第1話
港には大小さまざまな船が停泊していた。
物売りが人々の間をちょこまかと動き回り、フルーツや焼き菓子、湯気の立つ串焼き肉などを売り歩いている。船から降りた人や船を待つ人、薬箱を背負って歩く行商人、花売りの手押し車、天秤棒を担いで歩く人夫もいた。
「王家がお前のために帆装軍艦を出してくれるわけがないからな。我が家の商船で行けるところまで行って、あとは陸路を使うしかない。陸でいくら急いでも、海を突っ切った方が早いのだが」
「十分ですわお父様。今回に限っては、時間がかかる方がありがたいのですし」
父であるウェスリーに向かってうなずいてから、ロレインはコンプトン公爵家の商船を見上げた。
「しょせんマクリーシュは弱小国。どこの国にも属さない公海でしか進めませんもの。王家の船も、我が家の船も大して変わりはありませんわ」
「多くの属国を持ち、その領海を自由に行き来できるヴァルブランド帝国の船なら、およそ半分の日程で往復できるだろうがな」
「一度は乗ってみたいものですが。『お前を愛することはない』と言われて追い返される予定なので、永遠に無理でしょうね」
ロレインの言葉に、ウェスリーが穏やかな笑顔を浮かべる。彼は大きく手を広げ、娘を優しく抱きしめた。
「行ってこい、ロレイン」
「はい、行ってきますお父様。2か月経ったら帰ってきますから」
甲板へと続くタラップを上ろうとした、次の瞬間だった。
「ロレイン!」
声の主の方へ、ロレインは嫌々振り向いた。王太子エライアスが、爽やかとしか言いようのない笑みを浮かべて立っていた。彼の右半身には、男爵令嬢サラがべったり纏わりついている。
「父上から聞いたよ、ヴァルブランドの後宮入りを志願したんだって?」
エライアスの笑みが、あざけるようなものに変わった。
「残念だわあ、私たちの結婚式に参列して貰いたかったのに。それにしても、プライドの高いロレインさんが志願するだなんてびっくり! だって、追い返されるために行くようなものでしょう?」
無邪気さを装って、サラが嫌味たらしいことを言う。
「天使のような愛らしさと天性の華やかさを持つサラなら、あっという間に後宮の奥に隠されてしまうだろうけどね。もちろん、そんなことは僕が許さないが」
「やだもう、エライアスったらっ!」
エライアスから蕩けるような甘い声で言われて、サラが恥ずかしそうに身をよじった。
「ウェディングドレスには、希少な宝石や世界で一番高価なシルクをふんだんに使ったの。ロレインさんにも見てもらいたかったわ。国を挙げての結婚式に招待されないなんて、いい気持ちがしないでしょう? だから気を遣って招待状を送ったのに……」
サラがぷうっと頬を膨らませた。ころころと表情の変わる『新しい婚約者』を、エライアスは愛おしそうに見つめている。
「ま、とにかく頑張っておくれよ。一応は我が国の代表なのだし、ジェサミン陛下に粗相のないようにね。戻ってきたら、すぐに王宮まで報告に来てくれ」
「何て言われたのか、一言一句たがわずに教えてね? 結婚式を欠席する無礼は、それで許してあげる。私たちの門出を元婚約者から祝って貰えないなんて、本当にサイテーなんだから。ロレインさんにはスピーチをしてもらう予定だったのよ!」
最低なのはロレインの気分だ。サラのあまりの馬鹿さ加減に頭が痛くなってきた。
「ああ、可哀そうなサラ。君の希望はすべて叶えてやりたかったんだが。ヴァルブランド帝国の後宮に入るなんて不名誉な真似は、我が国ではロレインにしか出来ないだろう? だって、不名誉に慣れてるからね」
「本当にロレインさんは強いわ。自分から進んで、まぎれもない侮辱を受けに行くなんて」
エライアスとサラを口汚く罵りたい気持ちを、ロレインは必死で呑み込んだ。二人の頭に煉瓦をぶつけるところを想像して、何とかやり過ごす。
(わざわざ嫌味を言うために、見送りに来るだなんて。よっぽど暇なのね)
元から公務が好きではないエライアスのお尻を叩くのは、いつもロレインの役目だった。サラとの結婚が決まってからは、簡単かつ華やかな公務以外はサボりまくっているらしい。
それでもマクリーシュにおいて、王家は絶大な権力を持っている。筆頭公爵であるウェスリーが、唇を噛んで耐えているのはそのためだ。
「……王太子殿下、もう出航時間が過ぎておりますので」
ウェスリーが声を絞り出した。
「そうかい? じゃあ、帰ろうかサラ」
「ええ。途中で新しい仕立て屋に寄ってもいーい?」
「もちろんだよ!」
エライアスとサラはぴったりと身を寄せ合ったまま王家の馬車に乗り込み、慌ただしく去って行った。
「スピーチをさせられるくらいなら『お前を愛することはない』の方が何倍もマシ……お父様、身を清めるために塩を撒いて下さいます?」
お付きの者たちの気配も完全になくなったことを確認し、ロレインがぼそりとつぶやくと、ウェスリーは荒い息を吐きだした。
「ああ。ひと箱分、全部ぶちまけよう」
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