第22話
「それなら、私、アルフレッド様に誘われちゃうかな!」
胸に手を当てて「ドキドキしてきましたぁ」なんて話すイヴに、私は違和感を抱く。以前図書室で見た意地悪な笑い方といい、様子が変だ。私が知っているイヴはあんな子じゃないのに。まるで偽物が彼女に入り込んだのではないかと思うくらい。
(……まさかね)
突拍子のない考えを振り払い、私はその場を後にした。今日は図書委員の仕事がある日。急いで図書室に向かい、貸出カウンターに座る。その時、後輩に話しかけられた。
「先輩、すいません。この本なんですけど、どこに戻したらいいか分かりますか?」
「あー、これ、倉庫で保管している本だ。私が代わりに行ってくるよ」
カウンターの仕事をその後輩にお願いして、私はそれを持って倉庫に向かう。薄暗い階段を降りていくと、背後から同じように降りてくる足音が聞こえてきた。誰か来たのかな? 恐る恐る振り返ると次の瞬間、私は大きな叫び声をあげていた。
「あ、アルフレッド!!」
「あまり大きな声を出すな。ここは反響するだろう、耳が痛くなる」
私の叫び声がぐわんぐわんと倉庫に向かう階段の中で反響していく。でも、私は再び「どうしてこんなところに!?」と大きな声をあげていた。
「ティナと話が合って図書室に来たらこっちに行く姿が見えたからな。ついてきた」
「ついてきたって……もう、びっくりさせないでくださいよ。それで、話って?」
「……卒業パーティーのことだ」
私の心臓が飛び上がった。彼の口からその言葉が出てくるなんて思わなかったからなおさら。騒がしい胸を押さえつけて、私はアルフレッドの言葉を待つ。
「誰かから誘われたか?」
「い、いいえ……」
「それなら良かった。……もしティナが良ければ、俺と踊ってくれないか?」
そう言って、彼は手を差し出した。私の手はびくりと動くけれど、ぎゅっと身が縮こまり動かなくなった。アルフレッドも私の迷いに気づいて、その手を引っ込めていく。
「ティナが背負っているものを理解しているつもりだ。それでも、俺はティナと共にありたい。俺と一緒になっていいと思ってくれるのであれば……いい返事を期待している」
私は言葉を返すことも出来ず押し黙っていた。アルフレッドはそんな私の姿を見て優しく笑った。こんな彼の表情を、なんど見ただろう? まるで陽だまりにいるみたいに暖かくて、優しい微笑み。今にもその手を掴みたいのに、体は動かないままだった。
「まだ時間はある。ゆっくり考えてくれ」
「……はい」
そう返事をするだけでいっぱいいっぱいだった。しゅんと肩を落とす私を見て、アルフレッドはおや? と言った様子で目を丸めていた。
「どうかされましたか?」
「いや。また適当な理由をつけて断られると思っていたからな、そんな反応するとは思っていなかった。今日はやけに素直じゃないか」
カッと頬が熱くなっていく。
「い、いいじゃありませんか!? たまにはこんな日もあります!」
「ははっ! いつもの調子に戻ったな。その素直な態度も可愛らしいが、いつもの頑なで意地っ張りな方がティナらしい」
「……なによそれ」
褒められているはずなのに、まったく嬉しくない言葉だった。彼はまた少し笑って、小指を差し出した。
「必ず返事をすると約束してほしい」
「……はい」
私は小指を彼のそれに絡ませる。触れ合う場所は熱くて、体がとろとろに溶けてしまいそうな熱だった。指切りで約束を交わした彼は最後に「待っているから」と付け足して階段を昇って行った。取り残された私はハッと用事を思い出し、慌てて倉庫に向かった。
***
まるで有頂天な気分とはこのことだと思う。足元は何だかぷかぷかとまるで夢の中を歩いているみたいで落ち着かない。ぼーっとしてしまうことも増えて、図書委員の仕事もミスばかり続いてしまった。寮に戻るときも思い出されるのはアルフレッドの事ばかり。どれだけ振り払おうとしても、触れ合った小指が熱を持つ。私はその度に嬉しくなって、誰も見ていないところではスキップをしていた。
だから、【あの子】の存在に気づけないままだった。
「あらぁ、随分ご機嫌なのね」
寮に続く廊下は薄暗く、その先に誰がいるのか分からなかった。突然聞こえたその声はどこか冷たく、私はとっさに身構える。ゆっくりとした足音がどんどん近づいてきて、影からぬるりと――イヴの姿が現れた。
「い、イヴじゃない。どうしたの?」
驚く私の声はわずかに震えていた。体は恐怖を感じているみたいだった。
「シモンズさんと話があったの。今、時間あるかな?」
彼女の声は恐ろしいまで冷たく聞こえた。私はそれに頷き、歩き出すイヴの後ろに続く。空き教室を見つけ、彼女はそこに入っていった。私もゆっくりと足を踏み入れた時、体が強く引っ張られ、叩きつけられるような衝撃を感じた。私はハッと顔をあげる。イヴは私の事をじっと見下ろしていた。その時、私は彼女に床に引きずり倒されたことに気づいた。床にぶつけた背中や腕がじわじわと痛む。けれど、頭を占めるのはその痛みじゃなくて困惑ばかりだった。どうして、あのイヴが、心優しい聖女のような子が、こんなことをするの? ぐるぐると渦巻く疑問。イヴの視線は冷たく、じっと私を見つめていた。
どれだけ時間が流れたのか、私たちはしばらくそのままで過ごしていた。そして、イヴが大きくため息をつく。
「どうして邪魔ばっかりするのかなぁ?」
その声は可愛らしいけれど、まるで鬼みたいな表情で私を睨む。私がびくりと震えると、イヴは舌打ちをした。
「せっかくヒロインに【生まれ変わった】んだから、金持ちと結婚して楽しく暮らしてやろうと思っていたのにさぁ。まさかアンタみたいなモブに邪魔されるなんて思わなかった」
「……生まれ変わり?」
頭の奥がぞっと冷たくなっていく。私は震える声で、イヴに問いただす。
「もしかして、イヴも転生したの……?」
そう聞くと、イヴは口角をあげて笑った。
「そうよ。この世界の【ヒロイン】に転生したの、私。そう聞くって事はアンタもそうなんでしょう? うすうすそうなんじゃないかと思っていたけどね。ほら、この学園に来たときから」
本来はリリアが助けるはずなのに私がやって来て、本来なら私が知らないはずの彼女の名前を、私は口にした。その時から彼女は怪しんでいたらしい。私についての情報を集め、時には私の事を尾行までして様子を窺っていたみたいだった。
「アンタがアルフレッドの周りをうろちょろしていてムカついたけど、もういいわ。私のアルフレッド攻略は順調だから、何回あのゲームプレイしたと思ってるのよ。攻略の手順はもうばっちり覚えてるから問題ないし。これ以上アンタがどれだけあがいても、アルフレッドは私の物になるって、このゲームのシステム上もうそうなるのは決まってるのよ!」
そう言って、イヴは私のお腹を蹴り飛ばした。痛いはずなのに、苦しくて声が出てこない。目の前が真っ暗になっていく。
「アンタがこれ以上何してももう無駄よ。せいぜい指でもくわえて見てたら?」
私は呆然としたまま起き上がる。それを見てイヴは鼻で笑っていた。
「そうだぁ。私、これから天文台に行かないと」
「……天文台?」
「アンタもこのゲームやってたなら知ってるでしょ? アルフレッドとのイベントが起きる場所よ。じゃ、またねぇ」
イヴは手をひらひらと振って、教室から出ていった。私は慌てて起き上がって、その後を追おうとした。待って、だめ、やめて……っ! 私から彼を奪わないで! そう願いながら天文台へ急ぐ。イヴは私が追いついてきたこの気づいたらしい、天文台へ続くドアの前で振り返り、にっこりと笑った。それは私が良く知る【ヒロインの笑顔】なはずなのに、じっとりとした冷たさを帯びていた。
「じゃあね、モブ令嬢さん」
そう言って彼女はドアを閉めた。
「ま、待って! イヴ! アルフレッド! 開けて、開けてよ……」
イヴは鍵をかけてしまったらしく、ドアノブをどれだけ動かしてもドアが開くことはなかった。扉をドンドンと殴り、中にいるはずのイヴ、そしてアルフレッドに呼び掛けた。彼だったらきっと私の声に気づいてくれるはずなのに……でも、天文台からは何の音沙汰もなかった。
ここで起きるイベントは、アルフレッドとのエンディングを迎えるために必ず起こさなければいけないものであり、エンディングを決定づけるもの。ここでアルフレッドとのイベントを起こしたら、必ずイヴはアルフレッドと結ばれる。……もっと早く気づけばよかった、イヴの様子がおかしい事は私だって分かっていた事なのに。ぽたりと足元に涙が落ちた。私はそれを拭うことなく、わんわんとまるで子どもみたいに泣きじゃくっていた。
結局、この世界でも前世でも私は幸せになんてなれない。私はどうせモブの一人で、アルフレッドのヒロインになんてなれないのに。分かっていたことなのに、どうして期待なんてしてしまったんだろう。
***
「ティナ、目の下真っ黒よ?」
あの日は眠りにつくことが出来ず、絶望しながら朝を迎えた。目の下には隈が出来て、それにベロニカとマリリンの二人が驚いていた。
「何かあったわけ? 家の事?」
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