第40話:流れ星を掴むもの
全てを話終えたトーゴは、タバコを握りつぶして火を消す。
この現場を配信している星見のスマホには何百件というメッセージが届き、視聴者数は更に上がり続けている。
その熱狂とは裏腹にに、その場の空気は完全に凍てついていた。
「なぁ、なんか感想とかないのか?」
トーゴが茶化したように言うが、星見は何も言えずただ静かに俯くだけ。
トーマは小刻みに震えながら何かを呟くが、ビル風のせいで何も聞こえない。
それを聞き取ろうとトーゴが近づくと―――。
「―――ぃ……すまない、すまない、すまない、すまない……!」
トーマは床を見ながら、ただひたすらに謝罪の言葉を繰り返す。
同類が彼の母親を穢した事を。
彼に残っていた僅かなものすら捨てさせた事を。
何十年も共に暮らしておきながら、彼の心の奥底で滾らせる憎悪の炎を気付けなかった事を。
かつての仲間として、そして種付けおじさんという種族として、トーマはただ謝罪する事しかできなかった。
その姿は、トーマの大きな体躯には似合わないほどに縮こまっていた。
それを哀れんでか、トーゴは優しく肩に手を置いて語り掛ける。
「いいんだよ、兄弟。もういいんだ」
その言葉は許しのように穏やかであり、トーマは仰ぐように顔を上げる。
そしてその顔に、トーゴの拳が突き刺さった。
「ハッハァ! これだよ、これ! これを味わいたくて俺ぁここまでやってきたんだ!!」
トーゴが子供のようにはしゃぎながら、トーマを殴り続ける。
「俺も最初は種付けおじさんが滅べばなんでもいいと思ってたさ。だけどな、十吾のおっさんをぶっ殺した時に分かったんだよ! この手で復讐をやってる時が一番気持ちいいってなぁ!!」
それはあまりにも一方的な私刑だった。
無抵抗のトーマを相手に、トーゴがひたすらに暴力を振るう。
今まで溜め込んだ全て発散するかのように、ただただ殴る。
トーマは抵抗しようとする気力がなかった、痛覚さえも緩和せずにありのままを受け入れていた。
仲間だと思っていた彼は種付けおじさんという存在そのものを憎んでおり、その憎しみには正当であった。
自分が死ぬ事で彼の心が少しでも晴れるのであれば、死んでもいいと思っていた。
トーマのマスクが内側から赤く染まっていく。
顔だけでなく手当たり次第に殴られ、そして蹴られたせいで、最早トーマの体は誰が見てもボロボロのようになっていた。
ひとしきり復讐の味を堪能したのか、トーゴは倒れ伏しているトーマを乱暴む。
そして星見が縛られているイスと一緒に引き摺っていく。
「な……なにを……?」
苦痛を堪えながら、トーマが尋ねる。
復讐を果たすのであれば、自分を殺せばいい。
だというのに、どうして彼女を……?
そんなトーマの疑問に対して、トーゴが答える。
「確かに種付けおじさんが一番悪い。じゃあ二番目は誰だと思う?」
そうしてトーゴはトーマとイスを引き摺り、屋上の段差に辿り着いてしまった。
「被害者を差別する奴、根も葉もない噂を広めて人を不幸にする奴、一時の話題の為だけに人様の傷口をほじくり返す奴……まぁロクデモナイ奴らだ」
トーゴがトーマを段差の上に置く。
トーマの視界には、目も眩むような高さが広がっていた。
「で、だ……そいつら全員に復讐するなんてのは現時的に考えて不可能だ。だからといって何もしないのも癪だ」
そう言ってトーゴは縛られた星見ごとイスを傾ける。
彼女の後ろに柵などあるはずもなく、そのまま後ろに倒されれば地上に激突する事は目に見えていた。
「今、日本中がこいつを待ち望んでいる、信奉している、皆の光になろうとしている。だから俺はその光を消してやる事にした。お袋を追い詰めたお前らのせいで、潰える所を見せてやるのさ」
「止めろ……止めるんだ、トーゴ……その娘か……お前の復讐に、関係ないだろう?」
苦悶に満ちたトーマの説得を聞き、トーゴは満足そうに笑う。
「そういえばこのお姫さん、新星のアイドルとも呼ばれていたっけな。……兄弟、流れ星を見たことってあるか?」
そしてトーゴは、イスを後ろへと押し倒した。
「今見せてやるよ、願い事を三つ数えな」
「駄目だぁ!!」
トーマが咄嗟に手を伸ばしてイスを掴む。
星見は縛られているおかげで落ちはしなかったが、ぶら下がっている今の状態では小さな悲鳴を上げることしかできなかった。
「頑張るねぇ。けど、それもいつまで続くかなっと!」
トーゴは体重を乗せてトーマを踏みつける。
頭、腕、背中、足……執拗なまでに全身を痛めつけていく。
「トーマさん、離してください!」
「駄目だ、駄目だ……それだけは絶対に駄目だ!」
自分のせいで傷つくトーマを見て、星見は懇願する。
だがトーマは頑としてそれを聞こうとしなかった。
とはいえ、このまま殴られるがままに、蹴られるがままになっていても彼女は助けられない。
自分が死ねば彼女も死ぬ事になる。
トーマは生まれて初めて、自身の命が誰かの命に繋がっている事を実感していた。
そして生涯で初めて神に祈った。
救われる事を諦めていた、種付けおじさんがだ。
トーマは不安そうに揺れる星見の瞳を真っ直ぐに見て告げる。
「私を、信じてくれるか?」
あまりにも真っ直ぐな、それでいて真摯な祈りのような一言。
その祈りを、星見は聞き届けた。
「信じます。他の誰でもない、私を助けてくれたアナタを」
迷いは晴れた。
トーマは、掴んでいた彼女の命を手放す。
「おいおいおいマジかよ!?」
驚いたトーゴが慌てて下を覗き見て、彼女と目が合った。
彼女の瞳には、一片の疑いすらも無かった。
そして自由落下に身を任せて星は落ちていき―――ビルの途中から伸びた手が、それを掴んだ。
人ひとりが落下する運動エネルギーだ、並大抵の人間には不可能な芸当、奇跡である。
もしもその奇跡を実現できるとすれば……種付けおじさんしかいない。
「よぉっとぉ! 大丈夫ッスか!?」
舞台から降りたはずの役者が、ヨシトが戻って来たのであった。
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