YESTERDAY

 Y氏はこの春に大学に入学したばかりだったが、前期も終わらないうちからなんとなく大学生活が面倒になってきていた。


「楽に稼げる方法があるんだ」


 入学オリエンテーションの日に連絡先を交換した学部の先輩から誘われて、Y氏は大学近くの喫茶店を訪れた。


「楽に稼げる方法、ですか」


 お金に困っている訳ではないが、お金はあった方がいい。

 お金はあった方がいいが、懸命に働いてより多く稼ぎたいというほどでもない。


 誘いは、Y氏の琴線に触れていた。


「記憶を売るんだ」


 世間話も早々に、声を潜めて告げられた内容を、Y氏はすぐに理解できなかった。


「なんですって?」

「記憶を売る」


 聞き間違いではないらしかった。


「どういう意味ですか?」


 Y氏はやや身を乗り出した。肩肘が杖についてことりと音を立てる。


 釣れた!

 Y氏の様子からその先輩はそう判断した。


「なんかの研究に使うらしいんだけど、俺たちの記憶を機械で抽出して渡すんだ。あの、あれだ。献血みたいなもんで」

「記憶を、献血……?」


 分かるような分からないような。

 畳み掛けるように相手は言う。


「近くにあるんだ。行ってみないか?」

「……分かりました」


 Y氏は歩いて三分ほどの、路地奥から入る雑居ビルに連れて行かれた。

 館内は薄暗い。Y氏は得も言われぬ不安を感じた。


「ここだよ」


 ノックの音と「どうぞ」とくぐもった声。


「さあ、行こうか」


 扉が薄く開けられる。漏れ出てくる光は健康的なものだった。Y氏はふらりと足を踏み入れた。

 そこはオフィスだった。モノクロームの質感。装飾のないシンプルな家具。応接スペースは部屋の手前で、奥にカドが丸くなっているテーブルが点在し、果物のマークのついたノートパソコンを数人で広げていた。


「騒がしくしていましてすいませんね」


 にこやかにY氏に微笑んだのは、青年といっても差し支えないくらいの男だった。ネイビーのジャケットにベージュのチノパン。ラフな格好だが、アイロンが行き届いていて清潔感があった。


「こちらの方にはまだ何も説明してないんですよ」


 Y氏に話す口調とは違って、敬うような雰囲気があった。


「はじめまして。私はここの代表を務めています」


 名刺を渡される。医学博士、と肩書きにあった。


「はあ、どうも」

「さ、こちらへどうぞ」


 促されるままに席に着く。

 Y氏は椅子の上で何度か座り位置をずらした。太腿を擦り合わせる。


「弊社は、主にマーケティングを行っている会社です」

「マーケティング。えっと……市場調査みたいな」

「そうです。企業から依頼を受けまして、その商品や企業イメージの調査を行っています」


 博士の男はそう言ってリーフレットを取り出した。図やグラフを用いた説明をされるが、Y氏には半分も理解できなかった。敢えてはぐらかしているのではないかと疑ったほどだった。


「──で、報酬は一回あたり五万円です」

「五万」


 Y氏は唾を飲み込んだ。


「ええ。施術はおおよそ30分で終わりますから、時給にしてその二倍、十万円ほどになります」

「……ものすごくいいですね」

「いま、この場でサインしていただければ、報酬はすぐにお渡しいたしますよ」


 傍らの封筒の口を開ける。

 一万円札が束になっていた。無造作に十枚を抜き取り、ポンと置かれる。Y氏の目は眩んだ。


「ペンはありますか」


 心なしか、博士はニヤリと微笑んだようだった。


「ご協力ありがとうございます」





 別室に案内される。

 日焼けサロンにあるようなカプセルベッドが2台置かれていた。蓋は開いており、無機質な白地が覗いていた。


「靴は脱いで、横になってください」


 言われるがままにY氏は寝転がった。


「失礼しますね」


 電極のついたヘアバンドのようなものが枕の部分に置いてあった。Y氏はそれを頭から被せられた。脳波でも測定するのかな、とおぼろげなイメージで想像した。


「では蓋を閉じますね」


 Y氏が仰向けになったことを確認して、蓋が閉められた。


(何が始まるんだろう)


 そう思う間に、意識が暗転した。




 目覚めると、閉められていたはずの蓋が開いていた。


「ご気分はいかがですか」


 顔を覗き込まれ、Y氏は「大丈夫です」と答えた。


「それはよかったです」


 Y氏は謝礼金を受け取り、その場を後にした。時計を確認すると、確かに30分しか経っていなかった。


「確かにお手頃だよな」


 明るい気分でY氏は自室への帰路についた。大学から歩いて10分のところに借りた学生マンション。学生マンションらしく、大半の住人は大学生のようで、すれ違う者は皆若々しかった。

 こいつらより俺は稼いだんだ、そう思うとY氏はますます昂った。

 Y氏はパソコンの電源を入れた。日課となっているオンラインゲームをプレイするためだ。オンラインゲームのために、Y氏の生活リズムはすっかり狂わされていた。


 何日か経って、Y氏の携帯電話が鳴った。


 例の高額バイト先からだ、とすぐにピンときた。


「あれからお変わりありませんか?」

「はい。別に特には」

「それはよかったです」


 Y氏は相手の意図が分からなかった。


「お陰様で、Yさんのデータは好評でした」


 好評、と言われてもますますよく分からないところではあったが、ひとまず「よかったです」と返事をしておいた。


「それでですね、ぜひもう一度お越しいただけないかと。もちろん以前と同じ値段をお支払いしますので」


 Y氏は二つ返事で承諾した。


 前と同じようにベッドの中に横たわる。頭につけられたヘッドセットが稼働する微かな音がした。


「こちらお約束の報酬です」


 封筒を両手でしっかりと受け取って、Y氏は家路についた。

 帰りの道沿いに民家を改装したような見た目のラーメン屋が新装開店していたので立ち寄って一杯食事をする。気が大きくなって「いつからやってるんですか」などと尋ね、店主が訝しげな表情で「5日前からです」とあるのをにこにこと頷いて聞いていた。

 得た五万円を元手にパチンコ屋に入る。元手が無くなったら退店するつもりで、実際Y氏は負けを取り返そうと意固地になる性格では無かった。Y氏は運良くアタリ台を引くことができた。勝ち金を得て、Y氏は上機嫌で帰宅した。


 翌朝、机の上に無造作に置かれた紙幣を見て、Y氏は首を横に捻った。


「なんだこれ?」


 心当たりが無いものだった。携帯のアプリから口座残高を確認するが、ここ数日お金の動きは無かった。


 Y氏が首を捻っていると、携帯電話が音を立てた。


 例の高額バイト先からだ、とすぐにピンときた。


「あれからお変わりありませんか?」

「はい。別に特には」

「それはよかったです」


 Y氏は相手の意図が分からなかった。


「お陰様で、Yさんのデータは好評でした」


 好評、と言われてもますますよく分からないところではあったが、ひとまず「よかったです」と返事をしておいた。


「それでですね、ぜひもう一度お越しいただけないかと。もちろん以前と同じ値段をお支払いしますので」


 Y氏は二つ返事で承諾した。


 前と同じようにベッドの中に横たわる。頭につけられたヘッドセットが稼働する微かな音がした。


「こちらお約束の報酬です」


 封筒を両手でしっかりと受け取って、Y氏は家路についた。

 帰りの道沿いに民家を改装したような見た目のラーメン屋が新装開店していたので立ち寄って一杯食事をする。気が大きくなって「いつからやってるんですか」などと尋ね、店主が訝しげな表情で「6日前からです」とあるのをにこにこと頷いて聞いていた。


「あの、お客さん……」


 カウンターに座るY氏に店主はおずおずと話しかけた。


「開店してからずっと来ていただいてますよね。毎日。同じくらいの時間に。しかも『いつからやっているのか』って同じ質問をされて」


 Y氏は胡乱な目で店主を見つめた。


「何言ってるんですか? 僕は今日来るの初めてですよ」

「? そうですか……。あ、いらっしゃいませ!」


 気持ち悪いことを言われたな、と思いながらY氏は店を後にした。


 その後、帰る前にパチンコ屋に向かった。五万円を元手にひと勝負するつもりだった。運悪く、Y氏はハズレ台に当たってしまった。


「なんなんだよ、くそっ!」


 悪態をついて家路に着く。五万円の稼ぎは全く手元に残らなかった。マイナスにならなかっただけマシだとY氏は自分を無理やり納得させ、酒を煽って眠った。


 翌日、緩慢な動作で大学に向かう準備をしていると、Y氏の携帯電話が鳴った。

 

 例の高額バイト先からだ、とすぐにピンときた。


「あれからお変わりありませんか?」

「はい。別に特には」

「それはよかったです」


 Y氏は相手の意図が分からなかった。


「お陰様で、Yさんのデータは好評でした」


 好評、と言われてもますますよく分からないところではあったが、ひとまず「よかったです」と返事をしておいた。


「それでですね、ぜひもう一度お越しいただけないかと。もちろん以前と同じ値段をお支払いしますので」

「あーっと、今日は……」


 Y氏は先程教材を詰めたバッグにチラリと目をやった。


「……すいません。今日はちょっと都合が悪くて」

「……分かりました」

「あっ! でもっ! 明日っ! 明日ならっ」


 Y氏は慌てたように付け足した。

 電話口で、相手はふっと笑ったようだった。


「分かりました。ではお待ちしております」


 通話はそれで終わった。


「あなたの後輩さんは、今日は来ないみたいですよ」


 カプセルの中で記憶を提供していたY氏の先輩に向けて、博士は語りかけた。先輩は眠ったように目を閉じている。聞こえてはいないだろう。


「まあ、ほどほどにするのが良いでしょうね。あんまり記憶を抜きすぎると、日常生活に支障が出ますからね」


 博士は、記憶をあまりに抜くと、逆行性健忘の期間が長引くことを理解していた。Y氏の先輩の場合、Y氏を紹介して紹介金を得るなど金策に執心しているようだった。遠からず、すべての昨日を失ってしまうだろう。


「さて、彼はどうでしょうね」


 Y氏のカルテを見ながら、博士は呟いた。

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