03.孤軍奮闘シークレット・プリンス
3-1
六月一七日 一八時四五分 白華学園 新校舎屋上―――。
(昼は定期連絡の時間が取れなかった。……ここなら、誰も来ないだろう)
日本の学校内というよりは、激しい紛争地帯か、敵軍の本拠地にでも潜入するような厳しい目つきで周囲を見渡している詰襟の少年――天原ミコトは、息を潜ませ、足音を殺して塔屋から屋上に出た。
基本的に屋上への立ち入りは禁止されており、侵入を制限するバリケードも張られている。以前は多少やんちゃな生徒はそれを無視して立ち入る事も少なくはなかったが、最近は東山を中心とした生徒指導が厳しく行われており、そういう生徒も少なくなっていた。まあ、ミコトには全く関係のないことだが。
既に今日の部活動はほぼ終了しており、残っている生徒の多くも談笑しながら校門から帰っている様子が屋上からも見える。
六月になり、日も高くなってきたが、そろそろ日没の時間だ。薄暗く、それでもまだ赤い日が、給水タンクを照らしていた――そこに影が見えて、ミコトは身を縮こませる。
「――……ちょっと待ってよ」
聞き覚えのある声がわずかに聞こえて、ミコトは肩をわずかに震わせる。塔屋の陰に身を潜めつつ、ミコトは声の主の姿を確認すべくそちらに体を傾けた。
「……いやでも、約束しただろ?」
咎めるような、そしていつもよりずっと辛辣な口調。普段の温かさと優しさを感じる声音は何処かに消えていたが、それでもその声は、彼のものだとミコトにはよく分かった。
(片瀬……?)
声の主は、二時間ほど前に、図書室の本の借り方をミコトに教えた後、そのまま陸上部の活動に向かったクラスメイト――否、友人の片瀬リョウマだった。
いつものように微笑みを浮かべているようだが、その笑みはどちらかというと、自嘲のようにミコトには思えた。
「……わかってるよ。うまくやってる。成績も落としてない。部活だってちゃんと出てる。友達付き合いも悪くないし、先生の評判もいい。いつも通りの俺だ」
自分を俯瞰でもしているふうに、片瀬は電話の相手に淡々と続けた。
「父さんの言いたいことも分かるけどさ。そっちもちゃんと上手くやる。小さいころからそうだったろ、全部、ちゃんとやるから大丈夫だよ」
ミコトにはよくわからなかったが、なんとなく、断片的に聞こえる内容からして自分の父親と将来についてで揉めているのかもしれない、と漠然と思った。入学して数週間で自分も「進路はどうするのか」と様々な教師に聞かれたからだ。
(あと一年もあるのに、日本の高校生というのは忙しないものだ)
高いランクの大学に入学し、一流の企業に就職する、だの、専門的な学校に入って、技術や知識を蓄え、その道に進む――など、さまざまな候補を挙げられたが、ミコトは「もう少し考えたい」とその場を濁し続けるしかなかった。
最も、トレジャーハンターという職に就いているから、というのもあるが――。
(……俺には、人を殺す技能しか、ない。ひとびとの生活を、脅かす知識しか、ない)
それは、白華学園に入って、ミコトが再認識した事だった。
(……少しだけ、そう言う風に悩めるのが、うらやましい)
電話で父親らしい相手と少しばかり言い争いになっている片瀬を見て、ミコトは胸の内でつぶやいた。
くだらない思考が脳内に回り続けるので、ミコトはその場から立ち去ろうとしたのだが。
「……たまには兄貴にも電話かけたら?俺ばっかりじゃなくてさ。あいつだって、父さんの息子じゃないか。……ちがう?そんなことないでしょ。血は繋がってるんだよ。……逃げても父さんの息子なんだよ。だから出来るって」
ふっと、片瀬の声のトーンが変わったことに、ミコトはぞっとした。気づけば、無意識のうちに懐から拳銃を取り出していた。
あまりにも近しい感覚を、ミコトは戦場で覚えたことがある――言い換えれば、戦場を離れてからはしばらく、感じたことがなかった感覚だ。
(向けられたのは俺にではない、が――)
明確なするどいそれは、日本の高校生が持つにはあまりにも異質だとミコトは思った。
「……もし俺が死んだときの保険として、今のうちに兄貴とも仲直りしておきなよ。そしたら安心できるだろ?」
半笑いのまま、片瀬は続ける。
「……あはは、なんで? そういうことだろ? 代わりがいれば、それでいいじゃない……っと。なんてね」
わずかに片瀬の視線がミコトの方へ向いた。微かな物音で気づいたのか、分からなかったが、声音が自然と明るくなっていく――なっていく、というよりは、スイッチでも切り替えられるように、すぐに変わった。
「ああ、うん。友達が呼んでるからもう切るね。……またね、父さん」
そう言って、彼は通話を終えると、
「そんなトコでどうしたの、天原。もう帰る時間だよ」
そう明確に呼びつけられて一瞬ミコトは面食らったが、すぐに片瀬の元へ歩み寄った。
「ああ。こんな時間に君の姿が見えたので、どうしたのかと尾行を」
ミコトの姿を見た途端、片瀬はぶきみなくらい、いつもどおりの人好きのする笑顔を見せた。
「尾行て……まあでも、心配してくれたってことかな? ありがと」
その明るい口調からは、先ほどの冷たい印象は全く感じられない。
「丁度良かった。父さんが進路決めたのかーって、うるさくってさ。電話切る口実ができたよ――」
そう言って、また笑う片瀬のすぐ後ろは、屋上の低い柵だ。一歩後ろに引けば、落ちてしまいそうなほどの。――ミコトの目には、彼の瞳が一瞬だけ暗く濁ったように映った。
「――ッ!」
ミコトが思わず彼の手を掴んで引っ張ると、片瀬は驚いた顔をした。
「……どうしたの天原。何かあった?」
自分でもよく分からない突発的な行動に、ミコトは動揺した。何か言わなければ、とミコトが口を開く前に、片瀬が言った。
「あ、確かにここの柵、低いよな。よく落ちそうになる子がいるみたいだし。ありがと、心配してくれて」
「……おかしなことを考えた。まるで、君が飛び降りるような気がしたんだ」
ミコトが胸に浮かんだ言葉をぽつぽつと言うと、片瀬は苦笑いをした。
「俺が? まさか。毎日充実してるし、そんな理由ないよ。ほら、センセーたちにバレないうちに帰ろ」
ミコトの肩を叩いて、片瀬は笑いながらその場から走り出した。
(なぜ、片瀬は自分の父親に自分が死んだとき、などという話をしていたんだろう)
まるで、片瀬がすぐにでも死ぬことがあるのだというような、彼自身が望んでいるかのような。
病気か、精神的な問題でも抱えているのか、あるいは――。
(俺は、君のことを何も知らない)
自分も沢山の機密を抱えているにもかかわらず、ミコトはそんな自分勝手なことを思った。
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