強さの色

 すげー嬉しい事があったんだ。十年間位、ずっと気に掛けていた自転車のMTB(マウンテンバイク)の選手が大切なレースで優勝した。

 今年九月に行われるビーグレース、四年に一度のアジア大会はオリンピックのアジア版といった感じで、スポーツの様々な競技が一同に開催される。

 MTBの代表は今回は一発選考レースで、優勝者男女各一名ずつが選ばれる仕組みだった。


 その日、俺は今日はアールは勝てるって信じていた。朝からちょっとこれまでの事、思い返していたんだ。あいつが勝ったら、あの写真を引っ張り出してきてちょっと自慢してやるぜ。

 そして実はレースがスタートする前にこれを書き始めていたんだ。


 アールと出会ったのは今から十年以上前。彼はまだ中学生だった。俺の地元のヒルクライム大会で女子部のニ分後位にMTB(マウンテンバイク)の部がスタートした。あ、俺、こんな言葉遣いしてるけど女子だから。

 確か前日に雪が降ってコースがハーフに短縮されて開催された大会だった。ゴールまでに何人かのMTBクラスの選手に抜かれて、その中にちっちゃい子供みたいな子がいたんだよな。「おー」とか思ってて。で、俺は表彰式のプレゼンターやってたんだけど、そのチビが優勝しちゃってたんだよ。こんな子がいるんだって驚いたっけ。


 それから、アールとはMTBの会場で顔を合わせるようになっていった。その頃は俺が走っていた女子エリートの数分前に男子エキスパートってクラスがスタートしてたんだ。エキスパートは最上級のエリートの一つ下のクラスで、その頃は強い中学生もここで走ってた。普通は優勝すると次の大会からエリートで走るんだけど、ある年齢に達しないと何回勝ってもエリートには上がれない仕組みだったんだ。

 だからアールはそこで何回も勝ってたけど、上には上がれなかった。


 MTBのクロスカントリーっていう競技は、オフロードを中心とした山あり谷ありの一周四〜五キロ位のコースを数周して争う。マラソンみたいに一斉にスタートして一番でゴールした選手が一位。競技時間は一時間半位で、持久力や瞬発力、自転車を操るテクニックとか、精神力とか様々な力が要求される競技だ。


 で、エキスパートの方が女子より一周多く走ってゴールする事が多かったから、コースによって男女のトップがほぼ同時になる事とかあったんだ。だから俺はアールとどっちが先にゴールするか度々競争してたんだ。

 俺もアールもあんまり話するほうじゃないし、会話らしい会話もあんまりした事なかったけど、俺が抜かれる時、アールは「ガンバです!」って越え掛けてくれて抜いていった。あいつ、単独で先頭走ってる事が多くて、余裕で優勝って感じでも、自分自身をすげー追い込んで走っていくんよ。

 その背中、まだ俺よりも小さいのにかっこよかったな。そんな瞬間を切り取ってくれた写真があって、アールがビッグレースで優勝したらみんなに見せて自慢してやろうって思ってたんだ。全日本でも世界大会でもないけど、今回はすごくいい勝利だったからいいだろ? 

 抜かれてから少しの間は特等席でその走りを見れて、ついていきてーって思うけど、ま、すぐに小さくなっちまうんだな、これが。くそ〜っ!


 アールは小さい頃からすげー強かったって話をしたんだけど、高校時代は良きライバルに恵まれて、それは嬉しい事であると同時にアールをすごく苦しめる事にもなったと思う。あいつ、めっちゃ負けず嫌いだぜ。絶対。それが強くなるための一番の原動力だったと思うけど、逆に自分自身をおとしめる事にもなっていたと思う。

 ジュニア時代、MTBのアジアチャンピオンにもなっているし、全国大会でエリートの最後方からジュニアがスタートしたレースでエリート全員を抜き去って優勝してしまった事だってある。だけど波があった。ライバルに勝てない事が彼を苦しめ、レース中に自分自身の不甲斐なさを感じて自滅してしまうような事が度重なった。


 俺は一度だけ、MTBとロードを組み合わせたようなシクロクロスっていうレースで自転車交換の出来るピットにお手伝いで入った事がある。チーム員でもないのにこんなお手伝いを申し出たのは、後にも先にもこの時だけだ。その時は彼のお父さんが一人でピットをやってて、アールは手伝ってあげたいって思わせる何かを持っていた。

 そのレースでさ。ピットの目の前は泥が深くて、メカトラブルを起こす選手が何人もいたんだ。

 その日はウエットの難しいコンディションでアールはミスが多くて思うように走れていなくて、その泥区間でとどめを刺された。自転車が走行不能になって、もうこんなヘタクソな自分自身に腹が立ってしょーがねーって感じで不貞腐れて泣いちゃって俺の目の前でレースを降りようとしてるんだ。

「やめるな〜」

 って声が沢山ピットから飛んでいた。自転車を交換して何とか走り出したけど、自分の気持ちを抑えきれないっていうか、めちゃくちゃ真剣にやってて感情に出ちゃう少年って今どきあんまりいないから、こんなアールを見て益々応援したくなったもんだ。


 ライバルに負ける事の方が圧倒的に多くなってしまったジュニア時代。そしてエリートに上がってからもアールは苦しみ続けていた。

 力はあるのに、心的要因が大きくて自滅し、レースを降りてしまう事も度々あった。

 あいつ、言い訳もしないし心の中に溜まってる物の吐き出し方とか、対処の仕方とか、ちょっと不器用なんだと思う。力はあるのに結果に結びつけられてない期間が何年も続いたんだよな。

 もう、何回も心が折れそうになった事があるはずだ。「何で?」って思うレースが何回も何回も続いて、見てる方も辛かった。ゴールして人知れず泣いていたレースが何回も何回もあったと思うんだ。


 普通ならやめちゃうぜ。でもアールはやめなかった。あいつ、自転車がすげー好きなんだと思う。たぶん強くなる事しか興味ないんじゃないかな。


 少年はいつの間にか青年になり、勝てないと分かってもきちんと走り切る術を身につけ、一番高い所じゃなくても表彰台の上で作り笑いを出来るようになっていた。

 アールの事をそれほど知ってるわけじゃないから、それはオレの持っているイメージだけど。

 作り笑いの奥にはいつも少年の頃と変わらない悔しさを隠しきれない目があった。


 見てる人は見てる。今はたぶん凄く良い環境で取り組めていると思う。それもアールの力とこれまでの取り組みがあってこそだ。

 この競技で世界の中で戦う事はとてつもなく厳しい。でもそこに挑戦出来る環境を手に入れて、その戦いを始めている。そして心身共に確実に強くなっている今。


 今回のレースはアールにとって勝たなくてはいけないレースであり、勝てる力をしっかりとつけて臨んだレースだったと思う。

 雨の難しいコンディション。昔、苦戦して泣かされていた泥の中、後続をぶっちぎっての文句のないあっぱれの勝利!

 最高だぜ!

 動画で観た走りは落ち着いた強い走りで、泥だらけの姿での喜びのゴールアクションはバッチリ決まっていた。勝つべくして勝った姿に見えたぜ。


「やってきたことがまず一つ形になりました」とアールは綴った。

 一つ一つを形にしていく。これからも。更なる厳しい道へ挑戦。

 少し遠回りはしてしまったけれど、少年の頃からひたすら求めてきた速さ、強さ。その眼差しの先にもにあるものは、あの頃と何も変わらないように思える。


 何度も何度も、何年も何年も、打ちのめされて折れそうになっても折れなかった強さがある。培われた強さ。遠回りした分の強さ。

 強さってのは色んな強さがあると思うんだ。厳しい競技を長く続けていく中で培われていく強さは一人一人が違う色。

 アールは自分の持つ弱い心を克服したというよりは、それを今も持っているから強いんだとも思える。苦しんでもがき続けていた期間が長かっただけに魅力的な色を放つ。


 競うのは速さで、そこに順位が付く。強さに順位は付かないけれど、レースの速さだけじゃなくて、一人一人から滲みでている強さみたいなものを見るのが好きだ。

 アールだけじゃないよ。色んな選手各々に色んな色があって、そんなものを見るのが俺は好きなんだ。

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