零章 月は常に太陽と共にあり

1

 切り株の上に木が置かれ、振り下ろされる斧。二つに切り分けられた木が零れ落ちると、また新たな木が置かれ斧が振り下ろされる。切っては置き、切っては置き。辺りには一定の心地好いリズムが響き渡っていた。

 その音に交じり一つの足音が斧を振り上げる男の元へ近づいて行った。


「失礼致します!」


 男がその声に振り下ろそうとした斧を止め顔を上げると、そこには似合わない敬礼をしたおかっぱの子どもにも見える男の人が立っていた。だがその身に纏った軍服は主が立派な成人男性である事を代弁してもいた。


「桃太郎さんにお会いしたいのですが」


 そう尋ねられたのにも関わらず男は何も答えず木へ視線を落とすと斧を振り下ろた。

 そして遅れて心地好い音が鳴り響くと切り株に刺さった斧から手を離し視線は軍服の男へと戻る。


「――桃太郎は儂だが?」


 長く伸びた白髪を後ろでひと括りにし口の周りに白髭を蓄えた男はその容姿に合った声で答えた。おじいさんと言うには余りにも鍛えられた体格である事は服の上からでも分かる。だが巻き割で微かに上がった息を見る限りその体は確実に老いていた。


「……貴方があの伝説の」


 軍服の男は桃太郎を観察するように見ながら相手に届けるには小さな声を零した。


「こんな老い耄れでガッカリしたか?」


 近くに置いてあったタオルと飲み物を手に取る桃太郎は笑い交りで意地悪な言葉を口にした。

 それに対して男は慌てた様子で姿勢を引き締め直した。


「い、いえ! お会いでき光栄です」


 目の前で緊張気味に敬礼をする若者へ桃太郎は水を飲みながら視線を向けていた。少し鋭さを帯びた視線は、下から上へとさらっと観察してゆく。汚れ一つない軍服を模範のように着用したその胸元には堂々と煌めくバッジが一つ。


「その紋章、ゴーラン王国軍か。しかも総司令部とはな。内部の事は良く知らんがその若さで所属できる場所でもないだろう」

「仰る通り総司令部は軍の中でも素晴らしい場所ですが、自分はまだ上官らの足元にも及びません」


 同時に向けられた真っすぐな眼差しは、その言葉が本心である事を証明するには十分過ぎる程に穢れのないものだった。


「なるほど。それで? 王国軍がこんな老体に何の用だ?」

「はい。今回はゴーラン王国軍総司令部、最高司令官チェイン・フィスキーの命により、貴方様をチェイン・フィスキー最高司令官の元へお連れする為、お迎えに参りました」


 この場所へ来て何度目なのか、だが何度見ても一切のブレが無い完璧な敬礼と共に男は用件を口にした。


「儂に選択権は無いという訳か」

「いえ! チェイン・フィスキー最高司令官からは貴方様の都合に合わせるよう言い渡されています。ですがかなり緊迫した状況な故、可能な限り早々にお願いしたいと」

「緊迫した状況か……」


 小首を傾げながらもう一口水を飲む桃太郎は何かを考えている様子。


「ところで名前は何だ?」

「申し遅れました。私はゴーラン王国軍総司令部、瀧野瀬有真と申します」

「では有真君。早速、行くとするか。だがその前に準備がある」

「はい。では私は軍用車の方で待機させて頂きます」

「出来る限り早く済ませる」


 それから軽くシャワーを浴びた桃太郎は家の前で待つ有真の元へ行き、乗り込んだ軍用車は王国へと出発した。


「あの――失礼でなければ一つ質問をさせて頂いても宜しいでしょうか?」


 滑らかな一本道を運転する有真はバックミラー越しに桃太郎を見た。ロングコートにブーツ、カジュアルと正装の間のような服装を着た彼は頬杖を突きながら窓の外を眺めている。


「なんだ?」

「貴方の伝説は軍学校でも学ぶ程です」


 その言葉に桃太郎はフッと嘲笑的な笑いを零した。


「昔の事だ。途轍もなく昔のな」

「ゴーラン王国のみならず人間社会がこうして発展しているのは確実に貴方方の偉業という基板の上に立っているものです。ですが、一つだけ気になっている事があります」

「自分で言うのも何だが、確かに鬼ヶ島へ行き、鬼と戦った。ただの神話じゃない」

「いえ。そこに感謝と尊敬はあれど、疑問はありません。私が抱いたのは――このような事を尋ねていいものかは分かりませんが」


 有真は少し言い辛そうに一度、言葉を途切れさせた。


「貴方が桃から生まれたという事です」

「あり得ない、か」

「私が無知なだけなのか、貴方が特別なのか。少なくとも今の私に判断する事は出来ません」


 直ぐに返事は無く、エンジン音だけが響く車内で桃太郎は過去を見るような眼差しで駆け抜ける景色を見つめていた。そんな桃太郎をバックミラーで一瞥しただけで有真もただ返事を待つ。


「婆さんからはそう聞いた。としか言えんな。お前が本当に母親から生まれたのかと訊かれるのと同じようにな」

「――そうですよね。変な質問をしてしまい申し訳ありませんでした」

「疑問を持つのは才能だ」


 それから少し走った車は見上げる程の門へ到着すると検問をほぼ顔パスで通り抜け王国軍本部へと向かった。

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