再燃

元 蜜

第1話 家庭という名の檻

「麗華さん。子どもはいつになったらできるのかしら?」

「すみません、お義母さん……。一応頑張ってはいるのですが……」

「良いお医者様紹介するから一度検査に行ってみたら?」

「はぁ……。考えておきます……」


 私は電話の向こうにいる義母へ空謝りすると電話を切った。


 はぁ……、朝からこんな話題嫌になる。

 子どもができないのは別に私のせいじゃないし……。


 

 私は九条麗華くじょう れいか、30歳。結婚生活5年目の専業主婦だ。同い年の夫のみつるは住宅メーカーに勤務している。今は高級住宅街に自宅を構え、一応裕福な生活をさせてもらっている。


「今晩は接待で遅くなるから」


 夫はそう言うと、私が差し出した鞄を受け取った。

 私は笑顔を顔に貼り付け、『頑張ってね』と言い彼を送り出した。彼の姿が扉の向こうへ消えた途端、私の顔からスッと笑顔が消える。


(何が接待よ。今夜もどうせあの女のとこでしょ?) 


 実は子作りなんてずっと前からしてもいない。夫は浮気相手に夢中で、私に目を向けてくれない。だから私たち夫婦の間では、所謂“セックスレス”という状態がここ数年続いている。


 一度だけ浮気を問い詰めたことがある。すると夫は開き直って、『お前、所帯じみてて燃えないんだよ!』と返してきた。誰が好き好んでこんな格好してると思ってるんだよ、と大声で叫びたくなる。


 結婚する前の私はインテリア会社でバリバリに働くキャリアウーマンだった。毎日オシャレなスーツを着こなし、メイクも完璧に、女としての自信に満ち溢れ、たくさんの人々に囲まれて充実した日々を過ごしていた。


 そんな一番輝いていた時に今の夫に出会った。似たような業種ということもあり、私たちはすぐに意気投合し付き合い始めた。


 仕事にも理解があったはずなのに、結婚してからは『妻には家を守ってほしい』と仕事を取り上げられ、『濃いメイクも派手な服装も必要ない』と地味な妻像を押し付けられた。そして私の日々は急速に輝きを失っていった。


 私の毎日は、家事をして、夫の世話をして、義母の相手をする……。たったこれだけのサイクルで回っている。そんな我が家は、裕福で、理想的な夫もいて、姑と仲良しな嫁がいる家として近所では通っている。しかし私にとってここは、“素敵な家庭”という理想像で囲まれた《檻》の中だ。そして私はその檻の中にずっと閉じ込められている。


『誰かここから私を救い出してほしい……』


 そんなことを願っても、友人からは『専業主婦させてもらっててよくそんな贅沢言えるよね?』と妬まれるだけで、誰も私が本気で苦しんでいるなんて思ってもくれない。


 有名な映画の様に『いつか王子様が現れて……』なんて思っても、現実にはそんな奇跡みたいな出来事なんて起きるはずもないのだ。




 そんなある日、郵便ポストの中に差出人の名前が書かれていない絵葉書が一枚入っていた。その絵葉書は既製品ではなく、誰かの手によって直接葉書に描かれたもののようだ。この絵のタッチには見覚えがある……。

 急に学生時代の記憶が頭の中で呼び起こされた。そうだ、これはあの人の絵だ。


 よく見ると、その絵葉書には一文が添えられていた。


《会いたい。10日14時思い出の店で待ってる》


 私はその一文を見つめ動揺した。


 “あの人”というのは、大学時代の同級生で《久遠巧くおん たくみ》という男のことだ。私がインテリア専攻で、彼は美術専攻だった。彼はとても繊細な絵を描き、私はその絵と彼自身に急速に惹かれた。その後、私からの猛アプローチの末に付き合うようになった。


 彼が描く繊細な絵とは対照的に、彼の愛し方はとても情熱的だった。半年もすると私の身体はすっかりと彼に溺れていた。

 順調に付き合いを続けていたのだが、大学卒業間近になってくると、彼との将来を想像したときに急に不安になり始めた。

 彼のような美術専攻で、卒業後にだけを仕事に出来るのはほんの一握りの才能がある人だけで、ほとんどの人がそこから零れ落ちていく。

 まだ将来への希望に満ち溢れていた私にとって、いくら愛があっても貧しい結婚生活なんて考えられなかった。私は一方的に別れを告げると、彼の前から姿を消した。


 そんな彼が今頃、一体私に何の用があるというのだろうか……?

 もしかして『あの時傷つけた詫びをしろ』とか言いに来るのだろうか……?

 それとも、“お金だけで愛のない結婚生活”に不満を抱いている私を嘲笑いに来るのだろうか……?



 もう一度絵葉書をじっと見つめる。


「10日って……。明後日じゃん……」

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