第55話 愛、愛、愛!

 勇者アークは入口に背中を預けながら腕を組み、ニヤニヤと俺の姿を眺めまわす。


「ハハッ、ボロボロじゃねぇか! 『俺が魔王を討伐する』なんて大見得おおみえをきっておきながらダッセェやつだなぁ」


 恐らくアークは俺が魔王を弱らせたところを狙って入ってこようとしていたものの、しかし結局タイミングが掴めず、魔王が去ったあとを見計らって出てきたのだろう。いつもならそんなアークに対してこちらもひと言ふた言返すのが常だが、今はそんなことよりも何よりも。

 

 ……勇者がここに来ている。なら──まだできることがあるんじゃないか。絶望に支配された俺の頭の中をそんなわずかな希望が一気に駆け巡った。

 

 

 

 ──冥界の門が開くまで、あと17秒。

 

 

 

 一瞬にも満たない時の間に、俺の思考はこれまで経験したことのない猛スピードで回り始める。

 

 ……勇者は入口にいて、魔王はどこだ? 俺は玉座の間の壁に空いている目の前の大穴から外に目を走らせる。


 ……考えろ。魔王はどこへ行くと言っていた? 思い出せ……そうだ、確かヤツは『もうすぐにこの王城の上空には冥界の門が開かれるのだ。その最初の目撃者にでもなろうと思ってな』とそう言っていた。


 ……最初の目撃者になるのだ。であれば、見晴らしの良い場所を選ぶに違いない。つまり、この王城でいちばん高い建物、それよりも上にヤツはいる。……そうだ、この玉座の間のある中央の王城の隣には、有事の際に使用する見張り台が王城の高さを超えて伸びている。

 

 バッ! と見張り台を見上げた先、やはりそこ、見張り台の屋根の上には黒雲に覆われた空を仰ぐようにして見ている魔王の姿があった。

 

 

 

 ──冥界の門が開くまで、あと16秒。




 カツカツカツ、パタパタパタ、とこの玉座の間へと走り来ているのだろう2つの足音が聞こえる。直後、俺はレイア姫を放し「下がって!」と、大穴の前から後ろへと退かせた。それらの足音は……きっとあの2人だと、俺には確信めいたものがあった。


「勇者アーク! ようやく見つけたわッ!」


 玉座の間に駆け込んできたのはやはりニーニャ、そしてスペラ。

 

「って、グスタフ! アンタひどいケガをっ……!」

 

 ニーニャもスペラも目を見開いて驚いているが、しかし状況を説明しているヒマなどもはやどこにもなかった。俺はただ1度だけ振り返ると、


「勇者をッ!」


 とだけ叫んだ。俺と2人の間には、ただそれだけで充分だった。


「っ!」


 2人は俺の意思を正しくくみ取ってくれて、ひとつ頷くなりすぐに動き出す。ニーニャはスキルで身体能力を強化し、アークの懐へと潜り込む。スペラは即座に魔法陣を展開した。


「そら! 吹き飛べっ!」

「ぎゃふっ⁉」


 ニーニャがアークの腹を蹴り抜き、その体がこちらに吹き飛んでくる。


「『メガ・トルナード』!」


 ビュオウッ! とスペラの起こした風の流れが道を作り、吹き飛ぶアークの体をピタリと正確に俺の右隣まで誘導してくれる。

 

「……2人とも、ありがとうっ!」




 ──冥界の門が開くまで、あと13秒。




「まっすぐに握れ! 強くっ!」


 俺はさきほど魔王に投げつけたまま落ちていた自らの槍を拾い、それを勇者へと押し付けて握らせる。


「な、何をさせる気だっ⁉」

「よいせっと」

「うわぁっ⁉」


 俺は自身のステータスに物を言わせた腕力で、首根っこを掴んでアークを持ち上げる。そしてさきほど手に入れたばかりの新スキル──『カタパルト・アームズ』を発動した。その直後、ボゥッ、と右手が炎に包まれるような熱さが宿った。


 ……この『バリスタ』の進化系スキルで勇者をぶん投げて、その一撃で魔王を仕留めるのだ。俺はアークを振りかぶり、深く息を吸って狙いを定める。見張り台の魔王目掛けて。


「グスタフ様っ……」


 後ろから、戸惑いと焦りが混じったレイア姫の声が響いた。だけど、俺は振り返らない。いや……振り返れない。姫の覚悟を踏みにじり、姫に生きていてほしいがための身勝手を振りかざす俺を、姫はいったいどんな目で見ているのか。それを確かめるのが怖かったから。




 ──冥界の門が開くまで、あと10秒。




「おいっ! 何する気だよ、おいっ⁉︎」


 アークが暴れ、照準がブレる。この玉座の間の壁に空いた大穴から見張り台付近に浮かぶ魔王までの距離、およそ100メートル。正確にまっすぐ、勇者アークを射出する必要があるというのに……。


 だがそれは必ずしもアークだけのせいではなかった。なにせ、俺の腕もまた震えているのだから……。それは失血のせいか、ダメージのせいか、それとも失敗への恐怖のせいか……。


 ……いや、間違いなく恐ろしいんだ。ああ、小心者の自分が恨めしい。


 これが失敗したら冥界の門は開け放たれ、きっと大勢の命が失われる。その時、俺にその責任が負えるのか……? いや、負えるはずなんてない。俺はただ自分勝手に王国の人々を絶望の底に叩き落とす大罪人になるのだ。


 ……きっと、人々は怨嗟の声をぶつけてくるだろう。


 ……ニーニャやスペラは俺のことを軽蔑するだろうか?


 ……そしてレイア姫は──。


 一瞬のうちに駆け巡るその思考が【恐怖】という名の高波となって俺を飲みこもうとする……そんな時だった。ピトッ、と。俺の背中に温かなモノが触れた。突然のことに思わず振り向けば……そこには俺を支えるように手のひらを押し当てている、レイア姫の姿があった。


「姫……?」

「グスタフ様」


 姫のその表情はこんな時にも関わらず、不安でいっぱいの俺を優しく包み込むようで、そして、


「愛してます」

「──っ?」

「たとえこの世界がどうなろうとも、私はずっとグスタフ様を愛し、共に歩みます」


 それだけだった。たったのそのひと言だけで、俺の心に押し寄せていた恐怖の波がまるで嘘のようにサァーッと引いていった。


 ──姫は、悩み抜いた末に、俺にすべてを託してくれたのだ。


 たとえどんな結果になったとしてもそれを受け止めるから、俺の味方であり続け支え続けるから、だから心配しないでと。その優しくも強い覚悟が手のひらから流れ込んでくるのが分かった。その事実だけで、俺の腕の震えが止まった。


 ……我ながら単純な話だ。世界ぜんぶが俺を責め立てたとしても、俺はたったひとり──レイア姫さえ隣に居てくれるのならば、それだけで充分だったんだ。


 恐怖が去ってできた心の隙間を、何か熱いものが満たしていく。それも、溢れそうになるほどに勢いよく。心が噴火して、体が燃えるようだった。嬉しくもあり苦しくもある、この想いに名前があるとしたら、それはやはり。


「愛してる……姫、俺やっぱりあなたのことが大好きだ……愛してるッ!」

「わ、私もです……あ、愛してますッ!」


 溢れかえる感情をそのまま叫ぶ。姫もまたそれ応える。……俺の右腕にぶら下がったままのアークがポカンと口を開ける。


「……お前ら、急に何を言──ってェッ⁉」


 アホみたいに口を開け放っていたアークの首根っこをしっかりと掴み、俺は改めて魔王に向け照準を定める。


 ……決して外してなるものか。たとえ外したとしても、きっと姫はその罪さえも共に償おうとしてくれるだろう。でもそんなわけにはいかないから。誰も不幸せにせず、そして姫に最高のエンディングを届けるために。


 俺は全体重、全運動力、全闘魂、全霊、そして何よりもこの胸にあふれんばかりの愛、愛、愛! その全てを右腕に載せる。


「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇえええッ!」


「──うそぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおッ⁉」


 俺が右腕を振り抜きアークを投げ放つ。アークは悲鳴を上げながら、ソニックブームを生む速度でまっすぐに空を翔けていった。




 ──冥界の門が開くまで、あと1秒。




 ……きっと、物語の主人公ならこんなイチかバチかなんてことはしないんだろうなと、そう思う。間違いなく、国民すべての命よりもひとりの女性の命を優先するなんてことはしないだろう。主人公はきっと、与えられた特別な力をもってして、もっともっと正しい手段を取るのだ。みんなが納得できるような、応援したくなるような、そんな正義の選択をするに違いない。


 ……だから、やっぱり俺はただのモブなのだ。特別な力など何も無く、人並みな感性を持ち、世界の平和よりも自分の生活を考え、家族や友人が何よりも大切で、愛する人ができたらその人のためだけに命がけになってしまう……どこにでもいるただのモブ。


 ……でも、それでよかったんだ。主人公なんて大役を背負わされていたら、きっといま、俺はこんな風にレイア姫ただひとりのためだけに全力になれていなかったに違いないから。だから、俺は姫のためだけに全てを懸けられる──そんなモブキャラとして転生できて本当に良かった。


「ぶち抜けぇぇぇぇぇえッ!」


 音速を超えるスピードで一直線に突き進むアークは途中、青の光を帯びた。その背中にある勇者の紋章が輝いたのだ。それはビームのように空を割き、まっすぐに伸びて見張り台の上の魔王カイザースへと迫った。


「クハハハハッ、クハハ──ぬ?」


 王国の上空へと怪し気にきらめく赤い光を眺め、高笑いをしていた魔王が異変に気づいた時にはすでに遅い。その聖なる青い光はそのすぐ目の前にまで迫っていた──半泣きで鼻水とヨダレを垂れ流した勇者アークと共に。

 

「んなっ──」


 ズバンッ! と大きな音を立てて、槍の穂先が魔王の体を貫き、そしてアークの体ごとその背中へと抜けていく。そして、直後に青い光の輝きは爆発的に広がって、魔王の体を内側から焼き付けた。

 

「──っ……!」


 自分の体を貫いていった勇者のことを振り返ることもせず、魔王はただただその場に浮かんでいた。ぽっかりと空いた、大きな穴をその体に抱えて。そして魔王はひと言も発することなく、燃え尽きた炭のようにボロボロと崩れていった。




 ──冥界の門が開くまで、あと0秒。




 冥界の門は、上空を覆っていたその厚い黒雲の中からその姿を現していた。それは鉄サビのような赤色をした重たそうな鉄製の両開きの扉であり、開けばおぞましいナニカが溢れる、そんな想像が難しくない不気味なモノだった。

 

 ──が、しかし。

 

「……晴れた」


 魔王が崩れ去ったその上空の黒雲が割れて、青空が見えた。するとそこから広がるように厚い雲は消え去っていき、そして現れた冥界の門もまたその姿を次第に薄れさせて……最後には完全に消滅した。

 

 

 

 ──『レベルアップ。Lv53→56』

 

 

 

 ……魔王は崩れ去り、冥界の門は開かず……そしてレベルアップの音が流れた。ってことは、つまり。


 俺は勢いよく振り返る。


「俺たち、勝っ──」

「グスタフ様ぁっ!」


 いきなり、レイア姫が飛びついてきた。俺は思わずその場に尻もちを着いてしまう。


「グスタフ様っ! グスタフ様っ!」

「……姫」


 姫は俺の胸の中で大粒の涙を流し、嗚咽おえつも殺さず泣いていた。……さぞかし不安だったことだろう。それでも俺のことを信じて託してくれたのだ。俺はその愛おしい頭を、優しくゆっくりと撫でる。


「姫。ぜんぶ、ぜんぶ終わりましたから……」

 

 遅れて、ニーニャとスペラも駆け寄って来る。魔王を倒したというのに、2人とも心配そうな表情だ。……まあ、この俺のケガの度合いを見たらそりゃ心配もされちゃうか……。 


 ……そうだ、それとあとでぶん投げたアークを回収に行かなきゃな。でも、後でいいか。今はちょっと、疲れたから。

 

 重たい疲労感にうながされ、ゆっくりと目をつむる。俺はこの腕の中に収まるレイア姫のその確かな温かさを感じながら、今度こそ完全に意識を落としたのだった。

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