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「あれー? ミキオさん、半田っすか。珍しいっすね」

 会社で半田付けをしてたら、後輩のシゲチーに話しかけられた。シゲチーの本名は茂るに数字の一を書いてモイチというんだが、言いにくいし、誰かが呼び出したシゲチーって仇名がいつの間にか定着した。語呂もよく、いつも髪の毛をツンツンに立たせてるから、シゲチーのほうがイメージに合う。薄緑色の作業服は洗濯してないんだろう、よれよれの首まわりが黒ずんでて、いかにもエンジニアらしい。

 見つかると面倒なんで、昼休みの時間を狙ってさっさと半田付けしようと思ってたんだが、そういやシゲチーも俺と同じく「社員食堂には行かない」組だった。社員食堂は給料引き去りで一食四百円もする。高え。だから俺はいつも手持ちの弁当で済ませてる。弁当っつっても、そんな大したもんじゃなくて、まあヒトミの弁当を作った残りの品を適当にアルミホイルに包んだだけだ。ヒトミは育ち盛りなんで、俺なりに頭を使った彩りのいい弁当を作って渡してるんだが、俺は四十近いおっさんだからメシは適当でいい。シゲチーのメシも相当に雑で、いつもパソコンでやらしい広告の並ぶまとめサイト見ながら、コンビニのサラダチキンをマウス持ってないほうの片手でめしめし食ってる。タンパク質を取ると筋肉に変わって代謝が増えるから痩せるって、シゲチーは偉そうに語ってたけど、腕も足も胸板もひょろっとしてるし、下腹部だけが臨月の妊婦みたいにぽってりして、完全にボディビルドに失敗してるって気づいてんだろうか。タンパク質どんだけ取っても運動しなけりゃ筋肉にはならんだろ。まあシゲチーは頭は良くないが、手先はとにかく器用で、細かいことを気にしないのんびりしたいい男だ。ちょっと意地悪い風に言えば、「どうでもいい男」っつうのか。上司の評価は低いけど、裏表がなく実直なんで、俺は頼りにしてる。

「おお、娘がイヤフォン壊れたって文句垂れてさ。半田で直してたんだ。ちょうどいいや、シゲチー、アイポッド持ってない?」

 会社じゃ家の話題はなるべく避けてるんだが、シゲチーならいいかなって思って、俺は軽く事情を説明した。零細企業のありがたさで、家の状況をざっくりとしか教えなくても、それなりの技量と根性さえありゃ雇ってもらえた。体裁上、俺にはちゃんと妻がいて、実の子どもがちゃんといることにはなってる。たまの飲み会では嘘や作り話で誤魔化すスキルもついた。俺の実情を知ってる人間は、会社以外のごく狭いコミュニティを含めても、シゲチーしかいねえ。そこまでシゲチーを信頼してたわけじゃないけど。ちょうどいいとこにいて、話しやすかったんだな。まあ誰かには話したかったのかもしんない。

「あー、娘さん、ヒトミちゃんって名前でしたっけ? おいくつでした?」

 シゲチーはポケットから白い筐体を取り出しながら言った。ああ、そっか、シゲチーはアイフォン使ってるんだった。現代の若者らしいっつうのか、業務中にもよく弄ってる。

「今年で十五」

 俺はそう答え、シゲチーが操作してくれたアイフォンを受け取った。イヤフォンをぶっ挿すと、でけえ音でポップロックが流れ始めた。お、いいじゃん。GLAYだ。シゲチーは俺より十歳ぐらい年下だから、GLAYの世代では全然なかったと思うけど、世代や時代を選ばない名曲ばっかだと思う。「グロリアス」から始まって「彼女の〝Modern…〟」に続くこのアルバムは「REVIEW」だな。確かGLAYの初のベストアルバムで、俺は今でもGLAYのベストアルバムだと思う。家の本棚の一等地にも一枚飾ってある。イズミもGLAYが好きで、いつか一緒にライブ行こうって約束したのにな、と急にしんみりした。

 「BELOVED」の最後までをたっぷり聞き終えた後、イヤフォンを外し、

「ありがとう、ちゃんと直ってた」

 と言い、アイフォンをシゲチーに返した。アイフォンに表示された時間が窺えて、もうすぐ午後の始業だと知った。やべえ、うっかりGLAYに浸っちまった。俺は半田場を手早く整え、自分の机に戻ることにした。

「ミキオさん、えぐいっすよね」

 俺が半田ごての先端のめっき処理を施してると、シゲチーの声が降ってきた。顔を上げると、シゲチーはオシロスコープで差動信号の波形を検証するときみたいな難しい顔で俺を見据えてた。うちの会社は金がなく、粗悪な半田ごてを使ってるんで、ずっと持ってると右手が熱くなる。鉛フリーの半田は高融点だから、手動のダイヤルで温度を最強にしないと溶けねえ。俺の実務はソフトだもんで、半田付けは手慰み程度にしかやらんけど。

「なんで、血が繋がってもない娘さんをそんな風に育てられるんすか? 僕には無理っす。子どもって、血が繋がってるから可愛がれるんじゃないすか。それが家族っすよね。だから養子の虐待とかマジ多いし、それが当たり前だと思うんす。なんで、そんな風に、血の繋がりのない娘さんを、そんな風に、ちゃんと育てられるんすか?」

 シゲチーは興奮したとき早口になる。純朴なこいつらしい言葉だな、と思った。まああんまりそういうことは言わない方がいいと思うけど。実際、率直な言葉をお客さんに伝えてトラブルになってたこともままあるし。言うか言わないかだけで、思ってるって点では同じだから、俺は言ってもらったほうがいいけどね。

「ああ」

 とだけ俺は答え、ちょっと考えて、やっぱシゲチーには説明しないことにした。こういうの、言って分かるもんでもないし。分かる人は言わなくても当たり前に分かってるもんだし。

「シゲチーは彼女いるんだっけ?」

 俺はそう尋ねてみた。彼と同い年ぐらいの経理の子と付き合ってたことは知ってる。だから俺が訊いたのは、暗に、まだ続いてんのか、っつう意味だ。

「いますよ」

 シゲチーはそう答え、俺は頷いたけど、続く言葉はなかった。シゲチーが彼女と結婚して、子どもができりゃ、今の俺の気持ちも分かるようになるんだろうか。逆な気がする。健全な世界から、俺とヒトミはとても遠い。いや、俺とヒトミのいる世界から、健全さっつうもんが遠いんだな。

「ミキオさんは、結婚しないんすか?」

 そう尋ねられると同時にチャイムが鳴ったんで、シゲチーの質問には答えなくて済んだ。半田ごてと吸煙器と蛍光灯をタップの主電源ごと落とし、シゲチーを追い立てるようにして、慌てて自分の机に戻る。怪しいメーカー製のべこべこしたノートパソコンを開くと、数分後にやっとアイコンだらけのデスクトップが起動して、件名を見るからに急ぎだと分かるメールが数通入ってた。午後の仕事は忙しくて、余計なことはあんまり考えずにいられた。もちろん、考えてないだけで、もやもやはしてる。

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