To the beginning

 正式リリースに向けて開発が進む中、少し遅めに出社した月本は、壁際の棚に長井家から貰ってきた本を並べていた。


「おっ、これはなかなか面白そうなものが並んでいますね。月本君の私物ですか?」


 通りかかった野間が話しかける。


「これは友人の遺品なんです。せっかくだから皆さんに読んでもらおうと思って」


 自室に持ち帰り、ある程度興味のある本はいくつか目を通してみたものの、分野が違うとなればあまり活用もできずに持て余していたのだ。かといって捨てたり売るのも憚られ、扱いに困っていたというのが正直なところだった。


「……そうですか、それは大変でしたね。ご友人は、これを全て読んでいたのですか?」


「はい、一人で何でもやってましたよ。僕は手伝っていたというか、ただの雑用でしたけど」


 話している二人に興味を引かれたのか、福田と冴川も寄ってきて輪に入る。


「『簡単な人物画』ね、これ読んでもいい?」


「なるほど、『ゲームプログラミング超入門』ですか」


 それぞれ気になった本を手に取っているようだ。気になったのか小走りでトコトコと近寄ってきた土屋が『プロを目指すシナリオ技法』を取り、月本の様子を伺ってくる。軽く微笑みながらうなずくと、喜んでページをめくりだす土屋だった。


「これだけのジャンルを勉強していたとは驚きですね。その友人の方、『けんいちろー』さんでしたか。どのような人だったんですか」


 どこか遠慮しつつも尋ねる冴川の声に、月本は生前の長井のことを思い返してみた。痩せこけた頬に似合わない真剣な眼差しで作業に没頭していた様子が思い浮かび、自信と覚悟を感じさせる彼の声が今でも聞こえるような気がした。


「破天荒っていうのかな、自分の道を行っていたというか。とにかくアクの強いやつでした」


 言いながら、間違ってはいないものの何か足りない気がする。なにかもっと彼を表す言葉はないだろうか。目標であり、心の支え、そして永遠に追いつけない存在。どれも大げさで気恥ずかしく口に出すのをためらっていると、月本の脳内に突如思い浮かんだ表現があった。


「なんていうのかな。僕にとっては……太陽、みたいな人でしたね。一緒にいるとこっちまで元気になれて、頑張れたんです」


「太陽、ですか。良いですね、そんな関係」


 冴川がそう言い、どこかしんみりした雰囲気が漂う。


「彼の残したこの作品を、何としても良いものにしましょう。私もできる限り協力します」


 優しい声で冴川が言うのを聞いた月本は、「ありがとうございます」と心からの感謝を返した。


「はぁ~、本も読みたいけど、まだまだやること山積みだよ。そろそろ戻らないと」


 福田が大げさにためいきをつきながら言ったことで、なんとなく解散する雰囲気になった。


「さて、もうひと頑張りですね。まだまだ修正待ちのバグが残っていますから」


 そう言って冴川が席に戻っていくのを見届けると、月本も自席でPCを立ち上げて作業を開始した。

 

 ◆◆◆


 リリースを翌週に控えた金曜日。華金という言葉も関係なく、夜9時を過ぎてもチームは最後の追い込みで会社に残っていた。


「残りのバグはどんなもんだ?」


 桃山がQAテスターの集まる席で、直島に確認している。


「重要度低めのバグは3件近く修正待ちっすけど、最悪リリース後でも大丈夫かと。今QAで確認作業中は……2件ってとこで、他はなんとかなりそうです」


 画面を見ながら直島が報告する。桃山も、重要度の低い不具合を一通り確認して「確かに、これくらいなら次に回すか」と判断を下した。


「それじゃあ、週末は出なくても大丈夫そうすか?」


 作業の進捗によっては、休日出勤でカバーするとの話になっていたからか。何かを期待してそわそわして訪ねた直島に、桃山は「そうだな」と返すと、他のメンバーにも聞こえるよう声を張り上げた。


「はーい注目!今のところ確認待ちが少しと、他のバグは次のリリースに回すことにしたから、今日はぼちぼち帰ってもらって大丈夫だ。土日は念のため俺と野間ちゃんだけ出とくから、週末は安心して休んでくれ。皆さんどうもお疲れ様でした!」


 それを聞いたチームの間に、安堵した空気が流れる。バグを洗い出すためにテストプレイをしていた月本も、思わず口元がゆるむ。そして一つ大きな伸びをしたところで、冴川が近寄ってくるのが見えた。


「桃山さん、週明けのリリース当日のスケジュール、送っておきました」


「それは助かる。当日は任せるが、何か俺にできることあれば言ってくれ」


「では、サービス開始前に開発チームだけ先に本番環境に入れるよう設定しますので、全員でのテストプレイをお願いしたいです。念のため課金も試したいのですが」


 会社のネットワークからだけアクセスできるように設定し、それでテストをしてみて問題なければ一般のプレイヤー向けにも開放するという手順だろう。


「それ、課金のノルマとかないっすよね?会社からお金でないんすか?」


 直島達の話し声を聞きながら、どうやらなんとかなりそうだと月本が安堵していると、桃山が話を振ってきた。


「『イセワン』、ついにリリースだぞ。色々あったとは思うが、諦めずによく頑張ったな」


「はい、嬉しいです!桃山さんに声をかけてもらって、皆さんの助けもあって、なんとかここまで来られました」


 ついに『異世界大戦ワンダラーズ』が形になって世に出る。とはいえ、ほとんどの作業は他のチームメンバーによって為されたものであり、もう少し貢献できていればと、わずかながらのもどかしさも覚える。


 実際、バトルの仕様作成は桃山に引き取ってもらってもいたし、アドベンチャー部分の仕様も、本来はシナリオに集中するべき土屋に助けてもらい、なんとかリリース前に実装できたというのが実態だ。


 それでも、元々のアイデアを長井が書き上げ、引き継いだ自分が企画書の形に整えたこの作品が正式にリリースとなると、月本はまさに感無量の心持ちになるのだった。

 

(企画プレゼン会から、ここまで長かったな)


 一人でやらなければと張り切って飛び出してはみたものの、結果的に今はこれだけの仲間に囲まれて、仕事として世に送り出すことができている。


 とはいえ、これからが本番で売上を伸ばさなくてはならない。むしろ始まったばかりだと、気を引き締めなくてはと考えた月本だが、同時に今日くらいは労をねぎらってもいいだろうとも思うのだった。


「せっかくだから、この後軽く前祝いしていかない?今日はカラオケでシャウトしたい気分なんだ」


「カラオケですか……。私は遠慮しておきます。時間も時間ですし」


 気がつくと、先程までの疲れた様子から打って変わって元気になった福田が、冴川を誘っている。


「そっか残念、冴川君顔色悪いみたいだけど、疲れてる?ご飯とかはどう?」


「いえ、大丈夫です。夕飯は食べたのですが、少しお腹空いてきましたね」

 

「おっ、じゃ軽く飲みに行くか?」


 桃山が提案し、ちょうど飲みに行きたい気分だった月本は「行きます!」と勢いよく手を上げた。


「ちょっと、確認作業まだ終わってないんすから、楽しそうな話やめてくださいよ」


 直島が不満そうに言い、部屋が笑いに包まれる。


「もうぼちぼち終わるだろ?今日は俺のおごりでいいぞ」


「マジすか桃山さん!行きます!」


 おごり発言に歓声が上がり、拍手が自然と沸き起こった。福田も乗り気で「私も人のお金で飲みたい!」と続く。


「文江先生は少しお酒は控えたほうが……今回はちゃんと自力で帰ってくださいよ、旦那さんも心配しますよ」


 前回の醜態を思い返し、もう介抱はこりごりだと止める月本だったが、彼女が飲みの席に居ると楽しいのもまた動かしようのない事実ではあった。


「では、私達は後ほど向かいますので」


 そう言って確認作業が終わるまで残るという冴川を残して月本は部屋を出ると、全く反省の色が見られない福田も一緒に、先導する桃山に従い飲みに向かうのだった。

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