04.ダンスくらい余裕で踊ってやるよ

 屋敷についてから紹介してもらったレザリンド侯爵は、神経質そうな線の細いおじさんだった。飾ってある花の向きがおかしいとか、テーブルクロスがズレてるとか、使用人たちに細かい指摘をしている。

 ブレイクはレザリンド侯爵なら帳簿や契約書をキッチリ残しているはずだと言っていたけど、確かにこんなに細かい人なら証拠も全部残していそうだ。


 パーティの参加者を数えるのは多すぎて無理だった。数十人はいる。

 一人一人紹介してもらったけれど全く覚えられない。どうせ作戦が終わったらあたしは海に帰るのだし、名前を頭に入れるのは最初の三人で諦めた。

 さすがにブレイクの両親のことは覚えたけど。二人とも、優しいけれど気弱そうな人で、あいさつのあとはすぐに端っこに引っ込んでいった。


「市井で暮らしていたのにいきなり貴族の仲間入りだなんて大変ではなくって? 逃げ帰ってもよろしいのよ」


 なんて嫌味を言ってくる女の子もいたけれど、その程度は母さんが事前に教えてくれた想定問答の範疇内だ。


「まあ、心配してくださるんですか? お優しいんですね」


 と、笑顔で流した。

 いつものあたしなら間違いなく言い返すところだけど、今は作戦行動中だから我慢。それに母さんが「いじわるを言ってくる人たちの大半はねえ、すごーく暇か嫉妬してるかのどちらかだから、相手にする必要ないわ」と言っていたから。


 母さんは「あとでその子の意中の男性に、〝こんなことを言って心配してくださったのよ。いい人ね〟なんて告げて仕返しする方法もあるわよ」と笑顔で教えてくれたけど……そっちは忘れよう。

 あたしはその場で言い返すか頭突きでもお見舞いするほうが性に合っている。


 ひととおりの挨拶が終わったら、今度はダンスの時間らしい。

 会場を見回してみると、ロウはまだリッフォン公爵の従者たちの中にいた。事前に「抜け出すタイミングはこっちで決めるから、あんま見んなっス」と言われているけれど、気になってつい探してしまう。


「さて、君の大事な仕事の時間だよ。シア」


 ブレイクが小声で囁く。愛称で呼ぶなって言ってるのに。でも婚約者のふりをしている今は指摘できない。


「派手に転んで周囲の気を引くか、見事なダンスで皆を魅了するか、さあどっちかな?」


 ブレイクの唇が挑戦的な弧を描く。ブレイクの挑発に乗るのは癪だけれど、だからといってここで引いては女がすたる。

 ――その挑戦、受けて立つ!


「ダンスくらい余裕でこなしてやるよ」


 小声でそう返してから、差し出されたブレイクの手を取った。

 ブレイクのエスコートに従って中央に向かうと、周囲の人々がちらちらとあたしたちに視線を向けてきた。さっき嫌味を言ってきた女の子は、あたしを見て小馬鹿にしたように笑っている。

 リッフォン公爵は不安そうな顔をこちらに向けているし、公爵の隣に立つレザリンド侯爵は、あたしたちにはさして興味がないように見える。


 貴族として養子に迎えられたばかりの元平民。あたしがうまく踊れずに失敗すると大半の人間が思っているのかもしれない。

 でも――失敗しろなんて、そんな期待には応えてやらない。


 ブレイクと向かい合って立ち、まずはお辞儀。ゆったりとしたワルツが流れ始めると同時に片手を繋ぐ。ブレイクがあたしの背中にもう片方の手を添えたので、あたしもブレイクの背に手を回した。

 両肘は肩の高さに固定し、胸はそらす。

 男性のリードに合わせて躍るものだから、どう動くかはブレイク任せだ。でもどんなステップを求められても姿勢だけは崩しちゃダメだって、母さんの言葉は忘れない。

 ブレイクがにこりと笑った。


「じゃあ、お手並拝見といくよ」


 予備歩から、七回のターン。ふっと止まって上体を倒し、またターンを繰り返す。その次は逆回転。

 あたしたちが一緒に踊るのは初めてだから、互いの調子を合わせるために最初の数小節くらいは移動だけで様子を見るのかと思ったのに、くるくる回らされる。


 ――こいつ、いきなり上級者向けのステップをぶっ込んできやがった!


 ブレイクを軽く睨むと、とても楽しそうないい笑顔を返される。

 あたしの反応を見て遊んでいるつもりかもしれないけれど、そうはいくか。転んでなんかやらないからな。


 足の動きをブレイクに合わせ、体もしっかり寄せたままキープする。でも足元は見ない。

 二人の息をいかに合わせるか、動きの一つ一つをスムーズに繋げられるかが見栄えを左右するから、どんなに目の前の男の足を踏みつけてやりたくても我慢だ。


「いいね、やっぱり君はそうでなくちゃ」

「後で覚えてろよ」


 ゆらゆら、ふわり。長いスカートがステップに合わせて揺れる。

 母さんが選んでくれたドレスはスカートが重いと思っていたけれど、あたしが回るたび上品に広がった。


 しばらく踊っていると一組の男女がやけに寄ってきたので、ブレイクと目配せをする。ぶつからないように周りのペアからは距離を保つものなのに、何か変だ。

 女の子がわざとらしくあたしのほうによろけたのを、ターンでさっと避けた。

 自分が転びそうになった女の子があたしを睨んできたけれど、ウインクをぱちっと返しておく。人にわざとぶつかろうとするからいけないんじゃん?


 音楽が終わって、ブレイクから一歩離れた。お辞儀をしてから周囲を見回すと、ロウの姿が消えていた。このダンスのうちに会場を抜け出したらしい。

 多くの人があたしたちを見ている気がする。何人かの女の子には睨まれたけれど、リッフォン公爵は満足げに笑っている。

 肝心のレザリンド侯爵は無表情で何を考えているのかはわからない。でもあたしたちを見ているってことは、注意を引くことには成功したんだろう。


 ブレイクに促されてリッフォン公爵たちのところに戻ると、リッフォン公爵は笑顔で拍手を送ってくれた。


「さすがは社交界の妖精の娘だね。君のお母さんが踊る姿を思い出したよ」

「まだまだ母には及びませんが、そう言っていただけて嬉しいです」

「いやいや、本当に素晴らしかったよ。ねえレザリンド侯爵」


 リッフォン公爵がレザリンド侯爵に話を向ける。レザリンド侯爵ははんと鼻を鳴らした。


「……あの粗雑な男の子供とは思えんな」


 今は演技中。でも、ぴくりと自分の眉が動くのを抑えられなかった。


「確かに実父ちちはいろいろと雑ですが、細かすぎるよりはよいと思います」

「……ほう」


 レザリンド侯爵が目を細めて私を見下ろす。冷えた空気が周囲に満ちるのは感じたけれど、言葉を覆す気は起きなかった。

 二曲目のダンス音楽が流れ始めたけれど、穏やかな音楽がやけに場違いに聞こえる。

 リッフォン公爵が困った顔をしている一方で、ブレイクはにこにこと笑顔を崩していない。 

 腕を組んだレザリンド侯爵があたしに言い放つ。


「一つ忠告をしておこう。君が嫁入りする先は我が侯爵家の分家筋だ。本家の当主たる私には逆らわないことだな」

「本家分家と言われましても、私のような元平民には馴染みがなくて。ご忠告ついでに教えていただけないでしょうか?」

「ふん。そこでヘラヘラ笑っている君の婚約者に聞けばよかろう。大した仕事もなく暇だろうしな」


 手を強く握る。体中が熱い。

 確かにブレイクはいつもヘラヘラ笑ってるとあたしも思うけれど、レザリンドの侯爵の言い方には、裏に軟弱者とバカにするような響きが含まれている気がした。


「てめ――っ」


 開いた口を、ブレイクにさっと塞がれる。


「そうですね。僕から話しておきますよ」

「娘が申し訳ないね。今の謝罪と……そうだ、君の家の庭について話したいと思っていたんだ。あちらで飲みながら話さないかい?」


 リッフォン公爵もあたしの前に立ってレザリンド侯爵を別の場所へ促した。

 公爵たちが遠ざかってからようやく、ブレイクがあたしの口から手を離す。


「僕たちも外に出ようか」


 口を尖らせかけたのを慌てて引っ込める。演技を継続できる気がしなくて、渋々ブレイクに従った。

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