セブンスセンス~第七感~

@hamyanen

第1話 入学式事変

夢を見ていた。


お前、亜門鉄郎あもんてつろうはまだ幼く、人間としても劣っている。だから、周りから人がいなくなっていくのだ。そう囁く声を、夢の中で聞いた。その声の主が誰かは、良く知っているけれど、目覚めたらたちまちに忘れてしまうだろう。


俺はそれを最も恐れた。今、俺は独りぼっちではないが、いつかそうなってしまうのではないかと。いつか、こんな自分を見放して、皆は手の届かない所へ行ってしまうのではないかと。


固く拳を握りしめる。なら、俺がすべきことは…


場面が変わる。自分の夢を俯瞰で見ることは誰しもあることで、今まさに俺はその状態だった。弱弱しい顔で、幼い女の子が俺に向かって言う。


「こんなの、意味ないよ…いくらやったって、ちっとも成長しないもの」


足下の大きな石と、悲しい顔を浮かべる彼女に、俺は何も言わない。


彼女が浮かしている石を、感覚を尖らせて粉砕する。悲しげな顔は、驚愕と畏怖の入り混じったものに変わった。俺は、ようやく、声を発するようだ。


「大丈夫。俺が、この力で、皆のことを…………」


アラームの音で意識が覚醒する。過去の夢など、久々に見た。少し嫌な汗をかいている。


目を覚ましはしたが、起きるつもりは毛頭なかった。だが、普段なら絶対に漂ってこないパンの焼ける香りが鼻孔をくすぐり、体の方が先に反応してしまう。具体的にいうと腹がぐうと鳴った。


 聴覚、嗅覚を一度に刺激されては、それら感覚器官の関与しない、絶対にサボろう、という俺のくじけがちな意思など関係無いということか。


 それらが五感、という一括りにされていたのは、もう随分前のこと。昔昔あるところに、ってよくある切り口で語られるのもそろそろかもしれない。ぼやけた頭でとりとめのないことを考える。


 一応断っておくが、俺の寝起きが悪いのは、毎晩の第七感セブンスセンスの訓練を欠かさないからであって、決して高校二年生にもなって妹に毎朝起こされるようなだらしない人間であるからではないのだ。


「お兄ちゃん、そろそろ起きなよー」


 布団から這い出ながら、料理に関してはからっきしな妹がどういう風の吹き回しだ、と思う。だが察しはもちろんついている。あいつらが来てるんだろうな。さっきからゴソゴソうるさいし。今日から新学期、有事の際には何故かいつも狭い俺の家に集まっている。


 寝室から1Lのアパートのリビングに出ると、部屋の真ん中に置いている炬燵机にいつもの面々が顔を突き合わせていた。


「よう。えらく早くに起こされたと思ったら、やっぱりお前らか」


「そんな早くもないけどな」


 と苦笑いしている黒い学ラン姿の男は妻ヶ木葵つまがきあおい。この国じゃ珍しい銀髪を爽やかな短めのツーブロックにしている、精悍な顔つきの男だ。目鼻立ちはくっきりしており、そのパーツは美醜に疎い俺でさえ整っていると認めざるを得ない。身長も180cm前半はあり、日ごろのトレーニングの賜物か知らないがガタイも良い。


 俺とは何もかも正反対な男なので、いつもつい憎まれ口をたたいてしまう。


「ふん、さすが生徒会長様は早起きなさってるんですね」


「時間どうこうより、いつまで妹に起こしてもらってんのよ。感覚よりもまず、生活力を養った方がいいんじゃない?」


 天音崎怜あまねざきれい。ショートボブで若干茶髪。背は178cmの俺より20cm以上低いので、小柄な部類だろう。声は高くなくハスキー気味で、切れ長な瞳、細面で小さい口と、外見だけがおしとやかな女だ。我が尋常高校指定の黒いセーラーを、着崩しもせずピシッと着ている姿はまるで大昔の女学生のよう。


 こいつは俺の口先に惑わされない。いつも冷静…なフリをしている、ある意味猫かぶりのやつ。本性を知っているこちらとしては面白い。俺はブレない怜の正論に対しては、冷や汗をかきながら顔を背けることで見事に対処している。


「怜さ〜ん、卵ってどうやって割るの〜?なんかぐしゃぐしゃになっちゃった」


………これは中学三年で妹のかえでだが、生活力の欠けているのはどう見ても俺じゃなくてこいつなのではないか?


 至極真っ当な疑問を飲み込む。怜にわざわざ反撃を試みても、その先に良いことなど一つもない。


 葵に目配せをすると向こうも丁度視線を合わせてきた。


 それを見てパジャマのままアパートの階下へ出る。新学期にふさわしく、雲一つない快晴だ。とはいえ、朝はまだ寝巻では肌寒い。さっさと終わらせよう。


 葵は付いて出てくるなり、「じゃあ、さっそく頼む。春休みの成果を見せたい」と要求してきた。


 ご苦労なことだ。俺も鍛錬は好きだが、国とか主義とか、そんなデカいもののためにやってるわけじゃない。でも理由は、恥ずかしくて誰にも言ったことないけど。


「よし、見てやるよ。いつでもいいぜ」


 その合図で葵が集中力を一気に高めるのを見ながら、第七感セブンスセンスを発動する。やつの体に、それが収束し、超高密度になっていくのを正確に感じ取った。


「おお。その状態まで到達したのか。ちょっとした建物くらいなら吹き飛ばせるんじゃないか。」


 流石葵だった。相当鍛えたらしい。「現人類コモンセンス」で、これだけの感覚量センシティビティは中々お目にかかれないだろう。


「はは、また夢に一歩近づいたってわけだ。ゼミ開講で、やっと学校の頂点も目指せるようになるしな!」


「はぁ〜。」「なんだよ鉄郎。」「いや、まぶしいな生徒会長。」


「さっきからなんだよ。そんなに生徒会長になりたかったのか?悪いことしたな。しかも得票率ぶっちぎりでなあ。」


 憎たらしい顔だ。


「立候補する訳ないだろ……調子に乗らないようにあえて触れてやってんだろうが。」


「会長如きの肩書じゃ、天狗にはなれないな。大統領クラスでないと」


「別に天狗になれとは言ってねーよ」


 そう言って、葵を置いて家に戻る。こんなご時世とはいえ、学生運動にここまでお熱なのはあいつくらいだろうな。俺は一切興味が持てないが。


「お兄ちゃん!私ご飯作ったよ!!」と玄関を開けるなり楓が飛びついてくる。生活力を依存してるのはこいつだという確信を持つ。


「鉄君、今度私に特訓させて頂戴。この子はとにかく数をこなさないとダメなタイプだわ」と、眉根を揉みながら怜が言う。


 こいつ、そんなに料理の才能ないのか…と腰に巻き付いている哀れな女子中学生を眺める。




「ポケットから手、出しなさい。姿勢が悪くなっちゃうわよ。」


「うるせーな…」


「どんくさいんだから。ほら」


「…夏になったら出す」


「全然譲歩になってないわよ。それただ暑いからじゃない」


「…………おい、葵、新入生歓迎のあいさつ考えたのか?昨日まだできてなかったろ」


「ふっ…今からで間に合わすさ」


「いや無理でしょ。あんたアドリブでやる気なの?正気?空気凍るわよ」


 俺の静かな登校時間がこんなくだらない会話に費やされるなんて…本来あるべきだった穏やかな時間に墓標をたて、はなむけしてやらないと申し訳ない位だ。無益なことこの上ない会話をしながら歩いていると、背後から気配を感じた。


 とっさに感覚を展開し、飛んできた何かの動きを緩やかにして、さも今気づいたかのように身をかわす。


「危なっ…!おい!誰だ?」葵が叫ぶが、手で制す。


「学校が始まるってことは、またこういう行為がある。わかってたはずだろ?」


 そう言いながら飛んできたものをしゃがんで確認すると、掌サイズの石だった。やれやれ…。道徳心はどこへ置いてきたのやら。


 怒りを隠しきれていない葵の肩に手を置く。


「地位は大事だろ?葵、特にお前の目的のためには。一時の感情で失うようなヘマをするのか?」そう諭すと、


「…ああ。その通りだな。悪い、プライドに障ったか?」


と落ち着きを取り戻したようだ。


「そういうんじゃねーけど、とにかくいらん心配ってこと」


「まったく…鉄君は」見ると、怜は納得していない様子だ。


「お人よしなんだから…反政府組織レジスタンスに所属してるわけじゃないんだから、葵のことなんて気にする必要ないのに」などとブツブツ言っている。


「確かに学生運動には興味がないが、だからと言って妨害にあたる真似をするのも違うだろ。俺の問題で葵の築いてきたものが崩れるのは、間接的に妨害に値する。だから放っておけって話だ」


「でも…」


「ほら、学校着いたぞ。先に行けよ」


 端的にいうと、俺は嫌われている。


 現代の学校(といっても、昔を良く知ってるわけじゃないが)は、「旧人類プリミティブ」と「現人類コモンセンス」でクラスはおろか建物まで分けられており、「現人類」は高度な教育を受け、「旧人類」は高卒で働けるように実務的な教育を受ける。


 高度な教育の究極形が「ゼミ」のシステムであり、「現人類」成績上位者の三年生は学校からゼミを開講する権利を与えられ、興味のある分野について少人数で独自に学習することが出来る、というものだ。ゼミへの所属が決定した生徒は、規定の曜日の時間割がゼミに置き換わるが、その代わり研究成果を学期末に発表、提出することが求められる


 そして高校時代ゼミに所属していたかどうかは、軍事国家となった日本において、中枢入りする際の選考基準として無視できないものになっている。


 なぜなら、ゼミ設立に必要な成績には、知力のみならず身体能力、戦闘能力も大きく加味されるからだ。ゼミに属することはイコール、優秀な人物であるという分かりやすい指標なのである。前者は、おなじみの中間、期末テスト、または大学入試で、後者は、年に一度有志によって行われる学年度問わずの試合形式の全校トーナメントや、感覚使用有の体力テストの結果で測られることになる。


 国家中枢の構成員となることは、イコール国軍に属することになるので、しょぼい能力しか持ってない「旧人類」は論外。「現人類」でも、体力と知力を兼ね備えた超有能しかいらないということなのだろう。まあ、国力に直結するしな。


 ゼミのメンバーは、これまた成績上位者の中からゼミ長が好きに選ぶことができるのだが、去年の学力テスト成績学年トップ、トーナメント三位で、その輝かしいキャリアを用い異例の二年生でゼミを開講した葵生徒会長様の、崇高なる妻ヶ木ゼミのメンバーの中に、怜だけでなくなんと「旧人類」で成績中位の俺の名前があったのだ。


 葵が言うには、「鉄郎だけ仲間外れはよくない」のだそうだ。お前は小学生か。


 当然、学校中が不正、コネを疑い、ひた隠しにしてきた俺たちが幼馴染の関係にあることもばれてしまった。


 生徒だけにとどまらず教師まで巻き込んだ亜門鉄郎ゼミ強制退去運動(学校史にのりそうなほどの規模だったので正式名称をつけておいた)にもかかわらず葵は俺を首にするつもりはない、と宣言したので、怒りの矛先を本人に向けて、生徒たちは俺をいじめることにした、というわけ。もっともではある。持たない側の人間がエリート面してりゃな。


 ちなみにこれらは一年生、つまり昨年度の終業式から春休みにかけての出来事である。打ち切り漫画並の急展開だ。




 つまり新しいクラス、二年一組で俺は非常に肩身の狭い思いをすることは間違いなく、それもあって今日はサボる気満々だったのだが、あいつらが家まで来たせいで予定を変更する必要があった。


 校門の前で別れゼミ室に寄って時間をつぶし、現人類の式が終わる時間になったら一度外出して、そのままゼミ室で集合することになっている二人とサボりを悟られないように再び合流するというプランだ。


 合流後に、さっきまでいたゼミ室で「おう、やっぱ今日行かなくてもいい日だったな。サボればよかったぜ」的な会話を展開すればいいだけだ。簡単だ。痕跡さえ残さなければ。


 そして現在、第一関門を突破、とりあえずうまく二人と別れることができたので、人目を気にしながらゼミ室へと向かう。


 ゼミ室はカードキーがないと入れず、「現人類」館と「旧人類」館をつなぐ渡り廊下にあるので、入ってしまいさえすれば安住の地となる…はずだ。まだ一回しか行ったことないから確証は持てないけど。


 その考えは、やはりというべきか、安易だった。俺が感応センサーまで駆使しながらやっとの思いでたどり着いたゼミ室には、あろうことか先客がいたからだ。


「おはようございます!二年生の亜門鉄郎先輩ですよね?私、本日付で葵ゼミに所属させてもらうことになりました!一年生の白木真と申します!よろしくお願いします!」


「おわあ!分かった!分かったから席に着け!静かに席に着け!」


 聞きなれない大声に、葵か怜の可能性を考えて言い訳を高速で組み立てた俺の優秀な脳みそはバグってしまったようだ。情けない声が出てしまう。


「ふう…取り乱してすまん。白木真さんか。亜門鉄郎、二年生だ。知ってるかもしれないが」


「ええ、知ってますよ!ゼミ長や天音崎先輩から話は伺ってましたし、先輩、悪評が新入生のグループチャットですでに立ってるので経歴も!」


「まじかよ…というか失礼な話だな」


「あっ、すいません!でも、このゼミの人たちは全員名前が出てますよ。ゼミ長、天音崎先輩は特に」


「そうか…それより、なんでここにいる?確かに新入生が一人入るとは聞いてたが」


「はい!まず、ご挨拶に伺おうと思いまして!先輩は以前もいらっしゃらなかったですし、一年生は顔合わせと式だけで集合がかなり遅いので、早めに来て待ってたんです!お三方が式の後ここで集まるってことを教えていただいたので!」


「そ、そうか……というか、新入生が設立からゼミ入りするなんて聞いたことがないぞ…まあこのゼミ自体が異例ではあるが」


「それは、その、制度としては以前からあったようなんですが…」


 それまで饒舌だったのが、急に言いよどんでいる。なるほどな。謙遜とは、殊勝なことじゃないか。


 俺はこのやかましい新入生を、やっと好意的にみることができた。正直、絶望的にタイプが合わないと直感していて、初対面だというのにここまでいい印象は抱いていなかった。


「さらに特例ってことか。そんだけ優秀だってことだな。すごいじゃないか」


「いえ!妻ヶ木ゼミ長が一年生にも募集をかけてくれたのが幸運だったんです!新入生を募ろうとするゼミなんて、めったにないですから」


「へぇ〜。ちなみにどんな選考があったんだ?」


「筆記試験と、面接ですね」


「ふ、ふ〜ん」


 なんてこった。この新入生、めちゃくちゃ優秀なのでは。


 容姿の方も、改まって見ると顎先までのショートカットで、目のとても大きい、利発そうな顔をしていた。例によって整っている。可愛いというよりは綺麗という印象を受けた。背も170前後はあろうか、かなり高い。


 まずいな。クラスだけでなく、ゼミまで居心地の悪い場所になってしまうぞ。


「ほかにも何個かゼミがあっただろ?白木さんに合いそうな優良ゼミが。二年生から入ることも可能なはずだ。なんでここにしたんだ?」


 嫌味ったらしく言ってみたが、


「とんでもない!妻ヶ木ゼミが学校で一番優秀なのは、新入生でも知ってることですよ!二年生になったら絶対入りたいな〜と思ってたら、たまたま募集してたんですから!もし他があっても、ここ一択でしたね!!」


「あ、そう…」


 効果はまったくなかった。なんという熱量。俺に決定的に欠けているものだな。


 すると、この空間に気を許し始めたのか、


「まあ、本当の理由は別にあるんですけどね…」


 と、急にトーンダウンして顔を近づけてくる。やめろ。こちとら、怜と妹以外の女子とまともに話さないんだからもっと気を遣え。


「どういうことだ?」


反政府組織レジスタンスに、入隊を希望したんです。」


 反政府組織だと?この後輩も、大それたことを夢見るクチか。


「どうやって意思表明したんだ?まさか履歴書に書くわけにもいかないだろ。いくらゼミが学生主導でも、選考には学校サイドも絡む」


「試験の文章問題にふられている記号を、つなぎ合わせて並べ替えると、反政府組織用機密サーバーのドメインの一部になるんです!それに気づければ、記述問題の回答にドメインの続きをしのばせるなんて簡単ですから!」


 なに言ってんだこいつ。そこまで手の込んだことを葵がするとは思えないので、誰かが一枚かんでいそうだな。大方レジスタンスのメンバーだろうが。


 それに、このことを嬉々として俺に語ってくれているのが、なんだか非常に後ろめたい気分になる。この後輩はきっと、成績不良の「旧人類」の俺のことをきっと同志だと思って、ここまで話してくれているのが分かるからだ。


 だが、俺は大きな野望もなにも抱いていない、一介の高校生だった。


「あ〜。白木さんには悪いが、俺はレジスタンスに所属していないし興味もない。だからあまり情熱を向けられても応えられない。すまないな」


 途端に、この後輩の顔が不信感で曇る。そりゃそうだ。レジスタンスに所属してる可能性をのぞいたら、俺はコネか不正で入ったことがほぼ確定する。


「今から入るってことですか?」


「今までも、これからも、入ることはない」


「なら…!!」


「白木さん、俺がここにいるのは、レジスタンス関連でも、実は成績優秀とかでもない。あいつらの…まあ幼馴染ってだけだ。」


「じゃ、じゃあ…!」


 俺はここで、大人げないことをしようと思った。


「ああ、巷で流れてるコネって噂は、マジだよ。けど、このプライベートルームの便利さを知っちまったいま、ゼミをやめる気もないがな。」


 こいつはおそらく、ずっと目標のために努力してきた人間であり、何をやるのにも一生懸命な人間でもある。この国を変えるために、新入生にして学校で一番優秀な集団(自分で言うのも恥ずかしいが)の仲間入りを果たしたんだろう。


 俺とは、何もかも違う。俺は全くできた人間じゃない。怠惰で、その日暮らしをよしとするタイプだ。


「俺はこういうものぐさだからな、課外活動やミーティングもまともにやる気はない。俺がいると、研究も学生運動もあまりはかどらないかもしれんな。」


 だが、そんな俺でも、大事にしているものくらいはある。こんな俺にもよくしてくれる、いつもやかましい連中。


 こいつがその仲間入りするのが分かったいま、自ら危険に飛び込ような行為を看過はできない。


「それでもいいんだったら、このゼミに籍を置けばいい。ちなみに、俺は反学生運動派なんで、ガンガン妨害させてもらうぞ。運悪く、もっともお前に適さないゼミに入っちまっようだな。変えるなら今の内だぜ」


 レジスタンスは危険だ。権力との闘争に、武力衝突。実際に、死んだ奴もいるだろう。高校生のうちはまだいいが、大人になっても活動を続けるつもりならここで止めておかなければならない。後ろ盾が無くなったら本当に危ない。こいつをゼミならまだしも、死体の仲間入りさせたら夢見が悪いどころじゃない。


 俺は独断でこいつをやめさせる方向に舵を切った。俺がやめるのが一番手っ取り早いんだが、あいつらがそうさせてくれないからな…。


 エリート街道を歩むには、このゼミはふさわしくない。革命や血煙ではなく、真っ当な人生がよく似合うだろう。ルックスも、スタイルもいいようだし、道はいくらでもある。


 あからさまな拒絶。反応を伺っていると、後輩は突然音を立てて立ち上がった。


 そして俺は、こいつはただ青さゆえの絵空事を口にしているだけにすぎない、という自分の考えが間違いだったと思い知らされた。頭を金づちで叩かれたようだった。


「私…家が道場なんです。昔から男女ってバカにされてきたけど、お母さんみたいに綺麗に着飾ってもいたかった。でも…お母さんは殺されたんです。因縁を付けられた、「現人類」に。いつも、綺麗で、優秀で、目立っていたからです」


…………俺に言われるまでもなく、危険は承知の上だったのか。


 愕然とした。みずからの行為の愚かさと、不器用さに。俺はいつもそうだ。直接伝えればいいものを、くだらない羞恥心で回りくどい手段をとってしまう。


 ただ、お前を危険な目に合わせたくないから、レジスタンスには入ってほしくないといえばよかったのだ。


 決して、組織や思想をバカにはしていない。差し出がましいことだが、お前を心配してのことなんだ。


 頭の中を言葉がめぐる。なんとか絞りだしたのは、


「……すまない。」


 かすれた声の謝罪だけだった。


「いえ……いいんです。先輩には、言ってませんでしたし。」


 ふと、立ち上がったことではっきりみえた後輩の手に、なにか光るものがあるのに気づいた。「旧人類」は、校内にアクセサリー類を持ち込むのは固く禁止されているが、それを破ってまで堂々と身に付けるものなら、お母さんの形見だろうか。


「世の中、間違ってますよね?私には、「旧人類」だから、女だから、そんなくだらない理由で迫害がまかり通るこの国を、正しいとは口が裂けても言えません。でも、実際にお母さんが殺されて、分かったんです。ただ指を咥えてみてるだけじゃ、なにも変わらない。誰も助けてくれない。なら、死に物狂いになって、強くなって、一番偉い人の顔面をぶん殴ってやればいいんだって、それが分かったんです。」


 ここまで一息で言った後輩は、それでも、俺の目をまっすぐ見ていた。


 俺は、昔、まだ俺たち三人が孤児院にいたころ、葵がこの情熱と、悔しさの滲んだ目で、夢を語っていた時のことを思い出していた。


「先輩のことをとやかく言う気はありません。いくら先輩が腐ってたって、私が頑張ればいいだけの話ですし。ただ……」


 俺をキッと睨みつけ、毅然とした態度で告げる。


「邪魔するなら、こっちも容赦はしません。私は学校で一番の、このゼミから始めます。それは変えるつもりはありませんから」




 こいつ、本気なんだ。




 夢や野望のためになら死ねる。そんな言葉は少年漫画の世界だけだと思っていたが、葵と、こいつだけは違う。本気で、この国を変えようとしているんだ。


 そして、俺は一つの妙案を思いついた。


 だが、頭の片隅で起こったちっぽけな爆発にも似たアイデアは、うまく言葉にまとまらない。


「待ってくれ、俺は…」


「……すみません、失礼します。」


 俺のたった一人の後輩が後ろ手にドアを閉めて出ていくのを、俺は黙ってみていることしか出来なかった。






(また、喧嘩腰になっちゃった…しかも、初対面だったのに! でも…あんな人だと思ってなかったな… そうは、見えなかったのに… とにかく、反省だ。後で謝って、亜門先輩の言い分も聞かないと)


 私の悪い癖が出た。学生運動とか、レジスタンスを否定されると、頭に血がのぼっちゃう。多分、私のやってきたことが否定されてる気分になるからだろう。ここまで客観的に見えるのに、なんでああかな、私…


 亜門先輩は悪い噂ばかりだけど、長い前髪の後ろから除く目は言い知れない鋭さを放っていて、とても言われているような鈍臭い人には見えなかった。きっと、あの人にも信念があるはず。


 ふと、隣をみると、初登校で、もじもじしている、黒髪ストレートで丸顔のお人形さんみたいなかわいい子がこっちをチラッと見ている。


「初めまして。私、白木真。これから、よろしくね。」


 と声をかけると、花が咲いたように笑って、


「うん!私、秋風響、っていうの!よろしくね! 嬉しいな、白木さんとお話できるなんて


!」


「そんな、私有名人でもなんでもないのに」


「ううん、白木さん、もう有名人だよ!あの葵ゼミに入って、新入生で一番で、しかも可愛いって! 妻ヶ木先輩、天音崎先輩、あのコネの先輩、白木さんの名前はもう教室から何度も聞こえてきてるよ」


 うそぉ…早すぎない?学校に馴染むの。しかも亜門先輩、コネ先輩で有名になっちゃってるし。


「私なんかより秋風さんの方がよっぽど可愛いよ、私、すぐ手が出るし」


「ええっ、そうなの?そうは見えないのに〜」


 と、クスクス笑う秋風さんは、本当に私なんかよりよっぽど可愛い。


 話していると、秋風さんは私のことばかり気になってるようで、記者会見みたいな質問攻めにあう。おとなしそうに見えて、好奇心の強いところがあるみたいだった。


 しばらく2人でたわいもない話をする内に、周りに人が集まってくる。


「ねえ白木さん、家どこなの?道場ってホント?」


「うん、ホントだよ。電車で一時間くらいで結構遠いんだけど、ジム替わりに来てもいいよ!」


「ホント〜!嬉しい〜旧人類わたしたち、ジム行けるとこ限られるもんね」


「オプションで、白木流を叩き込んであげるね!」


 と拳を振りかざす。


「やっぱやめとくわ〜」と、さっきの女子の様変わりに、クラスメイトは爆笑する。よかった。いい人ばっかりだ。クラスでは、うまくやっていけそう。


「妻ヶ木先輩って、やっぱりイケメンなの?」「天音崎先輩は実物めっちゃ綺麗だった?」「面接の時どうだった〜?」


「天音崎先輩はすっごく美人だった?妻ヶ木先輩はまあ…イケメンだったよ。それよりムキムキでさあ、どんなトレーニングしてるのかが気になるなぁ〜」


「白木さん、肉体派過ぎるでしょ!」


 とまたも笑いが起きる。このクラス、最高。早くもイベントが楽しみになってきた。


「頭もよくて運動できて、もしかして能力も俺たちのとは違ったりするのか?」


 これに関しては質問が多かったので、実演することにした。教壇に上がり、入り口のドアに向かって感覚を尖らせる。


 クラスメイトが固唾を飲んで見守っている。


「ぐぐぐ…おりゃ!」


ドアがスーッと開いた。


 「おお〜!」とか「スゲー!」という歓声があがるが、こればっかりは「現人類」にどうしても見劣りしてしまうことに、私は落胆する。普通の「旧人類」はスマホを引き寄せるのが関の山で、そもそもほとんどの人間がトレーニングをしないんじゃないかな。何しろ、鍛え方自体が分からないんだから。


 私も昔はちょっと訓練してみようとしたけど、今みたいにドアをゆっくり開けるのが精いっぱいだったからすぐやめた。ホント、ガッカリな進化しちゃったな。


 「旧人類」の第七感セブンスセンスは、本国で設定されうるあらゆる基準において、特筆すべき点としては考慮されず、また規定もない。


 と、どっかの法文にもある通り、「旧人類」の感覚器官は社会生活において完全無視されている、というわけだ。その貧弱さや明らかな劣等が、いまのおかしな世の中を作りだしてる原因になってるんだろうけど。


 そんなことを考えていると、秋風さんが、


「白木さん、指に可愛いアクセしてるね。」


 と、感覚集中のためドアに向かって伸ばされた私の手を見て気づいたのか、そう言った。


 同時に、入り口から、一人の中年の男教師、おそらく私たちの担任があらわれた。クラスメイトが一斉に席に着きだす。


 私も席に戻ろうとしたその時、担任の先生(仮)が私の腕をとる。


「白木さん、生活指導担当から呼び出しがかかってます。ホームルームはいいので、すぐ一階の生徒指導室へ行きなさい。終わったらそのまま式に向かってください。今日は式が終わったらそのまま解散なので、バッグを持っていきなさい。」


 と、まるで機械音声のように無機質に告げられた。


 明らかにおかしい。


 まだ入学式も済ませていない新入生が、生活指導?


 十中八九、「現人類」からの呼び出しね。生意気な新入生、出る杭を叩いておこうって魂胆が、透けて見える。


 なにもかも筋が通らない呼び出しだけど、クラスのみんなは、バックに「現人類」を感じてこわばってしまい、異議を唱える人は誰もいない。しずしずと着席していく。


 「現人類」に逆らうと、〆られる。暴力で、従わせられる。なのに私たちには、抗う術がない。「現人類」に、「旧人類わたしたち」は勝てないから。


 間違っている。


 私は、悪癖が反省間もなく出ていることを自覚していた。けれど、カーッと、頭に血が上るのを留めはしなかった。


 ふと、思いつく。バッグを持っていっていいんだよね。なら…


 「分かりました。」と答え、バッグを取りながらさりげなくジッパーを開け、いつも持ち歩いている竹刀の持ち手が少し見えるようにした。


 ただ一人席に着かず、茫然と立ったまま、私を泣きそうな顔で秋風さんが見つめていた。知り合って間もないのに、私を本気で心配してくれているのが分かる。私は、怒りと共に決意が体に漲ってくるのを感じた。


「大丈夫。私が、アクセくらいいくらでも付けられる世界にするから。」


 そう告げ、私は生徒指導室に速足で向かう。






 どうしよう。憧れの白木さんが、連れていかれちゃった。


 勇気が出なくて、うじうじしている私を見かねて、白木さんの方から声をかけてくれた。


すごく嬉しかった。とっても凄い人なのに飾らなくて、綺麗でスタイルもよくて、これからもっと仲良くなって楽しい学校生活を一緒に送れると思うと、すごくワクワクした。


 なのに、彼女がどうしていきなりこんな目に合うの?


 白木さんは何もしていない。アクセだって、見せびらかしていたわけじゃなくて、私が綺麗だなと思って言っただけで…そもそも私があんなこと先生の前で言ってなきゃ こんなことには…


 あれ?先生の前でアクセが見つかったから、生徒指導室に呼び出されたんだよね?なのにその先生はいま私の目の前でなんかしゃべってる。多分、席に着けって言ってるんだろう。


 ってことは、先生が呼び出したわけじゃない。


 先生はグルなんだ。生活指導の「現人類」の人とつながってて、アクセしてたり、何かしらの基準からはみ出してる新入生を探してたんだ。


 大体、アクセの話が出た途端に入り口から出てくるのだっておかしいよ。


 どうしよう。先生が頼れないとなると、クラスメイトになるけど、みんな「現人類」に目を付けられるのを怖がって、何もできずにいる。


 どうしよう、どうしよう…新入生の私に、他に知ってる人なんて…


 ………いる。葵ゼミの人たち!!


 あの人達なら顔も分かる! それにあの人達が仲間を見捨てるわけない!


 たしか「旧人類」の二年生は、今から始業式のはずだ。プログラムにそう書いてあった。


「現人類」の二年生は、もう始業式を終えてクラスに帰ってきてるはず!


 ってことは、三人ともクラスにならまだギリギリいる可能性がある。


 クラスにいなかったら、ゼミ室?ってとこにも希望はあるかも……


 あの人たちに会える今のうちに、助けを呼ばなきゃ!


 時間がないと悟った私は、クラスの目や教師の制止も気にせず、教室を飛び出していた。


 まずは、一番近いコネ先輩の教室だ!


 パンフレットを広げながら走る。






 あいつ……いや、白木さんを怒らせて、俺はゼミ室に一人残された。しばらく鬱々としていたが、後でしっかりと謝罪、弁明すると決めることで勝手に心を落ち着かせ、ゼミ室備え付けの給湯器(なぜか、ゼミ室には簡易的な炊事場が設置されている)で湯を沸かし、コーヒーを淹れて、一人の時間を有意義に使っていた。


 俺は違いも分かるが、切り替えも早い男なのだ。


 ふと、思う。


 あいつ……いや、白木さんが、指輪、おそらく母の形見、をしてたことがやけに引っかかっているのだ。


 だめだ。どうも、情報が足りない。あと、記憶力もだ。「旧人類」の俺だけが、白木さんと同じシチュエーションを経験しているのに、肝心の記憶がまったく出てこない。


…………ああ、去年、もしかしてサボったのかもしれない。


 怜にメッセージを送り、真偽を確かめることにした。困った時はいつもそうしている。ルーティンワークみたいのものだ。


「あのさ、俺、去年入学式出たっけ?」


 一瞬で返信がきた。これが、ルーティンワークたる所以である。


「今日みたいに、私達が先に家に上がって連れてったわよ。それより、いま、始業式中よ?スマホいじるのまずいんだけど!」


 やべ、忘れてた。すまん怜。「旧人類」と「現人類」で始業式が別な事を失念していた。「現人類」が先に始業式を行うので、「旧人類」は当然のようにその間教室待機だ。なのに登校時間は同じってところに、悪意を感じるな。


「すまん。忘れてた。あと一つだけ。入学式で、変わったエピソードってあったかな? 俺がなんか言ってなかったか、覚えてないか?」


 秒速返信。


「抜き打ちで、持ち物検査とか服装チェックされたって、散々ぼやいてたのにもう忘れたの?鉄君らしいわね。コーヒー飲みすぎて忘れっぽくなってるんじゃない。今も飲んでるでしょ?笑」


コーヒーをこぼしそうになった。


思わず後ろを振り返り、そして恐る恐る入り口を覗きに行く。怜のやつ、監視カメラでもつけてるんじゃなかろうか。というかサボり、バレてるし。


「分かった。ありがとう。いきなり悪かったな。」と返信。スマホをポケットにしまう。


霧が晴れた気分だった。たしかに、抜き打ちの生活指導があった。


あれは、きっと力の誇示や見せしめの意味があったのだろう。俺たち「現人類」には、ここまでの権力がある。「旧人類」の教師なんかよりも立場が上で、教師たちはあてにならず身を守る手段はない。殺されたくなかったら大人しく従えと、そういう意味が込められていたのだろう。


アクセを付けてくる酔狂なやつはいなかったと思うが、指定のスクールバッグじゃなくエナメルバッグで来てたやつは粛清されてたっけな。そんなことで、と思った記憶がある。


考えれば考えるほど、事態は深刻なのでは?という気がしてきた。


だが、闇雲に動いても仕方がない。人間とは、今や色々な能力を使うが、最も恐るべき、そして実用的な、強みたるはこの考える力だ。


そして俺は思案の末に……




葵にいくつか連絡をした後、ゼミ室で二杯目のコーヒーを淹れることにした。俺は、ものぐさだからな。そろそろ分かってきただろ?






 コネ先輩は教室にいなかった。まだ担任は来てないみたいだったけど、クラスの人たちはちゃんと着席して、隣や後ろ前の人達とおしゃべりしていた。そんな中、ポツンとひとつだけ空席がある。おそらく、名前順で考えてもコネ先輩の席だ。なら、ゼミ室にいる可能性があるかも。


 ホントのこと言うと、妻ヶ木先輩か天音崎先輩に助けを求めたかった。けど、現人類の別館に行く勇気はなかったし、そもそも入れるのかどうかすら分からなかった。と、なると。


 もう、場所はゼミ室、そして人物はコネ先輩しか残されていない。


 っていうか、もしコネ先輩がゼミ室にいたとしたら初日からサボりってことだよね…


 で、でも、他二人に比べると心もとないけど、なんだかんだ葵ゼミのメンバーなんだもん、意外となんとかしてくれるかもしれない!


 そんなふわふわした思いで、ゼミ室の扉を叩いた。お願いだから居て!






 ドアを叩く控えめな音が聞こえた。よかった。来なかったら最速で白木さんを助けるプランがオシャカになるところだった。


 コーヒーを一気に飲み干し、ドアのロックを解除する。






 コネ先輩は、ゼミ室にいた。コーヒーを飲んでいたらしく、中からかぐわしいにおいが漏れている。私は、この人が白木さんの現状を知れるはずがないとわかっていても、(のんきな人だなあ)と思わずにはいられなかった。






 息を切らし、不安たっぷりの顔でこちらを見る新入生に、俺は大いなる敬意を表した。心の中で。


 本当に、よく来てくれた。俺だったらまず来ない。


 いや、白木さんの空気に、あてられたのかもな。そう考えるとこの子の気持ちがわかるような気がして、おかしくなる。


「白木さんのクラスメイトだな?あとは俺に任せて、この部屋で怜、いや、天音崎が来るのを待ってろ。あいつが来たら、俺は白木さんを助けに行ってるから待機と伝えてくれ。」


 そう口にして、廊下をダッシュする。


 なんか、ついてきていた。


「コネ先輩、足遅すぎません?」


「いや、さっき俺が言ってたこと、聞いてた?」


 なにしてんだこの新入生は。俺は、さっきの敬礼を取り消したい気持ちでいっぱいだった。


「先輩、なにも説明してくれなかったから。」


「はぁ?」


「なんで! 私が来ることわかってたみたいな感じだったんですか?超能力ですか?違うなら納得できるように説明してください!」


 と、両の手を胸の辺りで握ってやけに輝いた目で見つめてくる。普通に走りながら。


 この馬鹿……


 俺たち三人以外巻き込みたくなかったのに…面倒なことになった。前に向き直るが、心なしかダッシュしていたのが小走りになっている気がする。


 百歩譲って、白木さんの友達ならいいか?だが……


「長くなるから無理だ!」


 それとこれとは別だ! 説明なんて怠いことしてられるか!第一、走りながら話せるわけないだろ!


 あれ?でもこいつは、話しかけてきてるな…


 くそ……意味がわからん。それに…目がチカチカしてきやがった。


「先輩?まさか、バテてるんですか? 渡り廊下渡り切れてませんけど?」


 そのまさかだ。めちゃくちゃ久々の、しかも急な全力疾走で、どうやら立ち眩みを起こしてしまったらしい。春休み、運動なんて一切してなかったしな……


「先輩?」


「わかった……はぁはぁ……ふうー…………なら、少し説明のために、座って休憩しよう。な?」


「で、でも白木さんが!!!」


「いいから、ほら」


 しぶしぶといった感じで、新入生が廊下に座り込む。


 深呼吸を繰り返し、息を整える。視界は暗いままで、体のふらつきも収まりそうにない。軽い貧血の様な状態か。座っている分には影響は少ないが…走れはしないだろう。


 緊急事態ではあるが、この子をそのままくっついてこさせるわけにもいかないので、回復を待つと同時に疑問を解決してやることにする。すっきりしたらゼミ室に戻れよマジで。君がいたら何もできないんだから。


「…まだ彼女のことをほとんど知らないが、一つ確信していることがある。……白木さんは、本気で強くあろうとしてる、稀有な人間だ。口だけじゃない。」


 と探り探りといった感じで口にすると、新入生がぶんぶんと首を縦にふる。やっぱり、こいつも白木さんにあてられてたな。カリスマ性ってやつだろうか。


「だから、その辺のしょうもないチンピラみたいな「現人類」にすぐに負けるようなことはないだろう。ただ、万が一もあるから、俺が現場に急行する。多少心もとなくてもな。しかし、突然のことに俺はいま激しい立ち眩みを起こし、とても立ち上がれそうにない。だから、君の要求に答えながら、回復を待つことにする。」


 この子、まだ名前もわからないが、好奇心旺盛なタイプみたいだな。身を乗りだすようにして聞いている。


 どうやら、有名な葵ゼミのメンバーである俺に、なんというか……適切でない、本来抱くべきでない感情を抱いてしまっているらしい。…目的、忘れてないだろうな?


「さて……じゃあ生活指導のことから話すか」


 筋道だてて説明するのは、性に合っているし嫌いじゃない。少なくとも全力疾走よりはずっとましだ。


「さっき怜から聞いて思い出したんだが、新入生は抜き打ちで風紀チェックをされるよな。俺たちも去年式の前に受けたよ。目的は「現人類」の脅威を植え付けるためだ」


「はい。私もそう思いました。白木さんは、生活指導担当の「現人類」の下に、見せしめのために呼び出された…」


 まあ、誰だってそれは分かるよな。楽しい学校生活に胸を膨らませている新入生にとって、あまりにも性質の悪い風習だ。こんなことがまかり通っているのに、ここが都内有数の進学校だって事実が、この国の腐敗ぶりを示しているように思える。


「白木さんの指にアクセが見えた。ほかに基準に引っかかるような点は見当たらなかった…髪も黒かったし、セーラー服も着崩していない…ということは、その指輪が原因で呼び出しをくらったんだろう」


 実はスカートが短いように思ったが、セクハラになりそうなので黙っておく。


「去年、俺たちの時は、抜き打ちチェックは教壇で担任が宣言してから行われた記憶がある。たしかエナメルバッグのやつが連れてかれてたな。だがあくまで見せしめのためのチェックだったから、クラス全員にはやらずに、少しでもおかしなやつがいたらそいつが連行されて即終了だったはずだ。」


 これは話しているうちに思い出した。エナメルバッグ君以外の記憶がまったくなかったのは、彼だけが被害者だったからだったんだ。


「だが、もし、今年も教壇からチェックを行ったとしたら、指輪なんてよっぽど白木さんを見てなきゃ気づかない。さっき、狭いゼミ室で二人でテーブルで向かい合っていたときでさえ、白木さんが立ち上がるまで指輪には気づかなかった」


「なのに、教壇からでは気づくことができない白木さんの指輪が、彼女が粛清対象として選ばれた理由となった。粛清の対象は去年にならえば一人。白木さんがいまこうして連行されたということは、チェックは終了している。


以上から今年は、教壇から宣言して行う形での風紀チェックは行われていないと考えられる。そうだな?」


 ここまで言って新入生の顔を見ると、目を丸くして、分かりやすく驚いていた。


「は、はい……!白木さんが呼び出されてすぐ、先生はホームルームを始めました……!」


 合ってた。これで間違ってたら自殺ものだ。


「教師が近くにいて、目視で確認される、という可能性も考えたが、君らは新入生だ。まだ緊張もあるだろうし、自分の席に全員がついていると考えた。もしそうでなくとも、教室に教師が入ってきた時点で、速やかに着席するはず。しかし、着席したら指輪はもうみえない。なら、なぜ、しかも一番はじめに、白木さんの指輪に教師が気づいたのか?」


「つまり、白木さんが生活指導の歯牙にかかったのは、アクセサリーのことをうっかり口に出してしまったから、としか考えられない」


「………!!」


 新入生は俯いてしまった。君のせいじゃないと慰めたかったが、時間もないし照れくさいので話を先へ進める。


「自らのアクセサリーに関して独り言を言うような状況は考えにくい。女子が互いの持ち物を誉め合ってるのをよく見るが……まあそれだろう。」


「教師にたまたま聞かれてしまったのは運がなかったな。一人でも粛清対象がいればいいんだから、教室から偶然……もしかしたら待ち構えていたのかもしれないが……指輪についての会話を耳にして、後は適当に腕でもとって手の指輪を確認すれば教師のミッションはコンプリートだ」 


 さっきまでうつむいていた新入生は、口をぽかんと開けて俺の顔を凝視していた。


「先輩…もしかして私達の教室見てたんですか?」


 バカいえ。すると新入生は首をひねり、


「で、でも…それじゃ私が来ることがわかってた理由にはならなくないですか?」


 と疑問を呈してきた。


……たしかに。答えになってなかった。


「う〜ん……そこは根拠が浅いんだけどな…俺にはにわかに信じられないことだが、白木さんがすでに友達を作って雑談していたのはほぼ間違いない。なら、その友達が、白木さんが連れていかれたのを見て助けを呼ぶんじゃないかと踏んだんだ」


 新入生は俺の言葉を反芻しているようだ。


「新入生の間で葵、怜、俺の名前がグループチャットで有名になっているのはさっき白木さんから聞いた。教師がアテにならないのは君も分かってる。」


「なら、君らの拠り所は、唯一名前を知っていて上級生である俺達三人の内の誰かに絞られる。あとは、案内板にも場所がのっていて、現人類館と旧人類館の渡り廊下にあるゼミ室でのんびり待てばいいのさ。葵たちは生徒会の仕事で「現人類」講堂の別館にいるし…第一、新入生が別館に行くのは自殺行為だ。それは俺たち(旧人類)が一番理解している。選択肢は俺の教室かゼミ室しかない。」


 新入生を見つめ、目で反応を促す。しばらく無言。すると反芻が終わったのか、新入生が体を近づけて反論してくる。だからやめろって。


「いや、だって!私が白木さんを見捨ててたら全部だめじゃないですか!」


 そうだな。この点に関しては、筋道だっていない。あやふやだ。ある種、賭けのようなものだった。


 でも、理由にはならないが理屈っぽいものならつけられるぞ。


「…………あいつ、目しっかり見ながら話してくるだろう?」


「えっ……たしかにそうでした……けど」


「なんか……裏切る気も失せるだろ」


「……はい。」


「それが理由。」


「……納得……しました。」


 やっぱな。あてられた者同士だった。


 俺の立ち眩みもだいぶ回復してきた。一刻もはやく援護に向かおう。何よりも、謝罪と弁明をしなくてはならない。というかそれをしに行きたい。


 学生服についた埃を払いながら立ち上がる。よし、いけそうだ。まだ座ったままの新入生を見下ろして言う。


「じゃ、もう行くよ。君は、ゼミ室に戻ってろ。喧嘩に巻き込まれたくなかったらな。」


 そう告げて、駆け出す。






 生徒指導室に、白木真はのこのこやってきた。


 これから、この俺、二年生で生活指導部の臼井翔にひどい目にあわされるとも知らずに。いや、知っててついてきたのか?


 それはそれでいいな。俺は、気の強い「旧人類」の女は大好物なんだ。


 生活指導部の毎年の習わしとして、「旧人類」の一年生の担当教員全員に、受け持ちクラスに対して入学式前の抜き打ち風紀チェックを行わせる、というものがある。


 尋常高校は、生徒名簿をタブレットで管理している。そのタブレットから、俺が個人で所有してる連絡用に支給されたスマホに連絡が行くように設定してある。だから、ほぼノータイムで、特定の生徒に教師を通して呼び出しをかけられる。


 というか、生徒会や委員会、もしくは部活動で何らかの役職についていれば、そういう設定をすることができる。「旧人類」の教師は実質俺らの支配下にあるってわけだ。


 この新入生抜き打ちチェックはこの役職について初めての仕事だが、最高にラッキーだと俺は感じていた。


 なんたって新入生で一番目立ってやがって、あのむかつく葵ゼミのメンバーの、白木真が釣れたんだからな。正直、俺はこいつを狙いうちで難癖付けて呼び出す気満々だったので、勝手に引っかかってくれたのは手間が省けた。


 しかも合法的に遊べるからな。


 噂によると白木真は、代々伝わる古武術の家の出で、腕に自信を持っているらしい。


 なるほどなるほど。


 俺は、本当にラッキーだと、しみじみ感じてしまう。


 暴力が、今の世の中を構成する重要なファクターの一つとなっている以上、俺たちと、「旧人類」の立場が逆転することはありえない。


 「現人類」は、自身が持つ感覚量センシティビティの全てを、運動能力の強化に回すことが出来る。


 つまり、ろくに鍛えていなくても単発ならステゴロのパンチが打てるし、瞬間的になら進化発現前の短距離走者並の走力を発揮できる。


 しかも、「現人類」の第七感は「旧人類」と違って鍛えやすい。感覚量は感覚を使いながら鍛錬すればするほど底上げすることができるし、旧人類と違って日常的に使うから鍛え方ノウハウも確立している。


 それに、そもそもの自身の肉体を鍛え上げれば、第七感と組み合わさってスキのない強さを手に入れることも可能だ。


 まあ、そんなことしなくても、旧人類どもに負ける道理があるはずもない。俺は無駄なことはしない主義なんだ。合理的だろ?


「へへへ……」


 いま、俺の目の前に勃っている、いや、立っている白木真の整った顔と、前に突き出る大きな胸をみて、笑いがこみ上げて止まらない。


 神様、俺を「現人類」として作ってくれてありがとう。


………………ん?こいつ。


 よく見たら肩にさげたバッグから竹刀と思しきものの持ち手が覗いている。


 ははぁ〜ん、武器持ちかぁ。普段から持ち歩いていたとしたら、涙ぐましい防衛意識じゃあないか。おおかた、俺が後ろを向いたスキに一発で仕留める気だったんだろうな。


 そりゃあ当然の考えだ。お前らが俺たちと正面から戦って勝てるわけない。


 でも、でもね。俺は決して脳筋じゃないんだ。


 その辺のチンピラとは違う。極上の獲物を、慢心で逃がしたりはしないよ。


「よく来たなぁ、白木真さんだね?入学おめでとう。ここじゃなんだから、空き教室で話そうか?入学早々こんなとこじゃ、いかにも怒られるって感じがして嫌だろうしね」


 「旧人類」は今の時間始業式だから、教室はもぬけの殻だ。二年一組の教室へと足を向ける。


「そうだ、校舎のこと、まだよく知らないだろう?僕は「旧人類」の校舎にも詳しいから、ツアーがてら行こうか。後ろから案内するよ。ほら、お先にどうぞ」


 へへへ……後ろをとったぞ……俺はその竹刀から決して目を離さない!


 俺の目を盗んで不意打ちしようったってそうはさせないぜ。


 ああ〜。新年度から、こんないい思いができるなんて。


 最高の気分だった。


 我慢汁だろうか、じっとりした不愉快な感触が、股間から伝わってくる。


 適当に案内しながら、二年一組の教室へと誘導することに成功した。もう、ご褒美は目前だ。


 おっと…風間たちも後で抜け出して来るんだったっけか。…………まあいいだろ。ここまで来て我慢なんかできるかよ。構わず先に頂くとする。


 先に白木真を教室に入らせ、竹刀を取り出させないように、獲物から一切目を離さず手を後ろに回して鍵をかけた。


 その瞬間、脳天に大きな衝撃がはしった。






 このスケベ野郎、生徒指導室に私が姿を見せた途端、じろじろ撫でまわすように見てきた。


 最低。勃起してやがる。


 私の中で、殺意が沸々と湧き上がるのを感じる。


 後ろに回ったり、教室に移動したりと、猪口才なことを繰り返すこの下種野郎に、返す言葉などない。色々話しかけてくるが、全て無視する。


 思ったとおり、こいつは他の「現人類」達と同じ、脳筋バカのようだ。ただのチンピラだ。


 これ見よがしにバッグからはみ出している偽物の竹刀(.....)に、違和感を覚えることすらないみたい。どう考えても。バッグに竹刀が入る訳ないでしょ、馬鹿。


 私がこのゴミのいうことに全て無言で従ったことや、性欲が高まりまくっているのも手伝ったのか、私が袖口に隠した警棒には気付く素振りもみせない。


 何から何までむかつく。ぶっ殺す。怒りは、私の一番の原動力だ。夢がエンジンなら、この必要以上に溢れ出す怒りは私にとってはガソリンだ。今まさにフルスロットルになっているのを感じる。


 鍵を閉めるためか、勃起男が私をねめながら手を後ろに回す。セーフティボタンとツマミで教室の内鍵はロックする仕組みだ。さっき教室を出る時確認した。だから……


 そう、両手がふさがるよね。待ってたよ。


 私は、警棒を腕の振上げの勢いで伸ばし切り、上段構えから渾身の力で脳天に振り下ろした。






 なんか、ついてきていた。


 あまりにも見覚えのある光景だった。違うのは立ち眩みを起こさず走っていることくらいか。


「おい……お前……ただのバカじゃなくて実は相当のバカなのか」


「だって、友達がピンチなのにゼミ室で指を咥えて待ってるだけなんてできませんよ!」


 美しい友情だ。


「それにコネ先輩!!私、一番大事なことを伝えてませんでした!白木さんは、生徒指導室に呼ばれたんです!!」


 あっ……


「でも迷いなく駆け出したから、もしかしてそれも分かってたんですか?」


 俺は、自分の第七感が優れていることを自覚している。だが、その事実を公にはひた隠しにしている。


 なぜなら、俺の感覚は知られていないことこそが最大の強みとなるからだ。


 俺は、この子が、俺の言った通りゼミ室にいてくれれば、廊下のつきあたりで感応センサーを展開して白木さんの場所を特定するつもりでいた。白木さんがわずかに発する感覚の特徴は、すでに記憶していたからだ。


 だがこの新入生が着いてきてしまったり、立ち眩みを起こしてしまったりで予定が狂ったので、急遽、推理めいたものを披露することで好奇心を適当に満たしてやって引き返させる作戦に変更したのだ。


 しかし……詰めが甘かった。俺はこの子に、一度も白木さんが連行された場所をきいていないのだ?疑問に思うのも当然だ!


 ……隠しきれないな、これは。


 それに、そろそろ俺のたった一人の後輩を、救いにいかねばならない。実力が伯仲しているのならあまり時間はかけられないし、リスクがどうこう言ってる場合じゃない。


 俺は、覚悟を決めておもむろに立ち止まる。


「そういや、名前、聞いてなかったな。」


「……? えっと…私、秋風響です。一年一組です。」


 突然立ち止まった俺を不思議そうに見上げながら、秋風さんはそれでも名前を教えてくれた。


「秋風さん。今から俺が、白木さんを助けるまでにやることは、他言無用で頼むぜ。」


 息を整え、感覚を尖らせる。さっき、ゼミ室で覚えた白木さんの感覚をとらえる。


「俺はコネ先輩じゃない、亜門鉄郎って名前がある。二年生の、「旧人類」だ。よろしく」






 私は、亜門先輩と会ってまだ十分ほどしか経っていないことにとっても驚いた。


 それほど、この先輩にはびっくりしっぱなしなんだ。


 もともと、葵ゼミの人たちには強い憧れがあった。


 だからこそ、白木さんと友達になれたのはすっごくうれしかったし、葵ゼミの人たちに真っ先に助けを求めた。


 亜門先輩も例外じゃなくて、前髪がふわふわと長すぎるだけで近くでみたら顔もかっこよかったし、背も高いし、コネ先輩って言いながらもきっとコネだけじゃない何かがあるんだろうって内心思っていた。


 けど全然体力なくて、立ち眩みまで起こして、勝手に失望した。やっぱコネ先輩だったとガッカリした。


 でも、期待を捨てきれなくて、ついていったら、全部覗いてたんじゃないかってくらい、鋭い考察をみせてくれた。


 本当にびっくりしたし、なんだか興奮した。学校で一番って言われてる人達の、凄さを体感できたからかな。


 と思ってたら、今度はよくわかんない力をみせて、白木さんの位置をあっさり特定しちゃうし。 


 本当に同じ旧人類なのかな?実は新人類だったりしそう。


 私は、この先輩の、底知れなさにすっかり魅了されていた。危険とわかっていても、一緒に「現人類」のところへ向かわずにはいれなかった。


 亜門先輩って、いったい何者なんだろう? もっと知りたい。






「っぐあ!!!」


 汚い叫び声が二年一組の教室に響く。


 くそっ!脳天を警棒で全力でぶっ叩いたのに!! 


 私は、自分の単純な腕力不足に失望した。


 たしかに「白木流」は剛の武術ではない。どっちかっていうと非力なもののための武術で、だからこそ私でも習得することができた。


 けど、こんな屑一匹、一撃、しかも不意打ちでも仕留めきれないなんて!!


 そんな気持ちが顔にでていたのか、壁にもたれかかって呻いていた勃起男が、ニヤリと笑っている。


 ……なめられてる。


 サシなら、大きなダメージを負ったこいつでも、私には勝つ自信があるってことだ。「旧人類」は、ここまでなめられている。


 勃起男が、額の血を手の甲で拭いながら憎々し気に言う。


「君は……頭も回るし鍛えてもいるようだね……まさか、竹刀をフェイクにして警棒から意識を背けさせるとは」


 笑顔を浮かべてはいるが、声色から悪意が漏れ出していた。


 私は、自分でも知らない内に後ずさりしていることに気が付く。


「だけどね……意味がないんだ。こういう状況を、避けることこそが君には最善だったんだよ。戦わないことがね……いくら小細工を弄したって、俺たち相手に、お前らが勝てる道理は、絶対にないんだからっ!」


 脚部が鈍く感覚の光をまとったのが見え、次の瞬間にはこいつは目の前まで迫ってきていた。


 反応が、一歩遅れる。


 私は、こいつが右利きである、という賭けにでた。素人の初撃は、大抵、利き腕による大振りだからだ。


 左手は、体に染みつかせた白木流の、迎撃態勢の間合いで自然と伸びていた。


 賭けに勝った。


 右の大振りで殴り掛かってきた、その腕のひじ関節に高速で左手を這わせ、掌底を拳の進行方向に打ち、軌道をずらす。そのまま、打った手を残し体捌きで左に回り込む。


 拳は、私の眼前ギリギリをかすめていく。


「な……んだァ?」


 振りの勢いを流された屑はバランスを崩して机に突っ込み、教室に派手な音が響いた。


 白木流、「盆船流し」は、相手の攻撃を防ぐでも、撃ち落とすでもなく、殺すことに極意がある。


 相手が渾身の攻撃に、いかなる魂を込めようとも、黄泉に送り流す。それが白木流の奥義の一つ「盆船流し」である。


 定型があるわけではないが、攻撃の際の力点を見極めることでいかなる攻撃にも対応が可能である。ただし、ジャブなどの、出の速い連撃にはほとんど合わせることができない。


 しかし、体格差の大きい相手であるほど、迎撃率は上がる。そういう意味で、白木流は非力な者の為の武術、といわれているのだ。


 迎撃には成功したものの、繰り出した際の勢いで握っていた警棒は教室の入り口付近に吹っ飛んでいってしまった。私からも遠いが、勃起男からも遠いのが不幸中の幸いか…


「へへへ……へえ、それが噂の武術ってわけかよ。やってくれるなぁ、てめえ」


 転がった警棒をチラッと見た勃起男の口調が荒くなる。こっちが素のようだ。


 私は、冷や汗をかいていた。さっきは、賭けに勝ったことで対応できたようなものだ。攻撃に本当の意味で対処できたかというと、そうではない。こっから本番ね。






 生活指導のやつと、白木さんの感覚センスは、すぐに感じることができた。が、白木さんはほとんど感覚を使っていないみたいだ。ほう。


 二年一組の教室へ直行すると、鍵がかかっていた。


 秋風さんが、


「さっき、ここに来たんです。けど、鍵はかかってなかったのに…」


 と、泣きそうな顔と声色で言う。そんなこと、秋風さんが気に病む必要は全くないのに。


「大丈夫だ。教室の鍵は、セーフティボタンを押しながらツマミを回してロックするようになってるが、解除の際はツマミを回すだけでいい。」


 感応を走らせ、内側のでっぱりに干渉する。秋風さんのつぶやきが聞こえる。


「嘘…」


 扉が開くと同時に、二つの視線が自らに集中するのが分かった。やれやれ…注目されるのは好きじゃないんだがな。






 目の前の光景に、私が日々積み重ねてきた訓練は意味をなさなかった。何が起きても動揺せず最適な対応を取るはずだった私の体は、全く動かなかった。


 「亜門…先輩? どうしてここに」 


 それは、勃起男も同じだったが、援軍が亜門先輩と知って落ち着きを取り戻したようだ。


 「なんだ…お前は? 鍵は閉めたはずだが……ああ、亜門か、妻ヶ木のコバンザメがなんの用だ?まさかゼミの後輩を助けに来たんじゃあるまい?」


 亜門先輩は完全に男を無視し、ほっとしたような表情を浮かべている。


 「よう」と手を挙げ、


 「生意気で早とちりな後輩が痛い目にあう前に間に合って良かったぜ」と言った。


 「なっ……生意気って! 早とちりなのは認めますが」


 「あの態度が生意気じゃなかったら何なんだ? もうそんな態度がとれないように、ゼミの先輩として威厳を示しにきたんだ」と頭をかきながら先輩が言う。


 「せ、先輩!どうしてそんな言い方をするんですか!白木さんを助けに来たんでしょう!」 


 後ろから秋風さんまで登場し、私はいよいよ動揺が隠せない。


 「な、なに考えてるんですか!秋風さんを連れてくるなんて?彼女は無関係だし……よりによってこんな危険な場所に?」


 亜門先輩は、しまった、という様な表情を浮かべてはいるが一切焦りは見せなかった。軽く世間話に混ざりに来たかのような飄々とした態度に、私のさっきまでの緊張感は吹き飛んでしまった。


 私はこの時、うまく説明できないし、はっきりと何かを認識することも出来ないながらも、亜門先輩が放つ?強者の雰囲気?を感じ取っていた。


 「それにしても…やっぱり口だけの有象無象じゃないな。白木さん。」


 「え?」


 「現人類に対してここまで自分の力で対抗できる旧人類はそうはいない。よく鍛えてあるし、勝利に向けてやれることはやる、その姿勢も好感が持てる。」


 そう、床に落ちた警棒をチラリと見ながら先輩が言う。


 なんて婉曲な言い回しだろう… 私は、ようやくこの先輩のことが分かりはじめてきた。


 「はあ…まあ…ありがとうございます。」と、場違いな返事をしてしまう。同時に、秋風さんが後ろから微妙な顔で先輩を見ているのが目に映り、笑ってしまいそうになる。それ程、先輩が来てから場の空気は弛緩していた。


 先輩はそれに気づかず、なぜか嬉しそうに話を続ける。


 「だからこそ、非常に惜しい。」


 「…どういうことですか」


 「お前は、大きな可能性を秘めているってことだ。」


 私は、この言葉に食いつかずにいられなかった。教室に現れてからの先輩の発する得体の知れない雰囲気も相まって、まるで人参を目の前にぶら下げれらた馬のように、圧倒的な真実味を帯びた言葉に前のめりになる。


 「……詳しく教えて、いただけますか?」


 しかし、場の支配権を失った哀れな男がいたことを、突如として思い出させられることになった。


 「おい?亜門てめえ…ふざけるなよ?女の前で強がってんじゃねぇぞ?」


 せっかくなんか…………こう…ビビっと来たのに……私は勃起男に心底腹が立って仕方なかった。ゲームでいい所なのにセールスの電話がかかってきた時、あれに近い。


 亜門先輩は、たった今思い出したように勃起男に目を向けて言う。その顔は、こんな件からは早く手を引いてしまいたいといわんばかり。心底嫌そうだ。


 「お前な…気がつかないのか?」


 「なに…?」 


 「俺たちが悠長に話してる間…お前が白木さんを襲おうとした回数…」


 私は無意識に、腕で体を抱くように交差させていた。鳥肌がたっていることに、気付く。


 話に夢中で気付かなかった。暴力には慣れていても、その類の感情をぶつけられることには慣れていない。嫌悪感が体中を走った。


 けど…どうして亜門先輩にそれが分かるの? 


 「三回だ」


 「な…」


 「どうして分かったのか…って顔だが、足りない頭でよく考えてみるんだな」


 「なぜ体が動かなかったのか…なぜ、さっきからお前は気持ちとは裏腹に静観を決め込んでいるのか」


 先輩の手が、勃起男に向かってスッと伸ばされる。


 「まさか…お前が…?いや……そんなことありえない」勃起男の顔は真っ青だ。


 「俺の後輩を危険な目に合わせたこと忘れるなよ」


 先輩が両手を、何かを握るようにキュッとすぼめる。しばらくすると、


 「がっ」


 と情けない声をあげ、顔を真っ赤にした勃起男が気を失い前のめりに倒れこんだ。


 秋風さんが、得体の知れないものを見るような目で先輩を見ている。


 きっと私も、同じような顔をしていただろう。




 


  俺は自分に酷く落胆した。謝罪目的で白木さんを助けに行ったのに、第一声で憎まれ口を叩いてしまう自分に。こんなのじゃ照れ屋だ何だと言い訳もできない。情けない話だ。


  そんな暗澹たる面持ちで佇んでいたら


 「先輩!なにをボーっとしてるんですか!早くここから移動しないと、また現人類が来たらまずいですよ?色々お話したいこともありますが後です!」


  流石白木さんというべきか、この言葉で俺は我に返った。


 「そうだな。秋風さんもいることだし…白木さん、家は道場だったよな?」


 「ええ…そうですが」


 「そこにとりあえず行かせてもらってもいいか?俺の方からもお前にいくつか用があって、体をある程度動かせる場所がいいんだ。入学式を諦めてもらうことになって申し訳ないんだが」


 「分かりました。今すぐ移動しましょう!秋風さんも!」


 白木さんは二つ返事で了承してくれる。


 「わ、私も行っていいの?」と秋風さん。


 「もちろん!いまから入学式に行っても、担任越しに秋風さんのことも伝わってる可能性が高いから危ないし!今度、私達だけで個人的に入学式やろ!」


 白木さんがそう言った途端、不安そうだった秋風さんの顔がぱあっと明るくなる。おいおい、心掴みすぎだろ。まだ会って一時間もたってないんだよな?


「分かった!白木さんがそう言ってくれるなら!亜門先輩、早く行きましょう!」 


さっさと教室を出ていく一年生二人。人間力の差を痛感し肩を落としながら、


「そうだな…」と後ろをついていくしか俺にはできなかった。






 俺は尋常高校二年、妻ヶ木葵だ。エリートひしめくこの学校の?現人類?で、成績はトップクラス。生徒会長も務めているが、そんなことは全て、大いなる目的の為の足掛かりにすぎない。同志と共に、日々自己研鑽に勤しんでいる。 


 そんな俺だが、今、新入生歓迎のあいさつを無事終えた(乗り切った)後、同志でもなく成績もあまり良くない怠け者の幼馴染に言われて、ちょっとしたいざこざの後処理に向かっている。挨拶の間にその男から連絡が入っていて、教室で待機していたのだが、ついに指令が下ったのだ。


 まったく…俺をそうやって顎で使う前に、ちょっとは自分の足で動いてほしいもんだぜ。まあ、今回の件では珍しく自ら現場に赴いたみたいだからな。うん。感心、感心。


 俺は二年一組の教室へ向かいながら苦笑してしまう。鉄郎も本当に素直じゃないな。なんだかんだいって後輩のことをすごく気にかけているじゃないか。予想はしていたことだけどね。


 怜と賭けをしていたのだ。鉄郎が白木さんをどう扱うか。俺も怜も?ぶつくさ言いながら優しくする?に賭けたので、成立しなかったけど。 


 教室に入ると、軽く流血した頭を抑えながら、男が立ち上がるところで、それを取り囲むように、二人の男がいた。こいつが帰ってこないのを不審に思った友人が来たのか、もしくは後から合流して白木さんと?お楽しみ?になるつもりだったのか、いずれにせよ、聞かされていた通りの状況だった。


 鉄郎が少し間を開けて現場に行けって言ってたのは、この為だったのか。確かに、数人ギャラリーがいた方が、後処理は格段にしやすいだろう。 


 なるほど、こいつが生活指導部の新入りの臼井翔か。いかにも下っ端って顔じゃないか。


 そんな感想を抱いた自分に、「ああ、俺も後輩を危険な目に合わせたこいつに憤っているんだな」と気づく。あんまり見た目で人を判断しないようにしてるんだけど。


 「な…妻ヶ木?」「まじかよ」と男たちが驚いている。


 鉄郎や怜だったらもっと酷い言い方をするだろうな、と想像していたら、なにもしてこないことに何か勘違いしたのか、臼井が得心顔で


 「ああ…後始末にきたってわけか。ただな…俺に手を出すということは生活指導部の全員を敵に回すということだよ…もちろん、望月さんもだ。生活指導部の権力をなめんなよ…それに、てめえを目障りに思ってる教師陣はてめえが思ってる以上にいるんだぜ」


 と脅してきた。望月という名前は聞き覚えがあるので、一応耳に挟んでおくとして、ええーと。鉄郎になんて言えって言われたんだっけな。


 ああ、思い出したぞ。なら、少し色も付けてやるとするか。俺は自慢の笑顔を作り、


「いやー、うちのゼミの後輩がすまなかったな、臼井君!」


と明るく告げた。


 戸惑いを隠せない連中に、続ける。


「今回の件、こちらの不手際だ。後輩は得物を隠し持っていて、最初から臼井君に危害を加えるつもりで呼び出しに応じたみたいなんだ」


「けど、そんなのは全くフェアじゃない。うちのゼミは誇りをもって運営していてね、そんな卑怯なやり方はなるべく避けるようにしているんだが…まだ入りたてでそういった意識がなかったみたいなんだ。本当に申し訳ない。」


 臼井は目に見えて困惑していた。そりゃそうだ。加害者である自分が、なぜか被害者にすり替わっているのだから。それに、最も気にかかっている亜門鉄郎の存在はまるで最初から無かったようなこちらの話ぶりだ。困惑しないはずがない。


 畳みかけるように、


「しかし、そちらの呼び出しに正当性が欠けているのもまた事実だ。」


 と言うと、臼井は、意味不明なこちらの言い分に我慢できなくなったようで、


「妻ヶ木…ダラダラしゃべりやがって…なにが目的だ!やるならいつでもやってやるぞ!!亜門なんかに俺がやられる訳ねぇんだよ?」と喚く。その様子からは焦燥が見え隠れしている。


 うーん、鉄郎はやっぱりどこかおかしい。全部言った通りになるなあ。この状況からこちらの提案を推していくのは容易に思えたが、一つ、ダメ押ししてみようかな。


 感覚を発動し、一瞬で臼井の背後を取る。造作もないことだ。


「ッ……?」


 臼井は遅れて俺の存在に気付くと、愕然とした表情を浮かべる。そこから自信は綺麗さっぱり消え去ってしまったようだ。取り巻きがあっけにとられているのが目の端に映った。


「そんなに怯えなくても良い。今、ここで君をやるつもりはないんだ。こちらにも非があると言っただろう?」


「……ならどうするんだ」と、臼井が正面を向いたまま顔面蒼白で聞いてくる。効果覿面だったようだ。待ってましたとばかりに切り出す。


「取引をしよう。」


「取引……だと?」


「そう。お互い落ち度があったってことで、一旦この場は収めて、あとで公平な手段をもってこの件を解決しようという話さ。どうだ?」


 臼井はまだ納得していないようだったが、取り巻きの一人が


「内容によるな。その様子じゃなにをするかは決めてあるんだろ?裁判でもするのか」


 と乗っかってきてくれた。話が早い。いてくれて助かったぜ。


「簡単さ。わが校らしく、当事者の臼井君と後輩の一対一の試合で決めよう。もちろん武器は無し。感覚の使用は有り。グラウンドで、衆目の下公平公正にやる!」


「…は?」


 何を言っているのか分からないという顔をしている臼井の横で、取り巻きが


「おい、これ以上ない話じゃねーか。」


「そうだな。随分のぼせあがっているようだぜ生徒会長さんは。こちらに有利な条件でも負けない自信があるからこんな提案してくるんだろ?」と口々に言う。


「まあ、そういうことになるな。」と必要以上にふんぞり返ってみる。つくづく、俺はアドリブのきく男だ。


臼井はしばらく逡巡していた。


バカでも嵌められたとさすがに理解したみたいだが、周りの


「チャンスだろ、妻ヶ木を失墜させれば、俺たちの席が空くぞ」「何か考えがあるか知らねーが、旧人類の女に負けるワケないって」との後押しも効いたのか、しぶしぶと


「…わかった。」


 と了承してくれた。


 俺はまた必要以上に明るく、


「よかった!快諾してくれて感謝する。詳細はまた追って伝えるよ。」


「ではまた!」


 三人を残し軽やかに教室をあとにしながら、自らの演技力と、幼馴染の謀略の恐ろしさを改めて感じる。結果的に、ほとんど鉄郎の目論見通りになってしまった。


 やっぱり、実行部隊の俺、参謀の鉄郎のコンビは無敵だ。足取りは自然と軽快になる。さあ、俺も白木さんの家に伺うとするか!


 っと。その前に怜と合流しなきゃな……ゼミ室でいいか……


 ……また怒られそうだな……


 浮上した新たな問題を思い出し、軽快だった足取りは途端にいつも通りに戻った。






 俺達は、最寄りの駅までなんとなく無言で、それに速足で向かった。正確には、二人は今日入学の一年生で道順に自信がなさそうだったので、俺が先導した。


 先頭に立って歩くことなど日常でまず無い。なぜか少し高揚し、いつもの俺では考えられないスピードでキビキビと歩いた。怜が見たら感動のあまり涙を流すのではなかろうか。


 白木さんの家は、電車で一時間くらいかかるらしい。三人で都内をグルグル回る電車に揺られていると、白木さんが、


「先輩、先ほどは本当にありがとうございました。先輩が来てくれなかったら、正直危なかったです。助かりました」


 と頭を下げてくる。俺はここでようやく


 「こちらこそ、すまなかった。」と謝罪することができた。


 しかし続く弁明が、


 「さっきああいう意地の悪い言い方をしたのは…その…」とうまくできない。またしても自分が嫌になっていたら、白木さんが


 「私にレジスタンスの危険性を伝えようとしてくれたんですよね。私、先輩のこと、少しですけど分かってきましたから!」


 と笑顔で言ってくれる。先輩の威厳をグラフにしたら、今日だけで激しく乱高下しているだろうな。


 「まあ…そんな感じだ。悪かった」


 「お互い様ですね」と二人で笑い合う。秋風さんも笑う。いまここに世界平和が実現した。


 よかった。反省して、これからはもう少し素直になろう。


 俺が安堵から心中で涙を流していると、白木さんは気持ちを切り替えたようで


 「とりあえず逃げてきちゃいましたけど、あのままにしといて私達大丈夫ですかね」


 と疑問を投げてくる。なんでデキるやつってのはこうオンオフの切り替えがうまいんだろうか。まだこの和やかさに浸っていたいんだけどな。どうやら俺は違いが分かるだけの男だったらしい。


 「とりあえず、手は打っておいた。葵を現場に向かわせた。」


 と俺が言うと、秋風さんが、


 「意外と、力技で解決するタイプなんですね。」


 と言ってくる。失礼な。こんな知略に長けた大参謀をつかまえて。第一、力技にしても葵頼みじゃないか。


 「そんなわけあるか。俺は葵みたいに直情的に動くのは嫌いなんだ。」


 「じゃあなんで妻ヶ木先輩を行かせたんですか?」と白木さん。


 また長々と説明しなきゃいけないのだろうか。運動よりマシとはいえ、流石に一日二度は許容外で、今日は全く厄日だ、と思う。やっぱりサボりが良くなかったのかもしれない。


 俺は片手で掴んでいたつり革に、両手でもたれかかるようにして顔を隠す。大きなため息を、二人に見られないようにするためだ。はぁ…面倒くさい。


 すると、秋風さんもらんらんとした目で俺を見ているじゃないか。人気者はつらいな。


 「……」


 「先輩?私、無言に耐えられないタイプなんです。」と白木さんが言う。


 「気が合わないようだな。俺はいつまでも平気なタイプだ。後数時間はいける」


 「いつまでもじゃないじゃないですか」「うるさい。とにかく平気なんだ。だから説明はしない」「私、全てに理由が欲しいタイプなんです」「とことん気が合わんようだ」


 俺たち二人のしょうもない会話をやたらニコニコしながら聞いていた秋風さんが、急に


 「先輩、私もダメなタイプなので、こちょこちょしてもいいですか?」とおかしなことを言いだすので、


 「「こ…こちょこちょ?」」と白木さんと声を揃えて聞き返してしまう。


 「あ、話題を広げようとしましたね?先輩の負けです。さあ、理由を話してください。」


 秋風さんがそう言ってクスクス笑う。白木さんはこらえきれず吹き出し、俺はあきれ返って


 「秋風さん、高校生でこちょこちょはないって!」


 「おい…お前…やっぱ相当バカだろ」とそれぞれ突っ込まざるを得ない。


 俺はこの時から、秋風さんを、?友達想いのいい子?から、?好奇心旺盛で変わった子?であると認識を改めた。どうも最近の若い子は、危険なことに首を突っ込みたがるようだ。




 「あえて葵を現場に行かせたのには二つ理由がある。」と切り出すと、二人はふむふむ。と言わんばかりに頷いている。


 「一つは、あいつの生徒会長という肩書を使って、交渉の際に圧をかけ、逃げられなくするため。もう一つは……まあ、俺がそういうのに不向きで、あいつが向いてるからだ」


  なんとも情けない理由だが、これが本当に理由の一つだから仕方ない。あえて二人の方を見ずに話を続ける。


 「現人類あいつらは、目を覚ました時に俺達がいないということもあって、亜門とかいう訳の分からない旧人類に負けた、という事実から目を逸らそうとするだろうし、また、事実を捻じ曲げられる何かがあれば飛びつかざるを得ないだろう。なぜなら奴等の人生において、そんなことは絶対に起こり得ないと思い込んでいるからだ。」


 こういった考え方が現人類の根底に流れているため、俺の感覚センスは奴等の心理的間隙をほぼ確実に突ける。それはすなわち、俺の感覚が非常に優れていることが知られていない限り、俺は現人類に対して圧倒的に有利ということだ。同時に、仮に亜門鉄郎という旧人類の第七感が優れていると周知されてしまったら、今持っているアドバンテージを手放し、最初から奴等の土俵で勝負することになってしまうのである。


 「そうか!だから亜門先輩、さっき私に他言無用で頼むって言ったんですね!」


 「じゃあ…さっき一連に起こったことはやっぱり先輩が第七感でやったことなんですね……信じられない……」


 と、一年生二人はそれぞれ反応を示す。


 「秋風さんの察する通り、俺は現人類に対し優位に立つため自分の能力をひた隠しにしているんだが……それは今は置いておこう」


 「そんな心理状態のあいつらの前に、その何かを腰からぶら下げた葵が現れる。後輩が得物を使ったから、こちらにも非があるとか何とか言ってな。ここで、?あくまでお前は卑怯な手で不意を突かれたのであって、亜門鉄郎には負けていない?ということを暗に強調すれば、プライドを傷つけたくない奴等は飛びついてくるだろう。俺に負けたとあっては、評価もガタ落ちするしな」


 「先輩って……もしかしてヤバい人ですか?」と白木さんが胡散臭そうに見てくる。


 「なんでだよ」「だって…自分の評価の低さまで逆手にとってて…なんか怖いですよ」


 失敬な。それに、これは他人事じゃないぞ、特に白木さんは。


 「白木さん、お前は………いや、これは後でまとめて言おう。」


 白木さんはなおも不審がっているが、ひとまず先へ進める。


 「俺に敗北したという事実、そしてそれが知られることが奴にとって最悪の事態だが、まだ問題はある。フェアじゃないとはいえ一年生の旧人類、それも女子に負けるのは主観的にも客観的にもマズいだろうから、そこに関しても何か手を打たなきゃならない。そこで、依然として困っている奴にこちらから交渉を持ちかけるんだ。一度こちらのペースに乗せてしまえば簡単に引っかかってくれる」


 「その、交渉っていうのは?」


 「試合の提案をするんだ、白木さんとあいつの」


 「え?」と二人は狐につままれたような顔をする。構わず続ける。


 「分かりやすいリベンジの場を与えてやる。その辺の切り出し方や詳細は葵に任せたが…あいつならうまくやるだろ」


 「ちょ…ちょっと待ってください!白木さんとあの人がまた戦うんですか?」


 と秋風さんがうろたえている。


 「そうだ。この提案はあまりにも相手に譲歩していて怪しいものになるが、問題ないと俺は踏んでいる。なぜなら、少し時間が経てばおそらくあいつの仲間があの教室に来るだろうからだ。始業式に出席しないことを不審に思った友人か……もしくは下衆な目的をもって合流してくる同類か、どちらかが、だ。女と二人きりになろうとする情けない野郎だし、一人では行動しないだろう。どっちにしろ誰か無関係な人間が一人交渉の場にいればいいから、いなきゃ葵が連れてくればいい。重要なのは第三者の目があることだ」


 「いや、亜門先輩、ですから……」


 「まあせっかくだし最後まで聞けよ、その第三者からの後押しがきっかけとなるはずだ。明らかな罠だが、乗らなければ一年生の、しかも旧人類相手に逃げ出した臆病者のレッテルを貼られる。そのことに目撃者、証言者が居たらもう言い逃れできないからな。この先の学生生活を考慮すれば乗っかるしかない。」


 「さらにここで、さっき言った生徒会長の圧も効いてくるだろう。この場で葵に粛清されるか、罠と分かっていても一年生の旧人類の女と戦うことのどちらが良いか、答えは自ずと出る」


ここまで言い切って、ようやく二人の方を見ると、秋風さんは明らかにむくれているし、白木さんは思いつめたように窓を見つめていて、あまり芳しくない反応だ。


 「そうやって、相手の溜飲を下げて、場を収めてきたんだ。そのために葵を派遣した。猶予はこっちの提示する条件次第だが、取り敢えず今すぐ報復は来ないから安心してくれ」


 と、長ったらしい、非常にエネルギー消費の大きな、鬱陶しい説明にオチを付けると、秋風さんがそれを待っていたかのように、


「だ、か、ら、亜門先輩?どうして白木さんをまた戦わせるようなマネをするんですか?」


「酷いですよ?見損ないました?そんな回りくどいことしないで、普通に妻ヶ木先輩にやっつけてもらえば良かったじゃないですか?」


 とぷりぷりしている。やれやれ…まだ、白木真の恐ろしさを理解していないようだな。


 ずっと黙っていた狂気の女が口を開く。


「先輩……気持ちを汲んでくださってありがとうございます。私、嬉しくて」


「ええ?し、白木さん、う、嬉しいって…」


「すごく嬉しいよ…正直、この感情は抑え込もうと思ってましたが…あんな屑とギリギリの勝負をした自分に、腹が立ってしょうがなかったんです。是非、リベンジさせてください」


握りしめた拳が、わなわなと震えている。乗客も、白木さんの発する異様な空気を感じとったのか、視線が俺達に集まっているようだ。


「その試合…必ず勝ちます。妻ヶ木先輩の沽券の為にも、必ず、です。」


「て、提案しといてアレだが…そんなに気負いすぎなくてもいいぞ?」


と、俺まで少し引いてしまった。それくらいただならぬ怒りを感じる。本気も本気すぎるだろう。俺は間違っていた。危険なのは反政府組織じゃなくてこの女だったんだ。心配なんて要らなかったんだ…


「そ、そうだよ、白木さん…それに…」ひきまくっている秋風さんは、少し言い淀むと、


「不意打ちしても勝てるかどうかって人相手に、もう一回やっても分からないよ…それにすごく警戒されると思うし…第一、そんな急に強くなれないんじゃ…?」


とひきながらもしっかりと正論で殴りつけてくるという暴挙に出た。


「だから危ないことやめて、妻ヶ木先輩に任せよう?」と諭している。そういえば友達想いな子だったな。すっかり忘れていた。


 それに関して俺が答えようとした所、白木さんが口を開いた。


「先輩、さっき何か私に言いかけてましたよね?その時、私、ピンときたんですよ」


「この人について行けば、もっと強くなれる、夢に近づけるって。この直感、間違ってましたか?」


 俺の頭に、ゼミ室で思いついた、今となっては確固たるものになったあるアイデアがよぎる。しかしそれは、この後輩を更なる深みへ誘ってしまうもので、自分からのアプローチは控えていた。何のためにレジスタンスから遠ざけようとしたのか分からなくなってしまうし。


 なので、正直に言うと、意味深な言葉をちらつかせることで、白木さんの方から持ち掛けてくるのを待っていた節がある。


 だが、本人がその気になるなら、俺の方もやぶさかではない。


「…いいや、何も間違っていない。お前はもっと強くなれる。」


 こうなったら俺の持てる物は全て白木さんに伝授し、誰よりも強く、絶対に死なないような最強の女になってもらうしかあるまい。


 そう腹に決めながら、しかし、どこかこうなるのを待ち望んでいたかのようにクツクツと笑う俺を見て、怒りと希望が入り混じったなんともいえない笑顔を浮かべる白木さん。


そして、ただオロオロする秋風さんと共に、俺達は三人で連れ立って電車から降りた。


異様な光景が過ぎ去った乗客達の間で、どこかホッとした空気が流れたとはつゆ知らず。






 私は、鉄君から始業式中に連絡があった時から、きっとまた鉄君と葵だけでなにかコソコソと悪だくみをしているんだろうと直感していた。


 いつもそう。昔っからずっと。あのバカでいつまでたってもコドモな二人は、「危ないから」とか「男にしか分からない」とか理由をつけて私を除け者にするんだわ。


 私、天音崎怜が作り上げてきたよそ行き(、、、、)の顔からは、もっともかけなれたしかめ面をしている自分が、洗面所の鏡に映る。その姿に苦笑して、ハンカチを口にくわえて手をしっかりと洗う。


 教室に戻ると、教師が来るまで友人達とたわいもない話で盛り上がる。話題は主に、春休み何をしていたかについて。


 私は正直、鉄君の家に行くかアルバイトしかしていなかった。


 たまに友人や鉄君の妹の楓とショッピングに出かけたくらいなので、世間一般的には寂しい春休みといえるだろう。私にとってはこれ以上ない過ごし方だったのだけど。


 これといって話したいことも話すべきこともなかった。でも大体、皆が楽しそうに話しているのは本当に話したい事じゃない。年頃の女子高生の私達が本当に話したい事ってなったら、やっぱり恋バナだ。


 私の中で、その手のイベントといったら専ら鉄君との関係の進展具合になるけど、色々とややこしくなりそうなので鉄君が私の想い人だというのは友人達には伏せている。知っているのは葵と、楓だけ。


 どうしたものか。春休み話したい事がなかったとさっきいったのは、つまり鉄君との関係が一切の変化も見せなかったってこと。なにかしらあれば、我慢できずに友人達には鉄君ということは隠して話していたに違いない。


 でも今まで通り、私達の関係は友達以上恋人未満ってところだ。


 彼が私のことをただの昔馴染みって目で見てるわけじゃないっていうのは感じている。ちゃんと私の気持ちには、ほんの少しだけ気付いてくれている。だけど、贅沢を言うようだけど、私は鉄君とそれ以上の関係になりたい。


 春休みは珍しくデートにも付き合ってくれたけど…たまたま買うものがあったってだけだったもんなぁ…私は何も無くても出かけたいのに。彼がお誘いをして来ないってことは、彼の中で、私達はまだそこまでじゃない、ってことなのよね、きっと。


 そういう失意の中、友人達の本当に話したい事、の聞き手に回っていたかったのだが、なぜか友人達は鉄君ではなく私と葵をセットで扱いたがり、ありもしない葵とのアレコレをせびってくる。


 具体的には、


 「会長とどこにデートしたの?」とか、「会長との仲はどこまで進んでるの?」とか。


 全く存在しないロマンスについて語れと言われても困ってしまう。


 「私と葵はそんなのじゃない」


 と口を酸っぱくして言っているのだが、なぜか彼女達は、私が照れ(、、)から二人の関係を隠そうとしている、といつも曲解して自分たちを納得させてしまうのだ。


 だから最近は、面倒くさくなって、葵との間にあったことを適当にぽつぽつと報告するようにしている。


 具体的には、


 「葵と(鉄君と三人で)買いものに行った」とか、「葵と(鉄君の家で)お泊りした」とか。


 彼女達もホクホク顔なので、まあこれで良しとしている。嘘じゃないし。


 別に葵が嫌いなわけじゃない。というか好きも嫌いもない。孤児院のころからずっと一緒の、家族みたいなものだ。他にも孤児院で共に幼少期を過ごした人はみんな、私の家族と思っている。


 ただ、鉄君はちょっと例外ってだけ。彼が孤児院に入居してきた時のことは、鮮明に覚えている。


 今日もなんやかんやで学校に来てくれた。私にとっては、それだけですごく嬉しい。だから、校門で別れてすぐゼミ室に行ってサボっていることなんか、すぐわかったけど全く気にしない。


 本人はいじめなんてどうってことないって顔をしてるけど、本当はきっと傷ついている。昔から、情に篤くて、実は繊細な人だ。


 嫌々ながらも一緒に登校してくれたのは、私達を気遣ってくれているから。私達に、無駄な心配をさせまいとしているから。不器用なだけで、すごく優しい人なんだから、鉄君は。


 彼のことを思えば思うほど、いじめや誹謗中傷に関しては、私はそろそろ我慢の限界にきている。


 自身が築いてきた、くだらないものを捨てても、なんとかしなくちゃいけないと常に思っているのに、鉄君本人がそれを許してくれない。しかしそれも、葵を気遣ってのことなので、私は強気に出れない。


 まったく、お人よしすぎるわよ。と少し呆れてしまう。でもそんなところが好き。ふわふわの天然パーマで、色素の薄い黒髪で、すらっと背が高くて……好きなところを挙げていくとキリがない。


 私も、実は周りが思っているほど気が長くないので、この件に関してはいつか強硬手段にでるつもりでいる。その方が、絶対鉄君のためには良い。


 新しく入った白木さんのことも、タイプが合わないだなんだとボヤキながら、すごく気にかけているであろう光景が目に浮かぶ。そういえば葵とそんな話をしたっけ。


 虚構の話を広げながらそんなことを考えていると、別のグループから私達のところにある噂が回ってきた。


 なんでも、葵のゼミの一年と二組で生活指導部の臼井が、試合をすることになったらしい。


 生活指導の規定に引っかかった一年生を呼び出したところ、その一年生は最初から臼井に危害を加えるつもりで凶器を遂行していたという。


 臼井は、一年と、援軍に現れた亜門にその得物で不意を突かれてけがを負い、その報復として、葵が提案したその試合で痛い目に合わせてやる腹積もりだそうだ。


 私は、その噂が耳に入った瞬間、誰にも気づかれないようするりと教室を出た。こういうのは得意分野なのだ。


 色々質問されるのは目に見えている。それに、また鉄君への誹謗中傷が聞こえてくるに違いない。今この状態でそんなの耳にしたら、プッツンきてしまうかもしれない。危ない危ない。


 携帯を確認する。葵から、「ゼミ室で待ってる。その後、白木さんの家にお邪魔して皆と合流する予定。」と連絡が入っているのを確認し、早足でゼミ室へ向かう。様々な感情を胸に抱えながら。


 案の定、また二人で…とっちめてやらなくちゃ。


 白木さんがそんな危険に巻き込まれてたなんて……大丈夫かな。早く事実を確かめたい。


 やっぱり、鉄君ったら、白木さんのこと相当心配してたみたいね。結局危ないところを助けたみたいじゃない。まったく、素直じゃないんだから。

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