第28話:光に病めるもの

 大学付属病院のある一室、安鳥というネームプレートが入っている病室に空島社長がノックして入る。


「社長!?」

「あぁ、起き上がらなくていい。近くに寄ったから立ち寄っただけだ」


 空島事務所でただ一人のプロデューサーである安鳥は、折れた足が吊るされているにも関わらず起き上がろうとするも、先に声で制されたので上半身を起こすだけに留める。


「着替えはどうだ? 何か足りない物は?」

「病院の中に洗濯機と乾燥機もありますから大丈夫です。足りないものといえば時間ですね、透に対する人気を調べてるともう―――そうだ、アダーラ杯の優勝おめでとうございます!」

「ああ。お前も前の会社から今までよく信じて付いて来てくれた、感謝している」


 空島 舞弥、かつて大きな事務所に所属していた作詞・作曲の担当者。

 数多くのアイドルの曲を担当していたが、アイドルの大量消費に憂いていた。


 事務所内での立場はそれなりではあったものの、部署が違うせいで口出しできずにいた。

 それでも事務所にはアイドル界トップを走り続けていた高嶺 望がいた。

 いずれ彼女が大きくなり事務所に余裕ができれば、きっと既存アイドルへも手厚くケアされると信じていた。


 だが、それは彼女がファンに刺された事であっさり裏切られる事になる。

 彼女に落ち度は一切なかった。

 彼女に心酔していたファンが、自分の中にある彼女との理想像との食い違いが起こり、過激な方法でそれを正そうとした。


 理由はそれだけだった。

 だがそれだけにしたくない人間の方が多かった。


 あるニュースではアイドル側にも問題があったのではないかと放送した。

 ある新聞では期待させたアイドルが悪かったと伝聞した。

 ある界隈では事件に巻き込まれると距離を置いた。


 そして事務所は彼女を切り捨てた。

 驚異的な速さで界隈のトップで咲き誇ったアイドルは伝説という封をされて過去へ置き去りにされた。


 その瞬間、空島はこの界隈がどうしようもないのだと悟り、事務所を去った。

 だが数年後、彼女は最低限必要な人員とコネをまとめ、アイドル事務所を立ち上げて高嶺を迎えた。


 それからしばらくして、高嶺が空島にふと尋ねた。


「あの……どうして私なんかを誘ったんですか」


 高嶺は事務所や知人にも裏切られた事で、心の中に疑念と不安が渦巻いていた。

 事務も、レッスンも、専門家を雇えばいい。

 だというのにどうしてアイドルを辞めて何者でもなくなった自分なんかを迎え入れてくれたのかと。


「彼女を見ろ」


 言われた通りに星見 透を見る。

 空島社長がスカウトした、宝石をも超える星(スター)の原石。

 恐らく自分よりも高く、そして輝ける素材である事が分かっていた。


「あいつはきっと大勢の人々に見上げられる。無数の歓声を受け、輝かしい光を浴び、そして人々の中に伝説として残り続けるだろう―――私にとっての、高嶺 望のようにな」


 それを聞き、高嶺が空島へ驚いた目を向ける。


「お前に知ってほしかったんだ。確かにろくでもない世界だったさ、だがそれだけじゃなかったと。ステージで皆に望まれる彼女を見て、輝かしい所もあったのだと。かつてお前もそこに立っていたんだと、堂々と胸を張ってほしかったんだ」


 高嶺は泣いた。

 すでに去りし過去において、何もかもを失くした場所だったが、そこには確かに駆け上るだけの価値があったのだと思い出せたのだから。


 こういった事もあり、空島事務所における各スタッフの信頼度は余所と違い確固たるものである。

 安鳥もその一人だ。


 かつての事務所において多数のアイドルをプロデュースしてきた。

 だがそのアイドルの全てが切り捨てられたアイドルであった。


 もはや上を目指せないと見切られたアイドル達を、それでもまだ上を向かせるように、まだ夢半ばであると励まし、そしてどうにもならずに去っていく所を見続けていた。


 安鳥だけが諦めず、彼女達と共に歩こうとした。

 だから空島社長が引き入れた。

 二人は上司と部下という関係であるが、ある意味で同志であり仲間でもあった。


「そういえば、透は大丈夫そうですか? 今頃事務所の電話とかパンクしてそうですが」

「私の携帯にもひっきりなしだよ。だから通話禁止のここで少し休ませてくれ」


 空島の冗談に安鳥が笑う。

 しかし、その顔に若干の影がある事に空島は気付いていた。


「それじゃあ、僕もそろそろ退院して現場に復帰しないといけませんね!」

「いや、それには及ばない」


 空元気のように腕を振るう安鳥を見て、空島はそれにストップをかけた。


「ど、どうして……?」

「今までずっと透の面倒や白井姉妹を見てもらっていたからな。ここいらでゆっくり身体を休めるべきだ」

「で、でも先輩! スケジュール管理や撮影の段取りはどうするんですか!?」

「今は紅白に向けて最低限の仕事しか入れていない、大丈夫だ」


 社長ではなく先輩、安鳥が動揺したせいで出てきてしまった過去の呼び方であるが、空島はそれについて言及せず言葉を続ける。


「骨折、ひどいのだろう? 完治もしないで無理に働く方が危険だ」

「だ……だけど、ほら! 紅白出場という事で変な奴が来るかもしれないじゃないですか!? そんな時に男の僕が何とかしないと―――」

「安心しろ、お前を助けた種付けおじさんがいただろう? そこからの縁で、今は事務所に種付けおじさんがいる。おかしな事を考える奴がいたならば、種付けおじさんが何とかする」


 空島からすれば、トーマやヨシトはゴトーの件もあり、既に身内のようなものであった。

 確かに種付けおじさんには人権がない、そして人間扱いされない。

 だが同じ言葉を話し、同じ感情を共有できる……そう、人間なのだ。


 社会が種付けおじさんを人として扱わないならばそれでいい。

 それならそれで許される境界線上において融通する、それだけの話である。


「これから忙しくなる、張り切るのはそれからだ。今のうちにゆっくり休暇を楽しめ、後からは休もうにも休めない毎日がやってくるぞ」


 空島は安鳥の肩を軽く叩き、扉から出て行く。

 病室に残された安鳥は呆然としていた。


 彼の周囲には尊敬に値する人物ばかり居た。

 多くのアイドルの曲を生み出した怪物のような先輩、最速で伝説となった元アイドル、そして星の原石やアイドル達……。

 空島事務所において、彼だけが凡人であった。


 そんな環境において、彼は彼なりのちっぽけなプライドを持って仕事をこなしていた。

 事務仕事を手伝い、アイドルの体調管理やスケジュールを念入りに組み、何かあれば身体を張る事、それを誇りにしていた。


 皆が忙しいからこそ様々な仕事を助け、会社が円滑に回るようにしてきた。

 それこそが自分の存在意義なのだと自分に言い聞かせてきた。

 だからこそ、自分がいない状態でありながらも会社に問題が起きていない事に焦りを覚えた。


 実際には回せない作業を切り捨てる事で何とか回せているだけである。

 事実、空島社長の言っていた事は真実であり本音であった。

 今の内に休み、そしてその後に存分に働いてもらうと。


 捨てられそうになっていたアイドルに親身になって手を差し伸べる彼を信頼しているからこそ、頼りにしていた。


 しかし、安鳥は信じきれていなかった。

 透を間近で一番見てきた自分こそが彼女をプロデューサーとして相応しいのに、どうして距離を取らせようとするのか。

 退院した後、自分の席はないのではないか。

 かつての事務所がアイドルを切り捨てていったように、自分も切り捨てられるのではないかと。


 彼にとってアイドルの為に尽力する事は当然の事であり、そんな事で信頼されているとは、つゆとも思わなかった。


 暗い考えが頭の中を堂々巡りする。

 事務所の皆を信じたいのに、信じ切れない。


 彼は頭を軽く振り、気分を紛らわせる為に備え付けのテレビを入れるとアダーラ杯の映像が流れた。

 主役はもちろん、今までずっと隣で見てきた彼女だ。


 彼女を現場に送った、一緒に歩いた、何度も連絡し、空島社長よりも一緒の時間を過ごした。

 だというのに、今までずっと近くにいた彼女が、称賛の嵐を受ける彼女が、画面越しのせいで急に遠くに行ってしまったような錯覚を覚えた。

 自分はもう、彼女の隣に戻れないのかと思うと胸が押しつぶされるような不安が襲い掛かってきた。


 胸を抑え付けつつ、深呼吸して鼓動を整える。


「大丈夫……まだ大丈夫なはずだ……。だって、僕はまだ―――」


 すがりつくように、彼はスマホを手にして彼女に電話をかける。


 番組はCMを挟み、今度は種付けおじさんによって十一人の若者が犠牲になった事を報道していた。

 コメンテーター、インタビューを受けた一般人、どのチャンネルでも種付けおじさんを問題視し、容赦なくけなし続けていた。


 まるで世界が、種付けおじさんそのものを排除したがっているようであった。

 安鳥は星見が電話を取る前にスマホを切り、呟いた。


「僕が……何とかしないと……」


 空島は彼を信じていたが故に、一つの問題を見逃していた。

 星見の実力を知る彼女ですら涙を止められなかったというのに、どうして彼は大丈夫だと思ってしまったのか。

 恐らく、付き合いが長いが故の信頼だったのだろう。


 彼は星見 透の一番のファンだった。

 それはつまり、星見 透という光を一番間近で見てきたという事でもある。


 強烈な光は時として眼を焼く。

 それはまるで写真のフィルムのように、彼の瞼の裏には、光に映し出された強烈な影が焼きついていた。

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