第23話
ロレインも立ち上がって、ジェサミンの方へ身を寄せた。毎晩の『練習』のおかげで、彼のオーラにはすっかり慣れている。
(抱きしめ合うと、ゼロ距離からオーラが流れ込んでくるんだもの……)
練習のときのジェサミンは、機嫌がいいどころではない。高揚、興奮、熱い情熱といった燃えるような感情がダダ洩れになっている。耐性がさらに上がって当然だ。
(謁見室の空気が重くなった……)
ジェサミンの強烈すぎるオーラが辺りに漂い、充満している。
まつげをぱちぱちとさせたり、艶然と微笑んだりしていた娘たちの表情が乱れた。
ジェサミンの瞳──太陽の光を封じ込めたような黄金の瞳──に全身を貫かれた彼女たちが、恐怖の塊が喉の奥からせり上がってきたような顔つきになった。
ジェサミンはそれでなくとも周囲の人間より背が高い。全身が筋肉でできているように逞しく、カリスマ性とパワーがみなぎり、荒々しく硬派な雰囲気だ。
軟弱な雰囲気のあるエライアスとはまったく対照的で、粗野で獰猛で残忍だという噂通りの外見なのだ。
そんな怪物が高台に立ち、自分たちを睥睨しているのだから、肌がぴりぴりするほど怖いはず。
それに加えて、オーラが無数の火花のように炸裂している。
ジェサミンの感情の種類は、ロレインと出会った日は『喜び』だったそうだが──いまの彼は『怒り』を感じているに違いない。
八名の令嬢たちに襲い掛かるオーラは、かなり強烈なものになっているはず。実際に、彼女たちの顔は蒼白になっている。玉座からはそれなりの距離があるにもかかわらず。
ジリアンが一歩後ろへしりぞく。ライラがすすり泣きを漏らした。ルシアは震えながら二の腕をさすり、ダニエラが悲鳴を上げる。
後宮の管理人であるティオンが、やれやれと肩をすくめた。
後宮は改装中とはいえ、令嬢への応対は彼の仕事のひとつ。彼女たちに続いて謁見室に入ってきて、すぐ後ろに控えていたのだ。
「ひいい!」
「こ、怖い……っ!」
パトリシアとマチルダが慎みを忘れて、左右からティオンにしがみつく。マチルダは不自然に身体を仰け反らせ、グレースが髪を掻きむしった。
「ああ……」
「もう駄目……」
全員がよろめきながら絨毯の上に倒れた。
それはごく短い時間の出来事だった。謁見室内で立っている女性は、ただひとりロレインだけとなった。
にわかに押し寄せた雷雲のごときオーラは、令嬢たちのすぐ後ろに控えている二人の公爵にも影響を及ぼしていた。恐怖に胸が締め付けられて、息をするのも苦しそうだ。
ファーレン公爵は、思い描いていた甘い筋書きが無惨に打ち砕かれたことを知って、呆然自失としている。レイバーン公爵も衝撃を受けているが、どこか腑に落ちたような顔つきでもあった。
「ジェサミン様」
ロレインはまだふつふつとオーラを発散させているジェサミンに、そっと手で触れた。もう十分だという思いを込めて。
彼はふんと鼻を鳴らし、比類なきオーラを弱めてくれた。冥府を思わせるほど重くなっていた部屋の空気が、通常に近いものに戻っていく。
ロレインは「ありがとうございます」と微笑み、それから玉座の近くにある紐をぐいと引っ張った。振動が伝うと繋がっているベルが鳴る仕組みで、待機している使用人を呼び出すことができる。すぐに扉が開き、三人の女官と白衣の医師たちが入ってきた。
ロレインは決然とした顔で高台の踏み段を下りた。
最年少のライラの側にひざまずく。そして気を失っている彼女の脈を測った。幸いすぐに意識が戻り、ライラは焦点の合わない目をロレインに向けた。
「な、なにが……あったんですか……?」
「あなたは失神してしまったの。お水を飲む? 気分が落ち着くわよ」
「信じられない……。失神なんて、これまで一度もしたことがなかったのに……」
声を震わせるライラに水の入ったグラスを渡し、ロレインは立ち上がろうと必死でもがくマチルダに目を向けた。
「すぐに立ち上がろうとしたら転んでしまうわ。誰かの手を借りないと」
マチルダの顔が真っ赤になる。彼女は唇を噛んで、側にいたベラに助けを求めた。
ルシアが酷く動揺した様子で膝を抱えている。ジリアンは怯えと恥辱の表情だ。
「訳が分からないわ……」
グレースがあえぐようにつぶやく。ロレインは手を伸ばして、彼女の手を取った。
「ジェサミン様はオーラが強くていらっしゃるの。そのせいで恐怖を感じたのね」
グレースがぼんやりとした顔で首を傾げた。
「オーラ?」
「心臓が激しく打って、喉がからからになったでしょう。これまで感じたことのないほど強いオーラに、あなたの体が激しく反応してしまったのよ。リン、こっちにもお水を持ってきてくれる?」
ロレインは女官や医師たちと共に、令嬢たちの体調確認にあたった。それはロレインにとってごく自然な行為だった。
(衛兵に頼んで、分厚い絨毯を敷いて貰ったから……誰も足を挫いたり、頭を打ったりしなくてよかった)
ジェサミンが近くまでやってきた。令嬢たちが一斉に悲鳴を上げる。彼の妃になりたいという願望など、空の彼方に飛んで行ってしまったらしい。
「さて、ファーレン公爵。この後のことは合意済みだったな?」
ジェサミンの低い声が謁見室に響き渡った。
「一時間以内に立ち去って貰おう。聞く必要のあることはもうすべて聞いた。二度と同じことを言いに来るな」
厳しい口調で言われ、ファーレン公爵が白目をむいてよろめく。レイバーン公爵が咄嗟に手を伸ばし、彼の体を支えた。
「こんな……こんなことになるとは……」
ファーレン公爵は、想定とかけ離れた展開に狼狽えている。
「皇后に免じて、今日の無礼な言葉の数々は聞き捨ててやる。さっさと帰ってロレインの名誉を回復しろ。寛大な心で、最短ルートを使わせてやろうではないか。マクリーシュの国王と王太子に、議論の余地も選択の余地もないことを伝えるがいい」
ジェサミンはよどみなく続けた。
「ひとたび正妃にしたからには、俺は死ぬまでロレインと添い遂げる」
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