第503話 懐かしの手料理
(呪い部屋にでも当たったかな。蘇生時間、余裕持たせとくか)
エイミーが斥候に出て二十分経過したことを無意識の時間間隔で確認しながら、努は五分間隔ギリギリで打っていたレイズの時間を少しだけ早めた。ただレイズを打っても空打ちに終わっているので彼女が死んでいるということはない。
そんな彼女の怪しい状況にユニスも勘づいているのか、若干狐耳をそわつかせながら刻印している。それにクロアも気付いている様子で、ハンナは握力でも鍛えるように魔石をにぎにぎしていた。
そして遂に斥候の待ち時間である30分を越えたので、努はピコの資料を読みつつPTメンバーに声をかけようとした。しかし奥の通路からいかにも急いでいますと言わんばかりの足音が響き始めたので、彼はホッとしたように腰を下ろした。
「ごめーーん! 呪い部屋の様子見してたら遅くなっちゃった!」
「全然いいよ。呪い、何部屋目にあったの?」
「三部屋目だよ! それでピコの言ってた時短できると思ったから、少し念入りに調べてたんだっ」
「それならむしろ探索時間減るだろうし、良い判断だね」
150階層の最奥まで行くのに少なくとも一つ、多ければ三つは通らなければならない呪い部屋。呪蟻カースアントが生まれる場所でもあるそこは150階層において鬼門の一つだ。
部屋中に繁殖している呪茸と、呪蟻に成り切れず生きた苗床と化している兵隊蟻が無数に存在する部屋。
その動けない苗床たちは呪蟻より薄いものの紫色の胞子を吐き出しているため、部屋に数分もいれば呪い状態は免れない。そんな苗床は地面から天井まで至るところに張り付いているため、強行突破しようとしても呪いで全滅してしまう。
しかし遠距離から攻撃すれば大量の胞子をばら撒いてから死んでそれは連鎖していくため、完全に消えるまで数時間は待たされる。その分、近距離では胞子をそこまで撒き散らされはしないが始末した者は呪いを避けることができない。
時間のことだけを考えれば近距離で苗床を始末し呪い部屋を抜ける道を構築する方が早いため、最前線の探索者たちはその方法論を取っていた。だが呪い状態は肉体と精神を同時に蝕まれるので、いくら死に慣れている探索者と言えど尋常ではない苦痛を伴う。
それこそ何万分の一の確率で適合する呪蟻になるためこの部屋に押し込まれて死に絶えていく兵隊蟻のように、探索者たちも呪死を重ねていくしかない。しかしそれは気が狂うほどの作業であるため、女王部屋までに呪い部屋が一つでない時は自害してリセマラするPTもいるほどだ。
「ピコの情報通り、刻印装備あるなら苗床が薄いところを狙っていけば強行突破できるね。試しに何個か始末してルート確認してきたけど、おかげ様でキノコ生えなかったし!」
だが呪い半減の刻印が施された装備があれば、そんな地獄を潜り抜けなくとも突破できる。あくまで半減なので雑に突破こそできないが、苗床が薄いルートを見極めて進んでいけば問題なく通過できる。
それに後続からの追っ手を一掃する手段として、呪い部屋を利用することすらできた。
基本的には蟻たちに捕捉されている限りはどこまででも追われてしまうため、その都度倒していかなければ後に捌き切れず地獄を見ることとなる。
だが呪い部屋を通過することは兵隊蟻ではほぼ不可能のため、捕捉状態はその通路で途切れることとなる。なので事前の二部屋を強行突破しても呪い部屋をすんなり通り抜けてしまえば、大幅な探索時間の節約になる。
その仕様については金色の調べがたまたま見つけ出し、アルドレットクロウが検証して確立している。それは当然ピコの情報網にも引っ掛かり、作戦の一つとして資料に記されていた。
「多少リスクはあるけどこれを利用しない手はないからね。エイミーから見た限りではできそう?」
「多分、大丈夫じゃないかなー。ぶっつけ本番なのは怖いけど、時短しておくに越したことはないしね。時間経過で女王部屋が崩壊し始めるのもダルいし」
「万が一失敗しても白魔導士一人逃がせれば蘇生はできるしね。刻印装備も予備あるし」
「それ、地味にデカいよねー。金色の調べとかシルバービースト、刻印装備のロスト怖がってやたら安全策取ってるし」
「何故か装備の数自体少ないしね。アルドレット工房がここぞとばかりに溜めておいた在庫を放出すると思ってたんだけど、そもそも刻印士がいないし」
「何なんだろうね。話とか聞く限り、いかにもアルドレットクロウが狙ってやりそうなことだけど」
レベルの高い刻印装備が存在しなかった時代では、全滅によるロストがそこまで痛手ではなかった。まだあまり余裕のない初中級者には死活問題であるものの、上位の神台に映っている探索者からすれば端金でどうにでもなる。
だがレベル50以上の刻印士不足で供給の目処がない現状において、刻印装備はどれだけ金を積もうが買うことができない。サブジョブが成長しなかった元凶と思わしきアルドレットクロウですらそれは同じのため、努より一回りレベルの劣るユニスですら引っ張りだこな状態だ。
「それじゃあ強行突破の策で行こうか。先陣と、殿。よろしく」
「了解でーす」
「うーっす」
先陣をエイミーとクロア、殿にハンナを据える形で努たちは戦列を組んで速やかに通路を進んでいく。
そして一番目の部屋に入り至るところに開いている巣穴から兵隊蟻が這い出てくるのを横目に、前方の避けられないモンスターをクロアが轢き殺すように始末していく。
「ジェネいるじゃん。ラッキー」
そのまま兵隊蟻の大軍を引き連れて第二の部屋まで進むと、そこには侵入者を認識し異様に長い触角を振り回している将軍蟻ジェネラルアントがいた。
「エアブレイズ。七色の杖、セイクリッド、ノア」
「……? セイクリッドノア。七色の杖」
「スタンピン、グーー!」
しかしその隊列が揃い切る間に努が急激な精神力消費も厭わない強烈な攻撃スキルで穴を開け、進化ジョブに切り替えたユニスもそれに続く。そこにクロアが大槌を振り被り背を逸らした後、バネみたいに飛び込んで風穴を開けた。
「ブースト、岩割刃、双波斬」
「滝割拳……よーし」
その間を縫うようにエイミーとハンナが入り込み、双刃と風の魔力が籠った拳で道を切り開く。それから再び努とユニスが攻撃スキルを撃って戦線を突破する。
「ハンマースロー!!」
出入口を塞ごうとした兵隊蟻たちはクロアがぶん投げた大槌を食らい、面白いように飛んでいく。そして最後に部屋を出たハンナは右腕に左手を添えて最後っ屁に光の魔力放を放つと、熱を冷ますように無事な手を振った。
「……もしこれで呪い部屋抜けられなかったら笑うしかないね。確認不足がないか怖くなってきたぞー」
「もしそうなったらエイミー戦犯だって言って回るよ」
「責任が重大すぎるんだよね。その割に報われなさそうなの酷くない? 神台映り悪すぎてびっくりだよ」
「ありがとエイミー」
「……なーんか労りが雑じゃなーい?」
走るエイミーの横でAKみたいなノリの軽口を挟みながら、フライで並走している努も背後から迫る大量の兵隊蟻たちの足音にビビッてはいた。背後から迫る鉄球から逃げているかのようなスリルがある。
「この先の右通路抜けた先が呪い部屋! 中に入ったらわたしに付いてきて!」
「了解っす!」
先ほどの一撃で多少は自信を取り戻したのか、殿を務めているハンナが威勢よく返す。その前でクロアの隣を飛んでいたユニスはふと気付いたように声を上げる。
「……お前、これを見越して私に進化ジョブ押し付けやがったのですね。精神力の込め方がやたら気合入ってると思ったのです」
「本当にたまたまなんだけど、万が一の時の蘇生役は任せて下さい」
「別に進化ジョブ解除してもいいのですが」
「ユニスさん、宜しくお願い致します」
「プライド、ないのですかお前は……」
死に慣れている探索者ですら根を上げるような呪殺など死んでも御免のため、努が素直にそう言うとユニスは呆れた顔のままため息をついた。
呪い部屋に辿り着く頃には背後の足音も徐々に収まってくる。そして通路から顔だけ出して部屋を覗いてきた将軍蟻はエイミーの後に早歩きで続いている努たちを確認すると、器用に折り畳んでいた触角をうにうにと動かしながら恨めし気に撤退した。
「上まで全部……気味が悪いのです」
呪茸に体を蝕まれ触角くらいしか動かすことのできない呪蟻の成り損ないは、壁や天井に同化し胞子を噴き出すだけの物に成り下がっている。ちょっと駆け足で付いていきながら部屋中を見回すユニスに、エイミーはけらけらと笑う。
「フライ使った途端、天井から一斉に胞子吐いてくるらしいよ」
「ふーん。なら今誰かが飛んだら全滅なのです?」
「流石にツトムの刻印装備でも無理なんじゃない? あくまで半減だし」
「あたしなら避けれるっすかね?」
「避ける避けないの話じゃないと思うけど」
エイミーが既に開拓していたルートを走りながら努はそう突っ込みつつ、火災訓練のように裾で口元を覆っている。先駆者が検証した結果として息を止めるのは誤差に近い対策にしかならないようだが、刻印装備があるとはいえ胞子を吸い込みたいとも思えない。
「これで実質三部屋スキップ、美味しいね~」
「これが出来るならむしろ呪い部屋多い方が攻略早いですね。逆に少ない時にリセットまであるかも」
「今まで150階層攻略してる人からすれば、たまったものではないのです」
「呪い部屋も自力で突破できない探索者はこれだから、ってマウント取られそう」
そして特にトラブルもなく呪い部屋を突破して大幅な時短ができたので、次の部屋へ続く通路の途中で努は野営場でも立てるように準備を進める。
「エイミーが斥候で一番疲れてるだろうし、先に休んでていいよ」
「あ、じゃあその間に神の眼借りるね。わたしの取れ高が……」
努たちはエイミーが斥候に行っている間にある程度休めているが、彼女だけ休憩といえるような時間はほとんどなかった。彼女が言うには一足飛びで勢いをつけた後のフライ中で息は整えているので問題ないとのことだが、そもそも150階層の斥候自体それほど簡単なものではない。
頼れるのは自分だけという孤独な環境下の中、たまに通路を巡回している数匹の兵隊蟻を逃さず始末しなければならない。仮に見つかった状態で逃してしまえば次の部屋にいるモンスターが警戒状態となってしまい、見つからずにすり抜けることが困難となる。
情報漏れのないピコの資料があるとはいえ、一つのミスが命取りになる斥候をこなすのは非常に神経を使わされる。もしエイミーの導き出した道順が間違っていればPTが正しい方向に進むことはできないし、その全責任は彼女にある。
そんなエイミーの出した情報や道順については努も確認して補佐しているものの、今のところ口を出すまでもないような結果を出し続けている。それは彼女が帝都のダンジョンを初見で少しずつ突破していった自身の経験則と、150階層の神台と資料をしっかり読み込んでいた故の結果だ。
「早く寝っ転がりたいな~」
「いいからちょっと待ってるのです」
神の眼をハンディカメラのように持ちながらユニスにちょっかいをかけているエイミーの姿は随分とお気楽なものだが、150階層において影の功労者であることは疑いようもない。その功績についてはユニスも理解しているのか、さして邪険にも扱わずにスライムマットを敷いて彼女を寝転がした。
そこを基準にクロアと協力してひし形のタープを設営して簡易的な屋根を作り、折り畳み式の椅子を人数分マジックバッグから取り出して置いていく。その横でハンナが火の魔石を燃料に動く簡易コンロを点けると、早速鍋に火をかけた。
「うわ~。これ懐かしい~」
「最近はここまで長いことダンジョンにいることないからね。初心に帰った気分だよ」
「絶対あいつ羨ましがってるよ。ほれほれ~」
いつぞやの温かいポトフを久々に食べて嬉しそうに神の眼目線をキメているエイミーを前に、ユニスとハンナはよくわからなそうな顔のままサンドイッチを頬張っている。
「このポトフ、何か思い入れがあるんですか?」
「話せば長くなるんだけど……あっ! ツトム!! これはツトムの手作りだよねぇ!?」
「オーリに作ってもらった方が面白かったかな」
「あの時のギルド長の顔、マジでムカついたな……」
そんな恨み言を吐きつつガツガツとポトフを食べだしたエイミーに、努は苦笑いしつつも久々にコーンスープを飲んで一息ついた。
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