第19話 部活をサボる
「莉都~! あなたいつまで寝てるの。お母さんもう出るんだけど」
リビングから聞こえる母の声で、
閉じたカーテンの隙間から漏れる朝陽。昨晩のディープスペースのせいで夜ふかし気味の身体は、寝不足でどこか気だるい。休みの日くらい好きなだけ寝かせてくれてもいいのに――母への不満を抱えながら、枕元に置いていた眼鏡を掛けて、莉都の一日は始まった。
「早起きしてくれないと、お母さんが洗い物する時間がなくなるのよ」
「洗い物くらい私がするって言ってるじゃん」
自室からリビングへ来ると、いつものように母の小言が始まった。母はどうしてか洗い物を自分でしたがる――私が洗い物をすると食器の重ね方や片付け方など細かい点が気に入らないらしい。
「洗い物はお母さんの仕事なんだから、お母さんがするの。だからあなたも、朝早く起きるとか、あなたのやるべきことしなさい」
洗い物や洗濯、そういった「母親らしい家事」というものを母は自らの責務として課しているらしい。外で働いている母が毎日そういったことを欠かさず出来るかというと必ずしもそうではなく、代わりに莉都が家事をする日ももちろんあるのだけれど、そういった日の母は決まって機嫌が悪くなる。自らにどんな責務を課すのも勝手だが、そのとばっちりで娘へ勝手に「娘らしいこと」を課すのは勘弁してほしいところだ。
「それにあなた部活はどうしたの。昨日も行かなかったんでしょ?」
「昨日は休みだったからいいの」
「昨日は休みだったら今日はどうなの」
痛いところを突かれた。今日はどうなのかといえば、部活はたしかにある。莉都の所属する軟式テニス部は、金と日を除く全ての曜日が活動日だった。しかし莉都は今日、部活をサボるつもりだ。何しろ今日は愛佳との約束がある――昨日に引き続き、ディープスペース接続のためのセットアップを手伝わなければいけない。
「今日も行くってば。ほら、もう時間でしょ」
昨晩の残りのカレーを掬っていたスプーンで、壁時計の時刻を指す。母はその行儀の悪い仕草に眉を顰めるものの、説教に掛ける時間はなく渋々と出勤していった。
静まり返ったリビングで、独り食事を続ける。静寂は莉都の脳裏に様々な雑念を呼び起こした。部活をサボると決めたことへの罪悪感。罪悪感を覚えるくらいなら素直に行けばいい――けど愛佳との約束以前に、部活へ行くことを考えるだけで気が重くなって学校へ向かう足が止まってしまう。
軟式テニス部を選んだのは、小学時代の習い事で一年ほどテニス教室に通ったことがあったからだ。両親に勧められたそれは結局続かなくて辞めてしまったものの、入学した高校でいざ部活動への参加が校則で義務付けられたとき、僅かながらも経験のあるテニスならそこまで苦にならないと莉都は考えた。
まともに練習をせず大会にも出場しない仲良しクラブのような体だった軟式テニス部は、莉都のプライベートを大きく邪魔しない点では良かった。しかし問題は、なまじ練習をしないくせに活動曜日だけは多く、そして活動時間のほとんどが部員同士のお喋りに占められている点だった。友人関係を作ること、友人関係の中で相手の気持ちを察して協調すること、それらはこれまでの人生で莉都が面倒くさがって放棄してきたことだ。それに輪をかけて酷いのは、部活内でのお喋りはその大半が誰かへの悪口なのだ。皆が一緒になってその場にいない誰かを否定して、嘲笑って、そうやって薄暗い協調を深めていく――そんな醜いことを四六時中しているような場に、莉都はもう行きたくない。サボっても顧問や上級生からお咎めはなく、幽霊部員も数多く居るものの、莉都の場合は部活に行かないと母親にとやかく言われることが話をややこしくしている。
母親の小言を気にして、陰口を叩き合うだけの無意味な部活に通ったり、罪悪感を覚えながら部活をサボったり――そんなことをこれから三年の高校生活でずっと続けていくの?
今考えてもどうしようもない未来への不安だとか、今思い出してもどうしようもない過去への苛立ちが、莉都の心を蝕んでいく。
違う――そんなこと考えてる場合じゃない。愛佳との約束の時間は刻一刻と迫っているんだから。
莉都は残ったカレーを胃の中に収めて、朝の支度に取り掛かる。
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