【掌編集】宇宙(そら)を識る人

ふろたん/月海 香

星渡る人

『星渡る人』

 僕は今、宇宙を漂っている。言い方としては優雅だが遭難と言うことだ。どうしてこうなったか説明をしよう。でもその前に僕が見ている景色について聞いてほしい。あの光り輝く大きなヒトは一体どうやって虚空を歩いているのだろう? 誰か知らないか? その訳を。


 僕は宇宙飛行士、つまり科学者だ。ロケットに乗って宇宙ステーションへ数週間移住し、仕事をして帰ってくる。そう言う職業だ。誰でもなれる訳ではないし、正直なところここまで来るのに相当勉強した。他の誰より頭がいいって思ったこともあった。もちろんそれは自惚うぬぼれだけれど。たっぷりと勉強して、それでも分からないことが僕らの頭の上には広がっている。だから皆で頭の上にある大海を目指した。


 僕は神様とか宗教とかそう言ったものに興味はなかった。全部科学で証明出来るって信じてたから。むしろ、神話やそう言う類のものは無学な人々に科学を伝えるための喩え話だと思っていたぐらいで。つまりだから、心霊現象とか怪異現象とか言うのは信じていない。そんなものはない。


 でもどうだろう? 実際宇宙に飛び出してみて何度か仕事をこなして、もうすっかり宇宙を知った気でいた僕は飛来したスペースデブリに襲われ、たくさんの冒険の末土星に飲まれた。土星を知ってる? 知ってるよね、有名だ。綺麗なリングがあって、ずいぶん昔に探査機カッシーニがその身を沈めていった場所。土星が近付いた時、もう駄目だって思った。土星は重力が強いし、大気の組成だって地球とは違う。奇跡的に宇宙服に穴が開かない状態で、ボンベの酸素が尽きる前にここまで飛ばされてきたけど、本当にもう終わりだろうなって。でも違ったんだ。リングを遠目に見ながら僕は吸い込まれていった。でも土星の大気はいつまで経っても身体を脅かさず、視界は真っ暗になった。困惑したよ。


 どのくらい経ったか、僕はいつの間にか輝く星雲を見ながら未だそらを遊泳していた。それで、目が合ったんだ。光り輝く人と。綺麗な人だ。女性に見える。顔はよく分からない。何たって眩しいんだ。オーロラのように揺らめく長いドレスを纏った彼女はぷかぷか浮いてる僕を見ている。顔は分からないけど視線は感じるんだ、不思議とね。

 彼女は僕を船に繋ぎ止めていた細い細い綱の先をちょいと摘んで。そう、子供が風船を持つみたいに。それで僕をよおく見るんだ。ようやく彼女の顔が見えてね。うん、綺麗な瞳なんだ。海面が太陽光を受けてキラキラ輝くみたいな、宝石が光を反射するみたいな。僕はうっとり見惚れてしまったんだ。その頃にはもう酸素はとっくに無くなっているはずなのに苦しくもないし、死んじゃったのかなって。今見ているのは夢かなって、思ったんだ。

「すみません、迷子なんです。自分の船とはぐれてしまって」

確かそんなことを言ったんだ。夢の中なら、死ぬ前なら神様に声を掛けても良いかな、と。そうしたら綺麗な人はちょっと考える素振りをして、僕を摘んだままどこかへ歩いて行くんだ。宇宙をどうやって歩くんだろう? だって踏みしめられるものがあるのかい? 水中の魚がその外側で呼吸出来ないように、僕ら人間も宇宙では呼吸が出来ない。僕には見えていないだけで彼女はこの虚空の中にある天と地が分かるのだろうか?

 海色の瞳の人は静かに歩いて行って、星も何もないところに辿り着いた。本当に真っ暗で僕には何もかも見えない。光り輝く彼女以外は。オーロラのドレスをひらめかせながら彼女はどこかへ降りて行く。


 すると突然視界が開けて見慣れた場所に出た。どこだと思う? ロケットの発射場さ。大きかった彼女はいつの間にか僕とそう変わらない背丈になっていたし、地面にしっかり立っていた。僕は風船みたいに地面に降ろされた。息が出来なくなっていたことに気付いて慌ててヘルメットを外した。空気ってこんなに美味しかったんだなぁ、と深呼吸しているとオーロラの人は僕の頭を子供にするみたいに撫でて空気に溶けてしまった。僕は開いた口が塞がらなくて、宇宙局の職員が駆け寄って来てくれるまでぽかんとしていたっけ。




 宇宙ステーションで事故が遭ってから十三年後に僕は帰って来た。家族は僕の生存をとっくに諦めていたし、お葬式だって済まされていた。奇跡だ。皆そう言った。でも奇跡じゃない。幸運に幸運が重なったけど、神様に拾ってもらったんだ。それは僕自身が良く知っている。


 飛行機乗りや宇宙飛行士の中にはロマンチストな人がいる。彼らは空や宙に旅立って帰って来た後、小説や絵を描いて作家になったりする。僕は彼らを妙な人たちだと見ていたけど、今なら分かる。きっと彼らもあの星の間を歩く人や、他の不思議なものに出会ったんだ。僕もその後宇宙飛行士は引退して、彼らのように小説を書いた。世界にはまだ人の知らないことが多い。それを良く伝えるために筆を取り綴った。科学で説明出来ないこともあるのだと。半ば自分に言い聞かせるように。


 年を取った僕は一人、白い夜の続く北の地へ引っ越した。ここはオーロラが良く見える。もしかしたらオーロラの向こうに輝く瞳の彼女が垣間見えるんじゃないかと期待を寄せて今日も天を仰ぐ。もしまた目が合ったら、あの時の礼を言うつもりだ。




────『星渡る人』・完

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