第6話 マリカの告白
マリカほど純情無垢で、慈愛に満ちた花顔柳腰な女性はそうは居ない。
それは周知の事実であり、ヴィルドレットもそう見なす内の一人であった。
しかし、そんなマリカと師弟の関係を結んでからの六年間、誰よりも身近な存在だったヴィルドレットがマリカを女として見る事は一度も無かった。
それはヴィルドレットがマリカより三歳年下という事に、決して届かぬ高嶺の花として、いや、何より己の師匠として、女として見るにはあまりに
ましてや、その逆にマリカが己を男として見るなど、それこそ万に一つもあり得ないと思っていたヴィルドレットは、もはやマリカを姉のような存在として見る事しか選択肢には無かった……その筈だった――
◎
ベッド上で座位の姿勢を取っていた無防備なヴィルドレットへのマリカからの突然の口づけ。
片頬にはマリカの少しひんやりとした掌が添えられていて、細身の長身を
重ねられた唇から伝わってくる彼女の温もりと感触に、ヴィルドレットの鼓動は早鐘を打ち、熱い血液が全身を駆け巡る。
初めて感じる、女としてのマリカは意外にも魔性の味がして、それは毒のように全身に回り、次第に力が抜けて快楽なようなものが頭の中を支配してゆく……
――十秒程の口づけだった。ヴィルドレットからすればその十秒はとてつもなく長く感じられ、その間の思考は完全に停止。
そして、今、ヴィルドレットの目の前には
「――ご、ごめん、なさい……」
「――――」
震えながらのマリカの謝罪に、固まった表情のままのヴィルドレットは返事すらも返せない。
そんなヴィルドレットに対してマリカは更に言葉を紡ぎ出そうと、震える己を叱咤。力を込めて握りこぶしを作るが震えは止まらず、それでも己の気持ちを正直に伝える為、必死に言葉を紡ぎだそうと、
「――あ、愛して、います……深く……あなたの事を……」
マリカはそう告白すると、ヴィルドレットの黒い瞳を見つめながらゆっくりと顔を近づけ――、近づくにつれてマリカは目を瞑り再び唇を重ねようとするが、
「――ちょ、ちょっと待って下さい!」
「……え?」
ヴィルドレットはマリカの両肩を手で押し返した。
「……気持ちは嬉しいです。 師匠の様な素敵な女性から想いを寄せられる事は男として、素直に嬉しいです。でも――、」
『――私の、旦那さんになってくれる?』
あの声音が頭の中でこだまする。
たかが夢――、実在し得ない存在――
なのに、その存在はまるで許嫁のように、目の前の誘惑に溺れる事を許さない。
「――俺には好きな人がいます! だから、師匠の気持ちには応えられません!」
ヴィルドレットは言いながら、「――馬鹿だな、俺。」と心の中で呟く。
前述したようにマリカほど内面、外面共に美しい女性はなかなか居ない。その為、世界中の要人達から持ち掛けられる縁談が後を絶たない。
まさしく『絶世の美女』と言えよう、そんな全世界の男達が夢見る理想の女性からの、それも誠心誠意が込められた愛の告白。
それを控えめに言ったとしても、馬鹿な理由で断ったヴィルドレット。
マリカは顔を儚げに歪めるが、それはほんの一瞬だけで、すぐさま表情を笑顔に変える――
「……そっか、残念。 ヴィルドレットったら、師匠を振るなんて酷い弟子ね」
その笑顔の背景には心苦しさが色濃く滲んで見え、辛さを一生懸命隠そうとする反面、目からポロポロと涙が溢れ出る。
鼻を啜り、流れる涙を手で拭いながら、それでもマリカは必死に笑顔を作る努力を止めない。
「――素敵な女性なんでしょうね。 あなたに愛されるその
マリカからすればなんら大袈裟な比喩ではなく、まさに『世界一幸せな女』――幾ら『大聖女』でも、さすがに芽生える嫉妬心。
だが、そんな本音は隠しながらも、堪えきれない涙は依然として頬を伝う。
――正直悔しい……悔しくて、悲しくて、妬ましい。
かと言って、これ以上女々しく彼に縋り付く事はしたくないし、今更ながらではあるが彼の師匠としての自尊心もある。 せめて引き際くらいは潔くしたい。
「ヴィルドレット……頑張ってね。その
マリカは精一杯の建前を口にしてこの恋に終止符を打つ。
ただ、『――必ず生きて帰って来て欲しい』この気持ちだけは本物で、たとえ己の想いが永遠に叶わないにしてもヴィルドレットには誰よりも幸せでいて欲しい。 そして何より、生きていて欲しい。 そうマリカは心から願うのであった――
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