第四章――③
今さらだが、聖女様ご一行が拠点とするこの屋敷は、ルカの実家であるベイラート伯爵家が所有する別宅で、ガチの舞踏会が開けるほど広くて豪奢なダンスホールがある。
普段は使われることのないその場所に、今夜は一目『街の危機を救うため、侍女の身を借りて降臨した先代聖女』を拝もうと、たくさんの人が詰めかけていた。
人数的にも警備の面でも一般市民はさすがにお断りしたが、役人であったり商工会や自警団の重役だったり街で影響力のある方々が多く集い、客寄せパンダと化している私に群がっている。
「この度はどうお礼を申し上げていいのか……」
「お会いできて光栄です。女神のご加護に感謝します」
「このような奇跡に立ち会えるとは、長生きするものですね」
私はユマを傍らに置いて、すり寄ってくる彼らにひたすら無言の笑顔を振りまき、請われるままに握手をする。
伝えられた作戦では「威厳や神聖性を出すため、できるだけ口を開かないこと」と厳命されており、しゃべらなくていいなら楽勝じゃんって思ったけど……これ、ものすごくきっついわ。
身分を偽ってるっていうのもあるけど、次から次へと知らない人間を目の前に突き出されるだけで、結構精神力削られるんだよね。
表情筋がこわばって痙攣起こしそうだし、握手のし過ぎで手が腫れてくるし、慣れない対応に気疲れしてすでにフラフラだ。
百人単位のファン相手に握手会やってるアイドルって、どんだけ鋼のメンタル持ってるんだろう。
おまけに聖女だって言ってるのに、舐めるような気色悪い目で見てくるばかりか、どさくさに紛れてセクハラを働こうとするおっさんもいるので、もうホント勘弁してほしい。
服装こそ(ゲームでもこっちでも)見慣れた聖女の衣装ではあるが、こういう華やかな場に合わせた化粧と髪型にしてもらっているので、貴族令嬢としてのハティの美しさが際立っちゃってるんだよねぇ。
罪な女だよ。
これがリアルの横山羽里だったら、敬意を示してはくれても絶対こんなことにはならなかったのに。美人さんの苦労をこんな形で体験しようとは。
まあ、現在進行形で一番苦労してるのはユマだけどね。
私の代わりに来客の相手をして捌いてくれてるし、不埒な輩からは守ってくれるし、時々こっそり休憩時間もとってくれるし、執事兼SPって感じで八面六臂の大活躍ですよ。いやもう、チートな使徒様々だわ。
不甲斐ない私の代わりに、矢面に立って頑張ってくれてるユマのためにも、弱音を吐いている場合ではない。
そろそろ折り返しだし、ここでへばっていてはラストまで完走できない。
笑顔(一〇〇%愛想成分)は社会人の十八番だ。
やればできる……はずって思ったけど、ちょっとくじけそう。
今握手したおっさんの手、めっちゃ汗と脂でギトギトで気持ち悪かった!
毛髪が後退している広い額も相当テカッてるし、かなり脂性らしい。
分泌物は自分で制御できないところとはいえ、エチケットとして握手の前はちゃんと清拭してからにしてほしいわ。
触られたところからゾワゾワとした不快感が虫のように這ってきて、今すぐにでもおしぼりを所望したいところだが、空気を読んで引きつりそうになる頬を制御することに尽力した。
そしてそのおっさんが去ったあと、こっそりお手洗いに行ってめっちゃきれいに洗浄してきた。ごめん、おっさん。
「……依り代となっているお嬢さんは、ローガン公爵のご息女に見えるが」
「そういえば、面立ちがお亡くなりになられた奥様によく似ておいでですな」
サッパリして戻ってきたところで、役人たちの会話が聞こえてきた。
老眼……じゃなくてローガン?
その名前に私は覚えがないが、公爵といえば臣籍降下した元王族のことよね? ほぼラノベ知識だから本当のところは知らないけど、公侯伯子男の序列から考えても、貴族の中でもトップクラスであることは間違いない。
ユマと目配せするが彼も心当たりがないようで、小さく首を振る。
すると、ヒステリー侍女長がよそいきの顔で代わりに答えた。
「ええ。偶然アリサ様に見初められ働くようになったのですが、すべては今日のためだったのかもしれませんね」
「そうか。では、公爵にもお伝えせねばな」
「聖女の依り代に選ばれたとなれば、あの噂も嘘だと証明されたも同然だ」
あの噂? もしかして婚約破棄されたことに関係することなの?
ハティの追憶では具体的なことは何も分からずじまいだったし、あれ以来彼女に関することはなんの情報も得られず、なんとなくモヤモヤしていたのだ。
しかし、これまでだんまりで通してきた私が話に割り込み、あれこれ追及するわけにもいかない。
一旦頭から追い出し、なおも群がってくる来客たちの握手会をこなしているうちに、夜は更けていった。
そうしてダンスホールでの“お披露目”を終えて客室に戻り、
もう全身クタクタだ。このまま泥のように眠りたい。
……作戦は始まったばかりだというのに、これではダメだ。
“お飾りのお人形役”もまともにできないようでは、三十路の面子に関わる。
ああ、でも眠い。眠すぎる。
着替えないと衣装がしわしわになるのに、指先一本動かすのも億劫だ。
ベッドに突っ伏し、本能の促すままトロリンとまぶたを閉じた時、ノック音がして飛び起きた。
「俺だ。入ってもいいか?」
「ど、どうぞ!」
ベッドから飛び降りて直立して出迎えると、ユマは怪訝そうに首を傾げた。
「何かあったのか?」
「いえ、別に」
「……まあいい。時間も遅いし用件だけ伝える。ローガン公爵令嬢の件だが」
ハティのことだ。わざわざ調べてくれたのだろうか。
明後日の方を向いてごまかすのをやめ、じっと聞き入る。
「子細は不明だが、どうやら不貞を疑われて婚約破棄に至ったらしい。本人は否定していたし確たる証拠もなかったが、家が風評被害を受けることを恐れた公爵は娘を追放することにしたらしい」
「そんな!」
家族なら守ってあげるべきじゃないか、と憤りが生まれたが、同時にどこの家族も同じなんだとも納得してしまう自分がいた。
私の両親はオタクに著しい偏見を持っていた。
特にアニメやゲームなど二次元を愛するタイプのオタクは、社会のゴミとか犯罪者予備軍とか、おおよそまともな人間とは認識していなかった
妄想と現実の区別がつかないごく一部、というよりほんの数人しかいない阿呆がロクでもない犯罪に走ったせいで、彼らの中にはオタク=悪という図式が発生したためだ。
確かにオタクが犯罪に関わるとニュースで大きく取り上げられることが多いとはいえ、オタク要素のない人間が犯罪に手を染める確率の方がよっぽど高いというのに、どうしてそんな思い込みを持てるのかさっぱり分からない。
なのに、当時中学生の私がゲームや漫画に傾倒を始めオタクとして目覚めたものだから、初めは烈火のごとく怒り狂い、時には暴力を振るってまで私を『改心』させようとした。
でも、私は生まれつき強情だし、ちょうど反抗期真っただ中で、彼らの言うことなど微塵も効くつもりはなく我が道を貫いた。
そんな折、母が第二子を妊娠したことが発覚すると、二人は私に対する矯正をやめ、いないものとして扱うようになった。やがて、私が高校を卒業すると同時に家を追い出した。
「あんたがいたら、この子まで穢れてしまうわ。消えなさい」
「お前みたいなのは末代までの恥だ。死ぬまでその顔を見せるな」
玄関のドア越しに、顔も見ないで絶縁を言い渡した両親を、私はもはや憎むことも恨むこともできなかった。
家族としての情はとっくになく、むしろそう言われてほっとした部分さえあった。
でも、ハティはどうだっただろう。
公爵家のご令嬢とあれば、まさに蝶よ花よと大事に育てられただろうに、それを事実無根の不貞を理由に手のひらを返したみたいに切り捨てられて、随分とショックだったに違いない。
その上アリサから嫌がらせを受け、いわれのない冤罪を擦りつけられていたのなら、心が壊れてしまって当然だ。
どうしてこんなに世の中は理不尽なんだろう。
「ハリ、どうした?」
黙りこくってしまった私にユマが声をかける。思い出に浸るなんて女々しいな。
「……なんでもありません。それで、その噂と聖女となんの関係があるんですか?」
「聖女には“清らかな乙女”が選ばれる、という伝承を人々は信じている。不貞行為があればその基準を満たさない。たとえ依り代でしかなくとも、聖女が降りたことで貞操が証明されたとみなされるわけだ」
清らかな乙女……処女ってことか。
そういう意味では私も乙女だな。三十路にもなって経験がないとか自分でも悲しくなるけど、三次元の恋愛に興味がわかないんだからしょうがない。
てか、処女かどうかなんて原始的な方法で調べられると思うが(男女の関係を持っても処女の証が失われないとか、人によってはもともと“ない”場合もあるので、確実さには欠けるが)、貴族にとって大事なのは真実ではなく風評で、噂が立った時点でハティは排除せざるを得ない対象になったのだろう。
だが、今回聖女の依り代という名誉を受け、その汚名は返上される可能性は高い。
それがハティにとって幸か不幸かは分からないが。
「面倒なものですね、家の体裁というものは」
「そうだな。くだらないとは思うが、守るべきものは人それぞれ違う。その選択が正しいか間違っているかも、受け取る人によって違う。悲しいものだな。揺らぐことのない正しさがあれば、理不尽に傷つくこともないだろうに」
ユマは深くため息をついた。
まったくその通りだ。とかくこの世は住みにくい。
「話は以上だ。夜分にすまない。ゆっくり休んでくれ」
「はい、おやすみなさい。教えてくれてありがとうございました」
頭を下げる私に、ユマは居心地悪そうに首の後ろをかいた。
「前から言おうと思ってたんだが、畏まった口調はやめてくれ。侍女であってもなくても、あんたに丁寧語でしゃべられると落ち着かないんだ」
「そんなにわざとらしい言葉遣いですか?」
社会人として失礼のない程度に丁寧語はマスターしてると思ったんだけど、本格的な主従関係に慣れたユマには白々しく聞こえるのだろうか。
「そういうわけじゃないが、普通にしゃべってくれる方が気楽でいい」
うーん、そこまで言ってくれるならタメ口でいいか。
「分かったわ。こんな可愛げないしゃべり方でいいなら」
「元からあんたに可愛げは求めてない」
分かってはいたけど、はっきり言われると傷つきます。
ジト目で睨むと、ユマはすっと視線を逸らして逃げるように出て行った。
くそ、挨拶もなしに言い逃げか。
当たり散らすように衣装を脱ぎ捨て、用意されていた寝間着に着替えると、今度こそベッドと一体となり泥と化した。
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