第五章――①
夜が明け、運命の日がやってきた。
太陽が真上に輝く頃、聖女様ご一行が市民の歓声を受けて凱旋した。
私はその声を遠くに聞きながら、作戦最後の仕込みとして、杖の力を一部ユマに移植してもらっていた。
この間のように大量の魔物を殲滅できるような大規模な術は使えないが、アリサ一人を相手にしのげる程度には戦えるらしい。
戦闘形態になった杖を握ったままの右腕の手先から肘のあたりまで、すぐに肌の色に同化する特殊なインクで複雑な文様を描いてもらってるんだけど、これがまた滅茶苦茶くすぐったい。ある種罰ゲームだよ、これ。
笑っちゃうと文様が歪んじゃって一からやり直しになるらしいから、必死に我慢してるんだけど……絶対今の私は変顔になってるよなぁ……。
笑いをこらえているせいもあるけど、ユマがいつも以上に至近距離にいるし、時々腕の角度を変えたり固定するために触れるもんだから、緊張するやら恥ずかしいやらで「うわああ」って叫びそうになる。
いや、叫ばないけどね。中身はいい歳した大人だから。
うむむ……推しの前でなんたる失態を演じているのだろう。
まあ、ユマは作業に集中してて、こっちの顔なんか全然見てないんだけどね。
安心するところなのか、ガッカリするところなのか。
そんな苦行に耐えること十分ばかり。
筆先が滑るくすぐったい感覚がなくなり、ユマの体が離れた。
彼は一歩二歩下がって出来栄えを確認しつつ、無表情の中にも満足げな色を滲ませて一つうなずいた。
「……ふむ、こんなところか。一旦杖を置いて具合を確かめてくれ」
「はーい」
杖を元の大きさに戻して机の上に置き、魔力を右手に集中させると、杖を握っている時と同じように魔法が発動する感覚が生まれる。
「……どうだ。違和感はないか?」
「ええ。杖を使ってる時と同じ感覚があるわ。使徒の力ってなんでもありなのね」
「そこまで万能じゃない。あくまで応急処置のようなものだ。絶対無理はするな」
「私よりアリサの心配をしなさいよ。コテンパンにのめしてやるつもりだから」
ニヤリと笑ってみせると、ユマは呆れたように肩をすくめた。
「どこまでも強情だな、あんたは」
「今さら泣き言や弱音を吐いたって仕方ないし、不安な気持ちをそのまま口に出せば、ますます弱気になるだけよ。ピンチな時ほど前向きな言葉を選ばないとね」
言霊の力は侮れない。
人間の脳みそは案外単純にできているもので、普段はできないことも「できる」と言い切れば、すんなり実現することだってある。
私は椅子から立ち上がり、屋敷に入ってくる馬車を窓から見下ろした。
「ほら、アリサ様のおかえりよ。お出迎えしなきゃね」
何か言いたげにしているユマだったが、黙って私について階下に降りる。
使用人が一堂に会するエントランスホールにアリサたちが踏み込んできた瞬間を狙い、私は小さなつむじ風をまとって彼女の前に姿を現した。
「なっ……!」
アリサや騎士たちから驚愕の声が上がる。
私は何度もシミュレーションした笑顔と声色で、慇懃に挨拶をした。
「初めまして、アリサ。私は先代の聖女ハリ。あなたが聖女にふさわしい者に成長したかどうか、女神に代わり確かめさせてもらいに来ました」
そう言ってアリサに向かって一歩踏み出すと、彼女を庇うように騎士が一斉に前に出た。見上げた忠誠心だこと。
「おいユマ! これはどういうことだ!」
「女神より課せられた試練だ。あんたたちは引いてもらおう」
「冗談じゃない! 試練というなら騎士も共に受けるべきだろう!」
「そうだよ! どんなことがあってもボクたちはアリサと一緒に戦う!」
「だいたい、そこにいるのはいつもアリサに盾突く恩知らずの侍女だろう。そんな奴の戯言を信じるのかい?」
番犬のごとくキャンキャン吠える騎士たち、ユマが厳かな口調で告げる。
「戯言かどうか、身を持って味わうといい」
ユマの目配せを受け、私は杖を軽く振るって戦闘モードに切り替えると、今にもかかってきそうな騎士四人を“影縛り”の魔法で行動の自由を奪った。
「な、なんだと……!」
「まさか、アリサ以外に聖女の杖が使えるなんて……」
作中では敵のみが使う魔法だが、それが発動するイメージさえ浮かべば呪文が自然と口をついて出てくる。
それが女神が私に付与したチートなのか、杖の性能なのか分からないけど、それで騎士たちの動揺を誘えたならなんでもいい。ひとまず芝居を続ける。
「女神に誓って、私はあなた方やアリサを害するつもりはありません。ただ彼女の実力を試したいだけ。恩を売るつもりはありませんが、あなた方が留守中に魔物の襲撃があり、それを私が退けた借りを返すという形で付き合ってもらえませんか?」
「魔物が……?」
「事実だ。誰に確認しても構わない」
騎士たちは驚きながらも、真偽を問うように周囲に視線を向けると、使用人たちはうなずきを返してあの時の様子を語ってくれた。
それに警戒を緩めた彼らの拘束を解き、改めて口を開く。
「不運な入れ違いでしたが、女神様の采配で私が遣わされ、人々は事なきを得ました。繰り返しますが、このことで恩を売るつもりはありませんし、女神様も四天王を見事封印したあなた方を責めてはいません」
「……街を救ってくれたことは感謝する。だが、それとアリサの実力を試すことと関係があるとは思えない」
「アリサが聖女としてふさわしいかどうかは、騎士である俺たちが保証する。恩に着せるつもりがないなら、早くおかえりいただきたいのだが」
「あなた方の厚い忠誠心には感心しますが、聖女は守られているだけの『お姫様』ではいけません。女神の代行者として、どんな困難にも立ち向かう勇気が必要です。アリサ、あなたはいつまで騎士の影に隠れているのですか?」
私が発した正論に騎士たちは返す言葉が見つからないまま、気づかわしげにアリサを振り返る。
壁となって立ちふさがっていた彼らに隙間ができ、こちらからもアリサの様子がうかがえた。
羽扇で顔を隠しながらうつむき、何かに耐えるように震えている。
慰めるように肩をさするルカの手を、アリサは羽扇で叩き落とした。
「ア、アリサ……?」
「……あなたたち、あんな女の言うことを真に受けてるの? あなたたちは私の騎士でしょう? どうして私を守らないの? あの女の方が美しいからでしょう。あなたたちも結局、見た目で判断する側の人間なのね。うう、醜い私はいつも一人ぼっち……誰も味方なんかいないんだわ……!」
お得意の泣き落としに、騎士たちの間に動揺が走る。
侍女たちは我先にとアリサに駆けつけ、騎士よりも強い気概と数の暴力をもって彼女を守らんと立ちふさがる。
「ちょっとあんた、いい加減にしなさいよ!」
「先代聖女だかなんだか知らないけど、アリサ様を侮辱するのは私たち許さないわ!」
「きっと魔王の手先よ! ユマ様も騙されてるんだわ!」
「そうよ、そうよ! 今すぐここから出て行きなさい! さもないと私たちが相手になるわ!」
エントランスに飾ってあった壺や置物を引っつかんで振りかざし、雄々しく叫ぶ侍女たちは、偉大な教祖を守らんとする狂信者のようだ。
はぁ……面倒なことになってきた。
ある程度予想はしてたけど、女子のこういう団結力って鬱陶しいことこの上ないのよね。
手荒な真似はしたくないけど、少し魔法で眠っててもらおうかと思ったが、
「騙されているのはあんたたちの方だと、まだ気がつかないのか?」
ギャンギャン喚き散らしながら、今にもこちらに投擲攻撃を仕掛けてきそうな侍女たちに、ユマは静かな声で一喝した。
決して大きな声ではないのに、まるで水を打ったかのような静けさがホールに広がる。
「己の不運を嘆くだけで何も行動せず、誰かの陰に隠れてメソメソ泣くだけの人間に、世界の命運を、己の命を預けたいか? これまで積み上げてきた実績は否定しないが、守るべき民を盾にして平然としている者に、聖女たる資格は果たしてあるのか? 今一度考え直せ」
ユマの正論に侍女たちは言葉を詰まらせた。
言い返す言葉が思いつかないのか、互いに顔を見合わせながら口を何度も開いては閉じを繰り返している。
それでもアリサの傍を離れないのは見上げた忠誠心だ。ここで逃げれば格好がつかないだけかもしれないが。
しばしの間、重苦しい沈黙が流れた。
「……先代の聖女さん。力試しは今すぐでなくてはダメかな?」
沈黙を破ったのはキーリだった。
特徴的な芝居がかった仕草だが、そこにいつもの軽薄さはなく、真剣なまなざしで私を捉えながら言う。
「帰還したばかりで疲れているし、アリサは先の戦いで杖を失ってしまったんだ。ユマを頼ればなんとかなるって聞いたけど、愛着のある物を失った悲しみを癒す時間は必要ではないかな?」
さすがキーリ。女の子に対するフォローは完璧か。
彼の言い分には一理も二理もあるが、私的にはこれ以上時間をかけたくない。
「疲労はユマに癒してもらえばいいですし、杖ならば私のものを使いなさい。物を慈しむ心は大切ですが、長々と落ち込んでいても過去は覆りません。気持ちを切り替えるためにも、この杖を――」
「……さい……うるさい、うるさいうるさい、うるさぁぁぁいっ!」
ドリルのような縦ロールをブンブン振り乱しながら、アリサが絶叫した。
「んもう、さっきからなんなの!? シナリオにないことベラベラしゃべって、私のこと悪者扱いして、タダで済むと思ってるの? 私は聖女様よ! ヒロイン様なのよ! なのになんで私よりあんなモブ侍女が目立ってるわけぇ!?
どうしてみんな私の言うこと聞かないのよ! 私がデブスであいつが美人だからでしょ! そうなんでしょ!? みんな私のことチヤホヤしてるけど、本当はダッサイクソ女だって嘲笑ってるんでしょぉ!?」
羽扇を床に叩きつけ、子供のように地団太を踏んで喚き散らす。
私とユマ以外の全員、アリサの言っていることの意味が半分以上理解できず、困惑と焦燥の表情を浮かべるばかり。
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