第73話 コーヒーと炭酸の出会い
「あぁ、南無三......」
コーラの要である炭酸の失念。それに気付いた恭治郎は、苦悶の表情を浮かべてしまっている。
「覇道の使い手たるお前が
その様子を亜細亜も不思議に思う。しかしながら、何か一点に気を取られてしまうことは誰しも少なからずあるだろう。そのような心理状態を止心といい、剣道をはじめとした武道では戒めの一つとされている。
そんな矢先、店の扉を開ける音がした。建付けの悪くなったその扉を容易に開けられる人物は常連に限られるが、その人物は普段なら見慣れない人物だった。
「ここの扉は相変わらず建付けが悪いな、恭治郎」
扉の向こうからやってきたのはスーツ姿の中年女性。会話から察するに、彼女もまたこの店に馴染みのある人物なのかもしれない。
「誰だ貴様は!?」
見慣れない人物を目の当たりにした亜細亜は戦闘態勢に入る。どういうわけか、彼女は拳銃を思わせるような器具を携帯していた。
「申し遅れたな。私は恭治郎の旧友、源春奈だ」
彼女の名は源春奈、恭治郎の旧友にして源三姉妹の長女である。大手通信会社ビッグバン取締役の一人であり、当該企業からヘッドハンティングされた経歴を持つ異端児だ。
「春奈さん、また変なものを持ち込んできましたね?」
春奈の異様な状況を見ても恭治郎が全く表情を崩さない。おそらく、そんな光景も彼にとっては日常茶飯事なのかもしれない。
「見てくれ恭治郎! これは我が社で開発中の新製品、その名も
春奈は意気揚々と製品を説明している。彼女の言葉に、恭治郎は自身の欲しがっていた何かがあることに気が付いた。
「炭酸!? これは何たる偶然でしょうか!!」
炭酸を失念していた恭治郎にとって、それはまさに渡りに船。実のところ、近年のビッグバンは宇宙開発に注力しており、飲料器具はその過程における偶然の産物の一つなのだ。
「ちょうど喉が渇いていたところだ。悪いが、そのドリンク一杯を頂こうか」
春奈は偶然目に着いた試作コーラを注文すると、それを一気に飲み干した。その一杯を飲み干した彼女の表情は、全ての煩悩から解き放たれたような爽快感を得ていた。
「......何だこれは!? 苦みがまるで、海老原興樹のストレートパンチのように突き抜けていくじゃないか!!」
春奈の試作コーラに対する印象は何とも独創的。海老原興樹は日本を代表するプロボクサーで、世界フライ級王者である。彼の放つパンチは音速と重厚を兼ね備えており、メテオシューターの異名を持つ。
「しかしながら、そのコーラには決定的に欠けているものがあります。それは......」
まるで映画のワンシーンのように重苦しい口調で語る恭治郎。大した話でもないのに、含みを持たせる言い回しはする意味は何なのか。
「炭酸だねぇ。マスター、肝心なことを忘れるんだからぁ」
薫の一言が、マスターの醸し出していた壮大な雰囲気を見事に崩壊させた。薫にとって、そんなことはどうでもいいようだ。
「全く、画竜点睛を欠くとはこのことだ」
亜細亜に至っては、小難しい言い回しで彼を詰る。恭治郎の無駄に壮大な雰囲気は一瞬にして崩壊した。
「おぉ、それならこれはうってつけだな!! さっそく性能を試すとするか!」
新製品を試す絶好の機会を得た春奈。ビッグバン役員として彼女の腕が鳴る。bCoは拳銃のような見た身をしているが、よく見るとグリップ部分は筒状になっている。言うなれば、それは弾倉を持たない拳銃といったところだ。
春奈は、その拳銃を思わせる器具の銃口を試作コーラへ突き付けて引き金を引く。それ見た亜細亜の目の色が変わった。
「貴様、こんな所で発砲するつもりか!!」
亜細亜はその様子を見て身構えるが、拳銃から放たれたのは弾丸ではなく炭酸。先程とは打って変わり、試作コーラからは激しく炭酸が発泡し始めた。
「すごい! 拳銃でコーラに炭酸が入った!!」
拳銃から弾丸ではなく炭酸が発泡された光景に薫は驚く。おそらく、これほどまでに拳銃が平和的に用いられる場面は稀有であろう。
「しかしながら、問題は味わいです。まぁ、拳銃から発泡されるというのは大層珍妙な光景でしょうけど......」
拳銃から発泡という珍妙さに言及しながらも、恭治郎は力強く発砲する試作コーラを口にする。さて、その味わいや如何に......?
「突き抜ける苦みと駆け抜ける爽快感......これは危うく卒倒しそうになりました」
コーヒーマイスターが、試作コーラの味わいに思わず唸った。それを見た亜細亜と薫も思わずそれを口にした。
『......ぷはぁぁぁっ!!』
試作コーラの爽快感に唸ってしまった二人。それはさながら、風呂上がりの一杯を飲み干した瞬間だ。
「たまらん......! 私は、この一杯の為に生まれてきたのかもしれない!!」
春奈に至っては、試作コーラのあまりの美味しさに酔いしれてしまった。その後、この試作コーラは『羽馴コーラ』として命名され、羽馴島の起爆剤として注目を集めることとなる。
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