第413話 刻印油、刻印油

(……いい加減にしてほしいですわね)



 百一階層から魔石の代わりとして稀にドロッブするようになった刻印油。地面に落ちたゼリーのように鎮座しているそれを大きなスポイトで吸うように回収しているソーヴァたちを眺めながら、ステファニーは自分たちが刻印油集めをしなければならない状況に歯噛みしていた。


 アルドレットクロウが百階層を突破し三つ目の光が灯り黒門が開いたと同時に、神のダンジョンを取り巻く環境に大きな変化が起きた。その中でも一番注目を集めたのは探索者なら誰もが持つジョブの変化だった。


 百階層を突破した時には既に100レベルだった彼女は、ステータスカードに表示されていた白魔導士という文字色が赤く変化していた。そしてヒールなどの基本的なスキル以外が大幅に削減されたと同時に、見慣れないスキルが追加されていた。ただ白魔導士の文字に触れれば以前と同じスキル構成に戻すことも出来た。


 百レベルを超えた後にはスキルが一新されたジョブの派生形が生まれることが、アルドレットクロウのPT全員のスキル変化によってまずは発見された。


 その他にも死期の察知が出来たコリナを始めとした、ユニークスキルの再定義化。それに鍛冶師や裁縫師など生産系のサブジョブ枠が新たに追加されたことも話題となった。


 そして今ステファニーたちが階層攻略ではなく刻印油を集めている理由は、生産職ジョブの追加に起因している。その生産系ジョブの者たちが初めから共通で使える刻印というスキルを使うには、百一階層からドロッブするようになった刻印油が必要だったからだ。


 しかもその刻印というスキルは、探索者の装備環境を一変させるほどの革新をもたらすものだった。


 今までは階層が進むごとに宝箱から得られる新たな武器や防具に切り替えていき、それまで装備していたものは中古として後進の探索者たちに向けて売るのが常識だった。そして階層更新が進んでいくにつれて低階層の装備はいくらドロッブ率が低く手に入りにくかろうと見向きもされず、一部のコレクターくらいにしか需要もなかった。


 だが装備に刻印することによってステータスの増強は勿論、黒杖と同じような副次効果など、一種のスキルと変わらないほどの能力を付与することが可能になった。更に階層数が下の物の方が圧倒的に刻印は刻みやすく、それでいて種類も豊富で能力向上の幅も段違いに強かった。


 刻印スキルを使えれば九十一階層で手に入る装備よりステータス上昇もあり、努が持ち込んだ黒杖のように副次効果すらもたらすものを作れる。それこそ敗者の証ともいわれる亜麻色の服ですら、百一階層でも通用するような性能に仕上げられた。


 今までもダンジョン産の装備を分解して補填して掛け合わせたり、マジックバッグを上手く縫い直して容量を拡大できるよう仕立てたりする職人たちには一定の需要があった。しかし今回のサブジョブ追加と刻印によってその需要は更に高まると同時に、探索者ではなく生産職での道を目指す者も爆発的に増えていた。


 しかし元々ダンジョン産の装備を扱っていた者のサブジョブレベルは既に上昇していたものの、新規の者たちはレベルが1からである。そのレベルを上げる方法は先人たちのようにダンジョン産の装備を取り扱うことが王道だ。だがそれからレベル上げの効率が検証された結果、とにかく刻印を装備に刻むことが最高率の方法だった。


 なので現状では、生産職たちが手っ取り早くレベル上げをするために必要な刻印油が多くの者から求められていた。そしてアルドレットクロウにはダンジョン産の装備を手掛けていた職人が既に多数働いていて、今まで探索者たちを影から支えてきた。だからこそ百階層を突破したステファニーたちもそれに報いなければならなかった。


 だがその刻印油集めが今も長々と続いていることに、ステファニーは多大な不満を溜めていた。もう一ヶ月は朝から晩まで刻印油集め。いくらサブジョブの追加によって生産職が役立てる幅が広がったとしても、馬鹿みたいな油のノルマを毎日課せられることに呆れ返っている。そのせいでせっかく無限の輪を階層数で抜き返したことも、今では意味を成していない。


 それに他の名立たる工房と比べると、アルドレットクロウの職人たちのレベルは低い傾向にあった。原因としてはアルドレットクロウに在籍する探索者の人数が多い分、職人たちは効率の良い分担制で単調な作業や点検ばかりを求められあまりダンジョン産の装備を柔軟に改造する機会がなかったからと推測されている。


 アルドレットクロウにこんな働き方をさせられたから自分たちはレベルが上がらなかった、だから刻印油を納品するのは当然などとのたまう者も中にはいた。そんな生産職たちの尻拭いで刻印油を確定で落とすオイルスライムというモンスターばかりを狩らねばならない現状に、ステファニーは特に憤慨していた。魔道具を戦闘でよく使うため生産職の者たちとも繋がりの深いソーヴァですら、そんな主張を会議で出され疑問を抱いている。



「今日で一先ずは終わりだ。堪えてくれ」



 一軍PTの中では一番の年長者であるビットマンですら、流石にこのままでは不味いと思ったのか周りに働きかけて根回しをしたほどだ。神台に映らないよう神の眼を遠ざけて小さく言った彼の気遣いに、ステファニーは感謝するように軽く手を挙げた。



「アルドレットクロウには感謝しています。ですが、最近クラン内での問題が多すぎませんか? これも大きくなり過ぎた弊害ですか?」



 今はクランリーダーとしての仕事に専念しているルークも一軍PTと生産職の間に起きた亀裂に対処して何とか収束しつつあるものの、他にも問題は山ほどある。最近になって増え始めたアルドレットクロウ内での派閥争いによる動きの鈍化。一軍と生産職との対立構造も内部の派閥争いに利用されて内部から腐り始め、探索の準備に支障が出るほどだ。



「それに二軍、三軍は未だに百階層を突破する気配がありません。そもそも立ち回りのレベルが私たちや無限の輪などに比べて低すぎます。何故私たちよりも良い装備と情報を使って突破できないのか、甚だ疑問でしかありません。その癖に探索者としてのプライドだけは無駄に高い。存在価値を問いたいですわ」



 二軍、三軍にはステファニーやビットマン、ソーヴァほどのヒーラー、タンク、アタッカーがまだ育っていないため、百階層の突破が未だに出来ていない。なのでステファニーたち三人を主軸にしたPTで二人ずつ百階層を突破させようとしたのだが、いつの間にか出来ていた軍ごとにある派閥のせいでそれも上手くいかない。


 特にキサラギという二軍ヒーラーの、自分にはこれが限界と言いたげな態度も気に食わなかった。一時休暇を取ってから多少伸びたものの、まだまだ考えも行動も浅い。ヒーラーの才能がどうこう言う前にまずは寝る間も惜しんで神台を観察してダンジョンに潜り、自身の立ち回りを改善してほしい。自分にも才能なんてものはなかったのだから。



「その下はもはや酷いなんてものではありませんわ。上の階層を目指す気概が全く感じられませんもの。冬眠でもしていらっしゃるのですか?」



 それに加えて雪原階層まで辿り着いたクランメンバーたちは、ステファニーから言わせれば隠居した老人のようだった。


 現状では七十一階層まで辿り着いて氷魔石を納品さえすれば小金持ちにはなれるため、そこで探索者としてのモチベーションが止まってしまう者が多い。冬将軍に挑まずかまくらの中でぬくぬくとしている者たちばかりだ。



「あれなら虫の探索者と本質は何も変わらないではないですか。何か蔑称を作った方がいいのでは?」

「ステファニー様の仰る通りです」

「…………」



 何でも肯定してくるであろうドルシアの言葉に、ステファニーは冷めた視線を突き付けた。そんな彼女たちを前にソーヴァが装備の手入れをし始めたのを見て、ビットマンは腰に手を当ててため息をついた。



「もういいか?」

「えぇ。下らない愚痴は大体吐き終えたので、神の眼を戻していただいて結構ですわ」



 だがそれでも、ステファニーがアルドレットクロウに感謝していることも確かだ。ここ最近の不満こそあれど、大した長所もなくソーヴァの影に隠れていただけの自分がここまで探索者として成長できたのはこのクラン以外ではなかった。ここまで福利厚生の環境が揃っていて、自分個人に対してのサポートも手厚いことには感謝している。


 そして何より、あのツトムと師弟関係を結べただけでも価値がある。



「どんまい」



 ディニエルからの空虚な言葉。しかしそんな馴染みのない単語は努も何度か使っていたので、その意味をある程度知っていたステファニーは彼女を見つめ返した。



「そろそろモンスターも復活してそう」

「……それでは行きましょうか」



 だがその視線に何も反応を示さずそう言って立ち上がったディニエルに、ステファニーは軽く微笑みを浮かべながら黒いドレスに付いた埃を払った。その後ろにいたソーヴァはアルドレットクロウ特注の大きなスポイトの手入れを終えてマジックバッグへとしまう。



「次はディニエルも油回収手伝えよな」

「私はオイルスライムをソーヴァよりも素早く倒せる。この方が効率的」

「……弓術士、もっと頑張ってくれよぉぉ!! こいつ本当に腹立つ!」

「どんまい」

「うるせぇぇぇ!!」

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