ヒズミ

にゃんしー

第1章 あのこと

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 目を瞑れば、いつでもイズミの透き通った声が聴こえんだ。

『ねえ。家族って、なんだと思う?』

 俺には学が無えから、あのこともきっとイズミが教えてくれたはずだ。俺もイズミも小便くせえガキだった頃、俺たちには誰にも言えねえ秘密が多くあって、そういうのを「あのこと」と呼んでた。ちょっと喧嘩すりゃ「あのこと言うよ!」なんてキツく迫るわけだ。そんなたくさんの「あのこと」のなかで、イズミが教えてくれた、一番ヤバかったこと。誰にも言えねえこと。「家族」とはなにか。

 俺んちにはオンボロの真っ黒い軽自動車があって、「てんとう虫」って愛称で親しまれてたそれは、後部座席がむちゃくちゃ狭かった。どう見ても子どもしか座れねえ「てんとう虫」の後部座席が、俺とイズミのちっちゃな秘密基地だった。田舎らしく鍵は挿しっぱなしなんで、親の目を盗んでこっそり忍び込む。そんで周りから見えないよう身体を屈めて、ガソリン臭え車内に肌を寄せ合い、笑い声を潜めたまま飽きるまでお喋りするわけだ。いろんなこと話したな。あの頃はどうでもいいことばっかだと思ってたけど、いま思えば、なかには大事なことも混じってたのかもしんない。「家族」の話も、たぶんそのなかのひとつ。

 俺と違って本が大好きだったイズミは、チャールズ・シュルツの「ピーナッツ」って本を開きながら、チャーリー・ブラウンのハゲ頭を指差し、愛おしそうにこう教えてくれたんだ。

『知ってる? 家族っていうのはねえ、こうして、後部座席に座ることなんだって』

 イズミは俺の手を握り、ぐうぱあしながら言った。いまでも俺はその感触を思い出せる。この右手が覚えてる。揶揄うような口調と、悪戯っぽい眼差しと、その割に熱を持った手のひら。どろどろに溶けた飴みてえに粘つく汗。俺がたったひとつ知る「女の子」の感触。

『こうして後部座席に座るのはねえ、子どもの特権なの。大人になったら、今度は運転席とか、助手席に座らなきゃいけない。後部座席には子どもを乗せてね。みんな、いつかはそうなるんだよ』

 何のてらいもねえイズミの言葉を聞いて、俺は例えばその場面を思い浮かべたりしただろうか。そんで、隣の助手席にイズミが座ってることを想像したりしただろうか。俺はイズミと家族になることを考えたり、あるいは望んだりしただろうか。

 イズミは俺にキスをした後、どうしてか涙を零しながら、けど凜とした声で言ったんだ。

『家族になろうね』

 俺は今でもその言葉を信じてない。信じてないのに、覚えてる。馬鹿みてえだな。いつもみたいに笑えよ、イズミ。

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