第七膳 『春の訪れと天ぷら』(回答編)

 一口天ぷらは一口サイズに切った具材を串に刺して、卓上コンロと天ぷら鍋で揚げるパーティメニューで、にぎやかな実家の亡き祖父が好んだ食卓だった。

 切る材料の多さやら後片付けやら大変で正直嫁である母は骨が折れたと思うが、それでも家族と過ごした時間は子供心にも幸せに感じていた。

 大食漢の彼女もきっと一口天ぷらならば喜んで食してくれるだろう。


 スーパーでどっしり買い込んできた材料を切り分けて、彼女には串を刺す作業を頼んだのだが、さすが異国の彼女。頼んでもいないのにバーベキュー方式に立て刺しするものだからそこは心を鬼にして止める。ひとつずつでいいんだよ、と。

 すると彼女はテンションダダ下がりした様子でしょぼしょぼと一つずつ刺していった。


 時間と手間をかけて大きなタライに並んだ大量の串。肉類に野菜、魚介にそしてお楽しみのアレ。彼女は機嫌を取り直して皿を眺め、るんるんと跳ねている。ご近所迷惑だからやめてね。油が温まるのも待ちきれない様子だ。


 菜箸をつけて程よく温まったのを確認するとまずは先駆けのウインナーを二つ揚げる。どうしてウインナーかって? それは僕も謎だが、これはあくまで我が家の伝統だ。ウインナーはすぐ揚がるので小手調べにちょうどいいという意味合いもおそらくあるだろう。

 懐紙を敷いたバットにあげて彼女に促す。味見してよと。

 行儀のよい彼女は手を合わせて首をかくかくと。


「クルッポー」


 よいよい、良きかな良きかな。礼儀正しいっていいことだもんね。串に手を伸ばすのをにこにこ見守り、口に運ばれるまでしっかり見届ける。


――どう?


「オイシイ!」


 あ、しまった。ソースをつけるのを教えていなかった。慌てて調味料の説明をすると彼女はもう一本の串をなんと敢えての抹茶塩で食した。なんと粋な選択だ。

 温度はいいらしいので野菜からどんどん揚げていく。ナス、ピーマン、玉ねぎ、しいたけ、舞茸、オクラ、かぼちゃ、アスパラ、ししとう、みょうが、にんにく、一つ一つの食材を上品に小料理屋のように二人分ずつ。


 ……のはずだったが、次のものをせっせと揚げているうちになぜか僕のはいつも無くなっている。なぜだろう、なぜだろう。答えは簡単だ、彼女が遠慮なく食べているからだ。

 これが施主の辛いところで揚げているのに手いっぱいでほとんど食べることが出来ないのだ。

 相手のために残すというルールを彼女は知らない。でも、思い返せば我が家もそうだった。家族はそれでいいのだ。そういうバランスで成り立っている。実家の祖父も自分は満足に食べられなくても僕の笑顔を見ているだけで幸せそうで……


 天ぷらを頬ばる彼女を見て、よし! と覚悟を決めた。


「じゃんじゃん揚げるから好きなだけ食べてよ」


 これが失言であったことに僕は後に気づくことになるが。まあ、いい。とにかくがんがん揚げるべし。

 牛・豚の細切れも串にボリュームたっぷりに巻き付けてあるので時間をかけてしっかりと揚げる。細切れだから噛むと口の中でふわっと柔らかくほどけるのだ。そのあとは魚介のキスにイカにエビ。魚介は油跳ねがすごいので要注意、と思ったら案の定彼女は鍋を覗き込んで「アツ、アツ」とひろひろとしていた。


 たくさんの旬の食材を堪能し、そして最後のお楽しみは六分の一のカマンベールチーズだ。時間をかけると油の中に溶けだすのでさっとあぶる程度に。

 かりっと揚がった三角に無粋にソースをつけようとしたので彼女を制止して、そのまま頂いてと促す。これは絶対的なこだわりだ。

 もぐもぐ、もぐもぐ……


「オイシイ! オイシイ! オイシイ!」


 瞳をきらきらとさせてこの上なく感銘している。ふふん、そうだろう。カマンベールチーズは実家ですら食べていなかった僕のオリジナルレシピだからね。ほのかな苦味と塩気が抜群に油と相性がいい。

 よし、もっと食べたいならば揚げてあげるよ。あと五切れあるからね(ちょっと心は泣いているけれども)

 全ての食材を鱈腹食べて彼女は大満足の様子だった。さて、これからは僕の時間。さすがにちょっとお腹減っているし。うん、でも残り激烈に少ないな……。

 しっぽりわずかな残りを揚げようかなと思ったら。なんと彼女が僕の抱えていたタネを奪い去った。


「えっ、揚げてくれるの?」

「アゲル、アゲル」


 真剣な顔でこくこくとうなづいたので思わず涙が出そうになる。こんな優しさがあっていいのか。

 その後、僕は彼女の揚げてくれた少しの食材をコース料理のように堪能しながら「ああ、幸せ。本当に幸せだ」と感銘していた。ちょっと焦げていたのもご愛敬だ。


 天ぷらは一人でも食べられる。でもどうせ食べるならば誰かと食べたい。揚げたてのかりかりを頬張ってちょっと口の中をやけどして。ソースと塩で味変を楽しみながらゆっくり過ごすこと。それがなによりの贅沢だと思っている。


 僕は彼女を見た。彼女とずいぶん食事を共にした。大飯ぐらいの鳩の真似をするちょっと不思議な異国の彼女、恋人でもなくて兄弟でもなくて。

 ……もしかすると年の離れた親友かなとこの時の僕はちょっと柄にもなく浮かれていた。

 だから僕は彼女の本当の策略に気づきもしなかったんだ。

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