第3話 大好きな幼馴染
「会いたかったよ、りっちゃん~!」
玄関の扉が開くと同時に
みっともなさを自覚して、愛佳はぱっと莉都から離れる。傍には「やっぱり」という様子の怜がいて、愛佳は頬がかあっと熱くなるのを感じた。
「もう、愛佳ってば――今日はいつにも増して元気ね」
紺色のセーラー服を着た莉都は、玄関前でやれやれと困り眉の笑顔を浮かべていた。肩上で切り揃えられたさらさらの黒髪に、アンダーリムの眼鏡。その眼鏡の奥に輝く、凛々しくてまっすぐな瞳が、愛佳を柔らかく見つめている。
「だって今の学校に上がってから、りっちゃんずっと忙しそうなんだもん」
「忙しいってほどじゃないよ? でもうちの学校、生徒は必ず部活に入らないといけないの。だから放課後に愛佳と会う時間がなかなか作れなくって」
「週に一回でもわたしは十分嬉しいよっ」
胸の前でぎゅっとガッツポーズを作ると、莉都は「そんなに?」と満更でもなく微笑んでくれる。
清純無垢でおしとやかなお嬢さま――それとは程遠いものの、仕方ない。だってわたし、りっちゃんと久しぶりに会えて嬉しいんだもん。
「学校のプリント、持ってきたよ」
クリアファイルに入った書類を差し出す莉都。
愛佳と莉都は同じ学校に所属している。ただし愛佳がその学校に通学したのは、入学式を含めてたったの二回だけだった。学校に行けない愛佳のために、莉都は毎週金曜にこうして学校の書類を持ってきてくれている。
もちろん一週間に一度の貴重な邂逅を、書類の手渡しだけで終わらせるつもりはない。愛佳はいつものように莉都を屋敷に招き入れる。今日は風もないし、いい天気だから、テラスで勉強するのもいいかもしれない――そんな旨を怜に伝えると、怜は「かしこまりました」と素早く準備に取り掛かってくれた。
「それにしても愛佳の家は相変わらず凄いよね」
なんて莉都が口にしたのは、テラスのテーブルに教科書を広げて、ふたり宿題をしているときだった。
「そう?」
怜が持ってきた洋菓子と紅茶を脇に、愛佳はきょとんとするしかない。
「どこから見上げても、空は同じ色でしょう?」
澄み渡った青空、うららかな春の陽気――こんな日にお庭へ出ないなんてもったいないくらいの素敵なお天気。だけどこの空は同じ街に住んでいるならどこからでも見られるわけで。
「すごいのは見上げる空じゃなくて、この家自体だよ。お邪魔する度に素敵なメイドさんに美味しいお茶とお菓子をご馳走されて、今日はこんなたくさんのお花が咲くお庭で勉強できて――まるでおとぎ話の世界なんだもん」
こういった話をするとき、莉都はいつも柔和な笑みを浮かべる。お人形さんの家、おとぎ話の国――莉都がそういったものを心から好んでいることは、その様子から何となく察することができた。
「わたしは毎日を過ごしてるこのお屋敷よりも、あの遠い空のほうがずっと遠くて――憧れちゃうなぁ」
胸の奥に仕舞い込んでいたはずの憧れが零れ落ちてしまって、愛佳はそれを慌てて仕舞い直す。
莉都の憧れは愛佳にとっての日常で、だから愛佳には莉都の気持ちがよく分からない。莉都の憧れが彼女の足を愛佳の元に向かわせていることはとても嬉しい。ただしときどき、同い年でずっといっしょに育ってきたふたりの間でこうも感覚が違っていることに、愛佳は不安を覚えてしまうことがある。
「わたし、やっぱり他の子とずれてるかな?」
「ずれてるというか、住む世界が違うというか」
「うう……やっぱり」
愛佳が学校に通えないのは、生来の身体の弱さによるものだった。何かと疲れやすい愛佳は、慣れない環境で少し活動しただけで体調を悪くしてしまう。だから愛佳の生きる世界は、この屋敷の中がほとんど全てだ。白百合家の屋敷は他の子の家よりもずっと広いらしい。ただし住む家としては広くても、生きる世界としては狭すぎる。
愛佳が知る一番遠い外の世界は、晴れた日に見上げる空だけだ。少しでも気を緩めると溢れ出してしまう空への憧れ。しかし空から降り注ぐ強い日差しに体調を崩してしまうのは、愛佳にとって日常茶飯事。そんな有様なので、学校に通って一日授業を受けるということは、愛佳にとって大変に困難な挑戦だった。
「いつか学校に行けるようになったら、わたしとっても浮いちゃうんだろうな」
「そんなこと気にしてるの?」
「気にするよぉ」
ぷんぷんとわざとらしく頬を膨らませてみると、莉都はくすくすと笑ってくれる。
「愛佳なら大丈夫だよ。愛佳はとってもかわいいから、きっと誰からも好かれる」
「本当?」
褒められるのは、素直に嬉しい。莉都が愛佳を「かわいい」と言ってくれるとき、愛佳は救われたような気持ちになる。ずっとこの屋敷の中で暮らして、何もかもを世話されて――そんなわたしでも誰かに喜びを与えられるんだと気づかされる。
「わたしも学校でりっちゃんみたいに部活したいなぁ」
「学校から強制される部活なんて面倒なだけよ」
「でも友達といっしょにひとつの目標に向かって努力するって、なんだか青春じゃない?」
「全ての部活がそういうスポ根なわけじゃないよ? キラキラな青春なんて、現実にはそうないから――」
そう語る莉都の表情には、僅かばかりの寂寥が滲んでいた。
「ね、りっちゃん――」
「なぁに?」
学校で嫌なことあったりした?――とは訊けなかった。学校に行けない愛佳には学校のことは何もわからない。問いかけに莉都が頷いてくれたとしても、愛佳は莉都の力になることはできないだろう。力になるどころか、何にどう悩んでいるのかを理解することさえ危ういかもしれない。
わたしに出来ることは、可愛らしいお嬢さまでいることだけ。りっちゃんが憧れるおとぎ話の住人になりきることが、わたしがりっちゃんに与えられる唯一の救いなんだ。
「ううん、何でもない」
「うそ。何か言いたいことあるんでしょ?」
愛佳の誤魔化しは莉都には通じなかった。愛佳が莉都の寂寥を察することができたように、莉都もまた愛佳の小さな変調を読み取っていたのだ。
「言いたいことは何でも言って――私たち、幼馴染なんだから」
眼鏡の奥に輝く澄んだ瞳が、まっすぐに愛佳を見つめている。その眩しさに、愛佳は「うう〜」と視線を逸らすことしかできなかった。
言えない。言えるわけがない。青空の下を走れない、学校に行けない、幼馴染の力になれない――そんな無力な自分に、わたしはこれ以上気づきたくない。
色々な言い訳が頭の中を駆け巡る中、そうだ――と気づくものがあった。
「わたし、りっちゃんに聞きたいことがあるの」
「なぁに?」
莉都は優しげな笑みを愛佳に向けてくれる。
「その――ゲームに関係することなの」
「ゲーム?」
それは先程の莉都の寂寥とは異なる話題ながら、たしかに愛佳が莉都へ聞きたかったことだった。
「ほら、りっちゃん得意でしょ?」
愛佳の口から「ゲーム」という言葉が飛び出すのがよっぽど意外だったのか、莉都は首を傾げるばかりだった。
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