これからについて

 午後七時二十二分。健人よりも先に南生駒駅に到着した。

 お互いの最寄りだからこそこの駅を選んでいるわけで決して栄えた場所ではなかった。

 近辺には居酒屋が二、三軒。駐輪場にコインパーキングと並んでいたがどこにも繁盛の二文字は見当たらなかった。

 一面を包む闇に抗う一本の街灯の下で健人の到着を待った。


 待ち合わせ時間までもう少しあったのと今夜も随分と寒かったので自動販売機で飲み物を買うことにした。

 百円硬貨を長方形のデカ物に入れあったかーいと書かれた黒いパッケージの缶コーヒーのボタンを押した。

 荒い工程で下の取り出し口から出てきた缶コーヒーを手に取ると皮膚が痛む程に熱かった。

 あったかーいという表記に文句をつけてやりたかったがそんな度胸もないので大人しくちょびょびと口をつけた。


 健人が到着したのは二十八分のことだった。

「おっすー」

 なんて軽い挨拶で俺達の視線は南生駒駅に向いた。

 半分程残っていた缶コーヒーを一気に飲み干し近くのゴミ箱に投げ捨て駅の階段を降りた。

 改札をICカードで通り残高千円ちょっとの俺の大冒険が始まった。


「どう?調子は」

「それはどっち?」

「うーんそやな。じゃあ女の方」

「それは選択肢にないわ。まあでも順調よ」

「え?合体したってこと?」

「なんでそうなんねん。まだ仲良く出来てるだけや」


 電車を待つ間人の気配もなかったが何となく何かに配慮してやり取りは小声で行った。訪れた電車も人の数はそう多くはなかった。ガラガラの席の端に二人坐る。

 ガタンゴトンと体を左右揺さぶられながらくだらない会話が続いた。

 ろくでなしの俺にとってこの時間は唯一と言っていい程の幸せな時間だった。


 大和西大寺駅、大冒険の目的地。三百六十円の残高を改札に捧げ、外に出ると先程とは一変して栄えた雰囲気を感じた。

 夜中とは思えないほど建物が放つ明かりに照らされ妙な高揚感を覚えた。

「どこやっけ」

 ズボンのポケットからスマホを取り出しマップツールで目的地の店名を入力した。『餓鬼道』。


「こっちやわ」

 スマホが示す案内に従い、俺達は夜の繁華街に足を踏み入れた。

 表向き綺麗な街並みも少し進めば下品な雰囲気に一変した。様々な飯の匂い、煙草の臭いに酔っ払いの笑い声、爆音で流れる音楽。

 行き交う人々が日頃の不満をこの場の何かで洗い流していた。

 しばらく歩いて目的地『餓鬼道』に到着した。

 厳つい名前からイメージしていた雰囲気とは違いガラス張りでオープンなお店だった。


 予約を済ませていたのですぐに席に着くことが出来た。

 お互い上着を脱いでおしぼりとメニューに手を付けた。

 すぐに従業員がお通しを持って現れた。二十代の若い男。体育会系で接客の雰囲気も良く既にこのお店に好感を持っていた。

 飲み物とある程度の料理の注文を済ませ店員さんは去っていった。

「雰囲気ええ感じやん」

 好感を持っているのは健人も同じようだった。


「で、どうなん最近」

 一息ついてある話題を持ち出した。彼の夢である小説家としての近況を知りたかったのだ。

「まあぼちぼちやな。コンテストの選考がそろそろ始まるからそれ次第って感じ。何かネタになりそうな話ある?」

 お決まりの質問に頭を働かせた。そしてネタになる明らかな出来事を思い出した。

「昨日非通知で電話が来てん。拒否を押そうとしたら焦って応答押して、しばらく無音やったんやけど急になんか音声聞こえてきて、わ、た、し、ぱ、ら、さ、い、とって一音一音別の声で言うんねん」

 昨日の記憶を掘り起こして今でも残る恐怖心を投げかけた。


「ぱらさいと?何やっけそれ」

 健人はスマホを手に取りぱらさいとを調べ始める。

「寄生生物。宿主に依存して生活する寄生植物 や寄生動物など。お前それほんまか?」

「ほんまに来たんや。ほら非通知の履歴。残ってるやろ」


 信じないのも無理はないがこれは完全なノンフィクションだ。スマホの着信履歴を健人に見せた。

「確かに来てんな」

 確認するとすぐに鞄からメモ帳とボールペンを取り出しメモを取った。

「ありがとう。で、お前はどうなん?」

 心に鋭いナイフが刺さった気がした。さっきの従業員が頼んだ酒を運んでくる。覚えたてのカタカナの名前のお酒を。


 質問に動揺して乾杯も忘れて酒に口をつけた。そんな様子を見て健人は笑っていた。

「怖いか?俺が馬鹿にするかもってひよってんのか?」

「すまん。本当に何もないから。ろくでなしに囲まれて特に何の進展もしないろくでなし。今の俺はろくでなし以下かもしれん」

「なあ、お前も一緒に小説を書いてみいへん?」

 思いもよらぬ提案に驚いたが少しだけ何者かになれた気がして心地良かった。

「俺が小説?」

 空っぽから救ってくれるかもしれない。そんな風に思ったんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る