第12話 捨て殺し

 永禄元年(1558)十一月十日、少弐本拠の勢福寺城周辺は緊張感に包まれていた。


 城に迫るのは、龍造寺から先陣を命じられた国衆達、小田、本告もとおい犬塚いんづかの兵、計四千五百。

 対して、野戦にて迎え撃とうとする、神代、江上を中心とした少弐勢五千。

 吹き抜ける強風に煽られ土埃が舞う中、両軍は静かに闘志を燃やしつつ対峙する。


 だが決戦を前に、小田勢の陣では、すでに闘志を露わにした者の怒号が響いていた。



※ ※ ※ 



「えっ? 殿自ら前線に出られるのですか⁉」

「そうだ! そなたも見ておったであろう! 隆信殿は明らかに我らを疑っておられる。ならばこの戦にて、我らの心意気と、わしの槍裁き、しかと披露せねばならん!」


 小田家当主の政光は、いとこの利光相手に憤っていた。

 隆信のいる姉川城に挨拶に赴いた際、政光は逆心を抱いているのではないかという、疑いの目を向けられていたのだ。


 そのため検使──いわゆるお目付け役の、馬渡もうたい賢才、鴨打かもち胤忠の龍造寺家臣二人を同行させる様、命じられる。

 彼等を前にして、政光は言葉は選んでいるものの、隆信に対する憤りを隠そうとしない。その危うさを察し、利光はすかさず制止する。


「落ち着いて下さりませ。殿の身に万が一の事あれば、御家の命運に関わるのですぞ」

「おお、そうだな! だがもしかすると、わしに万が一の事が起きるのを、隆信殿は期待しておるかもしれん! のう、馬渡、鴨打!」


 政光は口元を歪ませ、二人を睨みつける。

 対して、息を一つ吐き心を落ち着かせると、彼を諭したのは馬渡賢才だった。


「左様な懸念は御無用にございます。殿のお望みは、小田様に精一杯戦に励んでいただき、和睦をたがえないとお示し下さること。その一点のみにござります」

「素直に申せ! 精一杯励んだ挙句、ついでに討ち取られたら好都合。そう思っておるのであろう!」


「あり得ませぬ。この度の目的は、あくまでも江上神代を撃ち破り、勢福寺城を落とすこと。小田様との関係を壊そうなとどは──」

「ならば、なぜ軍をこちらへ向かわせない⁉ 間もなく戦が始まろうとしておるのに、隆信殿は相変わらず姉川城に籠ったまま。物見湯山に来たのでは無かろう!」


 刹那、馬渡、鴨打二人の双眸は見開いていた。

 確かに隆信は姉川城に留まり、遊軍に徹する構えを崩していない。小田、本告、犬塚らの奮闘ぶりを、遠くから見物するつもりなのだ。

 だが検使を前にして、さすがに物見湯山は言い過ぎではないか。慌てた利光は割って入る。


「と、とりあえず我ら家臣が攻め、崩れる様なら殿が前線に向かわれる。それで如何にございますか?」

「左様。わざわざ貴殿が、前線に出向くほどの事はございますまい」


 利光に続き、その場にいた本告勢の主、頼景がぶっきらぼうになだめる。

 その視線を明後日の方に向けたままで。まるで独白のような冷めた物言いで。

 所詮は手伝い戦ではないか。

 そんな彼の意を察した政光は、はっとして冷静になる。そして憮然としていたものの、やがてその場から去っていった。


 利光はようやく胸を撫で下ろす。これで陣中は平静を取り戻したと。

 しかし彼は、眼前の敵のみならず、自軍の中にも争いの火種がくすぶっている現状を目の当たりにして、一抹の不安を抱かざるを得なかった。

 


※ ※ ※ 



 やがて戦は、両軍の矢鉄砲の撃ち合いから始まった。

 舞台となったのは、城の南方、田畑とあぜ道が広がる長者林と、東方、神崎口の二か所である。


 長者林においては、小田本告勢三千に対し、神代勢と江上勢の一部を加えた三千が迎え撃つ。

 一方、神崎口では、犬塚勢一千五百と、江上勢を中心とした少弐勢二千が火花を散らし始めた。



 そしてこの戦いで将兵の目を引いたのは、神代勢が投入した新たな武器だった。


(何と、圧巻な……!)


 小田先陣の将は狼狽えていた。

 神代勢が携えていたのは、長さ三間(約5.45m)もの大槍。それを彼等は密集させて槍衾を作ると、遮二無二叩いて小田勢に襲い掛かったのだ。


 これ程の大槍となれば扱うのが難しい。だが、屈強な山内の兵達なら使いこなせるはず。そう見込んだ勝利が、あらかじめ用意させたものだった。

 その数数百本。効果は抜群だった。槍を隙間なく敷きつめた分厚い壁を、突破出来る者などいるはずがない。そのため緒戦から、形勢は神代優位へと傾いていったのだ。


 だが小田家としても、早々に訪れた危機に対し、手をこまねいて見ている訳にはいかない。


「報告! 先陣崩れ、二陣も苦戦中!」

「殿、それがしが援護に向かいましょう!」


 名乗り出た利光は、味方の苦境を救うべく、一軍を率い最前線へ。

 すると、そこで目の当たりにしたのは、叫びながら暴れ回る敵の若武者二人の姿だった。


「はっはっは! どうした、槍の達人を名乗りながら戦場に姿を見せぬとは! 政光は腰抜けか!」


 我が物顔で小田勢の中に斬り込んできたのは、勝利の二男種長であった。

 騎馬隊を率いた彼は、槍衾で崩された後の小田各陣を、たちまち蹂躙してゆく。


「多年に渡る、我らとのよしみを捨て、隆信の尻馬に乗って戦うとは、見苦しい奴め!」


 そしてもう一人、勝利三男の周利も、兄に負けじと暴れ回る。

 彼らの余裕の表情は物語っていた。もっと強い者はおらんのかと。

 思慮深い嫡男長良とは異なり、奔放の二文字が良く似合う彼等の戦ぶりには、若者ならではの、恐れを知らない無垢な勢いがあったのだ。

 

「言わせておけば…… あの若造共を止めよ!」


 対して利光は声を荒げ命じる。

 だが、すでに味方は混乱の中。崩れた態勢を立て直すのに必死で、早駆けの種長、周利を仕留めに向かう者は誰一人いない。

 ならばと、れた利光は馬を走らせ、自ら討ち掛かろうとする。

 しかし、乱戦の中に揉まれた彼は、やがて二人を見失うと、次第に己の身を守るのが手一杯という状況に陥っていった。



※ ※ ※ 


 

「申し上げます! 山田河内守様、御討死! 加えて本告勢総崩れ! すでに本告頼景様は戦場から脱出されたとの事!」

「何ぃ!」


「なお、騎馬隊を率いる敵の若武者が、大声を上げ、こちらに向かっております!」

「何と抜かしておる!」

「それが……」

「遠慮は無用、申せ!」

「戦場に姿を見せない殿は腰抜けだと……」

「おのれ、上等だ! その首叩き落してくれる!」


 小田陣中に政光の怒号が響く

 彼は立ち上がって床几を蹴り倒すと、鬼の形相で陣を後にしようとする。

 だがその軽挙を、青ざめた近臣達が見逃すはずがない。


「お止め下され! 敵の安い挑発にござる!」

「たわけ! 味方の危機に安穏としている大将がどこにおる!」


 跪いて道を塞ぐ数人の近臣達は、政光から一喝される。

 しかし、政光がその壁を押し通ろうとする様が、彼らに覚悟を決めさせた。

 無礼は承知の上。彼らは政光を囲むと、たちまち羽交い絞めにし始める。

 陣中には相変わらず馬渡、鴨打の二人が居残っており、家中の醜いいさかいを晒すのは心苦しいが、それどころではなかったのだ。 


 だが、政光の抵抗はすぐに止まった。

 その時、息を切らして戦場から戻って来た、一人の武者によって。


「利光、そなた……」

「向かってはなりませぬ。ここは、隆信様に援軍を乞うて下さりませ」

「ああ⁉」


「我らの必死の戦ぶりは、すでに隆信様に伝わっておりましょう。その心意気を汲んで、援軍を送ってもらえるかもしれません」

「あり得ん! 隆信殿は我らを捨て殺しにするつもりなのであろう!」

「今はそれが最善の手にございます。殿の御出馬は最後に留めて下さりませ」


 ひれ伏す利光。

 彼の懇願する姿を見て、政光は激しく歯ぎしりしていた。

 確かに龍造寺が援軍を送ってくれさえすれば、この窮地は乗り越えられる。

 だが政光の頭の中では、やはり満座の中で辱めを受けた、己の姿がこびりついたまま。激しい葛藤に、彼は決断を下せずにいたが──

 


「報告! 江口兵庫助様も御討死!」


 事ここに至っては止む無し。

 次々にもたらされる悲報に、政光はついに首を縦に振ると、事が上手く運ぶ様、利光と家臣達に一任するのだった。

 


※ ※ ※ 



すぐに小田家の使者は、龍造寺本陣へとやってきた。


「先陣の戦は激しさを増しております! 我らは一歩も退く気はございませんが、味方が崩れる前に、どうか軍勢を進めて下さりませ!」


 

 使者は声を大にして懇願するとひれ伏す。

 その口上に隆信の同情を引き出し、援軍を送ると約束してもらえる様、並々ならぬ熱意を込めて。


 言うまでもなく、口上は利光や小田重臣達が考えたものである。

 使者は命じられていた。味方の危機を救えるのは、そなたの働き一つに掛かっていると。

 そして、命じられた通り述べる事が出来たのだ。己の役目を果たし、後は隆信の快諾を待つばかりとなった彼は、平伏した顔の下で安堵の息を漏らす。

 しかし──



(……なぜ返事が無いのだ?)


 焦れた使者は僅かに顔を上げ、横目で周囲を見渡す。

 するとその場に並んでいたのは、龍造寺家臣達の幾つもの呆れ顔。

 驚いた使者は、思わず顔を上げ隆信を直視する。

 すると隆信こそが最も呆れ、いら立ち、嫌悪を露わにしていたのだった。


 懸命に戦うのは当たり前だ。それで総崩れとなったのなら逃げたら良いだけ。

 実際、本告頼景はさっさと離脱しているし、神崎口で戦っていた犬塚勢も、この時すでに崩れ、戦場から離脱していた。

 そして戦後、隆信は彼らを恨んだり、罰したりはしてはいない。

 上下関係にある勢力間において、上位の者がこの様に計らうのは、戦国の世にあってごく普通の事であった。


 しかしそんな事情など、使者は知るはずがない。

 彼にとっては予想外の事態。凍て付いた視線が次々と刺さるその場は、針のむしろでしかなかった。

 

 だが使者と言う立場上、彼は恐る恐る隆信に尋ねざるを得ない。


「あの、それで御返答は……?」

「追って沙汰する!」


 貰えたのはその一言だけ。

 まるで己が叱責されたかの様な心境になった使者は、居たたまれず、すぐさま立ち去っていく。

 そして後に、「捨て置け!」と、隆信が長信に怒鳴った事など知る由もなかった。


 

 使者はすぐに小田の陣に戻り、事の次第を報告する。

 ならばと小田家の者達は沙汰を待つが、龍造寺からの使者は一向にやって来ない。

 忘れられているのではないのか。疑心を抱いた小田家の者達は、再び隆信の元へ使者を遣わす。


 それをやはり隆信は無視。

 不審に思い、再び使者を派遣する小田家。

 数度に渡ったこの不毛なやりとりの中、小田勢は神代勢に押され続け、次第に敗色濃厚となってゆく。


 そしてついに、小田政光と言う名の火山は、激しく噴火したのだった。 


「やはり我らを捨て殺しにするつもりだな! 汚い隆信のやる事よ! ならば、望みどおり討死してやる!」


 もはや検使の存在など気にしない。

 懸命に押し留めようとする家臣達も眼中にない。

 逆上した政光は、近臣達を率い陣を飛び出すと、馬にまたがり戦塵の中に斬り込んでいった。


 史書「九州治乱記」は、その時の様子を記している。

 行装は、ひとえに縛多王はくたおうが鬼を狩りに行く様だと。

 縛多王とは古代インド波羅奈国はらなこくの王で、鬼を捕らえた剛勇の武将と伝えられる人物。

 その敵兵を圧倒する出で立ちと武勇で、政光は神代勢を恐怖に陥れてゆく。まさに死狂いであったと言う。


 だが天は彼に味方しなかった。

 その評判に違わぬ武勇を見せつけた末、待ち受けていたのは、周囲の敵兵がまばらになった瞬間だったのだ。


「打物では叶わないぞ! 遠矢にて射落とせ!」


 たちまち江上神代勢の矢が、四方より政光を襲う。

 その無数の矢が飛来する様子が、彼がこの世で見た最後の光景だった。


 小田駿河守政光。

 東肥前にその名を轟かせた、無双の打物の達人。

 彼が一矢を眉間に受けて落馬し、首を討たれたと隆信の元に報告が入ったのは、それから間もなくの事だった。









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