第5章 あなただけのヒロインになりたい
第20話
「ティナさんは連休もお見合いですか?」
「え? あ、あー……」
マリリンに話しかけられ、私は教室にあるカレンダーを見た。そろそろ大型連休がやってくる。連休が来るとみんな実家に帰って自由に過ごす、私も同じように毎年実家に帰ってのんびりと過ごしていた。でも、卒業を控える今、のんびり過ごす暇はない。
「どうだろう? お父様が探してくださっていると思うけど……上手くいくとは限らないし」
「大丈夫ですよ、ティナさん! きっと良縁に恵まれます!」
そうやってマリリンは私の事を励ましてくれる。しかし、私はあまり気が進まない状態だった。お見合いをした方がいいのは分かっているのだけど、心がそれを拒否していた。
アルフレッドの事を振り払って以来、私は彼にやめて欲しいと言われていたのに無視する日々が続いている。複雑に混じり合った私の感情、そこには恐怖と喜びが共存していた。もしお父様にアルフレッドの事を話したら、婿を取るつもりがないのかとがっかりされるんじゃないかという恐怖。アルフレッドのイベントを進めてしまったイヴに彼を取られてしまうのではないかという恐怖。そして、彼の気持ちを知ったことによる喜び。相反するそれらを抱えた私は、どこに行くことも出来なくなっていた。
「ティナ、最近、あなた変よ」
そんな私の様子を、意外な人が心配してくれた。ベロニカはどんよりとしている私を引っ張って、テラスに連れて行った。そこにはすでにティーセットの用意が済んでいる。
「実家からお茶が届いたの。心身の不調に効くんですって」
私は驚いて目を大きく丸める。隣に座るマリリンもびっくりしていて、口を大きくぽかんと開けていた。そんな私たちの様子を見て、ベロニカは「なによ!」とプリプリと怒り始めた。それは少し照れているようにも見える。
「私がティナの事を心配したら悪い!?」
「いえ。私、そんなに変でした?」
「ええ、そうよ!」
ベロニカは怒りながらも私にお菓子を差し出した。有名パティシエが作ったマドレーヌ、もうマリリンは手を付けていて美味しいと言いながら食べていた。私も一口食べる、バターの豊かな香りが広がり、甘さが体に染みわたっていく。なんだか、久しぶりに美味しいものを食べたような気がする。紅茶も香りが華やかで、ちょっと飲んだだけで上等なものであるというのが分かった。
「何に悩んでいるのよ?」
ベロニカは脚を組みながら、何だか偉そうにそう聞いてきた。でも私の悩みを話すと彼女の怒りを更に買うことになってしまうので、私は「大丈夫です」と答えた。
「大丈夫そうには見えませんよ。このところ、ずっと顔色が悪いですし」
「そうよ。まあ、言いたくなったら言いなさい。どうせ私たちは暇なんですから」
ベロニカはパクパクとお菓子を食べていった。……私は誤解していたような気がする。記憶を取り戻して以降、ベロニカに【悪役令嬢】というレッテルと貼り付けて、学園から追放されてしまう嫌なヤツという色眼鏡で見ていた。でも、口は相変わらず悪いけれど、こうやって友達思いな一面もある。どうにかして彼女が追放されない未来はないのだろうか? 今の自分の事で手一杯なくせに、そんな事を思ってしまった。それくらい、今日のベロニカの優しさは身に沁みた。
「あの転校生もずっと変なのよ。このところ、ずっと天文台に出入りしているらしいわ」
学園の一番高い塔、そこは天文台になっていて、イヴとアルフレッドのイベントが発生する場所でもある。私はびくりと震えていた。
「それも、一人で」
ベロニカが付け足す言葉でホッと息を吐いた。そこにアルフレッドは着ていないようで安心してしまう。
「星でも好きなんでしょうか?」
「さあね。何だか気味が悪いのよね、アイツ。連休明け、学園に戻ってこないと良いのに」
マリリンは「そうですね」と同意するが、それは棒読みだった。
「まあ、ティナはゆっくり休んできたらいいわ。誕生日もあるからのんびりしづらいかもしれないけれど」
「え?」
「まさか、自分の誕生日も忘れたの!?」
ベロニカは驚いたような声をあげたけれど、まさかのその通りだった。私の誕生日はいつもこの連休中にやってくる。このところいろんなことがあったせいですっかり忘れていた。
「いやね、アンタって子は……」
「お誕生日、ご家族とゆっくりお過ごしくださいね」
私は思い出させてくれた二人に礼を言って、紅茶を飲む。ほんの少しだけ心が軽くなったような気がした。
***
実家に帰ると、お父様は少し難しい顔で私を出迎えてくれた。
「どうしたのですか? お父様。どこが具合でも悪いんじゃ……」
「いや、ティナ。あまり良くない話があるんだ」
その言葉に冷汗が流れる。私は覚悟して背筋を伸ばした。
「お前の見合いの事なんだが……あまりいい縁がなくってだな……」
歯切れの悪いお父様の話はこうだった。私の見合いが上手くいっていないという噂が社交界に出回っているらしい。せっかく話が進んだジェフさんもその素性のせいでおじゃんに。アーノルドさんも我が家と見合いをしなかったら、自慢だった息子の素行の悪さがばれずに済んだのにと恨み節を漏らしているみたい。私とお見合いをしたら家の醜聞が広まってしまう……そんな噂が駆け巡り、私は最近「呪われている」とかなんとか言われているとかなんとか。そのせいもあってお見合いをしたいという人がいなくなってしまったとのこと。
「こんなにいい娘なのに、私が至らないばかりでこんな風に言われるなんて……」
お父様は涙を流す。私はそんなお父様の背中に手を添えて何度か擦った。
「大丈夫よ、お父様。ゆっくり進めていきましょう」
「ティナ……」
「私もちょっとお見合いをお休みしたかったの。ちょうどいいわ」
お父様を慰めて、私は自分の部屋に戻っていった。着替えもせずベッドに飛び込む。お父様の手前、あんなことを言ったけれど……内心、とてもショックを受けていた。アーノルドさんなんて、私が悪いわけじゃないのに人のせいにして! 私のお見合いが上手くいかないのは我が家も私も悪いわけじゃないのに! 声に出すことができない怒りを、枕を叩きつけることで晴らしていく。
それと同時に、お見合いがなくてよかったと胸を撫でおろす自分がいた。ぼんやりと、ヒロインになるという夢を描いてしまったもう一人の自分が安心している姿が、目を閉じると現れる。……私の人生なんて、どうせ上手くいかないことばかりなのに。
翌日が私の誕生日だった。私が眠っている間、屋敷中が飾りつけられていく。あちこちに貼りつけられた「ハッピーバースデー」の文字や、私の小さな頃からの写真が並べられていく私メモリアル、もう恥ずかしいってずっと言っているのにお祝い事が大好きなお母様はやめようとしない。
「だって、こんなことができるのもあとわずかかもしれないでしょう?」
うるうるとした瞳で見つめられると、私は折れてしまう。がっくりとうなだれながら「仕方ないなぁ」と漏らすと、お母様は嬉しそうにメイドたちに指示を飛ばし始める。その中で一人、困惑しながら若いメイドがやって来た。
「あの、ティナお嬢様にお届けものがございまして」
「あら、どなたから? ティナの友人かしら?」
私は首を横に振る。ベロニカもマリリンも、誕生日プレゼントは連休明けに渡してくれる。親戚からのプレゼントはもう届いているらしいので、心当たりは私にはない。困惑していると、廊下の向こうから執事がよろめきながら何やら真っ赤なものを運んでくる。
「あら! バラの花束だわ!」
それが何であるのか、先に気づいたのはお母様だった。私は目を凝らして執事が抱えているものを見る。確かに、それは深紅のバラだった。
「ティナお嬢様宛てなのですが、差出人がなくて……」
「うふふ。名前の記せない方ですのね」
お母様は私を見てウィンクした。私とお母様の頭には、同じ人物が過っているにちがいない。バラの花のように赤い髪を持つ、高貴な姿が。
「……どのようにいたしましょう?」
ようやっとやって来た執事の息が上がっている。両手で抱えることができないくらいのバラの数、こんなブーケを見るのは生まれて初めてだった。
「ティナのお部屋にかざりましょうか?」
「えぇ、そうしましょう。……でも、すごいですね。何本くらいあるのでしょう?」
私がぽつりとつぶやくと、お母様はまた「うふふ」と声をあげた。
「ティナは知らないのね。バラの花言葉は、本数で違うんですよ」
「そうなのですか?」
「えぇ。そうだ! あなたが生けなさい、本数を数えながらね」
お母様は執事に、それを私の部屋に運ぶように、そして、花瓶と花言葉の本を置いてくるように言いつける。あっという間に、私はそれらと一緒に部屋に取り残された。大きな花束に、我が家で一番大きな花瓶、そしてお母様が持っていた花言葉の本。私は一本ずつバラの花を花瓶に生けていく。その数は想像していた以上にあり、ちょうど100本……には1本足りない99本のバラだった。
「なんか中途半端ね」
私は机に置かれたバラの花を見てそう呟く。99本なんて微妙な本数でも意味があるのかしら? そんな事を思いながら、私は本を開いた。
「えぇっ……!」
バラのページを読み始めた私は驚きの声をあげる。だってそこには、「99本のバラは『永遠の愛』という意味を持ちます」なんて書いてあったから。私は花瓶に生けた花と本を交互に見て、大きく息を吐いた。顔が熱くなっている、きっとこの花のように真っ赤になっているに違いない。
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