第四章――⑤

 警備を呼んで、欲の皮の張ったその他大勢を役人に突き出してもらい、元婚約者さんだけが部屋に残される。

 床にうずくまり、うなだれたままの彼の前に膝をつき、私はできるだけ穏やかな口調を心がけて告げた。


「あなたの気持ちはきっとハティに伝わりました。もしもあなたとハティの気持ちが交わる時が来たら、きっと女神様が二人を導いてくださいます。彼女を心から愛しているのなら、その時を待っていてください」


 徹底的に叩きのめされたあとだったからか、男性は私の言葉に静かにうなずくと、自らの足で立ち上がり、肩を落としてトボトボと部屋を出て行った。

 その背中はなんとも哀れだったが、何かが吹っ切れた様子でもあり、もう二度とこんな強行は起こさないと思われた。


 振って湧いた騒動がが去り、しんとした部屋で二人立ち尽くすことしばし。

 お互い顔を見合わせ、やれやれと深いため息をついた。


「嵐だったな」

「本当に。公爵家には厳重な抗議の必要があるわね。このままじゃハティが可哀想よ」

「それは俺がやっておこう。ところで、あんたは大丈夫か?」

「何が?」

「……いや、異常がないならいい」


 きょとんとして問うと、なんでもないと言わんばかりにユマは首を振り「事後処理をやってくる、あんたは休んでろ」とだけ言い置いて、出て行ってしまった。


 うーむ、異常が出るようなことがあったか?

 まあ、怒りメーターは異常値を指してたけど、むしろそれはユマの方が酷かったから心配なのは向こうの方だし、単にドタバタしたから気を遣ってくれただけかな。


 一応額に手を当ててはみたけど、熱がある感じはしないし、姿見に映ってる自分の顔色も特に悪くない。

 一見して健康体だ。若いって素晴らしい――とうんうん一人うなずいていると、


「んぐっ……は、うっ……」


 さっきまでなんともなかったのに、急に心臓が締め付けられているような錯覚に襲われ、息を吸うのがやっとな苦しさで床に崩れ落ちる。

 何、これ。どうなってるの?

 ユマが言ってた異常ってこれ、なわけないよね。こんなになるなら、私を放っておくわけない。多分だけど。


 いやいや、原因を考えるのはあとだ。

 自分じゃどうにもできそうにないし、ひとまず助けを呼ばないと。

 趣味に生きるだけだった昔とは違って、今の私にはやるべきことがある。おちおち死んでいる場合ではない。

 細い呼吸でどうにか肺に空気を送り、ジリジリと這ってドアの方へと向かうが、すぐに手足の自由が利かなくなってその場にうずくまってしまう。


 どうしよう。やっぱりこのまま死んじゃうの?


 ――……ユマ様。


 絶望の淵に立たされた時、熱っぽくてうっとりとした声が脳裏に響いたかと思うと、少しだけ息が楽になった。

 これは私の……いや、ハティの声だ。

 もしかして死にかけてた心が復活したの?


 ――ユマ様だけ……私を守てくれるのは、ユマ様だけ……。


 お、おいおい。一体なんの話!?

 もしかして、さっきユマが元婚約者から守ってくれたこと?

 そりゃあユマはハティエットを守ってくれたかもしれないけど、あくまで聖女の器が大事だから行動しただけであって、ここは元婚約者さんにときめくターンだよ。ヤンデレレベルで思い込みが激しそうで怖いんだけど。


 そうツッコミ入れてる間にだんだん呼吸が元通りになり、体の自由も戻ってくる。

 しかし、


 ――ユマ様が、私の運命の王子様だったなんて! 


 うおあえおえぇぇ! 鳥肌ぁ! 鳥肌がブワァァって立ったぞコラァッ!

 ちょっとハティさん! ベタベタな恋愛小説を読み過ぎなんじゃないですか!?

 てか、大人になって王子様がどうとか言わないでよ!

 そういうのは二次元妄想だけに留めておいて、恥ずかしいから!


 こういうのってシンデレラコンプレックスって言うんだっけ?

 貴族令嬢だからちょっとくらい浮世離れしてても驚かないけど、さすがにこれは引くわ! ドン引きだわ!


 それからもしばらくの間、デレデレした恋に恋する乙女の一方的な独白が脳内再生されていて、床の上でもんどりうって耐えていたけど、いつの間にか聞こえなくなっていた。


 ああ、怖かった! ひょっとして、ユマが言ってた異常って、私の中のハティが目覚めかけてるってことだったのか?

 でも、私は聖女として召喚されているらしいから、おいそれと追い出されたりしないだろうし、こっちを乗っ取ろうとする感じもしなかったし、心配はいらないかな。


 といっても、こういうのがたびたび起こると困るけど。

 うう、思い出しただけで悪寒が走ってお肌がツブツブする!

 全身の鳥肌を宥めるように腕をさすり、ヨロヨロと立ち上がってベッドに身を投げる。肉体も精神も大ダメージだ。休ませてくれ。


 あーでも、アリサの一件が片付いたら多分私は消えちゃうんだろうな。

 仮にその予定でなくても、こうもはっきりとハティの意思を感じた以上、女神が用なしと判断すればこの体からポイッとされて、そして――


「私は……死ぬのかな」


 心の中にひんやりとした空気が流れ込んできた。

 初めから意識はしていたし、覚悟はしてた。なんならハティの体に入り込んでからも、死にそうな目に何度もあった。

 でも、だからといって慣れるわけではなく、どうしようもなく怖くなった。


「ユマ……」


 自分が無意識につぶやいた名前に驚いた。

 いかんいかん。弱気になったせいか、私まで乙女チックなハティに流されそうになってる。

 いくら頼れるのがユマだけだからって、なんでも依存しては大人失格だ。


 そう、こういう時は気持ちをリセットすべく寝るべし。

 


*****


 公爵が引き金となった騒動が起きた翌日。

 アリサが四天王の封印に成功し、明日凱旋するとの速報が街に流れた。


 さすが元『聖魔の天秤』プレイヤー、手際がいいようで。

 さて、ではいよいよ本番だ。

 チートに頼りすぎるのもよくないかと思い(というか引きこもりだと体が鈍るので)中庭の隅っこで魔法の練習をしながら、明日の流れを思い出しながらイメトレに励む。


 私はこれまで表向き『アリサに先代聖女の奥義を継承するため、この世に残っている』という設定の元、この屋敷に居座っている。

 だが、彼女が帰ってくれば『アリサが聖女にふさわしいか、女神に代わり見定めに来た者』となり、一対一の戦闘を申し込んで彼女をコテンパンにしてやる、という筋書きだ。


 おそらく彼女はなんでも思い通りになる世界に来て増長しているだけだと、私もユマも考えている。

 だから、すべてがシナリオ通りには動かないことを思い知らせ、鼻っ柱を折って慢心に抑止力をかけることができればいいのだ。


 ただ、アリサは十中八九杖を失っているだろう。

 私が聖女の力を持っていると確信しているなら、嘘をついてでも予備の杖を確保したいはず。

 となると、必然的にどちらかが丸腰で戦わねばならなくなるが、この場合はアリサに杖を渡すつもりでいる。


 私はユマに頼み、杖の力の一部を一時借りる手はずを整えている。長期戦にならない限り有利不利に影響はしない、と言われている。

 たとえ敗北したとしても『丸腰でも先代は一味違うアピール』をすることができれば作戦は成功だろう。


 しかし、失敗の可能性は皆無ではない。

 アリサたちの動向次第では、作戦自体が決行できない場合もある。


 すべては明日になるまで分からない。

 とんでもなく緊張してガチガチになるのと同時に、お祭り前のように踊り出したくなるような高揚感もある。

 決戦前のアスリートとはこんな気分なんだろうか。


「あの女、ホントむかつく! 虫ケラのくせに偉そうにして!」


 そろそろ休憩しようかと思い杖を振るう手を止めると、どこからか複数の侍女の足音と悪態が聞こえてきた。

 どうやら凝りもせず、私の悪口を言っているようだ。

 姿が見えると厄介なので、通り過ぎるのを待つためそっと身をひそめた。


「いくら先代の聖女だっていっても、アリサ様を差し置いて聖女面しないでほしいわよね。何様のつもり?」

「黙って笑ってるだけで男が寄って来るとか、怪しい術使ってるんじゃないの?」

「そうそう。その上ユマ様にべったりだし、本当に聖女だか怪しいわよね」

「魔王の手下が化けてるかもしれないわよね」

「本物の聖女はアリサ様だけよ。私たちは騙されないわ」


 むー、かなり重症のアリサ信奉者たちだな。

 この人たちの不満は分かるけど、明日で全部終わるから勘弁してほしいですよ。


 てか、もしアリサを無事やり込めたとしても、これじゃああとからぶっ刺されてもおかしくない。

 身の危険を感じてゾッとするけど、今さら作戦を中止したところで結果は変わらない。

 彼女たちが去ったのを確認してこっそり屋敷に戻り、部屋のドアを閉めてようやく安堵の息を吐いた。


「私は……私は、どうしてここにいるんだろう……」


 親に見捨てられて、わけも分からず刺されて死んで、異世界で新しい体を得てもいじめられるだけで、ようやく役割を見つけたと思っても認められることはない。


 ヒロインになりたいわけじゃない。

 でも、何もかもを否定される役回りなんて嫌だ。

 胸の中にモヤモヤを抱えたままベッドに腰を下ろし、クテンと体を横たえると、静かなノック音が響いた。


「俺だ。少しいいか?」


 ユマだ。ハティの意識はあれっきり覚醒していないが、こうしてユマの声を聞くだけで自分の意思とは裏腹に心が弾んで顔が火照る。


「……どうぞ」


 何度か深呼吸して心を落ち着けてから入室を促すと、ユマは怪訝そうに眉を寄せた。


「どうした。顔色がすぐれないが」

「別に。ユマの寄こしたわけ分かんない本のせいで、ちょっと頭痛がするだけよ」


 できるだけ目を合わせないようにしながら軽口でごまかし、まるで初恋に浮かれる無邪気な少女のようなハティの気持ちに振り回されないよう、手短に用件を済ませた。

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