国境の二人
二人は丘陵地の中を、踏み固められた街道を通って進んでいった。街道から、少し離れて森がこんもり茂っているのが見える。ミツルは「あんなに木が一杯生えているのは見たこと無い」と言いながら眉間に皺を寄せてその森を見つめている。そんな物珍しげなミツルの様子が光一には面白かった。
街道が丘陵に合わせて登りになったり下りになったりする。それに合わせていつの間にか前方に灰色の大きな壁が見え隠れするようになった。
近付くと、その壁は大きく長方形に切り出された石を積んで造られているのが分かった。壁の端の方は良く見えない。うんと遠くにある青い山影に吸い込まれるようにただ延々と続いていいる。
街道はその壁に穿たれた大きなトンネルに続いている。そこに鎧をつけた兵士が立っていて、出入りする者達に声を掛けていた。ここが「石の国」の国境のようだった。
光一は不安になって、石壁のそばまで行く前に足を止めた。ミツルが怪訝そうに振り向く。
「あのさ……。僕達は、呪っていうのを掛けられて、船では『石の国』に入れなかったんだよね。ここはどうなんだろう? 入れるのかな?」
「入ろうとしてみなきゃ分らないじゃない」
「そりゃそうだけど……僕、まだ状況が飲み込めてないんだ。こちらの世界に呪っていうのがあるんだね」
「みたいね。私も本でしか知らないけど」
「……どこかでこんなやり取りしなかったっけ?」
「多分、乗船場の護符売り店の前でしたわよ」
「そうだ、護符! あれ僕達二人とも買ったのに駄目だったってこと?」
「そうみたいね」
「でも、他の人たちは護符があるから大丈夫って言ってて、事実僕達が降りたらちゃんと河を遡っていけたんだよね?」
「そうね」
ここでやっとミツルは光一に向き直った。
「あなたか私、あるいは両方に呪が掛かっているのかもしれないわね。護符が守りきれないような呪が」
「護符が守りきれないって……」
「前に、河沿いの『土の国』『石の国』『森の国』以外に、河から離れたところにいろいろ蛮族がいるって話をしたでしょう。その全てが知られているわけじゃない。皇帝に従ってるのは一部の蛮族に過ぎないわけだし。だから未知の蛮族が何か私達の知らない呪を用いることはあると思う。知らないものは防ぎようないでしょ」
「まあ、そうだけど。でも、話からするとその蛮族の人たちって河から遠いところにいるんだよね? そこからでも掛けられるものなの? それにもっと根本的な問題としてさ、僕達に掛ける理由があるの?」
「私に聞かれたってわかんないわよ。もう一つの可能性は、船長も言ってたように皇都の貴人の誰かが掛けているのかもしれない。皇帝は『海の源流』を護る存在なの。その皇帝に連なる貴人の位によっては、ただの護符を破る程強い呪を河に掛けることもできるかもしれない。ただ、それがどうして私達なのかはやっぱりわからない」
「そもそも呪がかかっているのが、僕なのか君なのか、あるいは両方になのかもわかんないよね」
「私ってことはないと思うけど……」
ミツルは当惑した顔で言う。
「でも、僕だって……。僕も自信がないけど、君のお母さんや船の人の話では『海から来た者』は皇帝に歓迎されるそうじゃないか」
「あなたが『海から来た者』の中でも特別だったりとかするかもしれないわよ?」
「特別って……? 例えば?」
「……それは……わかんないけど」
「それじゃあ……」
不安げな顔で光一は更に言い募ろうとする。けれども、ミツルは苛立たしげな様子を隠さず、強い口調で遮った。
「とにかく」
ミツルの語気に押されて光一は口を噤む。
「私とあなたであの国境の門をくぐって見ましょ。そしたらまた考える材料が出来るじゃない」
「でも……」
「んもうっ」
ミツルが腰に手をあてて大きな声を出した。
「ウジウジ悩んでたって仕方ないでしょ!」
「だって……」
「じゃあ、早いとこ試してみて白黒つけましょう。駄目だったらその時はその時よ」
「その時って……駄目だったらどうするの?」
ミツルは盛大に溜息をき、そして光一に壁を指差して見せた。
「夜にでもこっそりこの壁を登ればいいじゃない。私が本で読んだ歴史書によるとね、共に帝国の配下に下る前に『土の国』と『石の国』が戦乱状態だったことがあるの。この積み石の古さからするときっとそのときに作られた古い城壁だと思うわ。この壁、高さが余り無いでしょ。騎馬の進入を防ぐのが目的だから」
確かに、この石積みの壁の高さは光一たちの身長の二倍弱といった感じだった。ロープとか調達すれば乗り越えるのは不可能ではないかもしれない。
「君って凄いなあ」
光一は歴史の勉強が苦手だったから、自力で歴史の知識を身に付け、更に目の前の事態に当てはめられるミツルを素直に賢いと思った。そして、いざとなったら乗り越えてしまえ、なんて考えつく大胆さにも感心した。ミツルには頭脳も度胸も備わっている。
「凄いよ」
光一は心から感心して繰り返した。ミツルは満足そうににんまりと笑うと
「さ、行ってみましょ」
と歩き出した。
「――行くわよ」
ミツルは光一の腕をひっつかみ、兵士が守るこの国への入り口に向かう。
「やあ、君たち。ちょっといいかな」
気がつかなかったが兵士の隣に小机があって、こざっぱりとした身なりの男が座っていた。手招きされて二人はその小机の前に立つ。
「ええっと、まずお名前は?」
男は何か書類に書きつけながら光一とミツルに質問する。どうも入国審査の係員といったところらしい。
「僕は『煉瓦の街』のミツル。浜で『海から来た者』を拾ったので皇都に向かっているところです」
落ち着きすぎているほど落ち着いて、ミツルが淀みなく説明する。「拾った」なんてまるで物扱いなのは気に掛かるが光一も続けて自分の名を告げる。
「あの、『海から来た者』の光一です」
「へええ」
入国審査官はじいっと光一の顔を見つめている。
「君が『海から来た者』かあ。会ったことがある人間なら知り合いにいるけど、僕が実物を見るのは初めてだなあ。やっぱりのっぺりしているんだね」
とは言うが、この入国審査官も周りにいる兵士も「土の国」の人間ほど彫りは深くない。日本人でも「濃い」顔、ちょっと昔でいう「バタ臭い」顔なら、ここの国の人と並んでも違和感がないかもしれない。肌の色の方は透き通るほど白くて、これは日本人とは違うけれども。そう言えば、ミツルの顔立ちも「土の国」より「石の国」の人に近いような気がする。お母さんはもともと「石の国」の人だったのかな。
そんなことをぼんやり考えていた光一は、次に入国審査官が何気なくした質問に、一気に冷水を浴びせられたような気がした。
「どうして『海から来た者』と案内人の君がこんなところにいるの? 『煉瓦の国』から皇都行きの船に乗らなかったのかい?」
――時間の環については言わない方がいい。でないと怪しまれる。二人は顔を見合わせ、このことを目だけで確認する。
変に目をつけられてしまうと、ミツルが男の子の格好をしていることや、名を偽っていることまでばれてしまうかもしれない。これがばれれば、ミツルは「砂浜の村」に、光一は「海の源流」に直行だ。それは困る。
「船には乗ったんです」
ミツルが答えた。光一はそっとミツルの顔を伺う。かすかに顔を強張らせているが、ミツルはすらすらと答えた。
「でも、僕、船に乗るのが初めてだから気分が悪くなっちゃって。それで途中で降ろしてもらったんです」
「ああ、船酔いしちまったんだな。そりゃ大変だった。じゃあ、ま、この街で休んでまた船に乗るんだね。乗ってるうちに慣れるものだよ」
入国審査官は引き出しの中から地図を取り出し、ご丁寧にこの国境の門と最寄りの船着場に丸をつけてミツルに差し出した。
――ここを通り抜けられても、船に乗ったらまた時間の環に嵌るんじゃないだろうか。乗るたびに時間の環に嵌っていたら、光一とミツルの二人連れは人の目を惹いてしまうだろう。
「あの……その船酔いって本当に辛くって。だから、船以外に皇都まで行く方法はないでしょうか。例えば歩いていくとか」
ミツルが本当に困った顔をし、苦しそうに手を胸に当てて入国審査官に訊ねる。
「皇都まで歩いていくって? さあてそんな奴聞いたことないなあ。船に乗りなさいよ。『石の国』はいろいろ産業が盛んだからさ、街ごとに港があるんだ。ちょっとずつ乗って、気分が悪くなったら降りて休めばいいよ」
「でも……あんな気持ち悪い思いなんか、もうしたくない……」
ミツルは眉間に眉を寄せ、吐き気を抑える仕草をしながら訴える。
「うーん。まあ、街と街の間には当然街道があるからなあ。それを歩いて『石の国』の中を皇都の方角に向かうことはできるがねえ。ただ、『石の国』と『森の国』の間にはとても高い山脈が聳えていてねえ。普通の者はまあ山越えなんかせずに船に乗るもんだよ」
「普通じゃない人は山を越せるんですか」
と光一が尋ねた。富士山くらいなら、しっかり装備などを整えておけばなんとか越えられるかもしれない。小学校の時、家族旅行で富士山に登ったことを自慢していたクラスメートがいたことを彼は思い出していた。
「何か事情のある人間。まあ、犯罪者だな。そいつらが逃亡するときに使う。手配書は真っ先に河沿いの港に出回るからね。そうそう、それから皇帝軍が山を越えて進軍することもある」
「河を使わないで?」
「そう。その時々の編成によるけどね。大編成の時には馬やら大砲やら寝泊りする天幕やらいろいろ持っていくから大きな軍の船を使う。でも国境の巡回くらいなら、兵士や馬の鍛錬を兼ねて少なめの編成で山を越えることもある」
「…………」
光一もミツルも考えていることは同じだった。それなら自分たちだって山越えができるかも知れない。しかし、そんな二人の考えを見通すように入国審査間が言った。
「言っとくけど山越えは危険だ。訳ありの者が通る道だ。おまけに皇都で何か金目のものを盗んだ奴も通るからそれを狙った山賊も居る。子供二人で越そうなんて危険すぎる」
「わかった」
ミツルが頷きながら言った。
「『石の国』を歩いて、あとは船に乗ることにする」
「そうそう、それが無難だよ」
それじゃ、と入国審査官はトンネルの出口をペンで指し示した。
「『石の国』にようこそ」
ミツルは自然な笑顔で、光一はややぎこちない笑顔でそれぞれ会釈してトンネルの出口へと向かった。
「じゃ、私が先に入るわよ」
当然のごとくミツルはそう宣言すると、暗いトンネルから明るい陽光の注ぐ外へ踏み出した。何も変わったことは起こらない。
「……それじゃ、僕も」
目を瞑って光一も日差しの中に飛び込んだ。そして何も変わったことは起こらない。
「……大丈夫ってことかな?」
「もう暫く歩いてみましょう」
ミツルが先に歩き出した。道路は四角い平らな石で舗装されていた。アーチを多用した石造りの建物が街道沿いに続いている。いくつかの建物はテラスを持ち、ヨーロッパのオープンカフェのように店の外にも椅子とテーブルが並べられていた。
いかにも旅人といった風情の、ちょっとぼさぼさの髪と草臥れてはいるが頑丈そうな靴の若い男が、大きな荷物を脇に置いてマグカップで何かを飲んでいる。この街の人らしい普段着の老夫婦が、ガラスの器で鮮やかな黄色のお茶を飲みながら談笑している。休憩の時間になったらしい兵士が椅子の一つにどさりと座り込むと、おおい、と店の者を呼んだ。
休憩中の兵士の注文を取り終えた店員を、ミツルが捕まえた。
「あの。僕達『海から来た者』とその案内人なんですけど、ここでお茶か何か飲めますか?」
五十がらみの頭のはげた店員――どうも店主のようだ――は珍しげに光一の顔を見、それからにこやかに答えた。
「ええ、できますよ。確か帝国府が後で払ってくれるんですよね。大丈夫です。どこでも座ってて下さい。今日はナキュールのお茶がお勧めですよ」
「じゃあ、それを二つお願いします」
そう言ってミツルは手近の椅子に腰掛けた。同じテーブルに光一も腰を下ろす。
「今のところ、特に時間が巡ったりしてなさそうだね」
「そうね。上手くいってるみたい」
店主がお茶を運んできた。向こうの老夫婦の楽しんでいる鮮やかな黄色のお茶だった。
「甘いね!」
光一はそのお茶を一口啜ると嬉しそうに小さく叫んだ。今までの食事や飲み物は決して口に合わないことはなかったけど、質素で味の楽しみとか考えられていないものばかりだった。
「ナキュールっていうのはつる草よ。葉を干してお茶にすると黄色い色が出る。濃く煮出すと染料にもなるわ。甘みはつるの部分にあるの」
「『土の国』にもあった?」
ミツルはコップに口をつけたまま首を振る。
「母さんの本に書いてあったの。母さんの本には植物に関するものが多かったのよ。本で見ただけで私も実物を飲むのは初めて。本当に甘いわね」
甘いものは人を幸せな気分にする。光一は珍しく楽観的な予想をした。
「もう大丈夫そうだね」
「そうね、きっと大丈夫」
ミツルもにっこり微笑む。緊張のほぐれた彼女は、男の子の格好をしていてもやっぱり可愛らしい女の子だった。
「結局、呪は河にしか掛かってないみたいね。無事国境を越えられたから、呪が私に掛かってたのか、あなたに掛かってたのか、それとも両方になのかはわからないままだけど」
「まあ、しばらくはこのまま『石の国』を歩いて『森の国』を目指せばいいんだよね」
「そうね。『森の国』に入るのはどうするかは問題だけど。まあ、『石の国』でいいところが見つかったらそこで旅を止めればいいわけだし。とにかく先の話よね」
時間の環に嵌って以来、旅の行方が怪しくなって二人は緊張の連続だった。もう、今日はここでゆったりと寛ぎたい。目ざといミツルはこの店の入り口にベットのマークが掲げられているのを見つけた。今夜の宿はここで決まり、だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます