第430話 不穏の種
「だれ!」
「…………」
早朝にアーミラとディニエルに挨拶を済ませた努は、クランハウスに帰ってきてからゼノにオルファンへ手紙を出してもらっていた。その間にリビングでピコから貰ったダンジョンの資料を読み込んでいると、唐突に二階から降りてきた銀髪の幼児にそう叫ばれた。
そしてその後ろから若干の早足で階段を降りてきたゼノを見て、そういえば彼の子供がどうこう言っていたことを思い出した努は資料から目を離して軽く頭を下げた。
「こんにちは」
「…………」
一言面と向かって挨拶をすると小さな彼女は急に人見知りでも発症したのか、ゼノの足を影にして隠れ始めた。そんな娘を宝石でも扱うように抱っこした彼は、いつもより柔和な笑顔を浮かべている。
「はっはっは! これは失礼!」
「いや、別に大丈夫だよ」
「……ふむ、君も抱っこしてみるかい?」
やれやれといった顔で突然そう提案してきたゼノに、努は無言で首を振った。それを意外そうに受け取った彼が娘を二階の部屋に置いてきたところで、努は鼻頭を指で掻きながら言った。
「そんな変に気を回してもらわなくても大丈夫だよ」
「そうかい? 私はツトム君が可愛すぎる娘を抱っこしたそうにしていたから申し出たのだが」
「僕は子供が好きでもないし、嫌いでもない。感情としては無、だったよ」
「そんな馬鹿な」
あんなに可愛い娘を目にした後でもそんなことが言えるのかと目を開いて硬直しているゼノに、努はため息をつきながら鏡餅のように足下で伸びているウンディーネをぺちぺちと踏んだ。
今も普通に話してはいるものの、どうもゼノは再会した当初から若干の違和感があった。仮にも自分は建前の口上とはいえ、別れ際に彼の家族を人質に取って脅した。そのナルシスト的な性格とは裏腹に頭の回る彼なら自分の言ったことがハッタリであることに気付いていただろうが、いざとなったら家族まで人質に取るような輩を果たして心から歓迎するだろうか。
(というか、今のゼノなら直接手を下さずとも僕を無限の輪から排除するぐらいは出来ると思うんだけど、何でここまで気を遣ってくれるかがいまいちわからない)
ゼノは表面上で歓迎こそしてくれるがまた自分が家族を害するほどの力をつけないよう抑えてくるか、直接真っ正面から話し合いを申し出てくるというのが努の予想だったが、彼の動きを見ている限りではどうも違うようだった。
もしかしたら本心を悟られないように動いているだけなのかもしれないが、そこまで策謀を徹底できるような男とも思えない。良くも悪くもゼノ個人は一般的な範疇からは外れない。その気障な見た目としていることだけを見れば破天荒ともいえるのだが、越えてはならないラインについては見極めている。
その後ろにいる妻のピコが助言しているからこそ遠回しな方法を使っているのかと思ったが、それも見ている限りでは違う。もうそのことは水に流しているという風にさえ見えた。
(まぁ、リーレイアとかダリルも僕からするとよくわからないことになってるからな。ゼノについての予想も大して当てにはならない。ここまで来たらガルムも突然クラン抜けるとか言いだしても驚かないな)
恐らくゼノの娘とハンナが遊んでいるからか、二階から慌ただしいような足音が聞こえる。そんな騒音のする方向を一瞥した後に資料の確認を続けていると、目を合わせてきたゼノがこれで勘弁してくれと言わんばかりにウインクしてきた。
「今のゼノのウインクなら、多少の価値はあるのかもね。前に比べて女性ファンも増えてるみたいだし。……回数を増やせばいいってもんじゃないけど」
そう言うとゼノが交互にウインクし始めたので、努は冷めた目で返しながら資料へと視線を戻した。あのことはもう水に流されたと楽観視まで出来ないが、徐々に時間をかければ解決できそうではある。
「昼食のご準備が出来ております。よければどうぞ」
「それはどうも、ありがとうございます。いただきますね」
それからゼノがオルファンに直接手紙を渡しに行っている間、努は少し目尻のシワが目立つようになったオーリと無限の輪について昼食を食べながら軽く話した。
生産職の立場が大きく向上したことや現在の状況も踏まえて無限の輪の経営も変わっているが、ゼノ、リーレイア、コリナの指針を支えている彼女の手腕もあり上手く回っているようだ。
「おー、今日も豪華っすねー!」
その途中でゼノの娘と一緒に降りてきたハンナも昼食を共にした。それからはユニスが何故かエイミーと合流して帝都のダンジョンを攻略していることなど、この三年の間にクランメンバーたちが何をしていたかをオーリからおおよそ聞いた。
「そこまでお金溶かせるのはある意味才能じゃない?」
「そ、そうっすか~?」
「ツトムさん。勘違いさせるようなことを言うのは止めて下さい。ハンナは皮肉も本気で受け取りますよ」
その際に修行へと出かける前にその遠征費用を負担する謎の男気を発揮したハンナが、そこから芋づる式で払う金額が増して焦ったところで投資詐欺に引っ掛かった話も聞いた。それが引き金となって結果的には遺した資産を全て溶かしてクランメンバーに泣きつき、オーリの小じわは増えた。
「師匠~。また金のニワトリ? 作ってほしいっす~。毎月まとまったお金欲しいっすよ~」
「あれだけ安定した資産渡しても溶かすんだから、もうどうしようもないでしょ。というか、よく自分で手をつけられたな。書類は第三者機関に任せてたし、手続きも大分複雑にしておいたはずだけど」
「初めは詐欺師の方も、投資された資金に驚異的な利回りをつけてどんどんとハンナを儲けさせていたようです。それでハンナは預けた分だけもっと儲かると思ったのか、独断で手続きを踏んで資産の大部分を受け渡したそうです。そういう時だけはよく頭が回るようで」
「……自分のことを賢いと勘違いしちゃった典型的な馬鹿って感じだね」
「村の中じゃ一番だったから、馬鹿じゃないっすもん!」
私はカモです、と書かれた紙を持って新聞の一面に写っているハンナを思わず想像しながら、努は拗ねながらも次の一言を期待していそうな彼女をいなした。そういったことを想定して遺した遺産すら溶かすハンナの手腕にはいっそ惚れ惚れする。これにはお手上げだ。
それからはハンナが修行していた時の話になったので、特に興味のなかった努はオーリに聞き役を任せて軽く昼寝した。するとその間にゼノがオルファンに出した手紙の返事が届いたようで、ソファーで仮眠していた努はそれをオーリから受け取った。
「ふーん」
その手紙を見るにダリルは夕方頃クランハウスに訪ねてくるようだ。ただそこにミルルも連れてきていいかという文言を見て、努は線のように目を細めた。
――▽▽――
「おっ、久しぶり。……なんか、前より顔が大人びたね?」
「…………」
無限の輪のクランハウスの前で軽やかな挨拶をしてきた努は、ダリルから見ると以前より少し雰囲気が柔らかくなっている気がした。ほんのりと日焼けしているその肌も相まって、まるで南国への旅行から帰ってきてリフレッシュでもしてきたのかと思うほどだ。
そんな彼の後ろにいるリーレイアは凍てつくような顔で自分、ではなく何故か努をねめつけているようだった。その隣にいるゼノは彼女の視線を察してか困ったような笑みを浮かべている。
「昨日帰ってきたところだから、クランメンバーには先に挨拶だけはしておこうと思ってね。神台を見て初めて知った、っていうのもどうかと思ったから」
「……そうですか」
「正直、ダリルが無限の輪抜けて孤児団体まで立ち上げてるとは思わなかったから驚いたよ。まぁ、僕が言うのもなんだけど」
「…………」
自嘲するように言った努を前に、ダリルは何も言わない。努が帰ってきたという知らせを手紙で聞いた時から、彼に何を言おうかは考えていた。何で自分には相談してくれなかったのか、あの時は情けなくてどうしようもなかった気持ち。それと同時に引け目もある感情を何とか言葉に纏めて吐き出そうとしたが、息が詰まったように声が出ない。
「手紙には書いたけど、何も言わずに去る形になって悪かったね」
「…………」
それを悟られないようにダリルは眉をしかめて黙りこくった。何で無限の輪を捨てられたんだ、などといった叱責でも思い切り叫べたら気分は晴れるものだと思ったのに、いざ目の前にすると何とも言えない心苦しさだけが渦巻くだけだった。
「まぁ、これで許してくれとは言わないよ。僕が今言えるのはこれぐらいだけど、ダリルは他にも要件があるんでしょ?」
「……はい。ミルルさんのことについてです。さっきゼノさんからも詳しい資料が送られてきたので、おおよその事情は理解したつもりです」
ゼノにミルルもクランハウスに連れて行っていいか確認を取ってみると、今回は努の出自に関わることを話すので彼女の付き添いは遠慮するよう返事が来た。それと同時にダリルはゼノからとある資料を貰っていた。それはミルルが過去にしでかした騒動とそれを決定づける証拠だった。
努の幸運者騒動についてはダリルも当時から知っていたし、新聞で公表されていたミルルの容姿についてもある程度覚えていた。ただダリルが会った時のミルルは数年の地獄を経て人相と髪型は様変わりしていたし、名前もそこまで特徴的なものではないのでおぼろげな記憶と合致はしなかった。
ただゼノが提供してきた写真付きの資料を見れば、彼女が確かに何年か前に幸運者騒動を起こした記者であることは証明されていた。オルファンでの献身的なミルルの活動を見てきたダリルにとってはとても信じられなかったが、ここへ来る前に直接聞いたところ彼女はそれを認めた。
「僕も、ミルルさんを許してくれとは言いません。ですけど、もしツトムさんが許さないのだとしても、僕は今更になってあの人から離れるつもりはありません。僕に限っていえば、むしろ助けられている方ですから」
「へー」
そう平坦に呟いた努の感情はどのようなものなのか推し量れはしなかった。もうミルルのことなど眼中にないのか、それともまだ断罪を求めているのか。ダリルにはわからなかった。
「ダリルの好きにすればいいと思うよ。僕も好きなようにするから」
「……そうですか」
「それじゃ、今日は一先ずこんなところでいいかな? お互い、大変そうだしね」
努は後ろでピリピリとした空気を放っているリーレイアにげんなりした様子で言った。そのことにダリルは少し戸惑いはしたものの、静かに頷いた後にその場を立ち去った。
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