第204話・Working easier
過去の満さんが出てきて、僕たちの間には、少しの混乱と、それ以上の安心が生まれた。記憶の矛盾が混乱を引き起こし、だけど、過去から今へ感情が伝わった。
過去の満さんと結婚の約束をして、それが今も続いているような。それはまるで、幼馴染同士の婚約と似ているのかもしれない。
こんな幼馴染のような関係の生まれ方を誰が予想するだろう。過去の方から、未来にやってくるだなんて。
次の日の朝、満さんは言った。
「お仕事行こう! 今日、大英博物館の予定あったよね? ママ、実はちょっと楽しみなんだ!」
満さんはイラストレーターもやっている。イラストなんて、目で見てきたもの全てが宝になると僕は思うのだ。だからこそ、それは満さんにとって必須の経験だ。
「だよね! 僕もだよ!」
僕はというと……見たこともないものが見られる。ただ、それだけのことで楽しみだ。最も、僕はもともと引きこもっていたため人生経験に乏しい。初めて見るものなんて、この世界には無数にあるのだ。
「別に合わせなくていいよ? どっちにしろ、お仕事だし!」
満さんは、僕をからかうようになった。恥ずかしさは、一度振り切ってしまえば、あとはもう大丈夫なことも多いのである。
「合わせてなんてないよ! そもそも僕は、満さんとならどこだって楽しみなんだ!」
そう、満さんと一緒に行く。それだけで、僕の心臓は高鳴るのだ。
予定は午前八時到着で、それから二時間。本来の開館時間よりも前に、観光案内動画の取材を終える契約だ。そして、その後は一般の来場者として見て回れる時間が十分にある。
そもそも、午前八時というのが早番の職員が出勤する時間だ。そこから、館内の点検をして開館となる。だから、明日行くという連絡を入れれば、日程はどうにでも動かせたのである。
昨日休んでしまったことに対する、最上さんとMikeさんへの謝罪をした。二人は笑って許してくれる。
立場的に考えれば意外、だけど国籍を考えると妥当。Mikeさんが一番気にしてないようだった。海外の企業は、日本企業より簡単に休みが取れるらしいのだ。こんなことは、私の国じゃ当たり前と言われてしまった。
こんなにも、気にしないように気を回してくれる。僕は、本当にいい人たちに囲まれている。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
大英博物館、そこには800万を超える収蔵物が存在する。一個一秒で見て回ったとして2000時間超。孔明お兄ちゃんのゲームのプレイ時間でも、そこまで長くない。
もちろん、その全てが展示されているわけではない。それでも、展示物は15万点以上だ。まさに圧巻、それ以外の言葉が見当たらない。
車内が広い、黒い車で移動する。キャラバン・バンである。内部が非常に広く、RTSの上から着ている服を脱ぐくらいなら不自由のない広さだ。
博物館前に到着すると、最上さんは電話をかけ、Mikeさんは撮影の準備をする。僕たちは、服を脱いでRTSのみになる必要があった。
「あ……その……リン君……?」
僕が服を脱いでいると、満さんはこっちを見ないようにしつつ声をかけてくる。
「ん? どうしたの?」
何か問題があったのかと尋ねると、満さんは言った。
「あの……ちょっと恥ずかしくて……」
いつもだったら恥ずかしがらない満さんが、なぜか今日に限って……。
いや、僕たちの関係は明確に変化したのだ。
とは言っても、僕に出来ることは少ない。
「撮影のしかた、変えてもらえるように交渉する?」
それが最大限だ。それだって、交渉したところで本当にそうしてもらえるかわからない。
「あ……えっと……。ごめん、お仕事だもんね……」
楽しみであるが故に、時折頭から抜け落ちる。これが、仕事だということが。
だけど、依頼があり、お金をもらう立派な企業案件である。いや、企業案件より規模が大きい。これは、観光協会の案件だ。
「本当に大丈夫?」
と、僕が訊ねると、満さんはすっかりいつもの調子を取り戻した。
「リン君の癖に生意気! ママだから大丈夫だよ!」
でも、強がりをからかいで補強しているのが手に取るようにわかった。
「生意気ってなに!?」
確かにちょっと、たった半日の、幼い満さんへの態度をそのままにしてしまったかもしれない。
でも、たまには満さんも甘える側になってもいいと思っている。僕は、横に立っていつでも支えたいのだから。
RTSに着替えて、僕らは撮影に臨む。対するは、15万を超える芸術品の大群だ。今日も楽しいお仕事の時間である……。
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