桜の咲く頃

マイはしずさんのお見舞いに来てはしょっちゅうボクの所にやってきて、色々な事にボクを巻き込んだ。


看護師さんの洗濯物を取り込むの手伝ってたら抱えすぎて足元見えなくて転んで台無しそうになったり、車椅子の人を押してあげてたら話に夢中になって道を間違えてたり、暇な子供達と遊んであげてたらムキになって泣かしちゃったり……。


彼女曰く、迷える子羊に救いの手をの名のもとに人の為に何かしたいという。


だけど、看護師さんからの噂を聞くと、なかなかマイの思うようにはいっていないようだった。


とにかく、危なっかしくて目が離せずにボクも彼女の活動の後をついて回ることにした。


まぁ、暇だったしね。


ボクがフォローするようになり、いくらか周りの評価はマシになった。


一応、ボクは入院患者なんだけど。




「えへへ、サクヤくん、ありがとうね」


「な、なに、急に」


ベッドに半身を預けて上目遣いにボクを見る。


「サクヤくんのおかげでありがとうがいっぱい貰えるようになった」


「そりゃ、いつもあんだけしてたらなかなか言われないよ」


「うん、そうだね。あははは」


いつもと違って大人しく弱々しく笑い、視線を下に落とした。


「アタシ、1人じゃなにもできないなー」


「珍しいね、どうしたの?」


マイらしくない。


「ううん、何となくそう思っただけ……」


「ふーん……そっか」


ボクはそれ以上追求せずに外を眺める。


弱気になる時くらい誰にでもあるし、弱音くらい意味もなく零れたりする。


ただ、ボクはそんなマイの弱いところをすくいとれるかは今のボクには分からない。


ううん、できないと思う。


「ねぇねぇ」


「ん?」


「なんでサクヤくんはアタシに何も聞かないの?」


「?」


思わず首をかしげる。


「救いの手活動をなんでしてるのさー、とか」


「んー」


なんて言ったら良いのかなー。


言葉を舌の上で転がして吟味する。


「言わないなら言いたくないのかなって。でも、何かしらの真っ直ぐな信念を持ってやるんだろうな、とは思う」


キョトンとした視線が返ってきた。


「……それに楽しいことは楽しいから、誰かと何かするのって」


他人をあの日からずっと避けてきたから。


だけど、マイとは不思議と嫌じゃなかった。


「ふーん、そっかそっか。うんうん」


一人で納得して、ニコニコし出す。


「ありがとう、サクヤくん」


「だから、何に大しての感謝なのさ」


「色々だよ」


確かに、2回目の感謝の言葉は1回目より込められてるものが多い気がした。


何となくだけど。


「ふーん」


「だから、アタシはサクヤくんが笑顔になれるように頑張るよ」


「笑ってるじゃん」


「ううん、作り笑いとか苦笑いじゃなくて」


「……無理だよ」


ボクは笑えない。


「だから、頑張るの」


ニコッと笑う彼女はどこか自信に溢れてるように見えた。


でも、無理だよ。


笑い方なんて心は忘れてしまった。




「サクヤ」


名前を呼ばれてる。


「サクヤ」


懐かしい声で。


大好きな声で。


「サクヤ」


「どこ?どこにいるの?」


声のする方を探しても見える景色は何もかもが曖昧で、その姿を見つけられない。


「ここだよ」


「あ……――」



やっと見えた。


でも、見えた瞬間その姿が……。


嫌だ、止めて!


「お姉ちゃん……!」


ガバッと身を起こした。


あれ、ここは……。


そこには見慣れた白で統一された部屋があった。


現実を認識した途端に覚めていく頭。


荒くなっていた息を整える。


「大丈夫?」


目の前でロザリオと少しクセのある髪の毛が揺れる。


「あ……うん」


一瞬お姉ちゃんとダブってドキッとした。


心配そうにのぞき込むその姿は似てないのに、仕草がどこか似てた。


「うなされてたよ」


「何か言ってた?」


「うーんと、う~、お腹空いた~って」


「マイじゃないから、そんなこと言わないよ」


そんなに食べ盛りなわけでもない。


良かった、寝言言ってなかったか。


「むー、アタシだってそんな寝言言わないよ」


「よだれ垂らしながらよく寝てるくせに」


「な、なぜそれを!?」


「白井さんから」


「おばあちゃんか!」


白井さんはボクの身の周りを気にかけてくれるナースさんでしずさんのお世話もしてる。


最近はよく、しずさんから聞いたマイのことを話してくれる。


ボクが見舞いに来る人も特段仲の良い人もいないからだろう。


「もう、おばあちゃんそんな恥ずかしい話しないでよー」


ここにはいない相手にいやんいやん、と頭を振る。


すると、プツン、とロザリオが切れて床に落ちた。


「あ」


「……!」


途端、マイは椅子を倒しながら立ち上がって病室をかけて出て行った。


「マイ――」



カツンっ……。


「あっ」


マイを追いかけようとベッドを降りたら置き去りにされたロザリオが床に落ちた。


いったいこの十字架が外れたことが何を意味してるんだろう。


ううん、とりあえず追いかけないと。


病室を出ると廊下にパタパタと慌ただしい足音が響いてる。


「あれは、しずさんの病室……?」


中庭を隔てて反対側にあるしずさんの病室が開いていた。


嫌な予感が背中を撫でる。


恐る恐るしずさんの病室まで行くとちょうど担当医らしき人が出てきた。


「おっと」


「あ、すみません」


ぶつかりそうになって一歩を後ずさる。


「君は確かー……あ、そうだそうだ。ちょうど良い。あの子におばあちゃんは大丈夫だと言ってあげてくれないかい?」


そう言って室内を指差した先にはしずさんのベッドに寄り添うマイの姿があった。


「あ、あのしずさんは……」


「ちょっと回診中に目眩を起こしてしまったみたいでね、今は落ち着いて眠っているよ」


「そ、そうなんですか」


良かった。


いつの間にか胸に溜まってた空気を吐き出した。


「だけどあの子はおばあちゃんは大丈夫?本当に大丈夫?っていくら言っても聞かないんだよ。心配なのは分かるんだけどね」


今にも泣き出しそうな顔でしずさんの手を握ってるその背中はいつもお姉さんぶってる姿より弱くて幼い子供のように見えた。


「それじゃ、頼んだよ」


「は、はい……ボクにできるか分かりませんが」


大丈夫できるよ、と肩をポンと叩いて去っていった。


その場に一人残されてどうしようかと思ったけど、病室に足を踏み入れる。


他の人の病室って何だか落ち着かない気持ちになってくる。


しずさんの寝息だけが静かな病室に響く。


「あ、サクヤくん」


ボクに気づいたマイが目もとを拭って顔を向ける。


「しずさん、ただ眠ってるだけだってさ」


「うん、そうみたいだね」


「先生がマイが言う事聞いてくれないって言ってたよ」


「あははは、ちょ、ちょっと取り乱しちゃっただけだよ~」


おどけたように頭を掻く。


ふぅーと強ばった空気を吐いて、いつもどおりの笑みを浮かべる。


「あのね、ちょーっとだけ、お話聞いてもらっても良い?」


「……ちょっとだけだよ」


マイの横に椅子を並べて腰を下ろした。


「えへへ、ありがと。サクヤくんは優しいよね」


「だから、優しくなんか―――」


「あのね、アタシお婆ちゃんと2人で暮らしてたんだ」


人が否定するのも聞かず、マイは話始めた。


相変わらずこっちの話を聞く気はないんだから。


「パパとママはいつも海外でさ」


「じゃあ今は一人なの?」


「ううん、おばあちゃんが入院してからは一応帰ってきてる」


と言ってもほとんど家にいないんだけどね、会っても素っ気ないしと寂しげに笑う。


それで病院に毎日のように来てるんだ。


「それでね、おばあちゃんに早く帰ってきてほしいから、どうしたら早く良くなるの?って聞いたの」


「誰に?」


「おばあちゃんに。そしたら、アタシが周りの人の役に立てば、良い事すれば早く良くなるよって教えてくれたの」


「だから、迷える子羊に救いの手を、の活動をしてるの?」


「そうなの」


「でも、そのネーミングセンスはどうかと思う」


あ、ずっと思ってたことがついポロッと出ちゃった。


「あはは、ま、まぁそれは置いといて……」


何かを噛み締めるように。


自分の中でうまく整理できてない言葉を噛み砕くように。


「だから、神様にお祈りもちゃんとして、おばあちゃんにワガママ言ってきた分、少しでも良い子になれるようになろう、て思ったの」


もとがガサツなのはしずさんのフォローがいつでもあったからなのかな。


「だからさ、これからもおばあちゃんの為に協力してくれたら嬉しいな」


ニパッと周りが少し明るくなるような、そんな笑顔を浮かべる。


なんだろう、この気持ちは。


マイの持つ不思議な魅力にボクはいつの間にか引かれて、マイの為ならと思ってしまう自分に少しだけ戸惑う。


だけど、それはもうほとんど決心がついてるからでそれは何となくの、何となく踏み出せない一歩。


他人に関わることを怖いと思う弱い自分が裾を引っ張っているだけ。


自分が関わるとまたどこか遠くに行ってしまうのではないか……。


窓の外では桜が満開に咲いている。


お姉ちゃん、もう大丈夫だよ。


お姉ちゃんの裾を掴んでいた手を離さなきゃ。


「うん、ボクで良かったら」


マイに頼られることが、必要とされることが嬉しかった。


マイには遠く及ばない、ぎこちない笑顔にもならない笑顔で応えた。

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