003 花宮古の秘密

 あの女が俺の尾行を撒くなんて言うのは簡単な事だったらしい。


 電車の中でふらふらとアイツの背中を追ってた時も。


 街中人並みを掻き分けて追っている時も。


 どうにかアイツを見失わないようにしていたが、もっと大きな問題があった。


 俺の体がでかすぎて、尾行がすぐにバレちまうことだ。


 必死に追い、縋り付いていたが街中じゃうまく暴れられねぇ。


 結局路地やら回り道やらを上手く利用されて、姿をくらまされてしまった。


 大きくため息をつく。


「上手くいかねェな」


 辺りをきょろきょろ見渡しても、アイツの姿がみえるわけじゃない。


 あのままどこかの店に姿を隠したとしたら、一軒一軒確認していくしか術はない。


 だが、それであいつが絶対に見つかる訳がないことは分かる。無茶は無茶だ。


 頭を掻く。とぼとぼと来た道を戻りながら、それでもアイツの姿を探してしまう。


 ————ふと、とあるポスターが目に留まった。それは他愛のないホラー映画のポスターだ。見覚えがある。


 ……あー、弟が前に酷評していたやつだ。


 数秒経ってようやく思い当たる。


 要らないラブロマンスを交えたくせに、引っ張りに引っ張った話の展開はお粗末、穴だらけ……と怒りをあらわにした叫びを聞いたのを思い出す。


 俺がなだめなけりゃ、あのまま映画館に金を返せと乗り込みそうな勢いだったはずだ。


「ポスターの出来は悪くねぇのになァ」


 ぐいっとポスターを覗き込む。


 『おっぱいロケットシャーク』と書かれた頭の悪そうなそのポスターは、名前に反してポスターの絵面は恐ろしかった。


 でかい鮫からロケットが噴射され、逃げ惑う若い男女が鬼気迫るタッチで描かれている。


 外国の映画らしかった。


 見上げると、そこはこじんまりとした映画館。


 ……弟があれほど騒いでたんだ。


 ちょっと見てみるか。


 花宮古涼音を追うというスケジュールが狂った以上、どこかで少し暇を潰す気ではいた。


 その暇つぶしにこの映画は最適なように思えた。




 上映室にはまばらにしか人がいなかった。相当のモノ好きか、暇を持て余す俺のような奴なんだろうな。


 一番後ろの席にどかん、と座ろうとする。


 だが席が小さく上手く座れない。窮屈に、斜めに座るしかない。


 せっかく買ったコーラもホルダーにいれるのが難しい体勢だ。


 そういやぁ、映画館に来るのなんざいつぶりだろう。


 弟たちと来たのももう数年は前だったはずだ。


 その時も同じように窮屈に席に座って『お兄ちゃんはでかすぎるから、映画館に来ない方がいいよ!』と注意されたはずだ。


 そう言えばそれからは無意識だが、映画館を避けていたような気もする。懐かしいもんだ……。


 目の前が真っ暗になる。


 上映室の照明が消えた。


 スクリーンに広告が映し出され始める。


 それは不安と興奮を煽る。


 これから始まる一時間五十分の拘束が有意義なものになるか、それとも糞と形容するのも忌々しいような地獄と化すか。


 暇つぶしにはちょうどいい————


 さっき自分はそう言ったが、まさしくその通りだ。


 ——上映が始まった。




 息をすっと吐きながら映画館を出た。


 風は入る前よりも暖かくなった気がする。


 それは俺が興奮しているからかもしれねぇが。


 弟の酷評に反し、俺は随分と楽しめた。


 前半こそ下らねぇラブロマンスっぽい話だったが、中盤占い師の老婆が三百年後の未来からやってきたババア型ロボットだと判明したあたりから変わってくる。


 旧帝国軍が生み出したロケットおっぱいシャーク。


 戦時中に作り上げた薬物実験の産物 改造人間MONONOHUの一騎打ち。


 結局核爆弾がドイツと日本に落ちておしまい、という残酷すぎるラスト。


 随分と頭がおかしかった。


 あと妙に吹き替え声優の演技は上手かった。


 ロケットおっぱいシャークという意味の分からない名前だけれどその迫力はなかなかのものだ。


 これはいい時間の潰し方をしたかもしれない。


「いやぁ……やはりアーレウッドの映画はいいな……」


 今映画館から出てきた女性が感嘆の唸りを上げながら出てくる。


 腕を組み、よほど感銘を受けたような呟きだ。


 あのハチャメチャな映画の監督のファンらしい。女は俺の真横を通り過ぎて……。


「あれ、花宮古?」


 女の肩がびくん、と震えた。


 恐る恐る俺を見上げる。


 顔がだんだんと真っ赤に染まっていく。


 それは照れ、恥じらい、怒り、いろんな感情がごっちゃになった顔だ。


「お、お、お、お、おーたべ…………」


 困惑のし過ぎか、目をぐるぐる回しながら呆然と呟く。


「にゃ、にゃんでここに……」


 混乱の末、噛んでしまった。


 別に鉢合わせるつもりはなかったのだが、これはこれで可哀想すぎる。


「いや、気になる映画があってよォ。暇つぶしに身に来ただけ——」


 がっ、と腕を掴まれた。勢いがすごい。


「おっぱいロケットシャークか⁉」


 大声で言う言葉じゃねぇだろ。


 こくり、こくり、と頷くと、彼女の表情はぱぁっと明るく染まる。


 待ち望んでいたものを手に入れたように。


 喜ばしいという感情隠しきれないのか、腕を掴む力が強まっていく。


「なるほど‼ 面白かったか⁉」


「あぁ……俺は楽しめた」


 弟が酷評するほど悪くはなかっ————


「そうか⁉ そうか‼ それはよかった‼」


 大興奮の花宮古の姿。


 今まで見たことがなかった。


「よしそれならば」


 そのせいか、彼女は全く歯止めが聞いておらず。


「これからマックでこの映画について語り合わないか⁉」


 その様子はどこか、俺に群がってきてくれていた弟、妹たちを連想させた。




「アーレウッド・ドーベル監督の傑作群の中でも本作は抜きんでて凄かった。まず冒頭シーンのラブロマンスに関しては言わずもがないつも通りタランティーノの真似をしたいという欲だけが出ていてリスペクトも何もないから字幕で見ても全く面白くないんだ‼ 「隣の家に塀が出来たらしいぜ」「へぇ」レベルの問答を淡々と四十分近く見せられるんだ。吹き替えで訳者が工夫して面白い言い回しにどうにか変えていたが、原文で理解してもちっともワクワクしない。そもそも後半の展開を考えると、全く必要がないんだ‼ これは芸術度の高いアーレウッドで、正直中盤の占い師と主人公の追いかけっこのグダグダも低予算映画ならではのシーンの繰り返し‼ 話の奇天烈度は高く演出ももう少しひねれば十分今以上のものが撮れる……そう思わせてからのおっぱいロケットシャークだ‼ 今の時代に珍しくあれCGじゃなくSFXだぞ⁉ 余計お金がかかるし、多分その反動であのめちゃくちゃつまらない追いかけっこになったんだ‼ そのおかげかおっぱいロケットシャークの登場する後半が普通に面白いのが嬉しいのだけれど、なんだか『アーレウッドに面白いもの見せられてるッ』と悔し涙まで出てきて……‼ あれは人の心を揺さぶるアーレウッドの最高傑作だ、と思うともう怒りと喜びで私はどうにかなってしまいそうなんだ‼」


「お、おう」


 マクロナルドの一角で、花宮古が今まで見たことがないレベルの早口でまくし立てていた。


 相当この監督が好きなのか、罵倒とも応援とも取れるような無茶苦茶な言葉を吐きながらウーロン茶を啜っている。


 興奮しすぎてるのか、何言ってるのか半分くらいよく分からない。


 ただまぁ表情が明るく、生き生きとしているし悪かぁねぇな。


「そもそもアーレウッドはもっとハチャメチャな、おっぱいロケットシャークみたいな作品をいっぱい撮るべきなんだよ」


 身振り手振りでその興奮を俺に伝えようとしてくる。


 凛としたいつもの花宮古の様子からは想像が出来ねぇ。これもこいつの一面って訳か。


「太田部、正直この映画はおもしろかったか」


 わくわく、という擬音がすぐそばに浮かんでいる気さえする。俺の答えを心待ちにしていた。


「……お? あぁ。中盤から特に面白かったと思うぜェ。前半の薬中の隣人が朝食の場に乱入してマシンガンをぶっぱなしていくシーンも面白かったが」


 実際、楽しめたわけだし……。


「わかるッ……‼ わかるぞ……ッッ‼」


 悶えていた。脚をテーブルの下でバタバタさせている。気持ちを胸のうちだけに留めておけないらしい。


 ウーロン茶の入ったカップでぽんぽんテーブルを叩く。


 そうやってジタバタしていたが、突然はっとする。


 顔を赤くして視線を落とした。


 そのまま顔をそらしてしまう。


「す、すまない。興奮した……」


「おう。すげぇ興奮してやがるからびっくりしたぜ」


「びっ、びっくりさせてしまったかぁー」


 あははは、と棒笑い。


「なんだァ、急に大人しくなりやがって」


「い、いや! その……好きな事だから、私ばかり話過ぎたかと……」


 また恥ずかしそうにして、フライドポテトを一本掴み、ぽそぽそと食べ始める。


 しょうもねぇことを気にするやつだ。


 俺はハンバーガーに大きく喰らいつきながら、こいつを見る。


「いいじゃねぇかよ、別に」


「……押しつけがましくはないかね」


「知るか。好きならたくさん話しゃあいいじゃねぇか。俺ァお前が話してんの嫌いじゃねぇぜ」


「一般にはクソ映画やダメ映画と呼ばれてしまう映画なんだがな」


 あはは、と悲しげに笑う。まぁお世辞にも立派な名作とは言えない話だったが……。


「しかし、それくらいの事を気にするたァ小せェなァ」


「こういう話をまくしたてると大体引かれるんだよ! 経験上クソ映画好きの人間なんぞ滅多に出会わないからな」


「ンな少ねェのか」


「ああ……。だからこそ、お前と話せてよかったと思っている」


 びしっと額を指差される。


 真剣な面をしてるが、さっぱりだ。


「お前にはクソ映画愛好家の才能がある!」


「それは素直に喜んでいいことなのか……?」


「ノーベル賞モノだ」


 違う気がする。


「私としては、いくつものクソ映画を見て私と同じようにクソ映画を楽しむ心を身に着けてほしいな」


「つっても……」


 断ろうとしたところで、ふと止まる。


 そもそも俺はこいつの弱点どころか強さも知らなかったじゃねぇか。


 じゃあ、こいつについて理解を深めれば、こいつの弱点とかも分かって、今と戦い方も強さも変わるんじゃねぇか?


「……つまりお前と同じようにそういう映画を見続けりゃあお前に近づけるって訳だな?」


「根本的に何か違っている気もするが、概ねその通りだな……?」


「じゃあ決まりだ‼ 俺はクソ映画マスターになってやるぞォ」


 ふっふっふ。


 これは俺の勝利も決まったもんだ。


 こいつから映画の話を聞くのと同じように、こいつの癖とかを観察すりゃあ俺がこいつに勝てる日は近い。


 ふっふっふ……。


「はっはっはっは‼」


 思わず高笑いが出てしまった。


「俺は天才かもしれねェなァ」


「いや、云っちゃ悪いがバカだとは思うぞ……?」


 苦笑する花宮古が何か言っていた。


 どこか、嬉しそうにも見えた。

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