気になるのですね……」
「お好きにどうぞ」
努が見ていたので何となく視聴していたもののもう早く帰って横になりたい様子のハンナとユニスに、彼は刻印用の万年筆に油を装填しながらそう促した。
(いい作業BGMだぁ)
それからエイミーとクロアが長い取材を終えるまで、しぶとい女王蟻と鉄壁の守護隊を中々崩せずに苦しむルークたちの声を聞きながら努は納品予定の刻印を済ませていった。
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