第30話 「安心だ」

 上から降り注ぐ血。月海は顔を上げ、暁音は耳を塞ぎながら彼と同じ場所を見る。そこには、黒い影に体中を貫かれている、アザエルの姿があった。


「あれは…………」

「これが、あいつの最後だ。俺の目を奪ったんだからよ、これが妥当だろ」

「妥当の意味を今すぐ調べたくなってくる光景なんですが」


 項垂れ、ピクリも動かないアザエル。溢れる血すら体内に残っていないのか、それとも影によって圧迫されているからなのか。今はもう、血が流れ出る事はなく気を失っていた。

 そんなアザエルを、ムエンは冷めたような瞳で見あげ、次の指示を仰ぐため月海をチラッと横目で見る。


「…………もう大丈夫だろ。食っていいぞ、ムエン」

「わかった」


 ムエンは月海の指示に従い、姿を変え始めた。

 黒い霧が少年を包み、どんどん大きくなる。そこから姿を現したのは、毛並みが良い、月を覆い隠すほど大きな狼。


 この街全体に響き渡る程の咆哮を上げ、口を開く。刹那、閉じられていたアザエルの瞼が微かに動き、薄く目を覚ました。瞳のみを動かし横を見ると、目の前に広がる光景に絶句。


 血走らせた目を見開き、今までにないほどの叫び声をあげた。


「や、やめろぉぉぉぉぉぉおおおお!!!!!!!!!」












 アザエルの叫び声は、そのうち、聞こえなくなった。

 ムエンは先程のアザエルの気を警戒していたが、何もない事がわかり姿を少年に戻る。力を使い過ぎて、ふらふら。暁音が慌てて抱きかかえたため、地面に落ちる事はなかった。


「あの、何が起きたのか理解できなかったんですが」

「だろうな。まぁ、無事だったんだからいいだろ」

「そういう問題ではないと思います。本当に、怪我はないんですか?」

「ない。ここに用ももうない。旧校舎に帰るぞ。どうせ色々話さねぇとならんし、座りてぇ」


 月海はそれだけを言うと、暁音を無視して歩き始めてしまった。そのため、暁音もムエンを抱えたまま無言でついて行く。


 彼女が振り返り路地裏を見た時、残されていたのは赤黒い血液と、暗闇を漂う薄気味悪い空気のみだった。


 ☆


 旧校舎の教室。いつもの3―Bに辿り着く。

 月海はいつもの、窓側にある椅子に座り、暁音は隣に立つ。ムエンは寝息を立て安心したような顔を浮かべ暁音の腕の中で眠っていた。


「月海さん。教えていただいてもいいですか? あの方との繋がりを」

「…………」


 暁音の質問に答えず、月海は黙って夜空を見上げていた。暁音も頬を染めながら、一緒に星がちりばめられている夜空を見上げる。

 瞳が微かに潤んでおり、涙の膜か張っていた。カタカタと体が震えており、立っているのもやっとな状態。

 暁音の違和感に気づいた月海は、見上げていた顔を下ろし彼女に向ける。


「お前、もうそろそろ限界か」

「みたいです、体に力が入らなくなってきました。一回帰りますね。今回の事は必ず次、聞かせてください。お願いします」


 そのまま返答を待たずに教室を出ようと、フラフラな足取りで廊下へと向かって行く。そんな暁音を月海は見ていたが、ふと。何かを忘れていることに気づき、彼女の背中に声をかけた。


「おい。そういえばお前、俺の目――……」


 問いかけようとした時、限界を迎えた暁音の身体がぐらりと傾いた。


「っ、っと。…………どんだけ無理してたんだよ、こいつ」


 咄嗟に椅子から飛び上がり、暁音が倒れる前に抱き支えた。ムエンの事も、地面に叩き落される前に襟元をしっかりと掴むことに成功。咄嗟に首根っこを掴んでしまったが、相当疲れているムエンは、鼻提灯を浮かべながら爆睡中。

 ムエンが起きなかったことに安堵し、月海は倒れてしまった暁音を見る。


 片膝で腰を支え、右腕で頭を持つ。体から力が抜けているため、両手などはだらんと横に垂れていた。


「…………だからこいつは油断ならないんだ。自分の体調不良に気づかねぇとか。あほすぎだろ」


 そのような言葉を零し、ムエンを暁音のお腹に乗せ立ち上がった。そのまま廊下を出て、真っすぐ保健室に。

 置く側にあるベットに優しく下ろし、ムエンを横にずらした。かけ布団をかけ、月海も横に座る。


 月明りが三人を優しく照らしており、暖かい光が包み込む。月海はそんな光が眩しく感じ、そっと手で隠す。

 何も見えない視界で、月海は何かを見続けている。それは自身の過去か。それとも、今日の戦闘の事か。


 今回の戦闘ではムエンの力が勝敗を決めたといってもよい。だが、それだけでは確実に押され負けていたかもしれない。

 勝利を手にできた要因は、月海が持つ、普通の人では到底出す事が出来ない独特な殺気と、判断力。


 元々不思議な空気を纏っている月海。放っている雰囲気も他の人とは異なり、異質。一般人なら、近づくことすら躊躇してしまいそうになる。そんな彼が、本気で人に殺気を向けてしまえば、いくら堕天使だったとしても、簡単に呑み込まれてしまう。呑み込まれてしまえば最後。恐怖で体が動かなくなり、声すら出ない。その隙に相手を殺してしまえば、あとは簡単。

 証拠隠滅に、ムエンが食べてしまえば何の問題もない。



 暁音と出会う前。まだ、月海の裏人格が表に出続けていた時。彼は誰でもいいからと思いながら、片手に包丁を持ち人気ひとけのない道を夜な夜な歩いていた。


 人か近付いてくれば独特な雰囲気で呑み込み、心臓を一発で狙い殺していた。

 気持ちが高ぶっている時は一発で殺さず、何度も何度も体に刃を突き刺しゆっくりと殺していた。その際、人は驚きや苦痛の叫びをあげながらこと切れるため、それを愉快と感じ、体がしびれる感覚にはまっていた。

 その度、ムエンが死体を食べ証拠を隠滅。お互い自分にとって有益な事だったため、そんなことをやり続けていた。


「…………んん! あ、ルカ」

「起きたかムエン。体の方はもう大丈夫なのか?」

「大丈夫」


 ムエンは目元を擦りながら起き上がり、ベットに座り直す。月海を見上げ、あくびを零した。


「ムエン」

「どうしたの?」

「お前は、暁音が好きか?」


 月海の脈略もない質問に首を傾げつつも、ムエンは笑顔で元気いっぱいに頷いた。


「大好きだよ!! ルカと同じくらい大好き!!」

「……そうか」


 少し嬉しそうに微笑みながら、月海はムエンの頭をなでる。心地よさそうにムエンは頬を染め、口元に右手を持って行き「えへへ」と笑った。


「いきなりどうしたの? ルカがそんな事聞くなんて。もしかしてルカも風邪?」

「そんな事ねぇよ。ただ、このままこいつを俺達の勝手に突き合せられねぇかと思っただけだ」


 抑揚のない言葉。感情が乗せられておらず、まるで業務連絡をしているように言う。


「もうそろそろ、暁音とお前の契約を解除し、記憶を奪い自由にさせる必要があるな」

「え、アカネともうお別れなの?」

「あぁ。元々、こいつは巻き込まれただけだ。こいつの目は俺好みだったし、もう一人の俺が勝手に手をさし伸ばしただけ。こいつは助けられたと思っているがそれは誤解だ。俺達の気分が、こいつを中途半端にしちまった。なら、こいつのこれからに俺達はいない方がいいだろう。目も戻ってきたしな。ここにいる必要はなくなった」


 ムエンは同時に、二人と契約をしていた。一人は、月海。そして、月海と共にずっと行動をしていた暁音。


 月海は暁音のポケットを探り、小瓶を取り出す。小瓶の中には、赤色と黒色の瞳が液に漬けられ泳いでいた。


「ここでこいつとはお別れだ。約束はもう、考えなくていい。お前の感情は、もうすぐ戻るだろう」


 ベッドで横になっている彼女の頭を一撫し、惜しむようにそっと囁く。返答はない。響くのは、暁音の寝息のみ。

 月海は静かに立ち上がり、眠っている暁音を見下ろした。最後と言うように腰を折り、額に軽いキスを落とす。


「人のために自身の意志で動けるようになったお前は、人の死に恐怖を抱くようになったお前は、涙を流せるようになったお前は、もう安心だ。あとは、俺以外の普通の人間と関わり、プラスの感情を取り戻せ」


 足音を鳴らさず、月海は廊下に姿を消した。最後、ムエンに記憶を抜いておくように告げて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る