桜が静かに眠る頃

桜はもう新緑の色に染まり、あたたかな夏の香りを運んでくる。


定期検診で白井さんからしずさんの訃報を聞いて、ボクはその足でお墓参りに行くことにした。


病院の近くの教会の墓地はどこかひんやりとした空気に包まれている。


白井さんに教えてもらったしずさんのお墓の場所を探していると、その場所に誰かがいた。


「マイ……?」


「サクヤくん……」


しずさんのお墓の前にいたのは、変わり果てた姿のマイだった。


「なんで黙ってたの……?」


その瞳は恨みに染まり、その目元は赤く、擦られた跡が残る。


頬には滝のように止まることなく涙が流れる。


「なんで……誰も、本当のことは、アタシに何も言ってくれないの……!?」


言葉をぶつけるように。


叩きつけるように。


「…………」


だけど、ボクには何も答えられなかった。


裏切りだと分かっていたから、傷つけたと分かっているから。


「ねぇ、何か言ってよ!?アタシどうしたら良いの!?サクヤくん!!ねぇ、教えてよ!?サクヤくんサクヤくんサクヤくんサクヤくんサクヤくん……!!!!!」


襟元を掴まれてガクガクとされるがままに揺さぶられる。


乱れて汚れた綺麗だった高校の制服、半端に染められた黒髪。


取り乱してる今のマイにはいつもの、ボクの知っていたマイの姿はどこにもなかった。


どうしたらいいの?こんなマイを、ボクはどうしたら良いの?


分からないよ……しずさん……。


どうしたら良いのかな……お姉ちゃん……。


だって、こんな、こんなことになるだなんて思ってなかったんだ……。


唸るように吐き出される、しずさんが亡くなった途端豹変したマイの両親のこと、突然やってきた、黒髪で両親によく似てる出来た妹のこと。


マイの居場所なんて、あの家族の中にもともとなかったんだ、しずさんがどうにもできないくらいに……。


うららかな日差しと深い慟哭が降りかかる。


ボクはマイをせめて抱きしめられれば良かったけど、その資格があるか分からず、宙に浮いたままだった腕は結局何も掴むことはなかった。


お墓の前に手向けられた花が風と悲しみに揺れる。


そして、泣きはらし、疲れきったマイの手をただ握り、あの公園まで歩いた。


何かあるわけでもなく、何か言えるわけでもなく、ただの時間稼ぎ。


マイもただ何も言わずについて来てくれた。


ベンチに腰を下ろして、沈み始めた夕日を眺める。


「サクヤくん……」


ポツリと呟いた、聞こえるか聞こえないかぐらいの声。


「何……?」


「ごめん、サクヤくんは何も悪くないのに……」


「ううん、そんな事ないよ」


しずさんの事を黙ってたのは本当のことだし。


「ううん、違うの。サクヤくんの事はおばあちゃんからの手紙に書いてあったの」


「しずさんからの……?」


「うん……」


俯いたままのマイは今どんな表情をしてるんだろう。


「何かあったら、1人じゃ辛かったら、サクヤくんを頼りなさいって」


「しずさん……」


「でもねっ」


マイは勢いをつけて立ち上がる。


「こんなんでもアタシの方がお姉さんだからさ、こんなんじゃダメだよね」


そう言って、こちらを向いた半分こちらを向いた顔は少しだけど笑っていた。


「で、でも、マイ――」


「大丈夫、アタシは大丈夫だから……」


そんな今にも泣き出しそうな笑顔は大丈夫だと思えないよ。


なんでそこまでお姉さんぶるのさ。


そして、マイは制服のブレザーを脱ぎ始めた。


「ど、どうしたの?」


「あのね、アタシ、全寮制の学校に行くことにしたの」


だから、もうこれいらないの、そう言って投げ捨てる。


「おか……ううん、あの人たち、アタシがいたら邪魔だろうから。それに、どうしたら良いかわかんないし、どうもしたくない」


両親のことをあの人と言い直すし、胸元を握りしめる姿はとても痛々しい。


それほどまでに傷ついてしまったんだね……。


「おばあちゃんのお友達の人が理事長やっててそこに通うことにしたの。おばあちゃんからもそこに行けって言われてたんだけど、家の近くに、おばあちゃんの近くにいたかったから」


緩やかに風になびく髪を耳にかける。


今はもうキラキラと夕日に透けたりしない。


「特別だけど、ちゃんと編入試験も受けたんだよ。だから、夏休み終わったらそっちに行くの。そこ結構頭良いんだよー。にひひ」


から笑いが虚しく響く。


「アタシは1人で大丈夫。だから、サクヤくんはアタシの心配とかしなくて良いから……さ、支えになろうとか……うく、思わなくて良いから……だから……ぐすっ」


「マイ!」


だんだんと嗚咽が交る声を聞いていられず立ち上がる。


このままマイを抱きしめて良いの?


それでも、ボクの心は最期の一歩を踏み出せない。


「大丈夫よ」


「えっ?」


後ろから声がしたかと思ったら、背中を押された。


「わっ、と、っと」


「サクヤ……くん……」


マイを抱きしめるというか、倒れそうになったのをこらえるように抱きついた。


「え、えっと……その……」


突然のことに少し頭が混乱する。


後ろを確認したけど、誰もいなかった。


でも、あの声は確かにお姉ちゃんの声だった。


ありがとう、お姉ちゃん。


息を吸って、吐く。


「マイ、あのね……無理しなくていいんだよ。ボクの前でまで」


「無理……してないよ」


見下ろす笑顔は固まったまま。


「強がらなくて良い、良い子になろうとしなくて良い、ちゃんと分かってるから」


「……」


「ねぇ、マイ……ボクは、いつもボクの前で見せてた、着飾ってないマイが……その……」


なんだか告白するみたいで緊張する。


いや、ある意味告白するんだけど。


「好きなんだ……」


友達として、と心の中でちゃんと付け加える。


そう、友達として、友達として。


あぁ、もう、うるさい心臓!


「サクヤくん……」


固まっていた笑顔が崩れた。


マイはただ純粋に言葉受け取ってくれたみたい。


良かった。


いや、変な意味なんてないんだけど。


「マイの素敵なところ大事にして欲しい。しずさんもきっとそう思ってるよ」


「うん……うん……」


ぎゅ~っと抱きしめられる。


少し苦しいけど、マイの温もりが心地良い。


「ありがとう……サクヤくん」


涙の雨が頭に降りかかってくる。


ありがとう、と何度も何度も言葉が髪をなでつける。


ボクはそのまま身を委ねた。


今度はしっかりとマイを抱きしめて。


しばらく抱き合ったあと、また会おうね、と指切りをして別れた。


その時は前の……ううん、いつものマイの笑顔だった。

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